温かい春色の心
鼎ロア
改めるようで悪いけど、僕は悪いとは思わない。
人の闇は、心の闇。
抜け殻を通して、心は青く染まっていく。
冬のように冷え冷えとした、闇を纏った心。
その反対に、春のようなピンクに染まる温かい心も存在していた。
「おはよー」
「おはよー」
朝の挨拶を交わしている人達を横目に、僕は教室の端を歩き机へと向かっていた。
「おはよう。
そう僕の名前を呼ぶのは、
つるんだことは一切ないが、苦手なやろうだ。
「……おはよ」
僕はとりあえず素っ気なく小さな声で挨拶をしておいた。
「はぁ、折角クラスのリーダーがつるんでやってるのによ」
こいつがリーダー?ないない。
こんなやつがクラスのリーダーになれるわけがない。
「そ、そうだね」
とりあえず僕は肯定をしておいた。
「なんだよ、それ。さっきから素っ気ねぇな。つまんねえわお前」
伊舞は僕をギロリと睨みつけ、去って行った。
「……たく、初対面なくせに」
そもそも僕はあまり人と話さないので伊舞みたいなやつとは話したことが一切なかった。
それなのにあの偉そうな態度。何様なんだか。
朝っぱらから嫌な目に遭い、心の中で舌打ちをしつつ僕は授業の準備を進めた。
数日が経って、僕は早く感じるスクールライフをいつも通り送っていた。
学校なんてすぐ終わる。それは、退屈だからかな。
勉強なんてかったるい。
でもどうしてもやらなくちゃいけない。それは、未来に繋がるから。
まあ、そうは言っても平均的な成績なんだけど。
「よぉ、貝田」
下校しようと、誰もいない廊下を歩いている途中、階段で待っていたのか、伊舞が僕の名を呼んだ。
「うん?なにか用?」
「ああ。ちょっとこっち来てくれ」
そう言われたので僕は伊舞についていく。
わざわざ待つくらいだ。それなりの用事なんだろうな。
心構えをしつつ、僕は伊舞の後ろを歩く。
すると、伊舞は男子トイレに入った。
入るときに手招きをしていたってことは、入れってことなんだろうな。
そう解釈し、僕はトイレに入って行った。
「で、用件は?」
トイレに入った僕は即訊いた。
「ああ、それなんだがな」
伊舞は、僕の目の前まで近づいて、立ち止まる。
さすがに意味がわからなくて、僕は首を傾げた。
それでも、なにも言わないもんだから、たいしたことないと判断した僕は扉の方を向いた。
その瞬間、
トン
後ろから、横方向に押された。
このトイレは、入ったときに少し段差のあるトイレなんだ。
いくら子供どうしといえども、簡単に転ぶ。
横から押された僕は、当然のように倒れ込んだ。
「っ……痛いなぁ。なんなんだよ」
僕は、伊舞を睨んだ。
すると、
「ああ?すまんすまんちょっと手が滑ってな」
と伊舞はしらばっくれた。
はぁ?手が滑ってああはならないだろ。それになにを触って滑ったんだよ。
不満を膨らませつつ、僕は立ち上がろうとした。
だけど、伊舞は僕の頭をガッシリと掴み、上に持ち上げる。
「お、おい。痛いって」
いくら足が着いているとは言えども、痛いものは痛い。
すると伊舞は無言で僕を引っ張り、トイレ大の扉を開ける。
もちろん僕は、抵抗すると痛いので進む方向に合わせる。
伊舞は、そのままトイレの便座を開け、
ボチャン
僕の頭をそのトイレの穴へと突っ込んだ。
突然のことで僕は息ができない。
「ボフッバッ……バッ……ブバッ……」
どんどん口の中の酸素が抜けていく。
く、苦しい……。
「ブべッボバッ……」
そこで僕の酸素は尽きた。
それに気がついたのか、伊舞は僕の髪を引っ張る。
僕も自然と頭を上げた。
「ガハッ、……はぁはぁはぁはぁ……」
ゴクッ
突然のあまり、自然とトイレの水を飲んでしまった。
ああ、最悪だ。水を飲んでしまった。
な、なんなんだ。こいつ、いったい、僕になにをしているんだ……。
「なっ……なにを、するんだ……」
「ええ?ああ、ごっめーん。手が滑っちゃってさ〜」
伊舞は笑いながら悪気れもなくそう言う。
すると、再び視点が下に落ちる。
水が飛び、服に付き、口にトイレの汚い汚い水が入り込んでくる。
「な、なんなんですか。ほんとに」
僕はそれでも抵抗する。
いくら口に水が入ろうとも、いくら汚くなろうとも。
「ええ?だってさぁ、お前、俺に素っ気ないじゃん?せっかくクラスの中心人物がお前みたいな陰キャに話しかけてやってんのに」
は?こいつはまだ自分が中心人物だと思ってたのかよ……。
それにしても、きつい。汚い。苦しい。
こいつは、こんなことをしてもいいとでも思っているのか?
