7.根源、そして深淵(親愛)なるモノ

 人形たちに追われ、僕たちは逃げ続けていた。

 一度は村の方に退避しようともした。けれど、人形たちはそれを阻止するかのように動き、結局、僕たちは邸宅への道を辿ることになってしまった。


「アラン、おうちに逃げるの!?」

「いやぁ、出来ればそれは避けたい気がするのだけどね!」


 息を切らし、バラのアーチを抜ける。するとそこはもう、アンナのおうち――もとい、ミゲール老人の邸宅だ。


 僕たちはテラスを駆け抜け、窓に手をかける。窓ガラスはすんなり開かれ、焦る僕たちを迎え入れようとしているかのようだった。


 こんな状況にあっても鍵一つかけられていない無防備さに、一瞬違和感を覚えたものの――背後から迫る人形の群れを前にしては、ためらっている間もなかった。


「行こう!」


 アンナの手を引き、窓から邸宅の中へ飛び込む。人形たちは僕たちが中に入った途端、目標を見失ったように右往左往し始める。もしかすると、邸宅には何らかの結界でもあるのだろうか?


「だとしても、だ」


 念のため、見える範囲の窓すべての鍵をかける。そうすると、まるで自分たちを守るはずの邸宅が、僕たちを閉じ込める檻のように感じられてしまう。


 胸にこびりつく不安を振り払い、僕はアンナと共に背後を振り返る。邸宅内に明かりはなく、人の気配も感じられなかった。先ほど降り注いだ光といい、もしかしなくてもミゲール老人たちに何か起こったのかもしれない。


「アンナ、普段の『おうち』もこんな感じなのか」

「ううん。いつもはマリナとヴェインが明かりをつけてくれているから……こんなに暗いなんて、おじいさまに何かあったの……?」


 アンナを見下ろすと、不安げに視線を揺らしている。ふむ、と僕は一つうなずいた。何が起こっているのかは不明だとしても、ただ一つ確かなことがある。


「まさかこの状況すべてが、何の関連もない偶然だなんて言わないだろう?」

「アラン? どうしたの」

「いや、何でも。とにかく誰かいないか探さないと。ヴェインかマリナ夫人……それと、アンナのおじい様。彼らがいる可能性が高い場所って、アンナはわかるかい?」


 問いかけると、アンナは少し考えるように首を傾げた。そうしている間にも、邸宅に流れる空気が僕たちを絞め殺そうとしているような気がする。単なる想像に過ぎないのに、背筋が寒くなってしまうのはなぜなのだろう。


「ヴェインとマリナは……この時間なら自分の部屋だと思う。おじいさまは、自分の研究室にいるはず……」

「こんな状況になって、ヴェインとマリナ夫人が寝ているとは思えないな。ねえ、アンナ。もしここで何かあったら、二人はおじいさまの安全を確認しに行くだろう?」

「うん、たぶんだけど」

「だったら、行く先は決まりだ。おじいさまの研究室!」


 力強く言っても、アンナの表情は晴れなかった。何か引っかかるものがあるのか、軽く首を振ると僕を見上げてくる。


「だけど、おじいさまの研究室に、何の関係もないアランを連れて行くのは……」

「あ、それなら大丈夫だ。僕は君のおじいさまの研究を手伝うことになっていたからね。ほら、だったら全く無関係じゃないだろう?」


 本当は断ったんだけどさ。本音と真実は心の中だけにとどめておくことにする。アンナは少し困った顔をしていたけれど、意を決したように一つうなずいてきた。


「わかった、アランの言うことを信じる。こっち、ついてきて」


 アンナに手を引かれ、邸宅内を走り出す。内部は本当に静かで、あまりにも静かすぎて異様な雰囲気が漂っている。あれほどの輝きが何によるものなのか、あれはどこに行ってしまったのか。疑問は尽きないが、答えは廊下になど落ちていない。


 廊下には明り取りの窓が設けられているため、完全な闇には変わっていない。だがそれでも暗いことには間違いなく、僕たちは慎重に廊下を駆け抜けていく。


「アラン、ここ」


 アンナが足を止める。目の前には質素な扉が一枚存在していた。アンナにうなずきかけながら、僕は扉を勢い良くあける。


「ここは」


 闇の中に浮かび上がるものは、巨大な錬金鍋だった。

 しかし、目につくものはそれだけだ。暗闇の中でも部屋は片付いていて、長く使用された形跡もない。部屋に足を踏み入れると、頭の芯がぐらりとなる。おかしい。ここは、『何かがおかしい』。


