第18話 その記憶のはじまり

 ● 古賀 湊 (こが みなと) 編 


『何学部?』


『えっ?』


大学の構内で、迷子になっているだろう彼女に、声をかけた。振り返った彼女は、前髪パッツンの、かなり個性的な髪型をしていた。


『迷ってるかな、と思って。さっきから、3回くらい同じところ行ったり来たりしてるだろ?一年生?』


『あっ、、、いや!大丈夫ですっ!』


『あっ、、!』


その彼女は、慌ててその場を去っていった。大丈夫かな?と心配したが、その後すぐ、その彼女と会うことになった。




『湊、やっほー』


『おまえ、特等席座ってんな。』


一番後ろの窓際で、にこにこと手を振るさくらに言った。このクラスで、6年間勉強するのかーーー、ふと、一番前の席に目をやると、あの前髪パッツンの彼女が落ち着かない様子で座っていた。




(あの子、医学部だったんだーーー。)


『何、笑ってるの?気持ち悪い』


さくらが言った。


『うるさいな!あの、、一番前に座ってる子、さっき迷ってたんだよ。同じ医学部だったんだと思って。無事、たどり着けて良かった。』


『友達になってあげたら?何か、地方から出てきました、って感じだし。』


『なっ、、俺が、急に話しかけたら引くかもしれないだろ。おまえと違って、純粋そうだし。』


『やめてよ。私が純粋じゃないみたいな言い方!』


静かにしなさい!!と声がした。いつの間にか教員が来ており、自己紹介の時間になっていた。


さくらとすみません、と言って黙った。




『あ、奄美出身です!海に潜るのが好きです、、よろしくお願いします!』


前髪パッツンの、個性的な髪型をした彼女は、城間 澪と言うらしい。


『海が、好きなのか、、、』


『気が合いそうねぇ』


意味深な笑顔をたたえてさくらが言った。


『なんだよ!おまえはっ、いちいち絡むなよ!』


そこ!いいかげんにしなさい!!教員は一喝し、湊とさくらの席を離した。




数日後、授業が終わった後、澪がやっかいなのに絡まれていた。俺は、帰ろうと持ち上げたカバンを、机に置いた。ここからはよく聞こえない。親が大病院の経営者である田村には、周りも注意しづらいようだった。ちらっと見ると、田村が彼女の腕をつかんでいるのが見えた。


(あいつらーーー!!)


ガタッーー!!


たまらず立ち上がり、田村の腕をつかんで彼女から離した。すると、あの静かそうな澪が、信じられないビンタをくらわせた。


『蕁麻疹が出そう!!』


しばらく呆然とした教室内は、澪が去って少したった後、笑いが起こり、城間さん、やるー!と、澪を褒め称える声で満ちていた。


慌てて、彼女を追いかけた。ただでさえ構内で迷うのに、眼鏡が無くなって困っているんじゃないかと心配だった。なかなか見つからず、ようやく噴水に隠れるように座り込んでいる澪を見つけた。




声をかけてーーー、息をのんだ。




一目惚れとは、こういう事を言うんだと思った。噴水の側に、だいぶいたんだろう、彼女の髪は水しぶきで少し塗れており、美しい黒髪がその顔を守るように張りついていた。潤んだ黒くて大きな瞳は、強い意志と、脆さをはらんでいるようだった。


(人魚みたいだ、、、)


声をかけると安心したのか、はらはらと涙を流し、澪は泣いた。怖かっただろうーーー当然だ。笑ってほしくて、話しかける。彼女は、泣きながら笑ってくれた。




運命的な出会いだと思ったが、次の日には崩れ去った。澪には婚約者がいたのだ。


『違うんじゃない?』


『え?』


澪が、席を外した時にさくらが言った。


『そんな、絶望的な顔しなくても、あの感じだと澪ちゃんは、婚約者と何もないんじゃないかな。』


『なっ、、、!』


全て見抜かれている。そう思った。


『こっちは6年間一緒よー!奪っちゃえ!』


『そんなこと、、出来るわけないだろう!』


『あ。認めるんだ。』


(やられた・・・。)