「うるせえ、僕、はお前を中心人物なんて思ってねえよ。とんだ自意識過剰だな……」
息が詰まりながらも僕は反抗した。
「ああ?」
それに対し伊舞は僕に威圧的な視線を浴びせる。
「ああ?じゃないよ。というか、それはこっちの台詞。お前さ、こんなことしてもいいと思ってるわけ?」
「ハハッ、いいだろ、別に」
は?とんだイカレ野郎だ。バカじゃねえのか。
沸々と僕の頭に怒りが満ちていく。
「ちっ、まず離せよ」
僕は伊舞の、僕の胸ぐらを掴む手を乱暴に振り払った。
「いってぇな」
「ハッ、こんなんでいてえのかよ。それじゃあさっき僕にやったことやられたらお前、気絶するかもな」
ついつい僕は挑発的な口調になってしまった。
すると伊舞は、顔の血相を変え、僕を殴りつけた。
頬に痛みが走る。
伊舞からの不意のパンチの勢いに呑まれ、僕の体制は大きく乱れた。
そして次の瞬間、ドンと鈍い音が頭の中で聞こえると、僕は何かに当たっていた。
そのまま、地面に横たわる。
ほんの数秒で、僕の視界は大きく歪んでいた。
頭になにか垂れるような、ドロドロとした感触がある。
痛い。痛い痛い痛い。
頭に激痛が走っている。
なにが、おきているんだ。
なんでこんなにも、頭が痛いんだ。
僕は、なにをしているんだ?
とうとう、自分が倒れ込んでいることもわからなくなっていく。
現状が把握できない。
僕がぼーっと前を見ているのとは裏腹に伊舞はどこか怯えた様子で、トイレから出ていく。
「お、おい、どこに、行くんだ、よ……………まだ、やり返して、も、ねえ、のに………」
そのまま、僕の意識は闇に落ちていった。
「──ハハハッ」
目が覚めると、僕は笑っていた。
それはもう口が裂けそうなほどに。
視界に写る情報から、ここは病院だと即座に判断する。
「……かい?」
そう声が隣から聞こえた。
横を見てみると、そこには少し険しい顔をした父がいた。
「大丈夫か……?…………楽しい夢でも、見てたのか?」
僕に母親はいなかった。いわゆる父子家庭だ。
母は交通事故で死んだ。
今思えば、死んで欲しかった人間だったから、別になんとも思わない。
あの女は最低最悪の人間だった。
不倫をし、父から金を取り、挙げ句の果てには逃げて、そして死んだ。
母の葬式では、父は悲しげな表情を浮かべていたが、それがどうにも不思議でたまらなかった。
あんな母を、まだ愛していたと言いたげで、父はとても不思議な人物だ。
「まあ、なんだ。おはよう」
父は安心気味にそう言った。
「うん。おはよう」
僕はどこか冷静にそう答えていた。
ここは病院だというのに。どうして疑問に思わないのかが不思議だ。
そして、ふと頭を触ってみると、そこにはザラザラとした包帯が巻かれていた。
「これは……」
「ああ、そんなに触るんじゃない。傷が広がるぞ」
「え、あ、うん」
そう言って僕は手を下ろした。
たしか……。
僕は記憶を遡る。僕が寝る前の記憶を。
たしか、僕は伊舞に殴られて……。
「う……」
「おい、大丈夫か」
「だ、大丈夫大丈夫」
深く思いだそうとすればするほど頭に負担がかかるのか頭が痛い。
でも、なんとなくはわかった。
伊舞が殴って、僕が転んで、頭を打った。
それだけで充分だ。
「ねえ、父さん」
「うん?なんだ」
「伊舞誉于はどこ?」
「ああ、伊舞くんはここにはいないよ。……あ、そうだ、退院したら伊舞くんにお礼を言いにいかないとな。伊舞くんが、君がトイレに倒れてるって教えてくれたんだ。いやー、伊舞くんがいなかったらかいは今頃どうなっていたか……」
父はそれはもう嬉しそうにニコニコとしていた。
は?伊舞が倒れてるって伝えた?お礼を言う?あいつのせいでこうなっているのに?