「アンナ、ここがおじいさまの研究室なのか」

「その、はず……。どうして? おじいさまはいつもこのお部屋に入っていくのに」


 アンナも異常には気づいているのだろう。頭を押さえて周囲を見渡す。僕はアンナとつないだ手を握りなおし、中央に置かれた錬金鍋に近づいていく。


「何もないはずがない。だったら、探し出せばいいだけだ」


 僕は片手を錬金鍋に触れさせる。明らかにここは何かが歪んでいる。原因を特定できれば、ミゲール老人が消えた理由もはっきりするはずだ。


「分析開始」


 まぶたを閉じる。すると、青白い流れが部屋中を走っているのが見えた。魔力の流れが普通の部屋にこんな状態で存在することはあり得ない。


「さて、どこかな?」


 視覚を広げていく。錬金鍋、壁の本棚。床……壁にもない。どこだ? どこがこの魔力の根源なんだ……?


「あ……」


 『視えた』。壁際に置かれた姿見。鏡面から異常な量の魔力があふれている。僕は目を開くと、アンナと一緒に鏡へと歩み寄る。


「これだ」


 ためらうことなく鏡面に手を当てる。すると目の前の光景が『ぐにゃり』と歪み、ゆっくりと回転をはじめ――。


「きゃあっ!?」


 唐突に落下した。といってもほんのわずかだったけれども。尻餅をついた僕たちは、ふらつきながらも立ち上がり、そして『それ』を見た。


「これは……何だ」


 僕は眉間にしわが寄るのを感じた。何だ、といっても、実際にそれが何なのかわからなかったわけじゃない。ただ、あまりにも狂気的過ぎて思考が追い付いてこなかっただけだ。


「あ、アラン。これって」


 震えるアンナの声で我に返る。僕たちの視界に存在するもの、それは水槽に浸された無数の人々の姿だった。


 水槽の中で目を閉じた彼らは、生きているのか死んでいるのかさえわからない。特に死臭はしないから死んでいない……と判断するには、あまりにも尋常ではない姿だった。


「いや……いやっ、うそよ!」

「アンナ、あまり見るな」

「無理よ! だ、だって! この人たち、村の人たちだもの!」


 アンナの叫びに、今度こそ思考が停止した。さすがに僕も状況を甘く見ていたのだろう。村人を実験に利用していた。だからこそ村には人気が無く、やたらにきれいだったということなのだろうか――?


「ははっ、ミゲール・ド・サンドリヨン! 狸かと思えば本物の怪物だったとは! 恐れ入ったよ!」

「あ、アラン」

「いいねぇ。どんな狂気が待っているのか、ぜひ見ててもらいたいものだよ! ははっ」


 何となくキレた。これが錬金術師を称する者のやることか。アンナの手を引きながら、狂気の水源を歩き出す。何十にも及ぶ被害者を前にして、僕の心は久方ぶりに燃えあがる。


「ふざけんなよ」


 命のもとを作ったアリサ師は、命をもてあそぶことの意味を教えてくれた。命を玩具にすることに正当な理由などない。『やってはけないから、だめなのだと』。


 それが僕の錬金術の根源であり、僕の存在する意義でもある。アリサ師の言葉には、多分に自らが行ったことへの悔恨が含まれていたのだろうが、それと僕とは関係がない。


「ふざけんなよ……」


 僕は、命をもてあそぶものが嫌いだった。どんな理由をつけても、この想いに意味は与えられない。嫌なものは嫌だ。だからこれは止める。何があっても、この非道を行ったものに鉄槌を下す。


 水槽の間を抜けると、開けた場所に出た。中央には祭壇らしきもの。そして壁際にはずらっと複数の水槽が並んでいる。いくつもの配管が床をのたうち、それが生き物のようで吐き気を催した。


