「土だらけの君が愛おしい」

姉御なむなむ先生

「サラセニアな君」

 やぁ、こんにちは。君も今日此処に?

 ……そっか。君はあっちの方なんだね。俺はあの男、わかる? あの少し肌の黒くて、綺麗にしているはずなのに土臭いあの男だよ。芋っぽいだろ?


 あはは、「確かに」か。君は正直なんだね。あの男も馬鹿みたいに正直なんだ。にてるね。

 あ、いや違う! 君のほうが綺麗だよ勿論! ……冗談? 君って結構……いや、すごい子だなぁって思っただけだよ。

 褒めてる褒めてる。だからそんなに怒らないでよ。君って人懐っこいんだね。


 ……え、悲しそう? 俺が?

 そっか、君にはバレちゃったか。俺って結構ポーカーフェイス得意なんだけどなぁ。

 え? 結構わかりやすいって? えぇぇ……あいつのが移ったのかなぁ。

 笑わないでよ。酷いな子だなぁ。ふふ、ははは。


 ……ねぇ、優しい君。少し、俺の話を聞いてくれるかな? 昔の話なんだ。

 そう、俺の話。俺の、昔の話。

 ……ありがとう。やっぱり優しいなぁ。本当に、優しい子だね。


 じゃあ、早速聞いてもらえるかな。ほんとは誰かに聞いてほしかったんだ。

 もう、抱えきれなくなりそうだったから。


 そうだな。あれは、そう。こんな爽やかな日と真逆の日のことだったかな。


 ****


 湿気と土臭さの残る温室に咲く熱帯植物は、君の大好きなサラセニア。

 花言葉のように「変わり者」として俺と出会った君は、顔いっぱいに土をつけて温室で踊っていた。


 見る度に、思いす度に、苦しく甘い疼きが胸に走る。

 たった2文字の言葉を口に出せない俺は、どこまでも臆病者なんだろう。


 そんなあいつと出会ったその場所は、俺が高校の時だった。

 特にやりたいことも見つからず、そして成績がいいわけでもなかった俺は、家からほんの5分程度の近さだった農業系の学校に入学した。


 その頃の俺は本当にろくでもなく、いい加減なやつだったんだろう。

 女を取っ替え引っ介したり喧嘩なんてザラだ。タバコだって、酒だって。悪い付き合いはむしろその頃の俺にとっては良いアクセサリーだ。


 どうしようもないクズ。人間としての欠陥品。ヤンキーもどき。威張ることしか脳のないやつ。

 周りが俺に張ったレッテルは、それぐらいの最低度。まったくもってそのとおりだ。

 あの頃はそんなレッテルすらもかっこいいと思っていた。反抗期で思春期のガキだ。


 他人の貼ったレッテルでしか自分のことを見せられない。弱虫の俺。


 そんなどうしようもない俺とあいつとの出会いは、桜が舞い散るような爽やかな日なんかではなく、鉢と土が舞い散るような数奇な出会いだった。


 西村にしむら ひろ

 学校一の変人。声の大きい人。いつも変な植物育ててる。土の匂いが手から取れない人。

 微妙な評価に、何処か悪口の含まれたその男は、まさにそのとおりの男だった。

 いつも何かしらの植物の鉢を持ち、屈託のない笑顔でその植物について話すその男はキラキラしていても、やっぱり変人だ。


 鉢をきれいに俺の頭にぶつけ土をぶっかけた男は謝ってきたが、次にはすぐ植物の話をし始めた。


「この植物はですね! 食虫植物のウツボカズラっていうんですよ! 知ってます? ウツボカズラです! よくゲームとかにも出てきそうな見た目ですよね! 食虫植物と言えばこれ! って言われるほどポピュラーで――」


 こいつ、まじか。

 その頃の俺は言った通りの悪ガキクソガキで学校では悪い意味で有名だ。

 そんな俺に対して鉢と土をぶつけたどころか興味もない植物の話なんか……こいつ、まじかよ。


 普段の俺だったら目の前で興味もない植物の話をするこの男を許さなかっただろう。

 でもなぜか、よくわからないけど、目をキラキラと俺には出来ないような目をして植物の話をする目の前の男から目から放せなくなった。


 黒くて、でも光に反射すれば茶色の混ざる瞳。キラキラと木漏れ日のような柔らかくて、温かい瞳。

 ああ、綺麗だ。すごくすごく綺麗だ。


 この世界で美しいものはなんだろうと、いつか見て見たいと思っていたが、それはこんな簡単に、こんなにすぐに見られるのもなんだろうか?


