捨てられたこの世界で愛をうたう
@nanamaru0nakunaku
彼女の涙
第1話邂逅
太陽が傾き、黄昏れた空からそそがれる光が大地を照らす頃
カランカラン、と店のドアに付いてあるベルがなった。
お客さんが来たようだ。
簿記から目を放しドアの方を向く。
金色のツンツンした髪の毛が特徴的な目つきの悪い、20歳前後程であろう青年がズケズケと俺の方へ歩いてくる。
多分、初めて来たお客さんだな。
体格がいいし、そう威圧的な感じで来られると少し怖いんだが…。
「いらっしゃい。今日はどんなものをお求めで?」
「薬ヤクを出せ、売ってんだろ?」
低く短く、青年はそう告げた。
ヤク。一般的な治療に用いられる薬くすりではなく、気分の高揚や幻覚を見るためのポーションの隠語だ。
どの種類がほしいのだろうか。それに、お金はちゃんとあるのかな?正直高いよ?俺の店の商品。
「いくつか種類があるけど、これとコレとこれとコレとこれ、どれにする?因みに値段は左から
20000·35000·60000·40000·25000だよ」
店のカウンターに様々な色の水が入った瓶を5本並べて値段だけ教える。効果の内容を言わないのは『お金は足りるのか?』と暗に伝えるた_
バンッ!!!
「はぁ!?新人だからってぼったぐってんじゃねぇぞ!?もっと安く売れや!」
勢いよくカウンターを叩き怒鳴り声を上げた青年の顔には、怒りと焦りの表情が浮かんでいる。
お金は持ってなさそうだな…。というか新人って、一体なんの新人なのだろう……?俺は君の素性なんて知らないのだけど…。
「と、言われてもこれが適正価格なんだ。あぁでも、旧型なら5000ルピーで売れるよ?」
「ちっ!んじゃぁそれで良いからよこせ」
「わかったよ、えっと〜、あぁあった。はい、どうぞ」
壁沿いにある棚からではなくカウンター下にテキトーにまとめられているポーション群から薄緑色の液体が入った瓶を一本取ってカウンターに置く。
青年は勢いよくそれを取ると大銅貨を3枚カウンターに投げ捨てて、速足で店の外に出ていった。
「2枚足りてないんだが……。はぁぁ…まぁ、いいか」
割とよくあることだ。ここで売っているのはもちろん真っ当な物もあるが作成するだけで法に触れる危険物もある。だからこそ事件沙汰にはできないだろうと足元を見てくる者が一定数いるのだ。
今回のは随分と強引…というかほぼ窃盗だったけど…。
「俺は商品を窃盗されて、彼はおそらく中毒症状のせいでこの店から離れることができなくなった。いつも思うんだが、この場合、悪人と揶揄されるのはどっちなんだろうか…」
右手で頬杖をつき、左手で摘まれた大銅貨を眺めながら、そんなことを呟いた時、
カランカラン、とまたベルが鳴り数人の足音が店内に響く。
また来た。今度はどんな人だろうか。
…またさっきみたいな人だったら嫌だなぁ。しかも足音の数的に二人以上か…。頼むから普通のお客さんであってくれ。
なんてことを考えながら視線を貨幣から扉の方へとずらす。
黒いハットを深く被った身なりのよく背の低い小太りの男と、スキンヘッドで目の堀が深い大男が一人、そのうち大男は布でぐるぐる巻きにされた大きな何かを持っている。
良かった、普通と言っていいかは置いておいて、知っている人だ。でもあっちから来るなんて珍しいな。
「よう薬売り。ククッ…。その客に安値で買われたときの膨れ面も久しぶりに見るな」
久しぶりにこのドスの利いた声を聞いた。
「どうもご無沙汰してます。この顔のせいかよく足元見られるんですよね」
挨拶を返して手鏡で自分の顔を見る。
そこには金色の髪、碧く二重の目、輪郭はしゅっとしていて、物腰柔らかそうな青年の顔が映っていた。
我ながら人と接する職業についている身として、悪くない容姿だと思うんだけど…。
如何せん、ああいう人達にモノを売るにはやっぱり威圧感がない。
「嫌なら顔を変えればいいじゃないか。できるんだろ?」
「嫌ですよ。変な顔にしたら朝と昼の売上が落ちてしまうでしょう?」
「それもそうだな。まぁそれは置いておいて本題に入ろう。…以前お前が言った条件に合う奴隷が入荷したから連れてきた。確認してくれ」
そう言うと後ろに控えていた大男が手に持っていた布に巻かれた何かを開封した。
以前と言っても、もう10年以上も前に依頼したものだったと思うけど……はたして本当に見つかったのかな?
