地球は生きている
藤泉都理
刻
小説(特に『枯れ木が花を咲かせます』『浮くは雫、沈むは大海~輪廻転生に逆らうは常なり』)の原動力であり、中学校の時に書いた作文です。
明日4月22日が『地球の日』だと知って、原点回帰という意味でもここに記したいと思いました。
「地球は生きているんだ」
長倉洋海さんが言った言葉だった。私達が、今住んでいるこの地球はどうなっているのだろう。終りのない戦争、失われていく命、温暖化砂漠化、便利になっていく世界。そのための犠牲。いつかはほろびると言われるこの地球。住みやすい環境を求めた人類。でも今は、地球をほろばせないようにとする人類。いろんな刻を見て来た地球。生きているんだってそう思えた。
地球にも、感情があるんじゃないかって思ったのは、小三のころだった。雨は悲しんでいるのでは。嵐や台風、怒っているのでは。
昔、と言っても小五のころ。自分が死んだらどうなるんだろうと考えたことがある。暗い闇。一人ぼっち。起きることない自分。寝ている感触ないのかなって思うと、悲しくなっていった。死にたくないと思った。地球だってこんな気持ちになるんじゃないかって思う。悲しくて辛い刻を見てきたんだろう。でも、楽しくうれしいことだってあったはず。もっといろんな刻を見たいと思うはず。「命には限りがあるからいいんだ」と言う人もいるけれど、そう思うときもあるけれどこの長い地球を生き続けている地球。青くて、緑がたくさんある地球。生き続けて、ずっとずっとみんなを見守り続けて。私のめちゃくちゃなわがままだ。そのためにも人類は助け合いながらこの地球を守っていかなくてはならないのに。勝手すぎるこの世の中。自分もそうだ。守らなきゃって口で言うのは簡単だけれど全然実行していない。何だ自分は地球が生きているなんて思ってないじゃないか。
だけど、やっぱし生きているんだって思う。植物が呼吸をしている。最初は嘘だって思った。そんなことないと、でも違っていた。やっぱし生きていた。呼吸していた。みんなこの世の中、地球は生きているんだって確証がつかめる第一歩だったと思う。いや、その前から感じてた人も、いまだに感じない人達もいることだろう。
だけど、私達は一歩ふみしめたんだと思う。なぜみんなは地球を守ろうとしているのか。それは、みんながここにいたいからだろう。かけがえのない地球を大切に、ほろぼしたくないからだろう。生きているっと思っているからだろう。私が勝手に書いているだけだけど、みんなもそう思ってほしい。そして、みんなが協力し合って、かけがえのない地球を守っていこう。
「地球は生きているんだ」
この言葉から何かを感じ、地球と共にいきてほしい。私の願いだ。
時を刻と連発しているのは、『修羅の刻(川原正敏 講談社)』の影響です。
今もここぞという時に使用しています。
長倉洋海さんは写真家で、母と一緒に行った講演会での「地球は生きている」という言葉に感銘を受けたあと、ちょうど中学校でいくつかあるテーマから作文を書くという授業があって、ナイスタイミングでその中に「かけがえのない地球を大切に」があり、この作文を書いたのですが。
小説を書く理由に、日本語を書きたい、尊敬する作家様たちみたいな物語を書きたいからだとコメント欄に書いたのですが、根っこはやっぱり、ここ、なんでしょうかね。
(2022.4.21)
地球は生きている 藤泉都理 @fujitori
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