第5話
結局、家に帰り着いたのは夕方になっていた。
二人が暮らしているのは、都市の南のほうにある学生主体の地域、近くに大きな国立大学があるため、一人暮らしの学生向けやらルームシェア出来そうな広さの間取りを備えたマンションなどが立ち並んでいる。
コンビニは徒歩五分圏内、ディスカウントストアと薬局は欠かせない。
学生らしき若者が往来する国道沿いのメイン通りから一歩それると、マンションのせいで影になり、日の差さないじめっとした空気。
シックな外観が立ち並ぶ建物の裏道をすり抜け、自宅到着。ボクらが住んでいるのは、周囲と同じようなマンションだ。ただ、周りが築五年以内なので、築十四年目になる彼らの家は少しだけ古く見える……気がする。気がするだけかもしれないと言い聞かせる毎日。
……まぁ、そのおかげで設備の割に家賃も格安なのだが。
互いにポストを確認した後、鍵を取り出した大輔がオートロックを解除して、エレベーターホールでその到着を待つ。
ここは十二階建て、現在エレベーターは九階から降りてきている。この待ち時間が地味に長い。
「……ねぇ、大輔」
「何だ?」
「夕ご飯は?」
「お前は口を開けば飯の話しかしないんだな」
横で嘆息する彼に、可憐は一瞬言葉を詰まらせながらも、
「だぁって……結局今日の昼ご飯も遅かったし、軽食だったし、いつものメニューだったからさぁ。それに、夕食の買い物、しなかったし」
両手にスーパーの袋を持って……いない彼は、思案をめぐらせながら言葉を返す。
「色々と野菜が残ってるんだよ。だから今日は、鍋」
「キムチ?」
「お前の部屋にあっただろ? あと、豚肉も」
至極当たり前に言ってのける彼。何の躊躇もない、自分の言葉は正しいと確信している強さがある。
でもここで、当たり前な疑問が一つ。
「ど……どーしてボクの部屋の冷蔵庫状態を知ってるのかな、大輔」
丁度降りてきたエレベーターに乗り込み、それぞれの階のボタンを押して。
可憐がびくびくしながら彼を見上げると、大輔はこれまた当たり前に返答した。
「だって俺は、調査の達人だからな」
二人がお隣同士に住居を構えているのは、大輔が可憐の身元証明人だから。
このマンションはワンフロアに部屋が五つあり、その七階、エレベーターから一番遠い右端とその隣が、二人の生活スペースになっている。
可憐が角部屋がいいと主張し、特にこだわりのなかった大輔があっさり承諾したので、角部屋を巡る論争が巻き起こることはなかった。
さすがに七階ともなると、地上よりも風が冷たくて。
立地的に日当たりは最高なのだが、玄関先ではその恩恵を実感することも出来ない。
「じゃあ、ボクはキムチとお肉を持っていけばいい?」
「そうだな。あと、入れられそうな野菜があれば、適当に持ってきてくれ」
「ラジャ」
これからすべきことを、しっかり確認して。
二人は一旦、別れた。
「キムチとー……うぁ、本当にあったよ豚肉」
冷蔵庫をガサゴソと引っ掻き回しながら、お目当ての食材をスーパーでもらったビニール袋へ突っ込んでいく。
この部屋は十二畳ワンルーム。玄関から中に入ると、右に台所、左にトイレとお風呂が並んでいて、その間を抜けると、中扉の向こうに個人の空間が広がっている。
固く閉ざされた奥への扉。それが開かれることはない。否、現実を直視するのは寝るときだけでいい。
片付けという行為に抵抗しているのは、どうやら希だけではないようだ。
シンクの中に重なり始めた食器は見ないフリ。大輔がこの場にいれば、間違いなくお説教が始まるだろう。
可憐は頭の中で説教する大輔を追い払うと、手早く荷物をまとめ、重たくなったビニール袋をもって立ち上がり、
「あ、そうだ」
なぜかビニールを床に置くと、ポケットから携帯電話を取り出す。
今では一人2台が目前になりつつある携帯電話。白い本体をかぱっと開き、アドレス帳からお目当ての人物を探し出す。
表示されたアドレスからメールを立ち上げ、慣れた手つきで手短にメッセージを送信してから、
「……明日はゴミの日だったよね……さすがに冷蔵庫、ヤバイかも」
さっきは目をそらした、賞味期限切れの生ものを思い浮かべ……自分の性格にため息をつくしかない可憐なのだった。
二人が夕食を一緒に食べているのは、単に、食費が一人分より安くなるという経済的理由や、可憐へ包丁持たせたら食材が報われないという大輔の心遣いがあるからなのだが。
あと1つだけ、重要な理由がある。
「――ごちそうさまでした」
可憐は静かに箸をおいた後、両手をゆっくり合わせてご挨拶。
本日のお鍋も最高でした。ダシを昆布から取るっている手抜きナシの姿勢から、期待はしていたんだけど。
料理を任せて、可憐の身内では大輔の右に出る奴はいない。響古も得意ではあるが、大輔の緻密な計算料理には及ばない点がいくつもある。
……まぁ、可憐は誰かが作ってくれる料理なら基本喜んで食べるのだが。
カセットコンロからボンベを抜き、空になった鍋の中に食器を入れて台所に引き上げていく彼。
可憐がいるのは部屋の真ん中。彼の食卓から色々兼ねるコタツ机が部屋の中央にあって、そこから一番壁際のテレビが見える位置に、座布団を敷いて陣取っていた。
部屋の間取りは可憐と同じだ。ただ、両側が壁っていう違いがあるくらい。
だけど……家具の配置、配色などに統一感があり、この部屋を最大に使えるような工夫も感じられる。
例えば、ベッドを壁に対して平行ではなく垂直に置くことによって、横に広い部屋という印象を与えたり、壁に棚を取り付けて小物を置いたり、綺麗な本の表紙を外側に見せることで、それをインテリアの1つにしてみたり。
難しそうな本が無駄なく詰まった本棚や、パソコン用のデスクまであるのに……どうして全て、この部屋一つに収納されているんだろう?