努めて期待はせず、疑う目で布からあらわれたソレを見る。
現れたのは
全体的に火傷と裂傷が酷く、両足は潰れ左手は半ばから欠けており、髪は頭皮が爛れているせいか殆ど生えておらず、右目は雑にくり抜かれている見るも無惨な女だった。
その女に近づき閉じた左目を指で無理やり開ける。と、そこにはエメラルド色の綺麗な眼があった。
胸の膨らみと骨格から辛うじて女だと断定できたけど…。無事と言えそうなのは左目だけか…。
本当にコレが…?でも、このエメラルド色の目は確かに…。
「そいつの目は見りゃわかる通りお前さんが指定したエメラルド色をしていて、喉が焼けて本人から話を聞けないから断定はできないが、売りに来たやつの話では空読みそらよみの魔眼らしい。髪は頭皮がただれているせいでほとんど生えていないが、以前は綺麗な白銀の髪が生えていたらしいぞ」
「名前は?」
「知らない、だとよ。ま、よくある話だ」
「以前の持ち主は何処で買ったと言っていました?」
「…それも一応聞いておいたがなぁ。そっちの方も曖昧で、『確かウルグスタのあたりで買ったと言っていた』って言われたんだよ」
ウルグスタ…。ここから馬車をつかって30日以上東に移動したところにある国、ウンバール王国の町か…なら多分、本当にこの娘が…。
「恐らく俺が探していた人物ですね。流石人売さんだ。俺はもう何年も前から諦めてたのにちゃんと見つけてきてくれるなんて…」
「お前が珍しく詳細な情報をもって頭下げてきたからな。随分前の事だがやけに頭にこびりついていやがってな。……気になったんだが、その女はお前の何なんだ?生き別れの妹とかか?」
「それは…秘密です。ま、血縁関係はありませんよ」
「そうか」
さて、こんな状態でも魔眼持ちだ。目をくり抜いて金持ちに持っていけば高く売れる。一体どれほどの金額になるだろうか。
なんてことを意識の表層で薄っすらと考える。しかしそれ以外のことを考えることができない。
夢にも思わなかった邂逅を果たして少し、いや、大分混乱しているようだ。
しかしその混乱も時期にうすれ、今度は様々な考えが頭を埋め尽くす。
_俺がこの娘を買い取って真っ当に育てることができるのか?
_俺の立場を考えるにこの娘に普通の暮らしはさせてあげられないんじゃないか?
_なら養子に出すべきか…?