まんまと、さくらの誘導にのせられて、素直に白状した形になった。




大学時代、何度か他の女子に告白された。でも、澪以外と付き合う事なんて考えられなくて、全て断った。誰かと一緒の時間を過ごすなら、その分、澪と少しでも一緒に居たかった。




澪は、一生懸命に勉強する子だった。図書館に行くときらきらと目を輝かせ、あっちには無い本がたくさんあるね、と何時間もそこにいた。授業で分からないことがあれば、しつこく教員を追いかけ、納得できるまで離れなかった。




澪が熱を出したとき、差し入れに行き、そこで彼女の生い立ちを知った。あんなに一生懸命に勉強する理由が、分かったような気がした。


『ごめんね、私、お願いできる人が、いなくて、、』


弱々しく、澪が言った。


『何言ってんだよ!遠慮なんてするなよ。俺達の仲だろ。熱、大丈夫なのか?』


澪は、熱で赤くなった頬で、くすりと笑い、


『うん。汗かいてきたから、もう下がると思う。湊、、彼女とか、いないの?もしいたら、怒られちゃうなぁ、こんなに湊独占しちゃって。』


『・・・そんなの、いないよ。だから、遠慮するなよ。』


『湊、、、モテるのにね、、』


言うと澪は、すやすやと寝息を立てて眠ってしまった。その寝顔を見つめていると、


『・・純』


ポツリと澪が寝言を言った。胸が痛い。今まで、何度もその名前を聞いた。


『・・まったく。怒られるのは、どっちだよ。俺だって、、お前のことが好きな、男だぞ。』


眠っている彼女の傍で、呟くように言った。




『言わないの?』


さくらに、何度も聞かれた。そのたびに、同じセリフをくり返した。


『何のことだ?』




結局、大学の6年間どころか、更に卒業して2年間、澪に思いを伝えることはできなかった。想いを伝えたら、澪と今まで通りにはいかないだろう。そう思って、何も言わず、一生懸命な彼女の近くに居たいと思ったんだ。






 ● 城間 澪 (しろま みお) 編


『あれ?湊は?』


『うん?何か、ちょっと用事みたい、、よ。』


誰よりお昼の時間(お昼ご飯)を大切にしている湊の姿が見えないので、さくらに聞くと、少し言葉を濁して言われた。そうなんだ、と言って、私は焼きそばパンをふたつ机の上に置いた。


『それなに?同じの2つ食べるの?』


『んーん、この間のお見舞いのお礼に、湊にあげようと思って。』


湊は学食の焼きそばパンが好きだった。なかなか人気の焼きそばパンは、すぐに売り切れになってしまうので、私は授業が終わってからダッシュして並んで買ってきたのだ。湊の喜ぶ顔が見たかったが、少し残念に思い、焼きそばパンをひとつ自分のバックに入れた。


『湊がいなくて・・寂しい?』


さくらが食後のコーヒーを飲みながら聞いてきた。


『そうだね。さくらと湊見てるの楽しいから。2人の会話は最高だよ。』


私は笑って答えた。なぜか、それを聞くとさくらは額に手を当て、うーん、と悩ましい声を出していた。


次の講義開始のチャイムが鳴る。湊は息を切らして、教室に入ってきた。


『ギリギリ、セーフッ!!』


『・・アウトでしょ。』


さくらにいわれた湊が前を見ると、先生がすでに黒板の前に立っており、遅れた湊を睨んでいた。


『それで?断ったの?』


『だから、断ってるよ!だけど、何か、、』


授業が終わった後、珍しく湊が小声でさくらと何か話していた。後ろからそっと近づいて、


『何、話してるの?』


『んんっ!?』


2人に話しかけると、湊は驚いたみたいで飛び上がった。


『?』


『あっ、、、澪!何でもな、』


古賀くーん!!