彼にはカリスマデザイナーの素質があるんじゃないだろうか。可憐はテレビをボーっと見るフリをしながら、台所に立つ彼の横顔を眺めていたりして。
手伝わないのか、という突っ込みは、彼がずっと昔に諦めている。食器をいくつも犠牲にしてきた過去の経験から、猫の手を借りないほうがいいという結論に達したからだ。
基本的に狭いから、可憐が行っても邪魔になるだけだろう。そんな言い訳をする必要もないほど、大輔は黙々と作業に徹する。
そんな姿を、眺めて。
可憐がチャンネルを変えながらあくびをかみ殺していると、彼が戻ってきた。
そして、テレビ横にある本棚から、一冊のファイルを取り出すと、
「じゃあ、始めるか」
その言葉に、頷く。
大輔は向かい合う形で可憐の正面に座ると、机上にそれを広げた。
ファイルから取り出したのは、一枚の問診表。
質問事項がいくつも並んでいるそれが、可憐と大輔の日課でもあった。
手渡され、可憐が質問に答えていく。彼はその間、静かに、眼鏡を外した。そして、ただ、可憐を見つめる。
質問に回答し終わった彼女から紙を受け取ると、その下のほうにある余白に、なにやら数行書き込んでから。
「そういえば、今日の状況証拠を送らなくちゃならないんだったな」
パソコンの前に移動すると、PCデスクの脇においてある小物入れからマグネットピアスを取り出すと、右耳にだけ装着した。
シンプルなシルバーの丸型。普通にアクセサリーとしてつけても違和感がない。
自分の仕事が終わった可憐はベッドの上に居直り、そこから、作業中の画面を眺める。
大輔は立ち上がったパソコンから、それに繋がっている一本のケーブルを自分のほうへ引っ張ると……その先端、丸くなっている部分を、先ほどつけたピアスと接合させた。
お互いが磁石になっているからくっつくのは当然なんだけど……傍から見れば、彼がパソコンと直接繋がっているかのような印象を与えかねない光景だったりする。
これは、彼の両目が機械だからこその光景。
「魔技師」認定の大輔は、両目が機械仕掛けなのだ。その性能は最新鋭のパソコン並み。情報の記録は当然のこと、こうやって目に蓄積した情報をファイルとして送ったり、インターネットやデータベースにアクセスしたり、目の前にいる対象物を科学的に分析したり。
大輔が眼鏡を外して可憐を眺めているときは、大抵、彼女の体調を検査しているのだ。そのデータを「機構」へ送り、彼女が健全であることを証明している。
目に覚えさせた映像を、ケーブルからパソコン本体へ転送、そこから更に希の所まで光回線で突っ走ってもらうのは、もうすっかり日常茶飯事。
今日の可憐が、きちんと、特定のルールに従って自分の仕事をこなしました、という、唯一の状況証拠になるのだ。コレがなければ、本当に可憐はタダの魔法乱用殺人鬼。
「大輔」
作業中の彼の背中へ話しかける可憐。振り向けない大輔は、素っ気無い言葉を返す。
「何だ? 眠たいなら自分の部屋に戻ってくれ」
「違うよ。その……ボクの体、特に異常は、ない?」
一日の終わりは、一通りの検査をしなければならない。これは一つの義務であり、大輔の責任でもあった。
これが、二人が夕食を一緒に食べる最大の理由。一日一回、データを送らなければならないので……夕食を一緒に食べようと言ったのは大輔の方だった。
要するに。
こうして逐一、欠かさずチェックしなければならないほど、可憐の体は危ういという事実。
いつ、どうなっても、おかしくないということ。
神妙な可憐に、彼は画面を見つめたまま返答する。
「そうだなー、脳波がゆるいぞ。眠たいんだろ」
「そ、そりゃあ……お腹いっぱいになったら寝るしかないよ」
「だったら健康だ。特に異常は見当たらないし、可憐も特に違和感はないだろう?」
「うん」
可憐が頷いたとき、彼は、くっつけていたケーブルを外した。
そして、椅子ごと彼女のほうへに振り向いて、
「だけど、油断は出来ないな。姉さんの言葉、覚えてるだろ?」
「あ、今週雨がふるって言ってたことだね」
「そうだ。一応俺も前日からそっちに行こうと思ってるけど、何か予兆を感じたら、すぐに知らせてくれ」
雨。
それは、可憐にとって最も厄介な相手なのだ。
そう、可憐にとっては、こっちの部屋に来るなり小言を言う大輔よりも厄介な――
「……大輔、ボクの部屋、来るの?」
その事実が、可憐をびしりと固まらせる。
「当たり前だろう? 可憐一人で対処できる問題じゃないんだから」
「そりゃあそうだけど……だけど……」
口ごもって言葉を濁す可憐に、彼は至極当たり前だと言わんばかりの口調で、こう言った。
「心配するな。可憐の部屋に足の踏み場があるとは思ってないから」
勿論、可憐は否定できない。
帰ったら地道に片付けようと今だけ誓ってから……少しだけ下方を見つめ、息をついたのだった。
Re;Pray えだまめ @frosupi
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