_いやあの人から頼まれたのは他でもない俺だろう。
_そもそも冷静に考えてコレがあの子である確証はないじゃないか。
「おい」
人売に声をかけられハッとなる。
「少し落ち着け。顔にまで出てるぞ」
「そう…ですね。ありがとうございます」
すぅぅぅ…はぁぁぁ…。
深呼吸をして自分を落ち着かせる。
まず買うのは確実だろう。この娘を見捨てたらいよいよ俺の存在意義がなくなる。
けれど俺が育てる必要はないように思える。むしろ俺が育てるのはこの娘にとって悪い影響しかないようにも思える。
…けど、俺の気持ちだけで言えば………俺は彼女に'あの人'の技術を教えたい。
「…考えはまとまったか?それでどうする?買うのか?それとも買わないのか?」
「買います。いくらですか?」
「安く売ってやりたいが、買い取った時はこれより酷い状況でな。ここに運ぶまで高価な治療薬やポーションを大量に使った。負けてやっても2億ルピーが限度だ」
「払います。少し待っていてください」
「おいおい一括か?金持ちだなぁ、お前さん」
「まぁ、悪行はお金になりますからね」
それだけ言い残し店の奥にある金庫からお金を出しに向かう。
あの人の遺産を使うの事も考えたが、それは彼女に全て渡そうと思う。
「お待たせしました。お確かめください」
じゃりぃ…
希少金属、黒凰こくおうを混ぜて作られた最高価値の硬貨である黒凰貨が200枚入った袋をカウンターに乗せる。
「おう、毎度あり。それで、こいつはどうする?どこかに運んでやろうか?」
「そうですね……地下の実験室まで運んでください」
その言葉を聞いた人売は眉をひそめた。
「お前の実験室といやぁ毒霧が充満していてとても人が入れるものじゃなかったと思うが?」
「それが、丁度一昨日に掃除しましてね。その時に換気も行いましたから、今は安全ですよ」
「一昨日かぁ…」
どうやら一日二日で部屋が毒霧だらけになると思っているらしい。
流石に、まだひどい状態にはなっていないと思うけど…。
そうは思いつつ後ろの棚から薄い紫色の液体が入った瓶を取り出す。
「心配なら持続性解毒ポーションいります?今なら100万ルピーでお売りしますよ」
「ならサービスはなしだな。そんじゃぁな」
「えぇぇ、交渉もなしですか?ちょっ、帰らないでくださいよ!いいですよ、これさしあげますから実験室まで持っていってください」
踵を返して本当に帰ろうとした人売に、思わず大きな声を出してしまった。
この人本当に容赦ないな。
「ヴォルド、これ飲んであいつの手伝いをしてこい。俺は先に店に戻る、身の危険を察したら帰ってこい」
「了解しました」
ヴォルドさんっていうのか。思っていたよりダンディな声をしているんだな。というか、身の危険なんてあるわけ無いでしょう。そんなに信頼できないだろうか、俺って。
…
………
それから人売りを見送る時に看板に書いてあるオープンの文字をクローズにして、大男を実験室まで案内した。
実験室。
耐久性、遮音性共に高水準の性能を持つ
だが、そこに大量の棚や大釜、ふいごや大小様々な硝子瓶が収納された箱等々と、色々な物がが置かれていて広く感じられなくなっている。
「あーちょっとまってくださいね。今、床に撥水加工を施した布を敷きますので………っと、これでよし。それじゃぁ中心辺りにその子を置いてください」
大男が女を巻いていた布を取っている間に、再誕のポーションを取るために棚に近づく。
棚には色とりどりのポーションが飾られており、そこから白と黒が混ざり合わず互いに主張し合った様な色の液体が入った、握りこぶし2つ分程の大きさの瓶を取り出す。
さて、恐らく心配はいらないが2年以上も前に作ったものだからちゃんと効くか心配だな。素材があれば一から作るんだけど…無い物ねだりはするだけ無駄だよね。
