第17話 ああ。勝ったんだな。俺達は。
「全く、困った子だよお前は」
シスター・ステラが呆れ顔で言う。
俺達の孤児院の責任者。自称50年前のミス・タチカワは溜息を洩らしつつ、俺の頭を撫でていた。
「あら、シスター・ステラ。
マサキがどうかしたの?」
「ミナ。ちょっとこれを見とくれよ」
来年孤児院を卒業して高名な武具店に務めることになっているミナに、シスター・ステラが紙の束を渡す。
それは先日受けた学力試験の結果。
ウチの孤児院では勉学の習熟度を図るために、無料公開されている王立学園の入学試験の過去問を定期的に受けさせられる。
この試験は良問ぞろいと評判で、劣等生から優等生まで幅広い対象の学力を正確に測定できるということで様々な場所で使用されている。
ミナのような優等生の場合、就職先も相応に影響してくる。
「32点、46点、39点……うーん、難問相手とは言えこれはちょっと。
……ん!?」
国語、理学、国史、星学……。
総じて芳しくない俺の試験結果を見て頭を抱えるミナだが、一枚の紙を見て表情を変えた。
「算術……100点!?
すごい、信じられない!王立学園の入試で満点なんて聞いたことないわ!
マサキは算術の天才なのね!」
「それがそうでもないんだよ。
ほれ、これが前回の試験結果だよ」
そうして渡された結果を見てミナが再度驚く。
「算術が、28点……。
あれ、でもこっちでは幾何学が100点じゃない!
さっきの試験結果では41点だったわよね?どういうこと?」
はぁ。
シスター・ステラが、うんざりしながらミナに話す。
「この子はいつもこうなのさ。
とんでもない結果を出したと思ったら、別の機会ではボンクラみたいになっちまう。
いつだったか、院の子達で演劇会をやっただろう?
あの時だって鳥肌のたつような演技をしたじゃないか。
偶然それを見ていた知り合いの劇団長がこの子にほれ込んで、オーディションに招かれたんだよ。
でもこの子ったら、本番じゃあひどい大根ぶりでね。
団長がカンカンに怒りだしてね。どれだけ苦労させられたか。
それと子供たちに粘土細工をやらせた時も、この子が一番下手くそだったじゃないか。
で、一番うまかったリサをコンクールに出すのに、懐かれてたこの子を付き添いに行かせたんだよ。
なのにこの子ったら、リサを差し置いて賞を取っちゃって。
泣きわめくリサを宥めるのも大変だったよ。
一体どういうつもりなんだい、アンタは。
本当はできるのに手を抜いて、周りを馬鹿にしてんのかい?」
シスター・ステラは不快感を隠そうともしない。
でも、俺だって悪気があるわけじゃないんだ。
「……その時は、呼吸が上手くできたんだ」
「呼吸ぅ?」
「うん。細くて、長い呼吸を静かに繰り返しているとね。
なんだか、道筋みたいなものが視えてくるんだ。
頭の中が、サーって開けてきて。周りの音が、遠くなって。
目の前をどうやって取り組んだら一番いい流れを作れるか。
それが、透き通ってるみたいによく視えるんだ」
自分の中の感覚を、出来るだけ素直に説明したつもりだった。
算術でも、幾何学でも、演劇でも、粘土細工でも。
解法が、観客の心理が、粘土の声が。
それらの息遣いが感じられて。
一番気持ちのいい呼吸を繰り返しているうちに、作業が終わっているんだ。
気付いたら時間がたっていて、やけに褒められてしまう。
出来上がったものを見ても、一体何が難しいのがわからない。
俺はただ、当たり前の流れに身を任せているだけなのに。
それでも、一番しっくりくる形を作れたことは、気分がいいけれど。
「わけのわからない事を言う子だよ、全く。
呼吸だか何だか知らないけど、そんなことができるってんなら、いつだってそうしてりゃあいいじゃないかい。
そうすりゃあ、ちったあ覇気のある面構えになるってもんだよ」
「普段の生活でやっても、ダメなんだ。
どれだけ静かに呼吸をしても、何も視えてこないんだよ」
呼吸が効果を発揮するのは、俺が”静かな世界”に入れるのは、いつだって非日常の中だった。