「と、ああ! すみませんいきなりこんな話をして! 貴方にとってはつまらない話でしたよね。ええとええと、そう! お詫びとしてこの僕の息子とも言えるウツボカズラくんをあげます!」


 ズイッと渡されたゲームにも出てきそうな植物。重くて土の匂いのするそれ。


「え、いや別にいらない」


「え、えええ!? い、いらないんですか?」


 むしろ何故いるのだと思ったのだろうか? やっぱり変なやつ。


「で、でも僕それ以外に持ってるものがなくて……」


 ワタワタと、落ち着きのなくて動きのうるさい奴だな。

 でも瞳は綺麗で、俺は呆れながらも胸ポケットから種を取り出そうとする男を抑え、笑った。


「俺の名前、鈴木すずき いと。お前の名前は?」


 それが、なんの変哲もないおかしな出逢い。

 何千、何万、何億の、奇跡に近い俺と尋の出逢いだった。


 ****


「おーい糸ー!」


 今日も、君の声が聞こえる。不良もどきなんかを恐れることも、俺を知って嫌悪することもない純粋でまっさらな君が、今日も俺のところに来る。

 あの日から、俺と尋はよく話すようになった。農場で、廊下で。


 重ねていく日々は色鮮で、危なっかしい尋のそばに居るうちに悪友とは疎遠になり、授業にも真面目に出るようになった。

 昔の俺が見たら目を飛び出し顎を外すぐらいには驚いただろう。それぐらい、俺の生活態度は良くなったと思う。


 タバコをやめた。吸った後に尋に会うと、あのキラキラした目を細めて顔全面で臭いと言われてしまうから。

 酒を飲むのをやめた。酒臭いと尋が逃げたり、飲み過ぎたら美しい瞳に影ができるから。


 変わっていく毎日。これからをともにする新しくて、見たこともないような変人の友人。

 俺の日常は、本当に色変わった。綺麗とも言い難い、土色に混ざる緑のような日常。

 それでも俺にとっては、かけがえのない色だった。


「なぁ尋。これってなんの植物なんだ?」


 いつもどおり、熱帯植物のある温室で尋は土だらけになりながら鉢替えをしていた。

 それを眺めて俺は質問する。


「これ? これはですねぇ……」


 そう持ち上げたのは、尋の大好きな食虫植物だ。

 筒状のしたにかけて細くなる、上が紅く色づいた植物。

 尋はそれを持って嬉しそうにまた目を輝かす。俺の好きな、瞳の色に変わる。


「これは僕が一番好きな食虫植物なんだ。サラセニアっていうんだ」


「サラセニア?」


「そう。この筒のしたまで虫をおびき寄せて、溶かしていく植物。結構かわいいだろ?」


「下に何か、綿? みたいなのがあるけどこれはなんだ?」


 筒の中に詰めるように人工繊維の綿。これを入れたのはきっと尋なんだろう。


「ああ、サラセニアは虫を溶かして栄養にするけど、多すぎると駄目なんだ。多すぎると分解できずに腐って根本も腐るからこうして……綿を詰めるのさ」


「……そうか」


 綿の詰まったサラセニア。それを詰める尋の横顔は、いつもと変わらず好奇心いっぱいの目をしていた。


 綿を詰められているサラセニア。口を詰めて、出すことも、入られることもないサラセニア。


 それになぜか、目が離せなかった。


 そうして流れて流れて、俺と尋は三年に進級した。

 此処までに色々あったと思う。何よりも驚いたのは実は俺よりも尋のほうが成績が悪かったところだろうか?

 専門教科はともかく、普通教科の方では進級すらも危うい成績を堂々と見せられたときは本気で怒鳴ったなぁ。


 そんな俺を見て尋が本気の土下座を披露し、そして本気で補習などを受けて見事最終学年へと進級することが出来た。

 卒業でもないのに進級できたことで一番泣いたのは俺だ。本当に良かった。


 俺達の中は相変わらず仲の良いまま。親友と言ってもいいぐらいには仲が良かった。

 けれども、それでも、時の流れっていうのは何処までも無常で、常に平等に流れるものなんだと。

 そんなポエムじみたことを思わず思ってしまったのは、きっと、


「なぁ、糸。僕さ、好きな人ができたんだ」


「……え?」


 俺達の関係は、絶対に変わらない。2人だけのものなんだと思っていたせいなんだろう。


「好きな、人……お前が?」


「少し失礼だけど、そう、なんだぁ……。先週僕が植物園に言ったときにあった女の子で、一組の子! 話がすごく弾んじゃって、えっとそれでさ……」


「好きになったと? お前なぁ」


「わ、わわ分かってるよ! チョロいってことぐらい! けど、思っちゃったんだよ!」


 顔を赤くして俺をにらみあげる尋。見たこともない、紅く紅葉したような頬。

 驕るのも大概にすべきだった。だって、あいつと俺は親友だ。“親友”なんだ。


 そんな分かっていた。それに、こいつは変人でおかしいけど人を見る目はある、たぶん。俺は抜きとして。

 だから、好きになった子も、きっといい子だ。だってあったのは植物園なんだから。


 なのに、どうしてだろう?