仕方がない。効かなかった時用にいくつか保険を用意しておこうか。もう一度再誕のポーションを作るまでの延命くらいはできるだろう。
そう考え、他にいくつかのポーションを取り出し男の方へ近づく。
「これ、ひどい状態ですけどポーション飲んでくれますかね?経口摂取しないといけないポーションなんですけど」
「大丈夫だ。ただ、あまり不味いと吐き出すと思う」
「なる程、それじゃぁ……こっちの味覚麻痺のポーションから飲ませますか。……いや、やっぱりやってくれません?こんな経験ないので、ちゃんと飲ませられるか不安です」
「わかった」
そう言うと、大男は眠っていた女を起こしてから慣れた手付きで2つのポーションを飲ませた。
思いの外しっかり飲んでくれたな。あとは少し待てば…あぁそう言えば。
「ヴォルドさん、耳を塞いでおいたほうがいいですよ。僕はこの撥水布を浴室までの道になるように敷いてきます。あんまり煩かったら実験室の外に出るのもありですね。まぁ、お好きにしてください」
それだけ告げ撥水布を大量に抱えて実験室をでた。
再誕の2級ポーション。
服用したモノの身体を'正常な'状態に戻すポーション。その際、全身に耐え難い激痛がはしるため服用者は絶叫をあげもがき苦しむ。また、喉が枯れる前に再生するためその絶叫が途絶えることがなく、激痛に耐えかねて様々な分泌物を撒き散らす。
具体的にどのような痛みだったかなどは覚えていないし、2級は一度しか服用したことがないけれど壮絶な痛みが体中にはしった事を覚えている。
その時の事を少し思い出したからか自然と少し眉をひそめてしまう。
一階にある浴室に行くための階段に撥水布を敷いている最中、
「あ”あ”あ”あ”あ”あああああぁぁぁぁぁあ”ぁ!!!!!」
なんていう叫び超えが聞こえたが、男が扉を開いたときに漏れ出た絶叫だろう。と、気にせずに作業を進める。
…
………
「よし、これでいいか。さ、戻ろう」
階段を下り実験室までの廊下を進む。実験室前には大男が立っており、その顔色は険しかった。
さっき絶叫が聞こえた時に外に出たんだろうとは思っていたけど、怖い顔が更に怖い顔になってるな。
「あと少し手伝ってもらおうと思っていたことがありましたが、気分が優れないようであればお帰りいただいても大丈夫ですよ?」
「…そうさせてもらう」
「そうですか。ではお気おつけてお帰りください。見送りはいりますか?」
「大丈夫だ」
「そうですか、では」
ヴォルドが立ち去り、十分な距離を取ったと判断してから扉を開ける。
「があ”あ”あ”あ”あ”あ”あああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっあ”、ぐい”っぐあ”あ”あ”ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
扉を開けた瞬間、けたたましく悲痛な絶叫が耳をつんざいた。
声の主は髪や爪が異常なほど長く伸びており、なまじ腕や足などの欠損部位が元に戻りつつある分、転げ回りながら悶え苦しんでいる。
その様子はおよそ人にはみえず、人とは遠し異形のモノの様に思えた。
もう少しかかるな。それにしても、もしかしたらこうなるかもとは考えていたけど、転げ回られたせいで糞尿が撥水布の外に飛び散っちゃってるな…。
まぁ、手間がかかるだけで別段清掃を絶対にやりたくないってわけじゃないし、いいんだけどね。
…
………
……………
…それから、備品の整理をしているうちに絶叫は鳴り止んだ。
作業の手を止め絶叫の発生源だった場所へ体ごと向き直ったが、とうの彼女は顔を手で覆って静かに泣いている。
「ひっぐ……ひっぐ……」
「えっと…痛みはもう感じなくなったかい?」
「ひっぐ……ひっぐ……」
「…じゃあ、近くにいるから落ち着いたら声をかけておくれ」
「ひっぐ……ひっぐ……」
