4.反転するモノガタリ

 盤面の物語は『僕』の勝利で終わった。

 ええと、結果だけで言えば――『僕』扮するところの死霊術師の勝利だった。


「うー! アランのバカ! どうしてみんな倒しちゃうのよ!」

「そう言われても」


 アンナがぽかぽかと僕の肩をたたいてくる。うん、肩もこっていたし丁度いい……じゃない。改めて盤面の上を見ると、黒い帽子を載せた死霊術師の人形がにやりと笑っている。


「圧勝でしたな、アラン殿。まさかキャラ四人がかりで圧倒されるとは恐ろしや」

「いや別に僕はダイスを振ってただけなんだが。なんで勝っちゃったんだ」


 死霊術師の前で、アンナたちの人形が力なく倒れている。僕の振るうダイスはどれもこれもがクリティカルで、アンナたちはろくに反撃もできずゲームオーバーとなってしまった。


「どうする? 他に何かやりますか、お嬢様」


 むくれ顔のアンナに向かって、ペテルギウスが声をかける。さすがに悪が勝ってしまっては寝覚めが悪い。僕もついでにうなずきかけて、アンナの腕を取る。


「えーっとそうだ。どうせだからもう一回やろう? 今度はきっと勝てるさ」

「うー! だめ! そんなのずるだもの」

「ずるって、これはゲームなんだし」

「ゲームとか関係ないの!」

「いやだってこれ、ゲームだし」

「違うもん!」


 僕の腕を振り払い、アンナはいやいやと首を振る。僕はちょっと困って、ヴェインたちに目を向ける。何が嫌だったのかよくわからない。すると彼らは目を見合わせ、小さく肩をすくめてみせた。


「お嬢様~。アラン殿が困っておられますよー」

「ヴェインもアランとおんなじこと考えているの!?」

「い、いえ吾輩は別に」


 大人たちからすれば、これはどう考えてもゲームだ。だが、アンナには別の想いがあるらしい。余計にいら立たせてしまったヴェインはすごすごと下がり、隣の男を見上げる。


「……ペテルギウス……」

「わかったから気味の悪い目で見るな」

「何たる暴言」


 ペテルギウスは軽口に構わず、アンナの前に膝をついた。大柄な彼が膝をついても、少女とはまっすぐに目線が合わない。いらいらと地面を蹴る少女は、目の前の男を涙の浮いた目でにらみつける。


「ペンも、分かってくれないんでしょ」

「わかりません。だからわかるように話してください」


 直球だった。鋭く懐に踏み入って一撃をくらわすような言動に、ペテルギウスの性格が表れているみたいだ。はらはらとする僕らに構わず、男はアンナの肩に手を触れる。


「何をそんなに怒っているのだ。お嬢様」

「だって。アランがこれはゲームだから、って……。ゲームなら、何でもやり直ししていいの? 何が起こっても、なかったことにしていいの?」


 拙い問いかけ。何となく言わんとすることが分かって、僕は苦笑いしてしまった。

 ゲームだから、何でも結果を塗り替えてもいい。それはゲームだから許されることだし、別にそれ自体が間違っているわけじゃない。ルール上での再戦が『ずる』に当たるとは思わない。


