8.それはきっと、最期の悔恨

 逃げる、という選択肢は存在しなかった。


 打ち出された刃が目前を覆いつくす。反射的に両腕で顔をかばっても、そんな程度で阻めるはずもない。がっ、と鈍い音が響き、続いて焼きつくような痛みが腕を貫く。


「あ、アラン……!」


 アンナが悲鳴を上げる。赤黒い体液がぼたぼたと地面に落ち、僕は奥歯を噛みしめ『やつら』をにらみつけた。


「ずいぶんと……楽しいもてなしじゃないか。客人を何事もなく帰らせるっていう選択肢はないのか?」

「さて、利用価値がある間は丁重に扱わせてもらうが。まさか、ここまで踏み込んで帰れると思っていたのかね」

「さあ、どうだろうね! 出来れば大人しく帰らせてもらえればありがたいんだが!」

「ふむ……。そこまでして『生きたいか』。良いだろう。……ヴェイン」


 再びヴェインが杖を構える。また攻撃が襲い掛かってくるのか。身構えることしばし。だが、あの光の刃は襲ってこない。一体今度は何をたくらんでいるのだろう? 疑問に思った刹那、脚が地面から離れた。


「なぁっ……!」


 体が浮いた。じたばたともがいたのもつかの間、今度は光の縄で両手両足を拘束される。不格好な宙づり状態となった僕は、動くこともままならず、ミゲールに罵声を浴びせる。


「ふざけるな! 一体何のつもりだこの……っ!」

「生きたいなら、私の役に立ってもらおう。作り物のホムンクルスであっても、人間のために働けるなら本望であろう?」


 ミゲールは楽しげに目を細めた。きっと、とても『面白いこと』を思いついたのだろう。杖の先を僕へと向け、老人はゆっくりとうなずく。


「ちょうど、『命を司るもの』の力がこの身に満ちてきたところだ。さて……少し試してみるとしようか」


 杖をつきながら、ミゲール老人が近づいてくる。嫌な予感がした。腕がちぎれそうなほど身をよじっても、拘束は全く緩まない。傷口から赤黒い血が落ちてくる。


「やめろ。近づくな」


 僕は苦し紛れにつばを吐きかけた。なりふり構ってなどいられなかった。老人に触れられたら『終わりだ』。にらみつける僕に対して、ミゲールは頬をぬぐい笑う。


「しつけがなっておらぬな」


 瞬間、鋭い痛みが脚を貫いた。杖で殴られた。そう理解したのは、ミゲールが杖をさらに振り上げたからだ。無様にこうして嬲り殺されるのか。黒い怒りで目の前が真っ暗になる。


「おじいさまやめて! どうしてこんなひどいことできるの!?」


 目の前にアンナが飛び出してくる。「やめろ」と短く告げても、少女は僕をかばったまま動かない。ああ、こんなことをすれば、老人の怒りに油を注ぐことになるのに。


「どくのだ、アンナ」

「いやよ! おじいさまはこんなことする人じゃないわ! どうしてアランやみんなにひどいことをするの!?」

「……二度は言わぬ。アンナ・ベル。そこをどけ」


 ミゲールの声が冷たく尖る。アンナは身を震わせ、両手を握りしめた。それでも僕の前からは動かない。痛いほどの沈黙ののち、アンナはしっかりとした口調で答えを返した。


「いやよ」


 答えと同時だった。アンナの体が横に吹っ飛ぶ。ミゲールが杖でアンナを殴り倒したのだと気づいた瞬間、僕は思わず声を上げていた。


「なんで! その子はあんたの娘でもあるんだろう!?」


 地面に倒れたアンナは、悲鳴一つ上げない。痛々しい姿を見つめるヴェインも、木偶人形ですらも少女を助け起こそうとはしなかった。


 あの温かだった関係性でさえも、作り物だったというのだろうか。怒りとは別の感情で視界が黒く染まる。ひどいなんて、僕が口にできることではなかったけれども。


「だから、どうした」

「どうした、って」

「私が娘をどう扱おうが、お前の知ったことではあるまい?」


 骨ばった手が僕の胸ぐらをつかみ上げる。濁った銀色の瞳が僕の目を覗き込んできた。じわり、と、ほの暗い光が僕の中に流れ込んでくる。途端、視界が暗転する。


 何も見えない、何も感じられなくなっていく。徐々に意識が侵食されていく感覚に、僕は声なき声で悲鳴を上げた。


 ――

 ――――

 ――――――


 目を開く。

 『私』は新たな体の感覚に、身震いする。


 あれほど濁っていた視野は明瞭で、伸ばした手足は軽く動いた。呼吸を繰り返しても、胸をさいなんでいた痛みは襲ってこない。


「……素晴らしい」


 私は足元に倒れ伏している『抜け殻』を見下ろした。みすぼらしい老人。かつての『私』であったモノ。完全に動きを止めた肉塊に、皮肉気な笑みを浮かべてしまう。


「ヴェインよ」

「……はい、お館様」


 声をかければ、忠実な下僕が答えを返してくる。黒い魔術師は、どこか暗澹とした表情でこちらを見つめていた。気分でも優れないのか。軽く首をかしげて問えば、ハッとした表情で首を横に振る。


