第16話 ……勝ったと思った?

 私は自分の名前を知らない。


 物心ついた時から、スラム街の1室で、ひたすら怪我人を治療し続けた記憶しかない。



 不思議な部屋だった。

 不衛生で劣悪なスラムの環境の中、それでも不器用に整えられた部屋。

 壁に飾られたいかにも見よう見まねという感じの雰囲気の宗教的シンボル。炊き続けられる成分不明のお香。

 そんな部屋の中で、一段高い座に座った私を拝み倒している、汚れた格好の大人たち。



 彼らは私を、”幸運の聖女”と呼んだ。



 他チームとの抗争。

 役人たちによる取り締まり。

 略奪相手からの反撃。


 不毛な暴力に明け暮れる人間たちの中、治療相手が途切れることはなかった。



 お前は一生ここから出ることはない。



 チームのボスが私に言った言葉だ。

 回復魔術を使えるから、ここに置いてやっているんだ。

 お前を祀り上げてから、妙にツキが回ってきたから、薬と上等な食い物を与えてやっているんだ。

 そうでなければ、ひ弱で弱視で喘息持ちのお前など、3日と生きていけるものか、と。



 その通りだ、と思った。

 自分の存在に疑問を持つ発想さえ、当時の私にはなかった。


 読み書きすらできない私を神様のように崇める大人たちを見る時だけは、不思議な違和感が湧いたけれど、その気持ちがなんなのかさえ私にはわからなかった。

 今思えばボスは、白毛の獣人に神秘性を感じる蛮人特有の迷信も利用していたのだろう。


 治療、幸運、神秘性。

 これらを用いてチームへの忠誠心を強固なものとするために。



 シズク、という名前を与えられたのは8歳のころだった。

 チームの勢力が拡大し、私のが増えてきたため、具体的な呼び名を用意する必要があったらしい。

 由来は特にない。ボスが適当に付けたのだろう。



「君は神様なんかじゃない。ただの女の子だよ」



 ある日、治療中の同い年の男の子に、出し抜けにそういわれた。

 少し前に吸収されたチームに所属していた新参者だ。


 彼はスラムの外に、冒険者の友人がいると言った。

 冒険者の中には、稀に回復魔術のスキルをもって生まれる者がいる。

 君もその一人にすぎない、と。



「すごい才能だとは思うけどね。ここの連中は、外のことなんて何も知らないから。

 俺が君なら、こんなスラム、飛び出してやるな。

 こんな、クソ以下の環境を出て、いつか”人間”になるんだ」



 彼の治療をするのは、1週間か2週間に1度ほどだったと思う。

 いつしか、私にとってその時間が楽しみになっていた。


 彼は、色々なことを教えてくれた。

 読み書き……と言っても、後から思えば間違いだらけで、学び直す際に随分苦労した。

 外の世界のこと……こちらも、また聞きの聞きかじりだったのだろう。今考えれば、狭く、曖昧な知識だった。



 それでも、当時の私の生活にとって、彼の知識は唯一の刺激だった。

 その中でも特に心惹かれたのは。



「スラムの外には、冒険者って仕事があるんだよ。

 俺達みたいなはぐれ者でも、働き次第で認めてもらえる。

 ……俺はいつかここを出て、冒険者として一旗上げるぜ。”人間”になるんだ!