試験中、演劇中、コンクールの途中。
普通なら呼吸のことも思い出せない、鼓動の速くなる時間。
その時に、何かの拍子に静かな呼吸を続けられると、突然世界の色が変わる。
いつだってそれは突然だった。
偶然それが起きるたびに、その感覚が存在することを思い出す。
意図してその状況になれたことは、一度だってない。
「いいかい、マサキ」
シスター・ステラは悲しい顔で言う。
「仕事ってのはね。
偶然じゃあだめなんだよ。
一番いい時に何ができるかじゃない。
一番悪い時に、どれだけ踏みとどまれるかが人の値打ちを決めるんだ。
1や6がバラバラと出るサイコロより、2しか出ないサイコロの方がよっぽど世間に必要としてもらえるもんさ。
このままじゃあ、どこの職場にも紹介してやれないよ。
もう2年もすれば、あんたもここを出て自分の力で生きていくんだ。
その時までに、どうにか人の役に立てる人間に成長しておくれよ」
俺はシスター・ステラの言葉を守れなかった。
結局、どんな仕事にも就けなかったから、小さいころから憧れていた冒険者の道を選んだ。
あの時は、泣きわめくシスター・ステラに随分と殴られた。
俺達孤児には、いわゆる恵まれた、安定した人生を歩めない者も多い。
学もない。家柄もない。財産もない。
人格や礼節だって、いくらシスターたちが必死で指導してくれても、なかなか育て切ることは難しい。
何十人もの子達を相手全員に、実の親子と同等の愛情を四六時中捧げろと言うのは無理がある。
だから、どうしたって躾の行き届かない事もある。
ミナのような出来のいい子はむしろ例外的なのだ。
危ない道やヤクザな道に堕ちる者もいただろう。
それを見るたび、自分の無力さに打ちひしがれてきたことだろう。
それでも、子供たちを保護することをやめられなかったのが、俺達の親、シスター・ステラなんだ。
だから、12歳の俺は約束した。
俺は絶対に、死んだりしない。
自分の力を越えた冒険に挑んだりしない。
“静かな世界”をアテにするような強敵を相手取ることなど、絶対にしないと。
——
「かかってこい。遊んでやるよ」
雑音の消えた世界で、俺はオーガの姿を、視るでもなく視る。
姿勢、負傷、重心、息遣い。
床の上体やシズクとの位置関係。
まるで、俺を含んだ戦場のすべてを、上空から眺めているような心境だ。
わかっていたことだが、オーガが噛みつきを仕掛けようと飛び込んでくる。
当たり前の話だが、俺はカウンターのタイミングで刀を振り切る。
言うまでもないことだが、刀身がオーガの胸骨を深々と切り裂く。
こうならない理由がないが、ダメージを負ったオーガは血反吐を吐いて飛び退く。
当然だ。当然の出来事しか起きていない。
奴が次に。次の次に。次の次の次に。何をしてくるか。
わからない方がおかしい、というくらい自然に確信している。
奴の呼吸に割り込むように、俺は接近する。
同時に、刀を右側に担ぎ上げる。
右に担いだ以上、左に振り切るのが当然だ。
丁度重心が乗る瞬間の左膝に刀身が吸い込まれていく。
巨体を支える膝の、腱を斬り飛ばす。
バランスを崩したオーガが片膝を付いて崩れる。
オーガ、というのも正確でないか。
こいつはオーガじゃない。オーガ・レンジャーだ。
ダンジョン15階層には2種類のオーガ上位種が出現するという。
1つはオーガ・ソルジャー。もう1つはオーガ・レンジャー。
オーガ・ソルジャーはオーガの戦闘面での上位種だ。
オーガよりも一回り大きい体格で、肌の色は暗い灰色。
極太の大剣と重厚な大盾を持ち、凄まじい実力で冒険者を蹂躙する、C級冒険者の最後の壁だ。
オーガ・レンジャーは少し趣が異なる脅威だ。
15階層から出現するだけあって、総じて戦闘能力はオーガらよりも高い。
しかし、純粋な戦力はオーガ・ソルジャーには1段劣る。
奴の嫌らしいところは、『外見がオーガと全く同じ』という点だ。
15階層には普通のオーガも出現する。
