曼珠沙華の咲く部屋

野村ロマネス子

曼珠沙華の咲く部屋

 東郷の家は鬱蒼とした森の奥に建っている。戦前にはもう建てられていたという話だから、おそらく大正時代の建築だろう。

 お屋敷が視界に入るよりもずっと手前に門がある。尖塔のように天を突こうかとそびえる門が開いても、まだしばらく走らなければ建物は見えて来ない。

 古く大きな洋館で、どこかエキゾチックなステンドグラスと、当時高価だった輸入物のタイルが散りばめられた豪奢な建物は、重く立ち込める雲のせいも相まってか、まるで森の陰に身を潜めるように静かに佇む。


 私がこの屋敷をそんな風に思うのには理由がある。

 玄関ホールで外套を脱いでいると、見覚えのある風貌の女性が黒いベール越しにこちらを見て、あら、と口を開いた。

「あらあら、もしかして靖子ちゃん? 大きくなってぇ」

「お久しぶりです、美津子伯母様」

 伯母は、腰かけていたソファから立ち上がろうとして顔を顰めた。

「駄目ね、こう歳を取ると」

 控えていた者に外套を手渡して伯母の隣に腰掛ける。

「あなたも大きくなる訳ね」

 そう言って遠い目をした伯母が何を考えているのか、私はとても正確に思い描くことができる。

 ゆるくウェーブした長い髪をお揃いのリボンで結び、ふんわりしたドレスに身を包む、フランス人形のような良く似た二人の少女。密かな笑みを含ませた口元は淡い桃色に染まっていて、いつでも内緒話が大好きで、好んでそっくりの格好をした。それはまるで合わせ鏡のようだった。

 咲子は少し勝気な性格で、対する蓉子は穏やかで優しい子供だった。けれどとても仲の良い双子で、どこへ行くにも寄り添い合っていた。偶に入れ替わって遊ぶことがあって、咲子は蓉子の、蓉子は咲子の真似をした。そんな時には親でさえ見分けがつかなくなり、顔を寄せ合ってクスクスと笑みを漏らしたものだった。


「あれから十三年も経つのね」


 ———蓉子ちゃん?


 耳に、記憶の中の声が蘇る。

 いちばん最初に異変に気づいたのは私だった。この屋敷には代々伝わる開かずの間がある。十三年前のあの時、咲子ちゃんの姿を見つけたのは正しくその「曼珠沙華の間」の前だった。

「曼珠沙華の間」は別名を「子隠しの間」といって、東郷家では子供が成年を迎えるまでは立ち入りを禁じている。おそらくは子減らしの辻褄を合わせていたのだろう。シャンデリアや調度品が配置されたその部屋には、なんでも、祖先が隠し神を祀っていた時期があるのだと言う。時代背景と相まって薄暗い印象を覚える話だ。

 扉に縋り付くように立っていた咲子ちゃんは、私が声をかけるとへなへなとその場に座り込んだ。屋敷ではちょうど七歳の誕生日パーティーが開かれていて、従姉妹の私も招かれていた。

 屋敷での華やかな雰囲気にはそぐわない、異質を告げる声だった。


「……消えちゃった……消えちゃったの……」


 それだけ溢すとあとは口を閉ざし、涙を流すばかりだった。

 あれから十三年。二人が成人を迎えるのを機に、ようやく失踪宣告を出すことを聞かされた。招かれる者達のドレスコードは喪服とされ、だからパーティーではなくて、それは葬式なのだった。


 一瞬、ホールのざわめきに空白が差し込まれた。振り返るとそこには、黒紋付に袖を通した咲子ちゃんが立っている。色白というよりは青白いほうに近い肌。濡れたように滑らかな髪は漆黒で、纏めて結い上げられている。摘むのを躊躇っているうちに熟れすぎてしまった果実のような唇だけが、ただただ紅い。

「まぁ、咲子ちゃん。綺麗になって」

「本当に。女優さん顔負けねぇ」

 ホールに群れを成した親戚が口々に彼女を褒める言葉をかける。咲子ちゃんの表情は優れない。それらは同時に、慰めにも聞こえてしまうものだ。


 式のあいだ、咲子ちゃんはくちびるを引き結び、思い詰めたような表情をしていた。凛と伸びた背筋。衣紋から覗く青白い頸。私は胸がざわざわとした。

 だから、式が終わって咲子ちゃんがそっと部屋を抜け出したこともすぐに分かった。きっとそれに気付いたのは私だけだと思う。

 板張りの廊下を滑らかに通り過ぎていく咲子ちゃんの、細い背中を後から追っていく。季節外れの台風が列島を掠めたせいで、外は風が強く、時おり窓ガラスを揺らした。

 廊下の先で咲子ちゃんがドアノブに手をかけるのが見えた。鈍く光る真鍮のドアノブに、白い手。あの部屋、つまりそこは曼殊沙華の間だった。

 咲子ちゃんは、毛足の長い絨毯を一歩、二歩と踏みしめる。ドアノブから手を離すとその姿は完全に室内に入り込んだ。そしてそのまま、ゆっくりと崩れるように座りこむ。


「…………子ちゃん」


 微かに聞こえた声は、とうとう降り出した大粒の雨が窓を叩く音に紛れて届かない。

 私はそろそろと足を動かして咲子ちゃんとの距離を詰める。口を開くよりも一瞬早く、咲子ちゃんがまた何かを呟いた。それを、ごう、と一際強く風が吹いて訪れた空白が運んでくる。



 その刹那、薄ら感じていた予感の輪郭が明瞭になる。


 ———二人はあの日、入れ替わりごっこをしていたんだ。


 咲子ちゃんの頬を伝う涙の粒を、私はただぼんやりと、見ていることしか出来なかった。



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