10.「誰もがみな、幸せになれたなら」
逃げながら、僕はこれまで起こったことを説明した。
ミゲールの実験と僕の姿の理由、そして呼び起こされた『命を司るもの』の存在。あとに残ったヴェインのこと――。その一つ一つを、ペテルギウスは静かに聞いてくれた。
「……ペテルギウスは知っていたのか、ミゲールたちが……複製体だったことを」
「知っていた。だが、俺はあくまでも主に振るわれるだけの剣だ。たとえお館様やお嬢様が、すでに元あった形で存在していないのだとしても、俺が彼らに仕えることに変わりはない」
「大した忠誠心だ」
「いいや、これは怠惰だよ。……結局俺は、肝心な時に何もできなかった」
薄暗い通路はあと残り少し。ここを過ぎれば地上に出られるはずだ。駆け足で進んでいっても、もうあの異様な気配は追ってこない。危機は過ぎ去ったのかもしれない。気を抜いた瞬間、前を進んでいたペテルギウスが足を止めた。
「まずいな」
「どうしたんだ。もうすぐ出られるのに」
「ああ。だが……どうやら、簡単には逃がしてもらえないらしい」
ペテルギウスには、僕たちが感じ取れないものが見えているのか? 腕の中でアンナが不安そうに身じろぎする。軽く背をたたいて励ませば、焦れたように肩をたたかれた。
「アンナ?」
「ここにいても仕方ないでしょう! どうせこの先も後も敵だらけなら、進むしかないわ」
当然のことを言われ、僕は思わず笑ってしまった。確かにその通り。僕たちにはとっくの昔に選択肢なんてものは存在していなかった。
「アンナの言うとおりだ。行こう、どうせ行きも戻りも地獄なら、少しでも先に進める方がいい」
僕の物言いに、ペテルギウスは肩をすくめた。緊張感のない、と言われたような気がしたけれど、聞かなかったことにした。
僕たちはあとわずかの距離を進む。夜明けはまだ遠いのだろう。出口を縁取る明かりはとても弱い。外が見える距離まで近づいて、僕たちは同時に足を踏み出した。
「……ここは」
周囲は静かだった。闇の中で茂る花々のにおいも、今は届いてこない。風はなく、けれど冷えた空気にアンナが身を震わせる。
地下通路は庭園の一角に存在していた。視線を動かせば、邸宅の姿を確認することができる。あの場所から逃げ出してきたのだと思うと、あまり見たくもなかったけれど。
見上げれば、夜の空が視界一杯に広がっている。ありふれたどこにでもある暗闇に、作り物の目が痛みを覚えた。なぜだろう。この光景を見ると何かを思い出せそうな気がした。
「これからどこに行く? 村は全滅だろう?」
「この村から南にある町に、俺の知り合いが暮らしている。そいつならば手助けをしてくれるだろう。ペテルギウスからの紹介だといえばわかる」
「わかった。……いやまてよ。あんたは行かないのか」
「ああ、行けない」
簡潔な答えと共に、ペテルギウスはマリナ夫人を地面に下した。そして、虚空をつかみ取るようにすると、男の手の中には巨大な戦斧が現れていた。
「マリナは連れて行かなくていい。お前たちだけで行くんだ」
「ペン……!? 何言ってるの、一緒に行きましょう!?」
「だめです、お嬢様……。俺も、この罪の片棒を担いだのだから。贖わねば」
ペテルギウスは僕らに背を向ける。男の視線の先を辿れば、そこには無数の壊れた木偶人形がひしめいていた。僕たちを追ってきたそれらは、以前とは比べ物にならない殺意を発しながら武器を構えている。
「行ってください。……お嬢様を頼んだ」
ペテルギウスが一歩前に踏み出す。彼はもう、僕たちを振り返らない。託されたものがあまりにも重すぎて、僕は自然とまぶたを伏せていた。
「いや、いや……! ペン、マリナ! 一緒に……!」
「行こう、アンナ」
彼らの命を無駄にしちゃいけない。陳腐な言葉で取り繕っても、別離の痛みはかき消せない。僕はもがくアンナを抱きしめ、庭園を包む闇の向こうへと駆け出していく。
「アラン、だめ! もどって……! ヴェイン! ペン! マリナ!」
庭園を抜け、森の奥へと進む。周囲の地理は何となく把握していた。一度南の高台に出て、その先の街道を進めば――ペテルギウスの知り合いがいる町にたどり着けるはずだ。
「行こう、アンナ。歩けるかい」
アンナを地面に立たせ、手を引いて歩きだす。夜の森は暗く、周囲には大した明かりもない。それでも進めているのは、僕の目が人形のものだからだろう。
アンナが木の根に足を取られないよう、ゆっくり進んでいく。村を迂回し、南の高台へ。そのころには空は白く変わり始め、アンナの頬に刻まれていた涙のあともはっきりと見えるようになっていた。
「アンナ、疲れたかい。一度休憩しようか」
アンナの足取りが重い。木偶人形の体は疲労を感じないから、配慮がなかなか難しい。とりあえずアンナを岩の出っ張りに座らせ、僕は高台から邸宅を見下ろした。
「特に変わった様子見は見えない、か」