 シズクはどうする?」



 猛烈に魅力的な夢だった。

 刺激された好奇心は制御できないほど勢いを増した。


 外の世界。今と違う生活。

 美味しい食べ物。お洒落な洋服。素敵なアクセサリー。高度な医療。


 しかしそれでも、私はそこから逃げ出せなかった。

 ひ弱な体を抱えて、自分の力で生き抜く自信を持てなかったから。



 彼の私への”教育”がボスに見つかるまで、そう時間はかからなかった。

 苛烈な私刑を受ける彼を守るため、私は初めてボスに歯向かった。


 これからは、今までの2倍の治療をする。

 食事も粗末にして構わない。

 だから、彼を殺さないでほしい。

 彼を殺したら、もう二度と治療はしない。

 その結果どんな罰を与えられても、決して従わないと。



 ボスは私の反抗に鬱陶しそうな顔をしたが、なんにせよ彼は殺されずにすんだ。



「この恩は絶対に返すよ!」



 ボロボロの顔でそう言った彼は、翌日に私に恩返しの品を持ってきた。

 私が貴金属のアクセサリーに憧れていることを話したからだろう。


 幸運にも、丁度、金持ちのカモが通りかかってくれたんだ、と彼は言った。

 彼がくれたのは、女性用のルビーの指輪。



 それを、くたびれた老女の手首ごと、私に差し出してきた。



 ここにいてはいけない。

 その時初めて、心の底からそう思った。



 その晩に私はスラムを飛び出した。

 追手を避けるためには、冒険者になる必要がある。

 彼らはスラムの外には手出しができない。

 E級冒険者の仮戸籍であっても、自分から彼らの縄張りに近づかない限りは襲われる心配はない。


 私という柱を失ったチームは、内紛と外部チームの襲撃が同時に起き、彼もボスも死んだと聞いたのはその2か月後のことだった。

 生きることに必死だった私は、それを聞いても何の感情も持たなかった。



 冒険者としての生活は過酷だった。

 そもそも病弱な私だ。



 回復魔術を使える事を喜んでくれた同僚たちも、次第に私を持てあます。

 スラムでは”幸運の聖女”だった私だが、ここでは”歩くポーション”になるのがやっとだった。


 僅かな稼ぎは、喘息止めの薬代にほとんど持っていかれる。

 パーティを転々としながら、少しづつ上がるレベルが私の希望だった。

 力を付けて、いつか昇級して、生活を安定させる。

 その目標に向かっている感触のみを生きがいに。いつか”人間”になれるように。

 そう信じて生きる日々だった。



「我が市の過去の非効率な運営を一掃し、このグローバルな時代を勝ち抜くための戦略的取り組みとして、財政の健全化を推し進めることで安定した市政を実現し、より多くの人が輝ける社会を……」



 大仰な演説とともに新しい市長が打ち出したのは、要は社会福祉の予算削減だった。

 私にとっては死活問題だ。

 喘息止めの薬がなければ冒険者活動は成立しない。

 これまで制限付きながらも医療の補助を受けられたからこそ、ギリギリのバランスで冒険者活動が行えていたのだ。



 ”この都市文明を支えてくれる、頼もしき同志”。

 過去、行政のポスターがE級冒険者を表現したコピーだ。

 仮戸籍の者への差別行為が社会問題となっていたため、それを防止すべく、随分とわざとらしく持ち上げてくれたものだった。



 それが一転して。

 ”社会のお荷物”、”文明のただ乗り”、”スラムあがりの危険分子”、”素性不明の犯罪者予備軍”。

 そんな表現が新聞に踊るようになる。


 だからというわけでもないだろうが、ようやく安定して活動していたパーティからも追放された。

 誰一人、何一つ、私のことを”人間”として接してくれる存在などない。



「……負けるもんか」



 生きてやる。

 どんな事をしてでも、生き抜いてやる。


 いつか見ていろ。

 “人間”になってやる。

 それまでは、野良猫のように、何が何でも生き延びてやる。



 そう思って戦ってきた私だが、不思議な男と出会う。


 初めはヌルい男だと思った。

 戦闘能力こそ高いものの、どこかツメの甘い、ただのお人よし。

 切迫した状況で昇給試験に臨んでしまった私にとってはありがたいが、ただの戦力以上の存在とは思わなかった。



 その認識が変わったのは、モンスターハウスでの戦い。

 さして頑丈でもない彼が、大量のモンスター達の攻撃をひとつ残らず受け止めて私を守った。

 私の回復魔術をアテにしてのことだと言っていたが、体験したこともない私の回復魔術を、どうしてそこまで手放しに信じられるのか理解できなかった。


 レアドロップの体力の指輪を渡された時も驚いた。

 高価なマジックアイテムが、私に回ってきたことなど一度もなかった。

 一瞬、”彼”に指輪を差し出された時のことを思い出したが、それとは全く違う空気を感じた。



 5部屋目に挑む前に、彼と話をした。

 聞けば、彼も戸籍こそあるものの、私と同じく最底辺の出身らしい。

 どころか、7年もレベルが上がらなかったという信じがたい事をまで言い出した。

 (その時点では半信半疑だったが。)


