9.『死』を恐れることなかれ

 『僕』の名乗りに、『命を司るもの』は愉快そうに肩を揺らした。


「そのような姿になり果てても、己は己であると定義するのか! 何ともはや、愚かなことよ」


「どうとってもらっても結構。たとえこんな『人形』の姿だとしても、僕が『僕』であることに変わりはない」


 ミゲールによって体からはじき出された僕のたましいは、近くにあったこの木偶人形に定着した。もともとホムンクルスである僕のたましいは、他の物体とも親和性が高い。だからこそ、こんな姿になっても動けているのだけども――。


「あなたは、アランなの?」

「そうだよ、アンナ・ベル。まあ、見栄えはこんなに素敵になってしまったけどね」


 おどけて手を広げて見せると、アンナは何とも言えない表情をした。それはそうだろう。さすがに人形の姿になって戻ってきましたと言われたら、僕でも困る。


「アラン殿。どうなさるおつもりですか」


 傍らのヴェインが囁きかけてくる。主人が消えて憔悴しているのかと思えば、意外に男の表情はしっかりしていた。鋭いまなざしを『命を司るもの』に向け、さらに言葉を重ねる。


「あの『ミゲール』はもういません。逃げ出すなら今しかない。白い流星の化身でもある『命を司るもの』に興味を示されれば、ここから動くこともままならなくなる」

「ヴェイン。あんたにとってもこの状況は誤算ということか?」

「誤算……そうですね。あなた方がここに現れなければ、話はもっとシンプルに済んでいたはずだったのですが」


 それは、マリナ夫人をアナンシア・ベルンに変える話だろうか? 視線だけで問えば、魔術師ヴェインは皮肉気に唇をゆがめて首を横に振った。


「吾輩は……お館様の願いをかなえて差し上げたかった。だけど、もう……とっくの昔にあの方はどこにもいなかったのですよ」

「ヴェイン……」

「……アラン殿、早く決断を。今の姿なら、お嬢様とマリナを連れて逃げられます」

「あんたはどうするつもりだ」

「吾輩は」


 ヴェインは杖を構える。狙う先は空間中央に立つ黒髪の男――『僕』の姿を奪った『命を司るもの』だ。


「吾輩は、後片付けを。――どうか皆を頼みます」


 魔術師の杖が光をまとう。周囲に光球が浮かび上がり、ばちばちと激しい音を響かせる。雷鳴の光球に狙われた『命を司るもの』は、嬉しそうに笑い声を立てる。


「人でしかない身でありながら、我を殺すか! 面白い!」

「行ってください!」


 光球が軌跡を描きながら、『命を司るもの』へと向かう。僕は素早く地面を蹴り、立った二歩で祭壇に到達するとマリナ夫人を抱え上げる。


「アンナ、来い!」


 手を差し出す。するとアンナは大きく目を見開き――すぐに腕の中へと飛び込んできた。


「行くよ! ちゃんとつかまってて!」


 返事を聞く前に、僕は二人を抱えたまま走り出す。背後ではまばゆい光が炸裂し、笑い声が響き渡る。


「逃がさぬよ!」


 かっ、と。周囲の水槽が発光を始める。何が起こってるか知らないが、どうせろくなことじゃない。足を止めることなく駆け抜けていくと、後ろからひたひたという足音が聞こえてきた。


「い、いやあああっ! どうして!?」


 異常なものを目にしたのだろう。アンナが悲鳴を上げてしがみついてくる。何を見ているのか確認したい気もしたけれど、迫ってくる気配で『それ』が味方でないことはわかる。


「もうすぐ……!」


 もうすぐ、元来た場所への鏡が見えてくる。はずだった。しかし進んでも、鏡はどこにも見当たらない。焦りながら周囲を見渡せば、床に砕けたガラス片が散っているのに気づく。


「まさか」


 じっとガラス片を辿れば、壊れた姿見が見つかった。先回りして退路をふさがれたということか――!? 通路の向こうから、異様な足音が近づいてくる。逃げ場を探すか、それとも戦うか。後者の場合、今の僕がどれだけ戦えるかが不安材料だが。


「た、戦うのはさすがにないな!」


 通路を走り続け、ついに袋小路へとたどり着いてしまった。これより先に道はなく、あるのはただ、何の装飾もない灰色の壁だけだ。


「万事休す!」


 冗談ではない。足音の正体が薄闇の向こうから姿を現す。びちゃびちゃと雫を滴らせ、まるで水を含んだスポンジのように膨らみ、かろうじて人の姿を留めたそれは――。


「い、いやっ! 誰か! 助けてヴェイン! ――ペテルギウスっ!」


 あまりの嫌悪感にアンナが悲鳴を上げた。名前を呼んだからって、そんな都合よく表れてくれる存在などいない。いないと、思っていたのだけども。


「――壁から離れろ!」


 どこからか耳に届いた声に、僕たちは勢いよく後退さった。

 刹那、壁越しに何かをぶつける音が聞こえてくる。徐々に大きくなっていくそれに、僕たちは目を丸くし、そして。


「があっっ!」


 裂帛の声とともに、壁の一部がぶち抜かれた。欠片が勢いよく飛んでいき、土煙の向こう側から大きな人影が進み出てくる。誰だ、なんて、のんきに問うこともできなかった。


「……ご無事ですか、お嬢様」

「ぺ、ペン……!」


 壁の向こうから現れた人物は、他でもないペテルギウスだった。

 感動の再会――などと、今の状況では言ってもいられない。僕は喜ぶアンナの背をたたくと、ペテルギウスに視線を合わせた。


「ペテルギウス、僕が分かるか。アランだ」

「アラン、だと? ……その姿は何なのだ」

「説明が必要なのはわかるが、今は抑えてくれ。後ろからやばいのがいっぱい来ているんだ!」


 僕の叫びに、ペテルギウスは眉根を寄せた。が、すぐに意味を理解したのだろう。僕の腕からマリナ夫人を引き取ると、壁の向こうへと顎をしゃくって見せた。


「了解した。今は外へ急ぐぞ」

「ああ!」


 僕たちは急ぎ足で壁の穴の向こうへと駆け出していく。


 遠くで聞こえていた魔法の残響は、もう聞こえてこない。あの場所で何が起こったのかなんて、考えたくもなかった。

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