4.君に贈る温かな食卓を(前)


 ――それでは食事の件、よろしくお願いしますね?

 言うだけ言って『葬儀屋』はふっと、姿を闇に溶けさせた。


 取り残された僕には困惑しか残らない。美味しい食事。内容が漠然としすぎているし、そもそも僕は錬金術師(見習い)であって、料理人ではないのだが。


「どうしろと?」


 あんな怪しい男の言葉など、無視してしまえばいい。それが最善で一番当たり障りのない選択肢だと思う。だが、こうして錬金鍋を前にしてしまうと、まだ何か作りたい衝動に駆られるのも事実だった。


「まあ、食事を作って持っていくだけなら、特に害はなさそうか」


 ひとまず深く考えるのを放棄した。よし、まずは何か作ろう。生きてる掃除道具の奮闘で、片づけは概ね終わりつつある。床は磨きこまれ、調理台は輝きを取り戻していた。


 これなら、マリナ夫人も満足して手を貸してくれるかもしれない。ヴェインに会えれば、必要なものを頼んでみるのもいい。ペン・ギンは……まあ、助言くらいはしてくれそうか。


「さて」


 そうと決まれば、知り合いを探しに行かなければ。調理機材はある程度揃っているが、食材のストックはゼロ。死者は食事をとらなくても困らないようだから、誰も食べ物に意識を向けないのかもしれない。


 一瞬、この状況でアンナ・ベルが食べられるものはあるのか心配になった。


 気にしていても仕方ない。僕は、改めて掃除用具たちに作業を頼み、厨房の外へと歩き出した。


 ――――

 ――


「お嬢様に食事を、ですか?」


 応接間に素っ頓狂な声が響く。骸骨紳士はカタカタとあごを揺らし、困ったように首をかしげる。


「何か問題が?」

「問題と言いますか……ふむぅ、あの。お嬢様はひどい偏食でして。冷たくて甘いものしか召し上がらないのです」

「冷たくて甘い……アイスクリームとか?」


 僕の問いに、ヴェインは腰かけていたソファから立ち上がった。そして僕の傍らに歩み寄ると、そっと耳打ちをする。


「ええ、さようです。……して、新入り殿はなぜ、お嬢様に食事を作ろうと?」

「うん、いやその。僕は錬金術師だから、何かを作ることで役に立てないかなと思って」

「なるほど、良い心がけですねぇ」


 ヴェインは顔を離し、軽く顎を撫でる。思案している様子に、僕は少し落ち着かない気分になった。


 あの『葬儀屋』のことを話すべきだっただろうか。いまさらに思ったものの、上手く言葉が出てこなかった。誰かが言うな、と命令したわけでもないのに――。


「ふむ、了解いたしました! お嬢様のためとあらば、吾輩もひと肌……はありませんが、手を貸しましょう! マリナ夫人に話を通しておきますので、彼女から必要な食材を受け取ると良いですぞ!」

「ありがとう、ヴェイン。助かる」


 ひとまず、食材のめどはついた。あとは――。


 ――――

 ――


「なに? お嬢様が好きな食べ物、だと?」


 場所は少し戻って、邸宅の食堂。窓際で腕組みしているペン・ギンは、不審そうに眉を寄せた。薄明かりの下で見るでかい鳥は、非常にダンディだ。でかい鳥なのに、なぜ。


「お嬢様が好きな食べ物は、氷菓だ。あの骸骨にも尋ねなかったのか?」

「聞きましたけど……他の情報はないかなって。好みの味とか、見た目とか」


 僕の問いに、ペン・ギンはくちばしを小さく鳴らした。まさか、冷たければ何でもいいというわけでもないだろう。無言を貫くペン・ギンを見上げていると、彼は面倒そうに首を振った。


「お嬢様は冷えた甘いものしか召し上がられない。冷たいことが重要なのか、温かい食事は断固として拒否されている」

「冷たくて甘いものしか? しょっぱいものとか苦いものとか、辛いのとかもダメ?」

「甘いものしか好まないようだ。理由はわからないが」

「ふむ」


 困った。美味しい食事というには、さすがに範囲が狭すぎやしないか。思わずうなってしまうと、ペン・ギンは大げさに肩をすくめてみせた。


「どういうつもりかは知らんが、余計なことはなるべく控えろ。お嬢様が死霊術師だということを忘れるな」


 怒らせて消されても知らんぞ。投げやりに言って、ペン・ギンは食堂から姿を消した。


 ――――

 ――


 さて、なにを作るべきか。概ね定まったように思う。

 今回の僕ことドゥセルの錬金術授業で作るのは、『色とりどり季節のソルベ』!


 え? それは錬金術で作るものなのかって? いやいや、もちろんただの料理ではございません。だからどうか扉を閉じないで! もう少し話を聞いていって!