買われて早々酷い仕打ちを受けたんだ、会話できないもの仕方がないか。
あーでも、もし単純にティシリオ語が通じていなかったらどうしよう。ウンバール王国の人、確か民族によっては通じなかったよな…。
…はぁぁ……。
……
…………
「すみません。もう…大丈夫です……。…グスッ……」
「…そうかい?じゃあ先ずはその異様に伸びた爪を切るから、こっちに手を出して」
少女は半ばから折り曲がった爪をゆっくりこちらに差し出す。
それを爪切りばさみでテキトーな長さに切り落とす。
「よし。細かい手入れは後でしてあげるから、先に体を洗おうか。ついておいで」
「はい…」
分泌物まみれになった少々を連れて、撥水布の道を歩く。
…第一印象は最悪だろうが、良い関係を築けるだろか。……いや、別にいい関係を築けずとも、技術の継承だけできればそれでいいか。
「さ、着いたよ。隣国の技術士に特注で作ってもらった浴室なんだ。ここの赤い石に魔力を流すとここのシャワーヘッドからお湯がでて、青い石に魔力を流すと水がでるよ。こっちの浴槽にはお湯が張ってあるから、体を洗った後にゆっくり浸かるといいよ。魔力を使うことはできるかい?ああそもそも、魔力や魔法って知ってるかい?」
「知ってます。魔法も、使えます、、、」
「それはよかった。魔力の出力によって温度が変わるから、自分で調節してね。あーそうそう、こっちの青いのが頭洗う用の石鹸で、こっちの白いのが体洗う用の石鹸だから、間違えないようにね。タオルは適当に使っちゃって。…それじゃぁ、俺のことは気にせずゆっくりするといいよ」
「はい…」
元気がない…いや、あったらそれはそれで情緒を疑わなければならないのだろうけど、数日経ってもこの調子だったら流石に忘却のポーションを使おうかな…。
まぁでも、魔法が使えるらしいし、悪いことばかりじゃないな。後は文字を読めればいいんだが。
そんな事を考えながら、実験室に散らばった分泌物を清掃していく。
……
……こんなものか。次は…サイズが合いそうな服を持ってくるか。……まさか、あの大量の服を本当に渡す時が来るとはなぁ…。
……
それから、出てくるのがあまりにも遅いものだから紅茶を飲みながら本を読んでいたところ、不意に凛とした声が耳をついた。
「あの、おまたせしました」
「わっ!…びっくりしたぁ…」
彼女がいることが頭から抜け落ちていたせいで危うく紅茶こぼすところだった。
とりあえずカップを机に置き椅子から立ち上がり背後を振り返る。とそこには異常なまでに伸びた白銀の髪を巻いて手で持って、体にタオルを巻いた半車よりももう少しだけ高い背(160cm程)の少女が心配そうにこちらを見ていた。
年齢は18才前後だろう。成人はしているだろうが20才を過ぎているようには見えない。
改めて彼女を深く観察する。
綺麗な白銀の髪に少し幼さを感じる様な可愛らしい目、そして先程は皮膚が爛れていたせいで分からなかったが右目の右下あたりにホクロがある。
華奢な体つきに思えるがタオル越しに分かるほど胸は大きい。
しかしこれがあんな状態になるなんて、一体何があったんだろうか……。
まぁ、そこは今考えることでもないか。
「それじゃぁそこにある服をテキトーに着てくれ。全部君のだから遠慮することはないよ」
そう言い、比較的綺麗な机に山のように積まれた服を指差す。
「これ全部ですか…!?」
「他に着る人もいないしね。あ、気に入らないのがあったら言ってね。持ってても邪魔だろうし…って待った、恥じらいもなしに俺が見ている間に着替えないでくれ。確かに入浴前の君も服を着ていなかったが今は状況が違うんだぞ」
「ご、ごめんなさい」
少し口調が強かったかな?大丈夫だよな…?
それは置いておいて、当然のように人前ではだけるのは奴隷として調教されてしまっているからだろうか。……あ、もしかして俺、そういう目的で買ったと思われているのか…?