 どうしてそれで笑えるのか。

 どうしてそれで人を信じられるのか。

 どうしてそれで人に分かち合えるのか。


 まるで——”人間”みたいに。



 私はひょっとして、大きな勘違いをしていたのか。

 冒険者として成功しなければ、C級に上がらなければ、”人間”になれないと思っていた。

 しかし、この男は——。



 この男のことが知りたくなった。

 私をまるで”人間”のように扱うこの男のことが。


 5部屋目の戦いも壮絶だった。

 彼を必死で守ってみることで何かを見つけたいと思った。

 彼もまた、瀕死の状態で命懸けで私を守ってくれた。



 戦いの後、信じがたいことが起きた。

 彼の特殊な能力が、私の長年にわたる肉体の不調を完治してくれたのだ。

 それどころか、並以上の身体機能を獲得できた感さえある。


 一体なんなのだ、この男は。


 だけど、わかったことがある。



 私は、彼といる時の自分が好きだ。

 たった3日の間だけど、共に修行して確信した。


 彼と話し、協力し、助け合い、笑い合っている時間。

 私はきっと、”人間”でいられるのだから。



 だからこそ。

 彼と一緒にいたいからこそ。

 彼の夢を支えたい。



 彼に、甘いところがあるのは間違いない。

 だからこそ。


 仲間として、コンビとして、……”人間”として。

 持ちうるすべてを捧げて彼を守ると誓おう。



 ——



「はぁっ!!!」



 マサキがオーガの攻撃を受けて失神した瞬間。


 私はマサキの前に出て、オーガに向けて矢を放つ。



 パシっ!