「父さん、父さん!」
「ん、ああ、すまん。ついつい話してしまったな。それで、なんだ?」
「……ぐったんだよ」
僕は、言いにくいのか少し小声で話していた。
「ん?聞こえにくいぞ。もうちょっと声量を上げてだな」
「伊舞が僕を殴ったんだ!」
病室中に、僕の言葉は響き渡った。
幸いにも父と僕しかいなかったから迷惑にはならなかったが、目の前の父は目を丸くしている。
あまりの大きさに驚いているだけだろう。
「伊舞が、僕を殴って僕は倒れたんだよ」
本当のことを僕は述べた。
「ちょ、なにを言っているんだ。伊舞くんがお前を怪我させるわけないだろ?あんな温厚な子が」
「いや!違う!!父さんはあいつのことを知らないからそう言えるんだよ!!あいつは悪だ!ゴミで、死ぬべき人間!母さんと同じなんだよ!!」
「かい!!命の恩人である伊舞くんになんて失礼な物言いだ!!それに、あの子がいなかったらお前は今頃死んでたかもなんだぞ!!」
「そ、そっか……」
僕は、一瞬の内にしてたった一人の父親に失望した。
なにも知らないとはいえ、被害者の話を違うと言い放つ父はゴミ以外だ。
それから、僕が入院してから一週間が経ち、僕の頭は回復しつつあった。
明日退院を控えたところで僕に会いたいという人が表れた。
お昼を食べたあと、指定された小部屋に入る。
まあ、中は対談室と言ったところだろうか。
別にカメラもなく僕は一人そこで待っていた。
数分が経つと扉が開き、一人の男が入ってくる。
「よぉ、貝田ぁ。元気してたかぁ?」
その汚らしい声を発したのは伊舞誉于だった。
そのまま扉を閉め、僕と反対方向にある椅子に座る。
「久しぶりだな。伊舞」
「ああ?久しぶりの“命の恩人”に会って第一声がそれかよ。しけたやつだな」
はぁ、やはり変わっていない。
こいつは何を言ってもムカつく。
「いや、お前のせいで僕はこんな大怪我をだな」
「は?それはお前が簡単に体制崩すからだろ?勝手に俺のせいにすんじゃねえよ」
ダメだ。こいつと話してもなんの意味もない。
「はぁ?」
怒りが湧いていく。
心が苦しくて、冷え冷えとしていて、自分じゃないみたいなそんな感覚が僕を襲う。
「はぁ、もういいか。俺は帰るぞー」
そう言って伊舞は立ち上がり扉の方に向かう。
そして帰り際に、
「そういえば、豆知識なんだが」
伊舞はドアノブに手をかけながら偉そうに
「ダメ親の下に生まれたやつは、ダメダメらしいぜ」
そう言って去って行った。
『ダメ親の下に生まれたやつは、ダメダメらしいぜ』その言葉が、僕の頭で何度もリピートされる。
どんどんと頭に血が上って行く。
「クソッ」
おもいっきり机を殴る。
手がヒリヒリと痛いが、握る力の方に集中が行く。
「あのクソやろうが……」
手の平に爪が食い込むくらいには手を握り、僕はそこで動くことなく座っていた。
いよいよ退院ができて、久しぶりの学校。
それは、とても楽しいと思えるものではなかった。
教室に入る前から僕は絶望していた。
周りからの視線、同情の声、詮索の声。
その全てが憎くて腹が立ってしかたがない。
「よぉ、貝田ぁ」
いつもの汚らしい声が僕の頭に響き渡る。
横を振り向くとそこには案の定、貝田の姿があった。
「楽しかったか?入院生活は」
僕の耳元でそう囁くと伊舞はケラケラと笑い出す。