…まぁ、なんにせよ、そういうのは今後改めてもらわなきゃな。
今後の目標を一つ追加しつつ、紅茶が置かれた机に向き直り再度口を開く。
「一応聞いておくけど、人前、特に異性の前で全裸になるってことは…なんていうか、恥ずかしいことだって理解している?」
「はい。理解してます。幼い頃にある程度の教育は受けました、それが普通の教育なのかはわかりませんが…」
「そっか、それはよかった。常識的な感性なんて教えられる気がしなかったからね。…あぁ因みに、文字はわかるかい?」
「多分…」
多分…か。なら一番教えるのが面倒なことがなくなった…かな?もしかしたら違う国の文字しか知らないという可能性もあるけど…。
何にせよそうなると、声色的にさっきよりは元気も出てきているみたいだし、忘却のポーションはむやみに使わないほうがいいな。
「…じゃあいいかい?よく聞いてくれ。君は俺の後を継いでもらうため、つまりは弟子にするために買ったんだ。だからこそ、異常だと分かる範囲でいいから奴隷の感性は捨て去ってくれ。俺は人にしか技術を教えたくない」
「分かりました。…でも、師匠は若く見えるのにもう弟子を取る必要があるんですか?」
「実際若いけどね。まぁ、色んな奴に色んなもの売って、色んな奴の恨みを買ったからね。たまに命を狙われるんだ。だからまぁ、いつ死んでもいいように技術の継承をしておきたいんだよ」
「なる程…でもそれ、私も危ないですよね」
流石にそう思うよな。はぁ…もう少しうまい理由を考えるべきだったか。…まぁ、今考えても意味がないか。
「ああ。だから最低でも、働いている最中はプレゼントする装備をつけてもらう予定だよ。
あぁそうだ、ついでに一応言っておくけど、遠慮とかも要らないよ。君はもう奴隷じゃないんだ。お互い一人の人として信頼し合った関係でいようじゃないか」
「分かりました。……えっと、着替え終わりました」
「終わったか…」
彼女の言葉に今一度振り返る。
服装は…上は白いシャツに水色のカーディガン、下は薄い紺のスカートを黒のベルトでとめた感じか…。素材がいいこともあって随分似合っている。
にしても…婆さんも凄いな。見てもないのに想像だけで彼女に似合う服を買うなんて。
「うん、いい感じだね。じゃあ爪と髪を整えてあげるからここに座って」
「えっ!師匠が髪を切るんですか?」
お、もう苦言を呈すのか。遠慮するなとは言ったけど前の環境はひどかっただろうし、普通は保身を考えて苦言なんか言えないと思うんだけど…。
まぁ、遠慮がないのはいいことか。
「不安かい?まぁ気持ちはわかるけど安心してくれ。これでも髪を切るのは割と得意なんだ。さ、座って」
そう言うと彼女は渋々といった感じで椅子に座った。
まずは髪についた水分を蒸発のポーションで適度に乾かす。
そしてそのまま、すごく不安そうな雰囲気をよそに、異国で買ったハサミを取り出して髪を切っていく。
切れ味はよく、なんの抵抗もなく髪が切れていく。
…さきっ、しゃ…さきっ、しゃ…しょき…しゃ…
ハサミの刃が擦れる音だけが宙を漂う。
後ろ髪は腰のあたりまでの長さにしよう。バングは目にかかるあたりの長さにして後でポーションつかって少しだけ巻いて柔らかい印象を出そう。後れ毛は全体的に長めに残して、こっちも少し巻こうか。
後は……
出来上がりを想像して慎重に髪を切っていく。
……
…………
……よし。後はポーションでゆるふわっと髪の毛をまくだけなんだけど……ヘアアイロン…だったっけ?あれが今無いからなぁ…。
あぁそうだ。効果が低くて持続性のある固定のポーションを髪に適度につけて、髪を適当な太さの棒に巻き付けて固定化させようか。
髪を切り始めてから25刻(75分)程経った頃、ようやく髪を整え終えた。
「さっ。できたよ」
そう言って鏡を差し出す。
「……何でこんなに上手いんですか?」
「前に人体実験で使おうと思って買った女の子に教えてもらったんだ。あ、爪切るからちょっと椅子をこっちに向けて」
「じん…!分かりました。…それで、その子はどうなったんですか?」