「い、いえ。なんでもございません。新たな体の状態はいかがでしょう」

「ふむ、まあ。以前のものよりもずいぶんと快適だ。やはり老いとは効率性を著しく損なうものらしい。それが体験できただけ、良いとするべきか」


 ふふ、と軽く笑ってから、倒れたままの『娘』に目を向ける。この姿であれば、私を『父』として認識できるかもしれない。淡い期待を抱いて、アンナを抱き起す。


「アンナ。……起きなさい、アンナ・ベル」

「……あ……」


 開かれた少女の目は、澄んだ銀色をしていた。かつての私のものと同じ輝きが、私を見つめ――すぐに、嫌悪と驚愕の色に染まった。


「誰……!? あなた、誰なの!?」

「何を言っている? アンナ、私だ」

「あ、アランじゃない! あなた、何なの……!」


 私の腕を振り払い、アンナはおびえた獣のように逃げ出した。仕方ない娘だ。水槽の影へと逃げていく少女を、ゆったりと追いかけていく。もう杖も必要ない。軽快に歩きながら、私は自然と笑みを浮かべていた。


「アンナ。追いかけっこかな? 捕まえてほしいのかい?」

「来ないで! あなた本当に誰なの!?」

「誰って、君の『お父さま』じゃないか! わからないのかい?」

「お、お父さま……!? ば、バカ言わないで!」


 水槽の影からアンナが飛び出す。それと同時に腕を伸ばし、少女を抱きしめる。幼い体温を両腕に感じながら、私はじっとアンナの顔を見下ろした。


「本当に私が分からないのか? アンナ・ベル」

「わ、分かるわけないじゃない! おとうさまは……!」


 アンナが腕に爪を立てる。傷に爪先が食い込み、私は思わず悲鳴を上げて少女を突き放す。アンナは私から距離を取ると、異様なものを見るような目でにらみつけてきた。


「お父さまはもう亡くなったのよ! あなたがお父さまのはずがない!」

「な……」


 何を言っている? アンナの言っている意味が理解できない。同意を求めてヴェインを見れば、やつは罪を暴露されたかのように目をそらしていた。


「おい、どういうことだ」

「お館様……落ち着いてください」

「十分落ち着いている。だから答えろ。ヴェイン・M・オスロー!」

「……っ、お館様は、あなた様は」


 本当は聞きたくなかった。だが、この答えを聞けばすべてが分かる気がした。なぜ、アンナが私を『父』と認識しないのか、その理由すらも――。


「あなた様は、ミゲール様の父君であらせられるディオン様の複製体でございます! 本来のお館様は、アナンシア・ベルン様と一緒に亡くなりました! 今のあなた様は、ディオン様の複製体に、ミゲール様の記憶を定着させた存在だったのですよ……!」


 時が崩れる音がした。私には、アナンシアが死んだときの記憶がない。もし、その場に居合わせていたなら、複製も作れない状態にしておくはずがなかった。


 ああ、そうか。ふと気づく。私は『私』ですらもなかったということか。本来の私はおそらく、アナンシアと共に死んだのだ。そして何らかの事情によって、私の父が『私』をあんな風によみがえらせた。


 もしかすると、そこにはアリサ・S・ビナーもかかわっているのかもしれない。もう知る由もないが、そうだとしたら合点がいった。


「なるほど」


 納得と共に、自我が溶けて行く音がした。そうか、『命を司るもの』よ。これが代償ということか。苦笑いしながら、アンナに手を伸ばす。


「アンナ、私の娘」


 アンナはもう二度とこの手を取らないだろう。こんなふうにゆがんでしまった私は、あの子の父にふさわしくない。だが、心が白い輝きに焼き尽くされる前に、せめてこれだけは伝えたい。


「アンナ」


 せめて。たった一つ真実があるなら――。


「お前だけは、幸福であれ」


 たったそれだけの事実を伝えることが、もう二度と出来なかった。それがとても悔しくて、私という自我は白い流星の輝きによって焼き尽くされた。


 ――――――

 ――――

 ――


 『僕』は目を開く。


 体はあまりにも重く、感覚は鈍い。それでも両の腕に力を込めて前を見れば、少し離れた場所に黒髪の青年と銀髪の少女が向かい合っていた。


「おとう、さま……?」


 アンナの呼びかけに、青年は答えない。ただ、わずかに肩を揺らし、ゆっくりと両腕を広げて見せた。


「ミゲールは消えた」


 歌うように青年は語る。ミゲール・ド・サンドリヨンは消えました。ゆえに我は解放された! 自由であると――。


「あなたは、誰?」


 青年――かつて『僕』であったモノが、アンナに顔を向ける。黒い瞳には何の感情も浮かばず、ただ静かに言葉の答えを紡いでいく。


「我は『命を司るもの』」


 感情のない声が、アンナを――そして『僕』をあざ笑う。


 『僕』は作り物の足を一歩踏み出す。そばに立っていたヴェインが、何かに気づいたように目を見開く。


「――あなたは!」

「そう、か。おまえは」


 壊れかけの声であっても、意志は伝わるのか。『命を司るもの』を称するモノは、ゆっくりと僕に目を向けた。


「お前は、『神』というやつか。まったく……厄介なものを呼び出してくれたものだ」

「それはそなたも似たようなモノであろう。ホムンクルス静かなる理解よ」

「いいや、僕は」


 人形の顔では笑うこともかなわない。しかしそれでも、『神』という存在に対し、中指を立てて見せた。


「僕はアラン。ただの『たびびと』であり――何者でもない『ドゥセル』だ」

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