「そっか、おめでとう。振られたら慰めてやるよ」


「振られる前提!?」


 苦しい。尋のそんな顔を見るのが、酷く苦しくてたまらない。

 なんで、どうして? その顔の相手が、俺の知らないやつなんだ。どうして?


 気づいたらいけないと、頭の中で警報が鳴り響く。湿気の多い温室のせいで、背中がひんやりした。


「絶対に僕は、彼女と仲良くなる!」


「おーそうかそうか。がんば〜」


「酷い棒読み!!」


 振られてしまえば良い。詰られぐちゃぐちゃに振られて、苦しめば良い。

 思ってもないことを口にし、俺はきっと結ばれることがないと、尋の思いは絶対に届かないのだと、何処か慢心していた。


「……――え」


「僕、彼女が出来たんだ! 前に話した子だよ!」


 喉が渇く。胸が痛くて苦しい。

 尋は嬉しそうに頬をほころばせ、隣りにいるしっかりとした風貌の女の子を俺に紹介する。

 何処かでほころびがあった。確信していたことが一気にひっくり返されるような気がした。


 段々と植物の話から、好きな子の話が混ざり、何処かを熱のこもった目で見つめる尋。その先にいた子は、見なくたって分かった。

 隣に立つ子を見る。尋と違ってしっかりしていて、でも尋と同じ様に植物が好き。

 お似合いだ。まるでかけたピースが合わさったようにピッタリだ。


 尋の顔が、この上なく幸せそうに緩む。隣の子だって、同じ様に緩んでいる。


 ああ、ああ、いやだ。俺の尋が、俺だけのだった尋が、知らないやつのものになる。

 分かっていた。分かっていたんだ俺の気持ちなんてとっくに。けど知らないふりをした。


 だっておかしいだろ? そんな、同性が好きなんて。付き合いたいとか。

 何度だって思い直したさ。他のやつでも行けるのだろうかと思ったけど、そうじゃなかった。


 尋じゃないと駄目だった。尋が良かったんだ。尋以外じゃ駄目だったんだ。


「そっか、おめでとう尋。お前がこんな良いこと付き合えるなんてなぁ」


 別れてしまえば良い。早く別れろ。尋の隣は、俺だけのものなんだ。


「うん。僕なんかが付き合えるなんて……! 絶対に大切にするよ!」


「そうだな。お前はすぐに植物に走るから、絶対に大事にしろよ。今生で最後のチャンスなんだから」


「まさかの今生全否定!?」


 早く早く、早く早く早く。別れろ。尋が汚れを知る前に、知ってしまう前に。

 その木漏れ日のような瞳は、俺が先に見つけたんだ。俺のなんだ。


 ジクジクと、グチュグチュと、内側が汚れて腐る。根本から、段々と。


『――ああ、サラセニアは虫を溶かして栄養にするけど、多すぎると駄目なんだ。多すぎると分解できずに腐って根本も腐るからこうして……綿を詰めるのさ』


 多すぎる、恨み。悔しさ。

 あの時の、サラセニアを見た君を、俺はなぜか思い出す。

 腐ったサラセニアは、いったいどうなるんだろうな?