 と、とにかく。初めに用意するものは、水、グラニュー糖、レモン汁。あとはお好みの果物をいくつか。今回用意できたのは、ブルベリーとリンゴ、そしてすももの三種類。


 まず、果物を切って、種があるものは種を取り出し、鍋に投入します。次に、同じ鍋に水とグラニュー糖を入れ、中火で五分。水に果物の色がついたらいい感じ。


 そして出来上がったものをヘラで丁寧につぶし、レモン汁を投入。滑らかになるまで攪拌したら……ここでヴェインの登場だ。


 骸骨魔術師にお願いして、ソルベのもとを冷やす。途中で周囲が凍り付く大惨事が……ま、まあいいとして。一時間ほどたったら、一回取り出してフォークでほぐしていきます。


 それからさらに待つこと一時間。固まったのを確認して、取り出すと……さあ完成!


 色とりどりのソルベが出来上がり! ……あれ、やっぱり普通の料理じゃないかって? な、なんのことかなぁ……?


 ――――

 ――


 出来上がったソルベを片手に、とある一室の扉をノックする。


 夜も深まり、周囲は静けさに包まれていた。周囲を照らすランプの明かりも心なしか、力を失っているように感じられる。


 ノックしてからしばし。待ってもうんともすんとも返らない。まさか寝ているのか。骸骨ヴェインによれば、深夜であってもアンナ・ベルは起きているとのことだったが。


 もう一度ノックする。相変わらず反応はない。トレーに載せたソルベが溶けてしまいそうだ。少し焦れてドアノブを回す。すると、何の抵抗もなく扉が開いてしまった。


「……アンナ・ベル?」


 部屋は暗い。廊下からの明かりですら、室内を完全には照らし出してくれない。木偶人形の目では、物の輪郭くらいしかわからなかった。


「いないのか? アンナ・ベル?」


 呼びかけに反応はない。不在なのかと思えば、どこからか小さな呻きが聞こえた。まさか倒れている? 傍らの棚にランプを見つけ、急いで明かりをつける。


「アンナ・ベル!」


 うず高く積まれた本の塔が、明かりの中に浮かび上がった。床も、壁も、テーブルさえも、本、ほん、本……。


 ぎっちりと詰め込まれた本の墓場のような場所。その中央に、一人分くらいのふくらみがあった。トレーをその辺に置き、慌てて駆け寄ると――果たして。


「アンナ・ベル!? どうしたんだ!」


 本をどけると、その下から真っ白い顔をした少女が現れた。銀の髪は乱れ、ドレスの肩もずり落ち、まぶたは険しく閉じられている。


「アンナ・ベル! 起きろよ!」


 ぺちぺちと軽く頬を叩く。だが、アンナ・ベルは目を開かない。口に手をかざしてみれば呼吸しているし、ただ寝ているだけなのかもしれないが。


「アンナ」


 顔を近づけ、小声で呼びかける。その、刹那。


「――アラン?」


 ふわり、と、アンナ・ベルが目を開いた。ぼんやりとした瞳は、僕をゆっくりと捉え――幸せそうな笑みを形作る。


「アラン」


 細い腕が伸び、僕の首を引き寄せる。あ、と声を上げる間もなく、僕はアンナ・ベルに抱きしめられていた。ほっそりとした体に、少し高い体温。包み込んでくる感触に、仮初の体は戸惑い動きを止めていた。


「アンナ・ベル……?」

「……。……、あ」


 げし、とか。ばし、とか。そうとしか形容できない音とともに、僕は蹴り飛ばされた。


 木偶人形の体は意外と軽いのか。勢いよく吹っ飛んだ僕は、ソルベの脇に転がった。割と痛い。結構痛いと思う。鈍い痛みに耐えながら顔をあげれば、そこには鉄壁の無表情の少女が立っていた。


「……えと?」

「何を、していたのです?」

「えと。ノックしたのに、返事がないので気になって部屋に……あ、ほら。見てよ」


 話を全力でそらす。もういろいろ手遅れのような気はしたが、僕は自信作のソルベを掲げて見せる。


 アンナ・ベルは少しの間、きらきらとしたソルベを眺めていた。しかし、興味を失ったかのように目を伏せ、一言。


「で?」

「いや、好きだろ? 冷たくて甘いもの。作って来たんだ」

「あなたが?」

「そう、僕が。アンナ・ベルは知らなかったっけ。僕は錬金術師なんだよ。まあ、見習いだけども」


 アンナ・ベルの瞳から、光が失われた気がした。余計なことを言った覚えはなかった。けれど、そのあとの変化は意外で、あまりにも唐突だった。


「よけいなこと、しないで」


 絞り出すように、言う。僕はソルベを掲げたまま、なにも返すことができない。


「私、冷たくて甘いものが好きなんじゃない」


 低い、冷え切った声で、少女は語る。



「誰もいない、誰の声もしない場所で食べるなら、何食べても同じ」

「美味しくないの」

「あなたたちは、死者。いてほしいときには、もういなくなってるもの」

「だから。せめて放っておいて」

「……お願いだから、よけいなこと、しないでよ……!」



 アンナ・ベルは奥歯を強く噛みしめる。

 僕は寂しげな少女に対し、本当に何も言うことが、できなかった。

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