「年の割に聡明な子だったから、最後までとっておいてあげたんだけど、俺が使う前に『金の工面ができたから戻したい』なんて言って、君を売った人売りさんと一緒にその子の両親がここに来たんだよ。売っておいてどの面下げて…何て思いながら、『それじゃあ本人の意志を尊重しよう』って言ったんだ」
ぱちっ…ぱちっ…ぱちっ…ぱちっ…
丁寧に爪を切りつつ過去を振り返る。
「俺は買ってきた奴隷にできるだけ苦痛を与えないように幸福のポーションを飲ませていたから、親だと認識もできずにここに留まるって言うと思ったんだけど…。その子、親を見た途端『帰りたい〜』って泣き出したんだ。あの時は本当にびっくりしたね。今思えば、練度の低い子供の頃の俺の慢心だったんだけど。まぁそんな感じで、忘却のポーションを親子全員が飲むっていう条件つきで買い戻させてあげたんだ」
「その子はまだ生きてるんですね…よかった」
「ま、逆に言うとその子は以外は全員死んだんだけどね」
俺が最低な真人まびと(人間)であることをしっかり認識してもらうためにも余計な言葉を付け加える。
善行一つで綺麗な身になれたなんて思ってないしね。
「……私、人体実験なんてしたくないです」
そう言われる事は想定していた。むしろ言われなかったらどうしようかと思っていた。
劣悪な環境にいても、その根底にあるものが善性だったおかげで、未だ善良な心は消えていないみたいだ。良かった…。
「そうかい、ならそれでもいいさ。継いでほしいのはポーションの調合技術だけだからね。さ、爪の手入れも終わったよ」
ヤスリで削り要らない甘皮もとって、防護液も塗った。
そして今一度彼女を見つめると、買った時とは見違える程綺麗になった彼女に長い間感じていなかった達成感の様なものを感じる。
「師匠はこれからも人を使って実験する予定なんですか?」
顔はうつむいており、声はほんの少しだけ震えていた。
「する予定はないよ。もう、やる必要がないからね」
「必要ができたらするんですか?」
「それは…弟子と要相談かな」
「絶対にしてほしくないです…!」
「だよね。ま、君がそう言うのなら俺ももうやらないさ。ってそう言えば、ずっと君とか弟子って呼ぶわけにも行かないから、名前をつけようと思うんだけど、自分の元の名前覚えてる?」
彼女は少し考える素振りを見せたあと、首を振った。
「ずっと奴隷って呼ばれていたので、もう忘れてしまいました」
「…そうか。それじゃあ僕が決めようと思うけど、いい?」
「はい…!お願いします!」
思ったより食い気味に了承をもらった。名前、欲しかったのかね?
ま、それはそうと名前だ。これも、'やっと君に渡せるよ'。
「じゃあ…君の名前は今から『エイノア』だ。エニィノーアイから貰ったんだ。これは外国の言葉でね、意味は……雪原に群生する花の名前なんだ。月明かりに照らされると銀色に輝くそうだよ」
「…エイ、ノア……エイノア……。ありがとうございます…!大切にします…!」
何度か名前を呟いて満面の笑みでお礼を言ってくれた。どうやら気に入ってもらえたみたいだ。
「気に入ってもらえたようで何よりだよ。それじゃ_」
「師匠の名前はなんていうんですか!?」
俺の言葉を遮り、エイノアは少し大きな声で名前を聞いてきた。
………。
「アズリィ。本当はエズィリィなんだけどね。名付けられた当初の俺には言いづらかったから、昔から勝手にアズリィって名乗ってるんだ。ま、好き方で呼んでくれて構わないよ」
「意味はどういうものなんですか?」
「……沼地に咲く花。…外国の言葉で、エズィシリィからとったんだって。さっ、時間も時間だしご飯食べて今日はもう休もうか。明日から調合の勉強もしてもらう予定だしね」
「分かりました」
その後の彼女は常に笑顔だった。それが取り繕ったものなのかは分からないが。少なくとも辛い顔をしていないことがなんとなく嬉しくて、そして…苦しかった。
捨てられたこの世界で愛をうたう @nanamaru0nakunaku
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