「好きだ。好きなんだ、尋」


 愛してる。初めて会ったあの時から、俺は君に一目惚れした。

 好きだ、大好きだ、愛してる。何度も何度も口にしては、誰にも聞かれること無く溶けていく。

 何度も何度も、伝える気のない愛の言葉。溶けては虚しく消えて、心が痛くてたまらない。


 好きなんだ。好きで好きでたまらないんだ。だから、俺以外を見ないでくれ。幸せそうに笑わないでくれ。愛おしいものを見るような目で、別の誰かを見ないでくれ。


 すぐに別れるはずなのに、なんで、どうして? いつまで経っても尋は俺の尋にならない。

 それどころか、順調に進んでいった可愛らしいく穏やかなあの恋人たちは、大人になってもその関係を保っていた。


 もう何度季節はめぐり、俺はもういい年になった。酸いも甘いも噛み分けるような大人に。


 なのに、何度も目を瞑っては思い出す尋の瞳。キラキラと、木漏れ日の目。

 あいつは今も昔も変わらず変人で、俺との親友で、そして――。


「糸、僕、彼女と結婚するよ」


 とうとう尋は、最後まで俺の尋じゃなくなった。


 ****


「――それが、今日の新郎で俺の親友の尋に対する俺の独白。つまんなかったでしょ? ごめんね」


 男は、銀のスーツを着こなしながら遠くを見るようにその長い昔話を話し終えた。

 確かに、とてもつまらなくて、何処までも平凡な話だ。なんの面白みもない。

 そう下すような感想、隣の人物は持つことも思うこともなく首を振った。


「いいえ。……貴方は本当に、尋さんが好きだったんですね」


 なんて熱烈な愛の言葉だろうと、その人物は目を閉じて考える。

 爽やかな、木漏れ日差す春の風をベンチに座りながら、青いシルクのドレスを着た女は笑った。頬に、笑窪を作って。


「私は、そんな熱烈なカンジョウを持ったことがありません。恋っていうのも、よくわからないんです」


「君みたいな子が? 一度も?」


「はい、一度も。だから、貴方が若干羨ましい」


 そして、哀れだ。

 女の言葉に、糸はキョトンとする。そして、腹の底から笑うように声を上げた。


「そっか、俺は哀れか。ふふふ、そう、俺は哀れなんだ。こんなに思っても、俺は一度も気づかれることがなかった。報われることがなかったんだ」


「ですがそれは、何も言わず、何も行動に移さなかった貴方自身のせいでしょ?」


「アッハハハ! 君ってホント、強い子だなぁ」


 女はむっとする。褒められたような気がしない。むしろ、馬鹿にでもされたかと思うぐらいには笑われた。

 腹を抱えて、涙をこぼして、男はそのままうつむく。鼻を啜ったような音が聞こえた。


「……尋」


 女の胸が、少しだけソワソワした。何だか落ち着かなくって、ワックスで固められた髪を撫でる。

 ポンポン、ポンポンと、女の手は軽やかに男の頭を撫でた。


「……良いなぁ」


 それは、女の心からの言葉だった。

 目の先に見えるのは、心底幸せに笑う花嫁姿の親友。世界で一番綺麗で親友として大好きな子。

 私も、あんなふうに、幸せになれるのだろうか?


 女はそこまで考えて、そして泣く男の方に目を移す。


(この人も、あの子も、尋さんも、羨ましい)


「……ねぇ、糸さん。きっと、きっといい人に会えますよ。きっと。だって、世の中そういうものでしょう?」


 私は会ったことがないけど、それでもきっと、ピースのもう片方のかけらが見つかるはずだ。運命のように。


 泣いていた男は顔を上げる。涙で揺れた先に見えたのは、愛していた親友とよく似た、けど違う木漏れ日の光をともした女の姿。

 女の持つブーケは、きっと親友だからこそもらえたものなんだろう。


 だって、


「私と貴方のこの出会いも、運命と思っても良いんじゃないでしょうか? 尋さんにかなわないようなものですが、友人として会う、数奇な運命として」


 ブーケの中にあった、似合わないような食虫植物が口をパッカリと開けていた。

 見たことのある、よく知る食虫植物。


「はじめまして、糸さん。私の名前は氷室ひむろ あきら。私とお友達になってみませんか?」


 サラセニアが、いきいきとしている。

 口の中には綿はなかった。もう、入ることだって、出ることだってできるサラセニアを見て、彼はようやく心の底から笑みを浮かべた。



****


 ねぇ、ねぇ。尋。俺好きだよ、大好きだよ。

 本当は思っているのが苦しかったんだ。もう逃げたくて忘れたくてたまらなかったんだ。


 結婚だって、素直にお祝いすることが出来なかったんだ。別れてしまえなんて、今も思ってる。


 けどさ、今なら、少しは素直に祝えるような気がするんだ。

 どこか変わった変人で、優しく笑う、木漏れ日の目をしたその子に会えたから。



 おめでとう尋、サラセニアの君。

 俺は、新しく出来た友人と一緒に、幸せになってみるよ。


「――ああ、はじめまして、明」


 今日から、よろしくおねがいします。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「土だらけの君が愛おしい」 姉御なむなむ先生 @itigo15nyannko25

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画