「お嬢様にとって、先ほどの戦いは現実と同じだったわけか」


 ペテルギウスは僕と同じように苦笑を浮かべる。だけど、言葉に含まれたニュアンスは微妙に違っているような気がした。アンナは唇を噛みしめ、一度だけうなずく。


「ゲームはゲームだけど。その中でわたしたちはちゃんと生きてたわ。だから結果を変えてはいけないの。本当に大切なことは」


 アンナの瞳に薄い膜が張っている。今にもこぼれ落ちそうな涙を必死にこらえ、少女は自分の想いをはっきりと告げた。


「本当に大切なことは、一度きりなの。二度目なんて、この世界の誰にも許されてないわ」


 幼さに似つかわしくない明瞭な言葉で語り、アンナはどこかへと駆け出していく。

 誰も引き留められなかった。ヴェインも、ペテルギウスも。そして、僕さえも。


「追わなくて、いいのか」


 小さな姿が庭の向こうに消えてから、僕は二人にそっと声をかける。ヴェインたちはそれぞれの表情でこちらを見て、軽く首を振る。


「うーむ、今はやめておきましょう。ああなってしまうと、我らでは手に負えませんから」

「……俺は様子だけ見てくる。おそらくいつもの場所のはずだ」

「了解しましたー。あとのことはお任せあれ」


 歩き去っていくペテルギウスの背を眺めながら、僕は小さくため息をつく。


 アンナのことは、二人の方が良く知っているはずだ。怒らせておいてなんだけど、僕がアンナのところに行ったとしても、状況を悪化させることしかできそうもない。


「お気になさらず、アラン殿。お嬢様は、人の生き死にに関してとても敏感なのです」


 何でもないことのように言って、ヴェインはのんびりと卓を片付け始める。僕もそれを手伝いながら、倒れ伏した人形を取り上げる。


「本当に大切なことは、一度きり、か」


 人形を箱に戻しながら思う。僕の人生は順風満帆とはお世辞にも言えなかった。やり直したいことをあげればきりがないし、何度も心折れそうになったこともある。それでも何とか前に進めているのは、他でもない『ばあちゃん』の影響だろう。


『アラン、どんな命にも存在する理由があるのよ』


 そういって出来損ないの僕の手を引いてくれた人は、もういないのか。


 いまだに涙さえ流れてこない僕は、どう転んでも薄情なんだろう。空っぽの器に作り物のたましいを注いだって、いつまでたっても本物になんかなれやしない。


 苦いものが胸にこみあげる。心をさいなむ痛みを押し殺して、僕は人形を箱に戻した。すると片づけを続けていたヴェインが顔をあげ、こちらに視線を送ってきた。


「そういえば、アラン殿は錬金術師なのですよね?」

「え? ああうん、確かにそうだけど。知ってたのか?」

「お館様に聞きました。あなたがアリサ師の直弟子だということも存じておりますよ。この度はお館様にご協力いただき、誠に感謝しております」


 丁寧に頭を下げられて、僕は本気で困ってしまった。先ほどミゲール老人の話をほとんど断ってしまったところだったのに!


「い、いやぁ、実はまだ受けるかどうかは決めてなくて……あはは」

「なんと。何か納得のいかないところでもありましたか」

「納得いかないというか、ええと? まだ考え中?」


 ヴェインが首をかしげる。この話はどこまでしていいものなのか。目の前の男がどこまで知っているかわからない以上、下手に話をするわけにもいかない。


 僕のためらいの理由を察したのか。ヴェインは人懐こい笑みを浮かべ、首を横に振った。


「ご配慮痛み入ります。アラン殿は意外に思慮深いのですね」

「意外に……ま、まあ、言っていいことと悪いことの区別はつくつもりだよ」

「なるほど。念のために申しておきますと、吾輩は研究の大半の部分を把握しております。なにせ、あのゴーレムの強化を施したのは吾輩でして」

「……ああ。あなたが魔術師なのか」


 うなずきながら、これまでのことを思い起こす。伝令蝶もそうだが、ミゲールの話にも魔術師の存在が出てきていた。気づかなかった理由は、まさか魔術師が子供と一緒にゲームをしているとは思わなかった……というと、ちょっと言い訳がましいか。


「ヴェインは腕のいい魔術師みたいだね」

「いえいえ! 吾輩はお館様に拾っていただけなければ野垂れ死んでいたような、落伍者ですから。ペテルギウスも似たような境遇で、我々はお館様に深く感謝しているのです」


 ヴェインはにこりと笑う。その表情には偽りは見て取れず、僕は思わず首を傾げそうになってしまった。


 あの老人の目は、特定の誰かにしか向けられていないように感じられた。だからだろうか、ヴェインの言葉はどこか奇妙に思える。


「ミゲール氏は冷徹そうに見えて、実は優しい人なんだね?」

「そうですよ。……まあ、最近はお疲れなのか。笑顔を見せてくださることもなくなりましたが……って、それはともかく!」


 ヴェインが勢いよく顔を近づけてくる。半歩下がりながら視線を合わせた僕に、魔術師は内緒話をするように小声で話しかけてきた。


「ひとつお聞きしたいのですが。錬金術で食べ物を……なんてことは可能なのですか?」

「え。ああ、うん。できるよ。まあ、実際は普通の調理とあまり変わらないんだけどね」

「それは僥倖! 実は、折り入ってお願いしたいことがありまして……」


 ヴェインは宙で指を一回転させた。風もないのに葉が揺れ、一枚の紙が目の前に降ってくる。何だろうと思って手に取ると、そこにはとあるレシピが書かれていた。


「えーっと、これは?」

「吾輩ではどうしても再現できないので……お願いします!」


 勢い良く頭を下げられて、僕は漫然と頬をかく。

 別にできないことはない。できないことはないんだけど。


「……なんで、アップルパイ?」


 古びた紙に書きつけられていたのは、間違いなくアップルパイのレシピだった。

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