「今日の放課後、トイレに来い」
そう言い残して次席へと戻って行った。
憎い、憎い憎い憎い。
あの顔を思い出すだけで体全身から鳥肌が立って体が勝手に動こうとする。
そんな、理性を超える憎悪が、そこにはあった。
放課後、誰もいない廊下を歩いて指定のトイレに向かう。
扉を開けるともちろんのことそこには伊舞の姿がある。
「よぉ、逃げなかったのか。てっきり先生にでもチクっちまうのかと、思ったぜ」
なぜか間を開けてニヤニヤと笑う伊舞。
「……い」
「ああ?聞こえねえよ。もっと大きく」
「……くい」
「聞こえねえつってんだろ」
伊舞はガシッと僕の髪の毛を掴む。
痛くない。痛く、ない……?
心が、冷たくなっていく。
凍っていく。青く、染まっていく。
冬を迎えたこの日にピッタリな心。
「憎いんだよ」
そう小声でつぶやいていた。
「ああ?なんだよっ──」
僕の不意のパンチに気付かず伊舞はそのまま体制を崩す。
僕も、半ば本能的に伊舞の服を地面に押し込んだ。
「て、てめっなにすんだ、おい!」
必死に抵抗する伊舞。
それを無力化する僕。
「あれ、なんだか立場が変わってるね」
ニコッと笑顔で僕はそう発した。
そして、一発、殴りつける。
「カハッ」
おもいっきり、伊舞のお腹に僕の全力を乗せたパンチを。
それに耐え切れず伊舞はむせる。
そしてまた僕は殴る。もちろんお腹に。
「カッ」
もはや声が出ていない。喉に絞りカスのような音が響いているだけだ。
「や、っっやめてっくれっ」
そう言われても、僕は殴る。
この憎悪が消えるまで、この怒りが消えるまで、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も殴る。
「ハッ…………」
そこで、伊舞の力は抜けた。
そして口からなにか泡のようなものを噴き始めたのだ。
「アハハハハハハ──」
それでも僕は殴る。
泡がいくら飛び散ろうが、関係ない。
こいつの顔から目が飛び出るくらい殴る。
そうして、何回殴ったかわからないけれど、ずっと殴り続けて僕の腕が疲れたときに、僕は殴るのをやめた。
「──ハハハッ」
いつの間にかに、僕の唇の端は斜め上に、笑顔を作り出していた。
「すまんねぇ、伊舞。ちょっと手が滑っちゃったんだぁ」
そうあっけらかんと笑う。
この時の僕は、幸せだった。
心が浄化されていくような、まさにそんな感じ。
「なんだか、暖かいなぁ」
伊舞の上に座りながらもそう言った。
冷え冷えとしている風がなぜか暖かく感じられるのは、僕が暑がりだろうか。それとも、心が満たされているからなのだろうか。
「心が満たされていると、こんなにも殻は暖かいんだなぁ……」
独り言を呟き、僕は最大級の笑顔を作った。
Thank you for reading!
悪は悪。
主人公は悪を受けた。だから悪で返した。
あのとき、主人公が悪で返していなかったら。もし、まだなにもしていなかったのであるなら、主人公はどんな目にあっていただろうか。
善悪というのは、他人が勝手に決めつけてはいけない。主人公にとって、あれは僕に対する善意だったのだ。僕は、そう思う。
温かい春色の心 鼎ロア @Kanae_Loa_kisei
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