 急所めがけて飛ぶ矢だが、オーガは危なげなくそれを振り払う。

 構わない。計算の内だ。


 諦めることなく矢を放ちながら、少しずつ横に移動する。

 オーガはそれを避けながら、私の動きについてくる。



 よし。

 マサキから意識を逸らすことができるならば、それでいい。



「……こい、ケダモノ。私が相手だ。

 マサキには指一本触れさせない」



 まさか私の言葉が通じたわけではないだろうが。

 オーガが少し、鼻で笑うような仕草をした。


 笑いもするだろう。

 このマサキですらやられた相手に、この貧弱な女が挑むというのだから。



 関係ない。

 私は断続的に矢を放つ。


 半分ほどは凡庸な射撃だが、半分ほどは急所を正確に穿つ軌道で飛ぶ。

 幸運スキルの賜物だろう。



 オーガとしては、一応すべての攻撃に対処しなけらばならない。

 凡庸な射撃が命中しても威力が足りずに硬い皮を貫けないだろうが、奴にとっても危険な攻撃とそうでないものを一瞬で判別するのは難しいだろうから。



 付かず離れず。

 最適な距離を探る。


 私にはマサキのような近接戦闘の技術はない。

 近寄りすぎてはあっさりと殺される。遠すぎると矢の攻撃がプレッシャーにならない。



 幸い、猫の獣人の私は敏捷性には自信がある。

 跳び回って逃げ回りながら矢を射かけることくらいはできる。



 ヒュン。

 眼球を狙う射撃。

 振り払われる。


 ヒュン。

 肝臓を狙う射撃。

 振り払われる。



 先ほどの戦い。

 途中からマサキの様子がおかしかった。

 恐怖するのは当然だろう。この怪物を相手に、正面きって向かい合っていたのだから。

 遠い距離から射撃をしていた私とは全く立場が違う。



 それを援護するのが私の役割だった。

 しかし、それは不十分だった。


 より手数を増やしてオーガを妨害するだけでもマサキの負担が軽減されたのに。

 自分がピンポイントショットを撃ち抜くことしか頭になかった。

 自分にとって都合のいい、狙いすましたチャンスにだけ行動してしまった。



 要は私は、マサキの強さに甘えていたのだ。

 彼が完璧な立ち回りが継続することを当たり前だと思ってしまった。

 “人間”ならばーーー恐怖を感じないはずがないのに。



 ——後衛、失格だ。

 私の愚かさが、マサキを窮地に追い込んだ。


 だから。



「……だから、マサキは私が必ず守る」



 オーガの剛腕が唸りを上げる。

 辛うじて躱す。


 マサキのような華麗な回避技術はない。

 最初から大きな距離を保ち、それでも無駄な動きをしてしまいながらも、致命傷は避ける。



 急速に体力が消耗していく。

 持久力には自信がない。

 恐怖が身体を重くする。


 それでも、決してあきらめない。

 相棒を守るため。

 血を吐きそうな思いをこらえて、さらに矢を放つ。



 オーガは無理に攻めてはこなかった。

 射撃の1発や2発を食らう覚悟を決めれば、私などいつでも殺せただろう。

 弱者を弄んで嬲り殺す意図もあったのだろうが、奴にとっては焦る必要のない、具体的な理由があった。



 矢を放つ。

 躱される。


 矢を放つ。

 躱される。



 何分、戦っていただろう。

 ひょっとしたら、体感よりもずっと短い時間かもしれない。


 しかし、来るべき時が来た。


 背中の矢筒に手をかけた時。

 そこに補充がないことに気づく。


 矢が尽きた。

 試験に備えて、多めに用意していた矢が。

 3日間の修行でも、できるだけ温存し、一度使用した矢を再利用するなど節約していた矢が。



 ニヤリ。

 オーガが嗤う。

 この時を待っていたのだろう。

 ここまでの戦いで、オーガにダメージは通っていない。



 計算通りだ。

 



「……?」



 私は笑う。

 稼いだ時間が、実を結んだことに気付いたから。


「……アナタは知らない。私が回復魔術を使えることを。

 だから、安心して時間稼ぎに付き合ってしまった。マサキに、たった1発攻撃を当てただけで」



 視界の奥。

 相棒が立ち上がるのが見える。



 そう、私は戦いながら、ずっとマサキに回復魔術を飛ばしていた。

 たかが1発の打撃。彼の耐久力ならば、ただ回復すれば戦線復帰できるのは当然だ。



「……マサキは負けない。必ず勝つ。

 アナタなんかの敵う相手じゃないんだ、彼は」



 マサキの姿を眺める。


 先ほどまでとは何かが違う。


 立ち姿に力みがない。

 こだわりも、昂ぶりもなく、ただ私とオーガを眺めている。



 スゥー……。スゥー……。



 細く、長い呼吸を静かに続けている。

 捉えどころのない半眼で、散歩のような歩調で無造作にオーガに接近する。



 何を考えているかわからない態度だが——直感する。

 これが本当のマサキだと。



「グガァァっ!」



 不愉快そうに、オーガが左腕を振るう。

 マサキはそれを躱そうともせずに——。



 ズバァっ!!!



 刀を一閃し。

 なんと、オーガの左腕を斬り飛ばした。



「ガ……がぁぁっ!?」


「……やれやれ、

 待たせちまったな、木偶の坊。やろうぜ、続きを。

 第2ラウンド……はシズクがやってくれてたのか。

 じゃあ第3ラウンド……いや」



 マサキを一目見た時から、その存在を直感していた。

 優しいマサキの——


 きっと、これが、彼の本性。


「最終ラウンド、だな。

 終わりにしよう。

 遊んでやるよ。かかってこい」



——

【作者より】

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