湊を呼ぶ声がした。入口のドアの所に、可愛らしい派手な子が立っていた。スカートが短くて、ほっそりとしたきれいな足が人目を引いた。湊が驚いて、


『なっ、、!教室には来るなって、言っただろ!』


『いいじゃん。別に。部活でも私のこと、避けてさ。彼女いないんでしょ?それならいい加減、私と付き合ってよ。』


『だから、、誰とも付き合う気はないんだよ!何度も言ってるだろ。』


湊が溜め息混じりにいった。


『湊、断ってるじゃない。諦めなさいよ。あなた、例のストーカー?』


『なっ、何ですって!?あなたこそ、湊の何なのよ!?ただの幼なじみでしょう!人の事に口出ししないでよ!』


その派手な子は、さくらに怖じ気づく様子も無く言った。


『私はずっと、古賀君が好きだったの。古賀君、、お願いっ。彼女も好きな人もいないなら、私と付き合ってみて。それでだめなら、諦めるからっ。ねっ。』


まるで神社にお祈りするように、その子は手を合わせて湊に懇願した。




そうか。湊は、お昼はこの子といたんだ。そう思うとなぜか、焼きそばパンを買いに行ったときのあのうきうきした気持ちが、暗く沈むような気がした。




『あなた・・・湊が、今何考えてるか、分かる?』


唐突に、さくらがその子に聞いた。


『は?』


『澪なら分かるでしょ。答えてあげて。』


『えっ!!?』


いきなり話をふられて、どうしたらいいのか分からない私は、困って湊を見た。湊はーーーー、その視線を私に向けた。いつもならふざけるのに、その時の湊は黙って、じっと私の目を見つめてきた。真剣なその表情に、私の顔が赤くなる。心臓がどきどきする。純に見つめられた時とは、全然違った。


思わず耐えられなくなり、目をそらして下を向き、


『お・・・』


『お?』


さくらとその子の声が被る。


『お腹!!空いたでしょうっ!、、はい!!並んだの、この間のお礼に!湊、これ好きだからっ、、』


『えっ!?』


一気にまくし立てると、湊の手に強引に焼きそばパンを握らせた。湊は、びっくりして、しばらく焼きそばパンを見た後、ははは!といつものように豪快に笑った。私があまりにも強く握りしめたので、焼きそばパンは少し潰れていたが、湊は大切そうにそれを持っていた。


『そうそうっ、、腹減った!さすが澪だな!』


湊は、笑いすぎて涙が出ていた。


派手なその子は、そんな湊に呆然としていたが、何か言おうと口を開いたとき、先に湊がきっぱりと言った。


『気の合うこいつらと、一緒にいるのが俺は楽しいんだよ。それに、自分の気持ちが無いのに誰かと付き合うとか、そういうのは考えられない。ごめん。そういう性格なんだ。だから、君の気持ちには応えられない。』


しばらく黙って立っていたが、その子は悔しそうな表情を浮かべると、何も言わず教室を去っていった。




『モテる男は、辛いわねぇ』


『そんなんじゃ、ない!』


なぜか、湊は私の方をチラチラ見て、気にしながら言った。


『これ、、争奪戦だっただろ?ありがとう。』


『ううん、ごめんね。こんなお礼しか出来なくて。潰れちゃったし・・・』


湊は笑って、


『味は変わらないだろ。澪が、そうやって俺のためにしてくれたことが、嬉しいんだよ。もったいないけど、、いただきます!』


美味しそうに、焼きそばパンを食べてくれた。そんな湊を見て、嬉しかった。温かい気持ちでいっぱいになった。


(あの子の告白を、断ってくれて良かったな)


そう思って、あれ、どうしてだろう?と考えた。きっと、私は家族がいないから、親しい人が自分から遠ざかるのが寂しいんだ、そう言い聞かせるように、心の中で自分に言った。


さくらが私達をじっと見つめ、安心したように、笑顔を浮かべていた。




私がその気持ちに気づくのは、大学を卒業してから2年も経ってからだった。その間、湊は変わらずずっと、私の傍にいて笑ってくれていた。






 ● 向峯 さくら (さきみね さくら) 編


湊とは、幼稚園から一緒だった。私の家の周りは、いわゆる高級住宅地で(自分で言うのもどうかと思うが)、そういった家庭の子供達は、私の通っていた私立の幼稚園に通うことが多かった。湊の家はたまたま転勤で近くに引っ越して来たらしく、ただ近いという理由だけでその幼稚園に入れられたようだった。




