First Killing・Just Forever 

橘士郎

▸何時か◂

 さて、話をしよう。


「さて、話をしよう。」


 子供たちは興味津々の目で木の洞に腰かける老人の話を聞いていた。それはいつもの光景で、ひと昔前、子供たちが紙芝居を空の下で楽しんでいたその風景に似ている。


 白いひげの老人は腕を膝について手をもみながらしげしげと子供たちを眺める。


「とある時代、とある場所にとある男がいた。その男は仕事もせずにいつもぶらぶら歩きまわっている様な男だった。」


 子供たちは相変わらず引き込まれた様にその声に聞き入っている。老人の心地よい声が木々にこだましていく。


「男は自分の事が嫌いだった。何をするにも怖がりで、何を考えているのか分からない他人が怖い。そのくせプライドばかり高くてそれ故に自身を誇って、しかしそんな行動によって他人に嫌われたのではないかと一喜一憂するような馬鹿な男。」


 聞きなれない言葉に子供たちは首をひねりながらも黙々と次の言葉を待っている様だった。まるでその場に恋をしたように、糸で括られた様に。


 老人は笑いながら続きを話し出した。


「そんな男は追い詰められて……いや、自分で自分を追い詰めて感情を自分の中では扱いきれないほどに大きく膨らませていった。だから男は死を懇願した。男は死にたがったんだ。死んですべて忘れ去ろうとしたのさ。」


――――――


…あぁ、恨めしい。恨めしい。自分を生んだ親が恨めしい。さらにその親が恨めしい。恨めしい。恨めしい。俺を生んだこの世界、宇宙が恨めしい。いっそのこと絞め殺してしまいたい。


 男は寝ながら天井を眺めていた。天井を眺めながら全身の筋肉はこわばり、突きつけられた手の指、足の指がガリガリと畳を削っていく。


 感情があふれ出ている。頭の中では消化しきれない思考を行動に出力する。それは常に突発的で長期的でいつも病のように男を蝕んでいく。


 男はそれだけでは満足できず今度は、子供がそうするように寝たまま手を振り足を振り地団駄で表現する。


 頭を掻きむしり、髪の毛を引き抜いて、通帳を投げ捨て催促状も破り捨ててカップ麺の容器はひび割れ、それでも暴れていないと男は壊れてしまいそうだった。

 これは狂気ではない。男を蝕む凶器を具体化した現実。例えば怒りは暴力的に、嫉妬は奇声で、悔しさはこわばった全身。そうして頭の中身を自分から出していないと男は壊れてしまう。


 今までの自分がフラッシュバックしては死にたくなる。自分の行動の一つ一つが今の絶望を形作っている気がして、自分さえ殴り殺してしまいたい。


 だが、死ぬ勇気など男にはこれっぽちもありはしなかった。だから恨む。祖父を恨む。自慢げに語られたあの惚気話。下町のモダンカフエなんかで祖母をナンパしなければこうはならなかったはずなのに。


 そう思うと、男は急に腹が立った。すべての厄がそれを原因にしているような気がしてハラワタが煮えくり返る様なじれったい痛みを今度はどう表そうかとしていた時に、男は何かを踏みつけた。足をどけてみるとそれはいつかに無くしたボールペンだった。それをみていてひらめいた男は大学時代に使っていたノートを取り出して殴り書いていく。


 ありとあらやる世界への恨みつらみ。自分がどれほど駄目な人間なのか、そしてなぜ駄目なのか、なぜ駄目にならなければいけなかったのか、自分以外の原因をありありと書いていく。少しは気が晴れたが、しかしまだ足りなかった。何かを忘れている気がする。


 腹のなる音で思い出した。祖父だ。あの祖父がすべて悪いのだ。


 そこまで来て、男の過去に対する下剋上は止まる事を知らなかった。半分から先に書かれているのはすべて祖父を殺す方法。いかにして祖父を殺せばこの恨みを晴らせようかということが書かれている。