 忌々しい気配を漂わせる祭壇の上には、ひとりの女性が横たわっていた。どこかで見たような、中年の女性――さらに確認しようとした瞬間、アンナが叫びをあげた。


「マリナ……!」


 アンナの手が離れる。僕が手を伸ばしても、アンナは前へと走って行ってしまう。だめだ。そう叫ぼうとした途端、アンナの体が突然弾き飛ばされた。


「あ、ぐっ」

「何をしている、アンナ。勝手に入ってきてはだめだと、あれほど言っただろうに」


 ゆらり、空間が割れて、老人と魔術師が姿を現す。背後に木偶人形を従えた二人は、感情のない目でアンナを見つめる。


「お、おじいさま。ヴェインも。これはどういう……マリナに何をしたの」

「何を、とはな。特に何も。ただ、命を司るものの力を借りて、『お前の母』を目覚めさせようというだけだ」


 事も無げに言って、老人は濁った銀色の目をこちらに向けてくる。嫌な目だ。僕は最初から、この目が気に食わなかった。


「アンナの母、とは、あんたの娘のことか」

「いいや? アンナ・ベルの母は、我が妻のことよ。……とうの昔に死した、アナンシア・ベルン……お前の師である、アリサ・S・ビナーの妹」


 混乱する。アナンシア・ベルンとは、アリサ師の妹? そして、アナンシアは、アンナの母で……いや待て、だとしたら計算が合わない。


「アンナはどう見てもあんたの娘という歳じゃない。理屈に合わないことを言うな」

「貴殿こそ何を言っている? これを見ても、何の察しもつかないというのか?」


 ミゲールは杖で地面をたたく。すると、正面の水槽に人影が浮かび上がった。それは長い銀髪を水に揺らす、幼い少女の姿で――。


「この、外道が!」

「何を怒る? 理解した上での行動か?」

「当然だろう!? こんな、こんな……人間を複製するなんて、何を考えている!」


 アンナは蒼白になったまま、何も言わなかった。僕の中で少しずつ理解が追い付いてくる。アンナ・ベルは、ミゲールの娘……何らかの理由で、水槽の中でしか生きられなくなった彼女を、ミゲールは複製して今の『アンナ』が生まれた。


「アンナ・ベルは病にかかり、長くは生きられなかった。ゆえに私は娘を眠らせ、複製をつくり記憶を移植した。長い時間がかかったため、私は老いて、娘から父とは認識されなくなってしまったがね」

「……だとしても、この状況は……マリナ夫人をどうするつもりだ」

「何を、とはな。命の核をこの女に埋め込み、妻を……アナンシアを再現する。アナンシアは複製をつくるための体も、記憶を移植するための魂も残っていないものでね」


 そこまでして失われたものを追い求める気持ちなど、僕にはわからない。ミゲールは疲れたように笑う。だがそれでも、僕は老人に対して同情などしない。


「なるほど、永遠の命云々は嘘だったわけか」

「いや? だが、貴殿の関心を引くことには失敗したようだ」

「当然だろう? そんな、永遠なんて……。それに、その命の核を使っても、あんたの妻は還ってこない」

「わかっているさ。だが、これに私が持つアナンシアに関する記憶を詰めた。そこから再現されるのは……私が知るアナンシアだ」

「馬鹿げたことを」


 鼻で笑う。どんな思いがあろうと、僕はそんなこと絶対に肯定したりできない。安らかに眠っている人の墓を掘り返して、さらなる苦行を強いるなんて本当に馬鹿げている。


「馬鹿げている、か。貴殿には理解を求めても仕方なかったかな」

「理解されると思っていたことが驚きだよ」

「そうだな。貴殿のような『出来損ないのホムンクルス』には、人の心となど理解できないか」


 無言。僕は笑った。おかしすぎて、腹がよじれそうだった。明らかにおかしい様子に、ミゲール老人は眉根を寄せる。アンナが怯えるように僕を見て、やっと笑いを収めることできた。


「あーあ、よくわかっているじゃないか! 僕はホムンクルス。作り物の器に魂を注いだって、出来上がるのは偽物さ」

「……何が言いたい」

「何って、あんたのしようとしていることも一緒だ。作った記憶を人に注いだって、出来上がるのは見知らぬ他人だよ」


 ミゲールは眉一つ動かさなかった。代わりに片手を上げて、ヴェインに呼び掛ける。


「殺れ」


 魔術師ヴェインは、主の指示に従い杖の先をこちらに向ける。前方の空間に輝きが生まれ、鋭い光の刃へと襲い掛かった。

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