だから、湊はその幼稚園の中では異色の存在だった。皆、小学校受験を控え、習い事だ、勉強だと忙しくしている中、彼は声も大きく、やれと言われた事をしなかったり、いたずらをしたりと、一人自由気ままな感じで過ごしていた(子供なら普通はそうかもしれないけど)。最初は周りから浮いていたのだが、気づくと彼の自由奔放さに、だんだんと彼に興味を持ち、取り囲む輪は大きくなっていった。




私はというと、今までいなかったタイプの湊にあまり好感はもてず、やはり小さい頃から父親にさせられた習い事が多かったので、彼に関わることなくいつも幼稚園が終わるとすぐに帰っていた。




ある日、帰ろうとしていた時、湊が幼稚園の木に登っていた。またかと思い、通り過ぎようとすると、


『それ、、、とって!!早く!』


木の上に視線は向けたまま、湊が下を指差した。そこには虫取り網があった。


『・・・』


知らんぷりして通り過ぎようとしたとき、


『あっ!!』


『きゃぁっ!!』


何かが、耳に響くけたたましい鳴き声をあげたかと思うと、その後水のようなものが上から降ってきた。


その音が飛んでいった方を見ると、セミが空高く逃げていくのが見えた。


『なんなのよっ、、もうっ、』


『あーあ、早く網とってくれないから。かかったな、あいつのおしっこ。』


『!!!』


うそでしょ、と私は持っていたハンカチで頭をごしごしと拭いた。これからピアノのお稽古なのに。泣きそうになり、きっと湊を睨んだ。


『もうっ!!わたしこれから、』


『あっ!見て見て!!』


湊がキラキラと目を輝かせて、木からストン!と降り立つと、嬉しそうに私の手に何かを乗せた。ふと、その手を見ると、


『カナブン』


黄金色に輝くうごめくものが、私の手のひらにちょこんと乗せられていた。


背筋がぞっとした。手のひらに、ものすごい勢いで汗をかくのが分かった。嫌なのに恐怖で手を動かせない。カナブンが手のひらで動く。全身に、鳥肌が立つのが分かった。


さくらさーん!


入口で、迎えのお手伝いさんが私を呼ぶ声がする。その声で我に返り、私は手をぶんぶんと振ってカナブンを落とし、湊を睨んで言った。


『やめてよぉっ!!気持ち悪い!』


『え?』


湊は何を言われたか分からない様子で、ぽかんとしていた。そんな湊を振り返らずに、私は幼稚園の門まで逃げるように走った。その日のピアノのお稽古は、ボロボロだった。




『なぁ』


次の日、湊が話しかけてきた。私は無視した。湊は不満そうに、私の顔を覗き込んだ。その顔を睨み返した時、


『はーい!みんな、お絵かきの時間ですよ。』


先生が、席に着くように言った。


『今日は、家族の絵を描きます。今度、お家の方に見てもらいます。お出かけしたときのこととか、何か家族の思い出を描いてね。』


(またか・・・)


私はこの手のお絵かきが、嫌いだった。周りがどんどん絵を描くのに、クレヨンを握ったまま、全く画用紙を埋めることが出来ずにいた。父親は、仕事に忙しく、どこかに出かけた思い出なんてない。いつも、険しい顔で何か言う父親しか思い出せない。母親は、私が産まれてすぐに死んでしまった。何を描けばいいんだろう。他のものなら、すぐ描けるのに。


『かかないの?』


隣に座っていた湊が、不思議そうに言った。彼の画用紙もまだ、真っ白だった。


『うち、ママいないもの。死んだの。パパとは出かけたことない。』


言って、泣きそうになった。湊は、笑うでもなく、何かを言うでもなく、しばらくすると画用紙に向かい、すごい勢いで何かを書き始めた。


(いいよね、みんな)


目の前が、ぼんやりしてきた。涙が溜まってきたのだ。やだ、泣いてるところを見られたくない。必死にこらえていると、


『せんせーーっ!!できましたぁ!』


湊が勢いよく手を挙げた。


『湊君、、静かに、待ってようね。』


また君か、という表情で先生が湊に静かにするよう釘をさした。そんな先生の注意をものともせず、湊は自信満々に、


『カナブンです!!』


えっ、と周囲の視線が集まる。そこには、、、とてもカナブンとは思えない物体が、画用紙にはみ出さんとばかりに豪快に描かれていた。


えー、なにそれーと周りのみんなが笑う。僕もカブトムシをかきたい!私はちょうちょ、とそれぞれが自由な事をやり始め教室内はざわざわと騒がしくなった。でも、それまで黙って絵を描いていたときより、みんな生き生きとしていた。


先生が慌てたが、結局、収集つかないままその時間は終わった。私は、たまった涙もすっかり渇き、周りのその騒ぎを呆気にとられて見ていた。




帰りに湊が、にこにこして近付いてきた。


『なによ?』


『ほら。絵なら大丈夫だろ?やる』


さっきの力作カナブンの絵を差し出してきた。


『いらない。虫、すきじゃないもの。』


『そうかそうか。さくらは、カナブンじゃ、嫌だったか。』


だから、虫がきらいーーーと言う前に、私の左胸に湊が何かをくっつけてきた。そこには、なんとカブトムシがいた。


『いっ、、、いやっ!!!とってよぉっ!!』


『おー、こっちの方がいいかぁ!』


私達の噛み合わない会話に、何してるのー?カブトムシだぁー!と、人が集まってくる。私は誰かがそのカブトムシを取ってくれるまで、その場に固まって立ちすくんでいたようだ。記憶が無い。


覚えているのは次の日、先生に呼ばれて言われたこと。


『さくらさん、、ごめんね。辛い思いさせたね。』


『えっ?』


『昨日ね、湊君と話したんだけど、、、。さくらさんのお家、お母さんを早くに亡くしているものね。これからは先生、気をつけるね。』


申し訳なさそうに、先生が微笑んで言った。




湊は、何も考えていなさそうで、人の気持ちや心を考える事ができる子だった。それは私に限らず、みんなに平等で、彼は男女問わずに仲良くなれる子だった。


ここまでなら、湊の事を好きになってもおかしくないと思うかもしれないが、どうしても私は友達以上に思えないのだ。それは、カナブンとカブトムシの恨みもあったからかもしれない。




『いっ、いらないよ?みなとくん。』


『いいって!やるから!』


湊が、同じクラスの女の子に、今度はクワガタをくっつけようとしている。


今、彼はとにかく虫にハマっているらしい。そして、その自分が大好きな虫を、みんなにも好きになって欲しいと思っているようだった。彼に、悪気は無かったのだろう。だが、その女の子は私同様、怯えている。私は、虫取り網を持ち、湊とその子の間に立つと、


『いらないって、言ってるでしょーがっ!!』


『ああっ!!』


その網でクワガタを奪い、空に返した。クワガタは気持ちよく飛んでいった。


『ああっ、せっかくとったのに、、』


湊は、頭を抱えて座り込んだ。


私は、クワガタさん、ばいばーい!と青空に向かって手を振った。


こうして、この幼稚園時代の虫事件をきっかけに、あまりに奔放で自分の気持ちに正直な湊と、その行動をびしっと正す厳しい私という関係性が決まっていったのだ。言うなれば彼は、私の弟であり兄だ。全く恋に発展しないところ、言いたいことを遠慮なく言える関係がまた、お互いに居心地が良かったのである。


私が恋した人、、、それは、湊とは正反対の彼だった。






 ● 智也 (ともや) 編


(また、来てる。)


窓際にうちの学校の制服が2人。同じクラスの向峯さくらと、古賀湊だ。2人は幼なじみらしく、入学当初はその美男美女が仲良く話しているので、付き合っているのではと噂になった。だが、すぐ本人達が否定した。確かに、さくらがかなり口調がきつく、はっきりした性格なので、2人の会話はまるで男友達といった感じだった。でも、、少し、羨ましかった。




さくらは、お嬢様だった。実家は有名な製薬会社。しかも、かなりの美人だ。最初、さくらと仲良くなりたいクラスの男子が声をかけたが、彼女は表情ひとつ変えず、つれなかった。そんなさくらに女子達は嫉妬し、距離を置いているようだった。湊がいないときは、さくらは一人でいることが多かった。自分は気づくと、そんな彼女を目で追っていた。一人でいるのは慣れっこのようだったが、その瞳は、時々すごく寂しそうだった。僕は、そんな彼女の事が、だんだん気になるようになっていた。




『智也!オーダー出来た!運んで!』


『あっ、はい!』


湊とさくらが頼んだメニューが出来上がった。テーブルに運ぶ。


『お待たせしました。また、来てたんだね。イタリアン、好きなの?』


『あ、うんっ・・。お料理、美味しいから。』


さくらは、話しかけられびっくりしたようで、目を伏せて言った。うつむいた時、綺麗な髪が彼女の横顔にかかった。思わず、トレイを持ったまま彼女に見とれた。


『あーー!トイレに、行きたいなぁ!』


湊が突然、大きな声で言って立ち上がった。


『ばっ、、ばか!何恥ずかしいこと、大声で言ってんの!』


笑って、あっちだよ、と湊にトイレの方向を教える。湊は長くなるから!と聞いてもいないことを言い放って席を立ち、教えた方向に足早に向かっていった。


『もう!恥ずかしいやつ。』


『最近よく2人で来るけど、、やっぱり2人は、付き合ってるの?』


『ええっ!?やだ!ぜったい違う!!ありえないからっ・・!』


さくらはびっくりして目を見開き、慌てて手を左右に振り、全否定した。いつもの表情を変えない彼女とは違う、可愛いその反応に、思わず吹き出してしまった。


『そうなんだ。良かった。』


言って、はっとした。さくらも、その言葉に反応したのか、僕の顔をじっと見つめてきた。


おい!次のオーダー!


『あっ、、はい!』


またね、と言って戻ろうとする自分に、さくらは思いがけない一言を発した。


『あのっ、、あのね!バイト、、何時に終わるの?』


『・・え?』


驚いて、振り返って見た彼女は、頬を赤くし、初めて見る表情をしていた。




『お先します!!』


お疲れーー、という声を聞くか聞かないかのうちに、バイトが終わってすぐ更衣室から飛び出した。さくらが、彼女が自分を待ってる。息を切らして、海岸で待つ彼女のところに着いた。


『ふふっ、そんなに慌てなくったって・・、ちゃんと、待ってるから。』


さくらは、教室では見せないような笑顔で言った。目が合うと、恥ずかしそうにその目線を、黄昏の海に向けた。僕は、彼女の横に腰を下ろした。


こうして、さくらとよくこの海で会った。話す内容は、他愛のない事だったけど、黄昏のどこまでも続くこの海で、2人で一緒に過ごすこの時間が、僕にとって何より意味があったんだ。




大好きなさくら。君を愛する気持ちは、僕は誰にも負けないつもりだよ。


だけど、同じ時を生きることが出来ないと知った。そのことを知った時、この恋は叶わないんだと思った。だから、大切な君に何かを残せないかと考えたんだ。




君は強そうで、そうでもない。何事もはっきりと言うくせに、お父さんに似て、なかなか素直になれない所があるよね。でも僕も、君にはっきりと拒絶されるのが怖くて、自分の気持ちをきちんと伝えなかった。あやふやなまま、君の側にいた。その事は、ずっと後悔してた。




白衣がよく似合うさくら。きっとこれから君は、その手でたくさんの人を救うんだ。夢を叶えたその姿、とても綺麗で輝いていたよ。




さくら、君を残して逝ってしまって、ごめんね。ただ、君の周りにはさくらを大切に思ってくれる人が、たくさんいる。決して、一人じゃないんだ。大丈夫。君の人生と共に歩み、幸せにしてくれる人が、必ずいる。


僕は遠くから見守ってる。そして、君の幸せを、笑顔を、誰より願っているよ。




この黄昏の海に誓って、君を愛してる。



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波いとまの約束たち ぺんぺん @mixedup3_ma_coba

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