 祖父を殺すことばかりを考え続けて三日三晩、気づけばそれは一つ小説の形をした文章に仕立て上がっていた。


 そして、その文章の生きた事。崖に指一本でとどまっている人間が書く小説は、その血気迫力が違う。これは本気で殺そうとしている。作者がではない。文字が、殺そうとしている。これを読んだものの中に描かれた情景が像を結んだ時には、激しく胎動し男の祖父を殺す方法を考えだしてしまうようなそんな言葉の羅列。


 それは男の―――


―――—――


「もしかりに過去に戻って自分の祖父を殺したとしよう。すると、自分は生まれなかったことになるね。でも自分が生まれなかった事になるということは、祖父は死ななかったことになる。すると今度は自分が生きていることになってしまう。」


 子供たちは分かったような分かっていないような表情のまま老人を見つめている。中にはすべてを理解してハッとするような顔の子供もいる。


「これを、祖父殺しのパラドックスというんだ。私は何千何万回と祖父を殺したさ。そのおかげで今はみたいなもんさ。」


「生きすぎた表現は人間を殺す。どれだけ思いが強かろうと、他人が紡いだ文字列の中で個人は意味を成さない。物語とは作者になるということ、いや作者の思いを肩代わりするということに等しい。作者が本気で祖父を殺そうとしたのなら、読み手の中で祖父は何万何億も死ぬのさ。」


 男はそれだけ多くの人間を殺した。


 殺すと死んで、死ぬと生きて殺す……永久に繰り返す思考に似た矛盾。男は永遠に自分を許せないまま生きていく事になるだろう。それは祖父を殺したから以外の理由など存在しない。


―――—――


「この度、芥川賞を受賞という事ですが。心境の程いかがでしょうか。」


 おびただしいカメラの中、無精ひげを生やし、たるんだ目、、猫背の生きていない様な人間が大衆に晒されていた。


「独特の表現で多くの読者を魅了していますが、何かこだわりなどはあるのでしょうか?」


 男は、薄く口を開く。やせこけた頬が上下に動いて筋肉の動きがきっちり把握できる。


「これは表現なんて生易しい物じゃない。」


 会場がざわついた。覇気の無い目で紡がれる言葉には妙にリアリティがある。


「毎晩夢を見るんだ。俺が爺さんになって、祖父になって子供たちに本を読み聞かせる夢をさ。だけど、この前の夢は違った。読んだのは本じゃなくで俺の人生そのものだったんだよ。俺がいったいどんな人間なのかから始まって、俺が追い詰められて爺さ祖父を殺すまでがワンセット。それから毎晩同じ夢を見たよ、それで気が付いたんだ。これはパラドックスだって。」


「パラドックスですか、」


 記者たちは熱心に、興味深そうにメモを取り録音して撮影する。しかし男はそのどれも気にしないようにただただ懺悔を口にするように、


「祖父を殺して生きてまた殺すのさ。俺の頭の中と一緒だった、思考して世界を恨んでは殺して解決して、でもまた悩む。だからこの小説は表現なんて美化されたものじゃなく、単純に。俺は生きていれば必ず祖父を殺すから。シュレディンガーのネコみたいな俺が唯一ちゃんと見てもらえる、」


 全体が静まり返ったような気がした。何か音を立てていけないような圧力が場を支配してシャッター音さえ今は聞こえない。ただ、現実が現実として一秒を刻む感覚を全員が共有する。

 そしてその瞬間は静かに、冷静に、達観した現実を見下ろすような声で響いた。


「これは俺の、」

これは男の、


「俺にとっての、」

俺にとっての、


「「墓標なんだよ。」」




 振り返れば彼の小説の一文目はこう始まる。


――さて、話をしよう。


 彼が夢以外で輝ける、彼が現実以外で思いを共有できる唯一の場所だったのだろうと思う。

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First Killing・Just Forever  橘士郎 @tukudaniyarou

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