薄闇の中に沈んでいる邸宅には、さほどの変化は感じられない。動くものはなく、ただ物言わぬ亡骸のようにそこにあるだけだ。
「さて、とにかくこれから、君を目的地に送り届けないとね。アンナ……アンナ? もしかして眠い?」
「違うわ。アラン……あなたこのままで本当にいいの?」
アンナの問いの意味が分からない。首をかしげる僕に、少女は悲しいまなざしを向けてくる。アンナは僕の姿をじっと見つめ、ゆっくりと首を横に振った。
「アラン、あなたは自分の姿を何とも思わないの? 元に戻りたくないの」
「あー、いや、どうでもいい……わけでもないけど。ほら、僕ってもともとホムンクルスだからさ。あんまり容れ物には頓着しないって言うか」
「だけど、あなたのたった一つの体じゃないの……! どうしてそんな、どうでもいいみたいに言うの?」
アンナの言葉に、僕は内心で苦笑いした。確かにこの体は今までと全く違うものだが、それはそれで使いようはある。元の体はまあ……どうせ取り戻せそうにないし。
僕の内心などわかりもしないだろう。アンナは唇を噛みしめうつむいていた。大きな銀色の瞳から涙があふれる。正直、その感情に理解が追い付いてこなかった。
「心配してくれるのはありがたいけど、とにかく先に進まないと。それとも、残してきたみんなが気がかり?」
「当り前じゃない……! だけど、みんな自分の役割のために残ったのだわ」
悟ったような表情で、アンナは呟く。僕なんかを心配する感情では及ばないくらいに、あの三人のことを案じているだろうに。言葉を口にするアンナの顔は、冷たく冷めていた。
「わたしが逃げなければ、みんなの行動が無駄になるの。それだけは……だめ」
覚悟はとっくに決まっていたようだった。僕は軽くかかとを鳴らすと、アンナに手を差し伸べる。人形の顔では微笑みなんて作れないけど、伝わってくれたならいい。
「なら、進もう。君は君のことだけ考えていればいい。君は複製体かもしれないけど、みんなが守ろうとした『アンナ・ベル』は君なんだからさ」
僕の台詞にアンナははっとした顔をした。変えられない事実は確かにあって、どうすることもできない現実は数多い。それでも前を向く。それでいい、どうせできるのはそれくらいだから。
「アランって、ちょっとくさい」
「く、くさい? に、においはしないと……思う、と、思う」
「そっちじゃないわ! もう、一番自分のこと考えてないの、アランの方じゃない」
やっと笑ってくれた。アンナが笑ってくれるなら、それだけでよかった。僕も笑おうとして――もう二度と、それが叶いそうもないことに気づいてしまった。
「――なあ、幸せなことだな。
聞きなれない、自分の声音。耳元でささやいてくるそれを、振り払うことができなかった。アンナが声もなく悲鳴を上げる。ああ、そんなことはいいから、君は逃げないと――。
「……ああ、幸せだね。とても、幸せだ」
僕は視線を下に下げる。人形の腹には、ぽっかりと大きな穴が開いていた。魔術師ヴェインが強化した素体を破壊するとは、やはり『神』というやつは規格外らしい。
「ひとつ、聞いてもいいかな。神さま」
「何かな」
「――お前の殺し方を教えてください」
渾身の皮肉にも『命を司るもの』は特に動揺もしなかった。それは想定内だったものの、次の発言は全くの予想外だった。
「いいだろう」
事も無げに「神』は言う。小さく笑い声を立てると、そいつは僕の目を両手で覆ってきた。
「ならば、一度だけチャンスをやろう。そなたが勝てば少女が望む者を救い上げることができる。負ければ……わかるな? これはゲームだ。そのための盤面も用意した」
闇に染まった視界に、光が浮かび上がる。球体状の輝く『何か』。それを覗き込んだ僕は、神の提示する条件に歯噛みした。
「ひとつ、ルールを設けよう。そなた自身はあくまで傍観者としてしか、盤面に存在はできない。直接盤面に介入するのも不可だ。それ以外は良しとしよう」
「ずいぶんと、僕には不利な条件じゃないか」
「そう言うな。代わりに、そなたは好きな『演者』をひとり盤面に送り込むことができる。そやつを上手く動かし、そなたが望む結末にたどり着いて見せろ。『少女を救う』という、その結末にな」
少女を救うことができれば、僕の勝ちなのか。だが、救うという意味合いの定義は一体――。
「さあ、時間だ。始めるとしよう。願わくば我を楽しませるゲームになることを望む」
闇が広がる、球体を覗き込んだまま、僕の意識はあるべき世界に溶けて行く。
――どうか、出来るなら。
次の目覚めには、救いがありますように――。
※「聖王歴1821年」……to be continued.
――→Next「Re:アンナ・ベルと幸福の庭」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます