10.そして、『君』の庭に涙は降る

 ――錬金術には大まかに二つの分類がある。

 物質を魔力によって混ぜ合わせ、別の物体に昇華させる『調合』。そして、物体に魔力を投影することによって、物質の性質を変化させる『錬成』。


 調合は感覚的にわかりやすいため、比較的難易度が低いとされている。今から僕が行おうとしているものは、はるかに難易度が高い『錬成』だった。


 浸食された礎石に手を当て、目を閉じる。まぶたの裏に広がるものは、幾筋にも張り巡らされた魔力の流れだ。末端から流れを辿り、魔力を生み出している源へと遡っていく。


 無数に枝分かれする流れから、本流を探し当てるのは至難の業だ。だが、微細な魔力の質の変化――流れに含まれる魔力の純度を比較し、どんどん中心に向かって突き進む。


 しかし、難しいのはこれからだ。魔力の源を遡れても、それだけでは意味がない。激しい魔力の流れは、僕の視覚の中で青く変換されている。


 イメージの精度は良好。今なら『できる』はずだ。僕はイメージに自分の両手を投影する。生身の腕が視界に出現し、魔力の渦に触れ――それを握りつぶす。


「分解……っ」


 熱く煮える水に手を突っ込んでいるみたいだ。けれど、この時点で目的はほぼ達していた。青い渦がゆっくりと輝きを失い、無数に張り巡らされていた流れは、末端から枯れて消え去っていく。


 魔力で構成される存在は、根源となる部位を破壊されれば消滅するしかない。


 僕はゆっくりとまぶたを開く。礎石に張り巡らされていた黒い触手は、大半がぼろぼろになって崩れ去っていた。


「や、った……?」

「ドゥセル!」


 呼びかけに振り返る。黒い煙は完全に消え去り、開けた視界の先にはアンナ・ベルたちの姿があった。


「アンナ・ベル! ヴェインとペン・ギンも! 怪我はないのか!?」

「問題ありませんねぇ! 吾輩たちにかかれば、デコイなど一瞬でめっためたですぞ!」


 カタカタと骸骨ヴェインが笑う。その横では戦斧を地面に突き立てたペン・ギンが、不機嫌そうに骸骨の頭をたたく。


「やかましい。きさまはふらふらと踊っていただけだろうに」

「や、何を言いますか! ペテルギウス・ギュンターよ!」

「だから! その名で呼ぶなと!」


 二人は特に問題なさそうだった。改めて周囲を見渡せば、アンナ・ベル歩み寄ってくる姿が目に入った。


「ドゥセル。大丈夫なの?」

「何とかね。アンナ・ベルの方も無事そうで安心したよ」


 僕の言葉に、アンナ・ベルは頬をゆがめる。それが彼女の笑顔だということは、今はもう悩むまでもなく理解していた。


「黒いあれも、もうすぐ消えそうね。ドゥセルのお手柄だわ」

「できることをやったまで……とか、格好つけたいところだけど。さすがに疲れたよ。なんだかふらふらしてる気が」


 言うが早いか。体が突然、支えを失ったように前のめりになった。アンナ・ベルが目を見開き、こちらに両手を差し出してくる。これは巻き添えで倒れるかも、などとのんきに考えていたら、何の問題もなくアンナ・ベルに受け止められていた。


