第二部「少女と失われた根源の庭」
1.アランの手記「聖王歴1821年7月13日」
『僕』ことアラン・S・エドガーは、旅の錬金術師だ。
国中を気ままに旅し、それぞれの地域でちょっとした錬金術を披露する。するとみんな驚いた顔をするもんだから、ついつい余計な『サービス』をしてしまったりでね。
だから割と生活はかつかつなんだけど、僕自身はこの度を気に入っている。新たに出会う人々、見たこともない土地。ずっと家に閉じこもっていては経験できなかったあらゆるものが、僕にとっては得難い宝物だった。
さて、と。前置きはこれくらいにして。
今回、僕がやってきたのは、師匠――いや、彼女の希望通り『ばあちゃん』と呼ぶことにしよう。ばあちゃんの古い知り合いが住むという、深い森の中にある小さな村だ。
ここにあるのは綺麗な新緑の木々と、穏やかな風。そして何よりどこよりも澄んだ空が印象的な、とても美しいのどかな場所だった。
ここに来るきっかけとなった話も、念のため記しておこうかな。
この間……確か、一週間ほど前だったか。街道を歩いていたら、不意に伝令蝶(一般的には魔術師が使う連絡手段だ)が僕の肩に止まったんだ。
「突然の連絡を許してもらいたい。私の名はミゲール・ド・サンドリヨン。貴殿の師である錬金術師アリサとは、かつて同じ師のもとで学んでいた」
伝令蝶はそんな言葉を吐き出してきた。確かに僕の師――ばあちゃんの名はアリサという。だけどなんでまた、ばあちゃんの知り合いが僕に連絡を取ってきたのだろう?
「唐突だが、一つ頼みがある。新たな錬金術式構築のために、貴殿の力を貸してもらいたい。むろん、ただとは言わぬ。望むなら必要なだけの金も渡そう」
ここまで聞いても、あまり僕の心は動かなかった。別に金は欲しく……ないこともないけど、そんなにたくさんいらないし。それに、移動するにしても指定され場所まで距離があった。正直面倒――あ、いや、僕が特別ものぐさってわけじゃないと思うよ?
「……あまり気が進まぬかもしれんな。ならば、一つ提案しよう」
伝令蝶はピリピリと羽を震わせる。そして僕にとっては、本当に重要な、価値のある言葉を吐き出してきたんだ。
「貴殿の出生について、私の知り得ることを教えよう。貴殿が私の言葉を聞き届けてくれることを切に願う」
で、のんびりと僕はこの村にやってきたわけだ。
え? ずいぶん軽いんだなって? そりゃあそうさ。
僕は僕自身のことなんて、どうでもいいんだよ。ただ、そこまでして僕を呼び寄せようとするその意図に、ちょっと興味を持っただけなのさ。
――――
――
「アランはおじいさまのお客様だったのね! あんなところで寝てるなんて、ほんとにびっくりしたわ!」
アンナの先導で、僕はその村に足を踏み入れていた。
四方を森に囲まれながらも、村の景観は非常に美しい。童話に出てきそうな石造りの家が立ち並び、庭先には色とりどりの花が咲き乱れている。
街灯からは青く染め抜かれた布が垂らされ、ゆったりと風に揺られていた。小さな村にしては道もきっちりと舗装されているし、ごみなんて一つも見当たらない。
「きれいなところだな」
思わずつぶやいてしまう程度には、本当にきれいな村だった。
ただ、誰にも出会わないことが気になったが、アンナによれば昼間は皆、近くの畑で働いているらしい。なるほど。勤勉な村人だからこそ、ここまできれいな状態を維持できているのだろうか。
「さあ、わたしの家はこっちよ! はやくはやく!」
アンナに手を引かれ、僕は一緒に走り出す。子供は元気だなぁ、なんてのんきに考えていたら、思わずつんのめってしまった。
「だいじょうぶ? 疲れちゃった?」
「あ、ううん。ちょっと関節の具合が良くなくてね……」
「関節? アランって、実はおじいちゃんなの?」
「おじい……いやあ、まだそこまでの耐用年数は過ぎてないはずなんだけどなぁ」
僕の言い方がおかしかったからか。アンナはにこにこと笑って、さらに手を引っ張る。
「変なアラン! さ、あそこがわたしのおうち! 駆け足駆け足!」
アンナが道の先を指さす。とはいえ、まあ、そこまでされるまでもなく、彼女の『おうち』は視界に入っていたわけなんだけども――。
「……『おうち』ねぇ?」
視界の先に建っているものは、どう見ても『おうち』なんてかわいらしいものじゃない。
青々とした生垣の向こうには、白さが眩しい石畳の道が続く。道なりに歩いていけば、かわいらしい花が咲き乱れるアーチが現れる。ゆっくりとそれをくぐれば、アンナの『おうち』はすぐ目の前だ。
苔むした外壁に、無数の蔦が緩やかに這う。見るからに古い邸宅だった。けれど、窓に揺れるカーテンは真っ白で、不気味さは特に感じない。雰囲気のあるお屋敷といえば、誰でも想像がつくだろうか。
何気なく視線をあげれば、赤茶けた屋根に青銅の風見鶏が佇んでいるのが見える。何となく風見鶏が降ってこないかと、どうでもいいことを考えていたら――。
「やあ、よく来てくれた。歓迎するよ、アラン・S・エドガー君」
「おじいさま!」
正面の扉が開いていた。緩慢な動きで、杖を突いた老人が歩いてくる。白髪で、ひどく厳めしい顔をした老紳士だった。ただ、僕を見た瞬間だけ、その濁った銀色の瞳に奇妙な輝きが宿った――気がした。
「あらあら、お嬢様! どこに行かれていたんですか! ヴェインたちが探しておりましたよ!」
扉の奥から誰かが走り出てくる。丸っこい顔とふわふわした雰囲気が印象的な中年女性だった。彼女はアンナに駆け寄ると、ぎゅっと強く抱きしめる。
「苦しいよぉ、マリナ!」
「お嬢様が心配かけるからですよ! ほらほらぎゅーっと!」
「えへへ、ぎゅーっと」
ほほえましい光景に、思わず僕もにこにことしてしまう。だが、大きな咳払いによって現実に引き戻される。無粋な、とはさすがに言わないけれども、少しむっとしてしまう。
「家のものが失礼した。気になさらんでくれ」
「いやいや別に、僕は失礼だなんて思ってませんよ! そちらこそあまり気を回さないでください。一応、これからは共同研究者として協力する中じゃないですか、ははっ」
我ながらものすごく厭味ったらしい言い方になってしまった。
だってしょうがないじゃないか。僕としては枯れかけのじいさんよりも、かわいい女の子を見ている方が……って、あれ、ちょっと変態かなこれは。
そんなことを考えているなんて、夢にも思っていないだろう。老紳士――ミゲールは、険しい顔つきのまま、静かに首を縦に振った。
「貴殿の寛大さには深く感謝を。では、早速だが、一度見てもらいたいものがある。――こちらへ」
ミゲールが手招く。ここまできて拒む理由はないが、何となく気が進まなかった。
「アラン! またあとでね!」
振り返ると、アンナとマリナと呼ばれていた女性が手を振っていた。
その笑顔が背中を押してくれた気がする。僕は何とか気を取り直して、老人と共に邸宅へと足を踏み入れた。
――――
――
追記:まあ、この時点でいやな予感はしていたんだけどね。
うっかり気を緩めてしまったのはきっと、小さな子がいるのに非道なことはしないと、心のどこかで思ってしまったせいなんだろう。
後悔しても、時間は取り戻せない。――面倒だよ。
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