両者を外見で区別する方法はない、という結論が出ている。
初めて15階層に足を踏み入れた冒険者が、判断を誤り磨り潰される例は枚挙に暇がない。
オーガ・レンジャーの存在を知るものでさえ、奴の詐術には手を焼くという。
複数体のモンスターが出現した場合、どれがオーガでどれがオーガ・レンジャーかわからないので、対応の優先順位に混乱が生じるそうだ。
僅かな計算ミスが大きな危険を招くダンジョンで、この脅威は想像以上に大きいらしい。
今ならわかる。
さっきの戦いで、俺はビビっていたんじゃない。
想定と異なる敵戦力に、身体が警報を鳴らしていたんだ。
俺は、それを無視して戦った。
身体の発する声を聞かず、自分の頭の中の理屈を押し通した。
こいつはオーガだ。オーガならば、戦えないはずがない、と。
その結果が、あのザマだ。
大事な相棒のシズクを危険にさらしてしまった。
自分の間抜けさが嫌になるが、今はそれを考える時ではない。
オーガの重心の変化を感じる。
わかる。右腕での攻撃を企んでいるんだろう。
戦いの最初に放ったファイナルストライク。
こいつの右腕が、あれで破壊できていないことも知っている。
無理に動かせば痛みはあるだろうが、攻撃の1回や2回、やってやれないことはないだろう。
ここまでそれを温存していたのは、秘密兵器とするため……というよりは嫌がらせだろう。
こちらが勝利を確信した瞬間、動かないはずの右腕で逆転の一発。
俺達の驚愕と絶望を楽しもうという、嗜虐趣味。
ここにいたり、奴に遊ぶ余裕はなくなる。
フェイク交じりのフットワーク。奴なりに虚を突いたタイミングでの右の一撃。
当然、最適なタイミングで右腕を斬り飛ばす。
極太の、頑丈なはずの骨も今なら切断できる。
店長仕込みの刀が、熱く刀身を燃やしているように思える。
刀の息遣いを感じる。
比喩表現ではなく、本当に生きているようだ。
さっきまでは気付かなかったが、今はわかる。
この刀、モンスターを斬るたびにその威力を増している。
相手が強ければ強いほど。
血を吸い、命を喰らう度に、刀身の灼けるような呼吸が俺の魂に共鳴する。
そう、この刀は明らかに生きている。
敵を食らうたびに成長している。
この刀には特別な仕掛けがしてあると店長は言った。
あれはこういうことか。
教えてくれればいいものを。まったく、人が悪い。
両腕と片膝を失ったオーガ・レンジャー。
残る手段は1つしかない。
火炎放射の体勢に入ったのがわかる。
火を噴くためには、先に息を吸わなければならない。
息を吸うためには、先に息を吐かなければならない。
その息を吐くために不自然に入れた、息を吸うタイミング。
俺はそれを見逃さない。
棒立ちになった敵の喉元に、刀を突きさす。
喉に流れ込んだ出血がオーガ・レンジャーの呼吸を止める。
放射される前の火炎が体内で爆発を起こす。
衝撃と窒息で意識を失った敵が、口から噴水のような吐血を放つ。
「あばよ。強かったぜ」
首元に突き刺した刀を、そのまま股下まで一気に斬り下ろす。
——ボォン!
大きく切れ目の入った肉体は、胸元からの爆発で、あっさり真っ二つになって左右にはじけ飛ぶ。
……丁度そこで、俺の呼吸のリズムが乱れる。
ポテンシャルを越えた肉体操作の反動で、全身がバラバラになりそうなほどの激痛を感じる。
ドサリ。
気付けばその場に倒れ伏していた。
当分、指一本動かせそうにない。
【期間限定ミッション”エクストラボスを打倒しよう!”を達成しました。全ての身体スキルが1上昇します。】
どうやら終わったらしい。
コンソールに浮かぶメッセージを他人事のように見送っていると。
「……ヴィクトリー」
視界の先で、同じく星も近も尽き果てた相棒がドヤ顔でサムズアップしているのを見て。
ふっ。
思わず笑いが漏れてしまった。
ああ。勝ったんだな。俺達は。
——
【作者より】
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