「大丈夫?」

「あ、うん。ありがとう」


 礼を言いつつ、体勢を整えようとした。が、どういうわけか脚がふらふらと地面を滑る。力がどうやっても入らず、僕はアンナ・ベルの肩の上で首を振った。


「ごめん、どうも動けないみたいだ」

「そう、気にしないで。動けないならしばらくこのままでいるといいわ」


 ありがたい申し出だったが、心に苦いものが広がる。なんだか本当に格好がつかない。


「大丈夫。何も気にすることはないのだわ」


 顔のすぐわきで、銀色の髪が揺れる。視界の中心にそれを映してしまうのが、何となく気恥ずかしくて、僕は黙って正面を向いていた。


「ねえ、ドゥセル」


 アンナ・ベルが呼び掛けてくる。僕はすぐに答えようとして――口が全く動かないことに気づいた。


「ドゥセル?」


 視界のはるか向こう側に、黒い姿がたたずんでいる。かなり距離があるにもかかわらず、僕にはそれが『葬儀屋』だと判別できた。


 黒い髪に同色の目をした男は、ゆったりと唇を動かす。


『            』

 僕は、何も答えなかった。代わりに、みぞおちの真ん中を貫く、鈍い衝撃が。




「――え」


 アンナ・ベルがふらつきながら一歩下がった。真っ黒なドレスの胸元に、真っ赤な花が咲いている。さっきまでそんなものは見当たらなかったのに。


「アンナ・ベル」


 一歩、近づく。近づこうと、した。


 アンナ・ベルの瞳が、虚ろにこちらを見つめている。赤く染まった唇が、どうして、と小さく言葉を刻んだ。


「ドゥセル。あなたは、なに?」


 一歩、また一歩と、アンナ・ベルは後退する。そのたびに赤い花弁が落ちて、地面に染みを作る。僕はただ、赤く染まっていく少女の姿を、見ていることしかできなかった。


「あなたは、なんなの?」


 ゆらりと、少女の手が虚空をつかむ。現れたものは、何度も目にした銀色の槍だった。その穂先をゆっくりとこちらに向けて、アンナ・ベルは――。


「あなたは、一体だれが呼んだ存在なの……!? あなたは、あなたなんか!」


 みぞおちに手を当てれば、そこには硬い感触が存在していた。視線を落とした先で、赤いものをまとわりつかせた刃が光を弾く。


「なんだよ、これ」


 自分の体から、どうしてこんなものが? 答えが欲しくて、アンナ・ベルを見る。


「あなたは、幸福の庭の敵」


 銀の槍が、静かに振り上げられる。アンナ・ベルが何を言っているのか、本当にわからなかった。口の中に、砂糖菓子の甘ったるい味が広がる。ああ、なんでどうしてこんな。


「アンナ・ベル」

「あなたは」


 銀の輝きが宙で弧を描いた。鋭い一撃は、何のためらいもなく僕へと向かう。


「あなたは、私の下僕なんかじゃ、なかった」


 音もなく、体が真っ二つに切り裂かれた。

 緩やかに地面に落ちていく瞬間、僕は、アンナ・ベルの目に光るものを見た。



「          」

 結局、最期まで僕は、無力で無様なままの『ドゥセル』だった。


 ―――――

 ――


 目を開く。

 どうしてか急に泣きたくなって、『僕』は目をこする。


 ひどく長い夢を見ていたような、そんな気がした。どうしようもなく温かで、救いのない夢だったようにも思う。詳細は思い出せないのに、心に刺さった棘が抜けない。


「大丈夫? おめめ、痛いの?」


 不意に、誰かに呼び掛けられる。風が気持ちいいからって、道端で寝るものじゃないな。野良寝はやはり、人気のないところでやるに限る。


「うーん? それともどこか別のところが痛いの?」


 さらに呼びかけられて、僕は首を横に振った。そうじゃない、そうじゃなくて。


「何だか、大事なものを置いてきてしまったみたいなんだ」


 心に浮かんだ言葉を口にすると、それが一番しっくりくる。何かを失ったような、ぽっかりとした喪失感がぬぐえない。


 少し手を顔から外すと、視界に銀色の輝きが映り込む。晴れ渡る青空の下で無邪気な笑顔を浮かべる、十歳にも満たないであろう幼い少女。


 きらきらと輝く銀色の目を大きく見開いて、少女は僕に手を差し伸べる。


「ふぅん、なんだか大変そうね。わたしもいっしょに探すから! だいじょうぶよ?」

「え、あ。ありがとう。ええ、と。君は」

「わたし? わたしはね!」


 上体を起こすと、少女のワンピースの裾が頬をかすめた。青い空を背景に、光を集めたような銀色の髪が風に踊る。満面の笑顔は生き生きとしていて、こちらまでつられて笑みを浮かべてしまう。


「わたしは、アンナ・ベル! みんなはアンナって呼ぶわ!」

「アンナ・ベル。うん、アンナか。いい名前だ」

「ありがと! あなたのお名前も教えてくれる?」


 すぐに名乗り返そうとして、ふと頭に霧がかかる。僕の名前って、何だったっけ。


「どうしたの?」


 アンナが不思議そうに見つめてくる。澄んだその瞳を見ていると、頭にかかった霧が晴れていくのを感じた。何を悩んでいたのかさえ、すっと抜け落ちていく。


「ああ、うん。何でもないよ。えーっと僕の名前は」


 寝ぼけていたのかな。苦笑いしつつ、僕はアンナに名前を告げる。


「僕は『アラン』。――どこにでもいる、普通の錬金術師で『たびびと』さ」


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