第16話 あの波間で

「ゴホッ、、!!」


沈黙を破るように、麻績先生が咳払いをした。


湊と澪は、はっと我に返り、


「すっ、、、すみません!これはっ、違うんです!そのっ、、きゃぁっ!!」


その場を取り繕おうと、澪が言葉を発したとき、湊に抱きかかえられた。ナースステーションの皆が、目を丸くしている。


「すみません!!借ります!!」


言うが早いか、澪を抱えて湊はナースステーションを出て、廊下を走り、空室になっている病室に澪を抱えたまま入り、ドアを閉めた。澪は、真っ赤になって言った。


「湊、私重たいよ?下ろして、、」


「・・・嫌だっ!!!」


湊は澪の額に、自分の額をぴったりとくっつけ、泣いていた。澪の頬も、涙が伝う。


「もう二度と!二度といなくならないでくれ!お願いだ・・!!」


「・・うん。ごめんね、、!湊っ、、ごめんっ、、」


湊は澪にキスをした。今までの空白を埋めるように、長く、深いキスだった。澪は、抱きかかえられたまま、夢中で受けた。




ピリリリリリリ


湊の胸の携帯が鳴った。外科病棟からだった。


「みなとっ、、電話っ、」


携帯に出ようとしない湊に、澪が携帯のボタンを押し、はい、と湊の耳に押し当てた。


「古賀か!?何してる!?おまえ、遅刻だぞ!!」


「・・・すみません!遅れます!!」


「はぁ?何堂々と言って、、何して」


ブツッーーーーー


湊は、迷いなく携帯を切った。


「湊っ、、!行かないと!」


「・・澪は、ここにずっと、居たことになっているのか?」


湊は涙に濡れたその瞳で、聞いた。


「私も、、、よく、分からないんだけど、、、」


澪も頬を涙で濡らした顔で、微笑んで言った。


「ずっと、海の底にいた。おばあと、お母さんと、、お父さん。戻りなさいって、言ってくれたけど、私、、もう、戻り方が分からなかったの。」


澪は、湊を見つめて話す。


「そうしたら、湊の声が聞こえた。戻っても良いのかなって嬉しかった。その後ね、、、純が、誰かを連れてきたの。」


純、という言葉を聞いて、湊が固まった。澪は、そんな湊の頬を両手で包み、続きを話した。




『僕は、長い眠りにつくよ。だから、安心していい。それと、澪と話したいっていう奴を連れてきた。僕にできるのはここまで。じゃぁ、、ね。』


『純ーー?』


見回すと、純の姿は見えなくなっていた。そのかわり、知らない人がそこにいた。優しそうな、黒髪が印象的な、男の人だった。彼は自分のことを、智也、と名乗った。




「智也が?」


湊は驚いて言った。澪は、頷いた。




『初めまして、かな?僕のこと知ってる?』


『・・・湊の家で、さくらと写真に写ってた、人?』


『正解。』


嬉しそうに智也は言うと、


『澪さん、だったね。戻る時間だ。僕ね、さくらと湊にとても助けられたんだ、最期までね。大切な、大切な2人なんだ。でも今2人は、君という存在が無くなって、僕はとても、、心配なんだ。』


悲しそうに智也は言った。


『戻ろう。僕が、戻してあげる。いい?湊を愛し抜いて。さくらの、側にいてあげて。彼女は、、そんなに、強くないんだよ。』


『あなたは、、、さくらのこと、、』


『うん。ずっとずっと、僕が愛してる人。彼女の幸せを願ってる。これからもずっとね。そして、君も一人じゃないんだよ。 さぁ!これが、僕にできる恩返しだ!行くよ!』


周りが揺れた。


自分が居なかったはずの時間が、いたことになり、その記憶で満たされていく。澪は、静かに目を閉じ、その流れに身を任せた。


湊ーーー、会いたいーーーーー。




「智也・・・!」


あの、伝言は。智也は全てその死の淵で、自分達に起こったことが分かっていたのだ。


「湊。愛してる。」


澪から、湊にきつく抱きついた。


「澪、、、」


「夜勤、頑張って。私、湊の家で、待ってるね。」


ふふっと、澪は笑い、


「掃除のしがいが、ありそうだなぁ。」


少し、意地悪そうに言った。


「・・・あっ!ちょっ、、ちょっ、、と!散らかってるかもしれないっ・・」


部屋中、散らかしっぱなしの光景を思い出して、湊が目を泳がせて言った。澪が声をたてて笑う。 




その時ーーー!


ガラッ!!!!




ドアがいきなり開き、麻績先生が恐ろしい形相で立っていた。




『麻績先生っ!!』


2人の声が重なった。さすがに、お互いに触れていたその手をぱっと離し、すみません、仕事に戻ります!と湊が言って立ち去ろうとしたとき、その腕を麻績先生がガッチリ掴んだ。


「・・・古賀君。」


「はっ、、、はいっ!」


湊は、声が裏がえっている。


「夜勤が終わったら、寄りたまえ。話がある。いいか?絶対だぞ。」


トーンを抑えているのが、かえって恐ろしい。その時、湊の携帯が再び鳴った。湊が出ると、怒号が聞こえた。湊は、すみません、すみませんと謝りながら、澪に目配せすると、外科病棟へ走っていった。




「先生っ、すみませんっ、、」


澪が頬を染めて頭を下げると、


「城間、、そこに座りなさい。」


「えっ!?」


麻績先生に、ベッドに腰掛けるよう言われた。怒られるーーーそれも、こっぴどく。覚悟を決めて、澪はうなだれながら腰を下ろした。麻績先生は、向かいのベッドに座り、何か言いたげだったが、なぜか自分の両手を組んだり戻したりし、なかなか次の言葉が出てこなかった。


「あの、、先生?」


「・・・城間は、古賀君と付き合ってるんだな?」


なぜか、確認するように、優しく言った。


「えっ?あっ、、、、はい。」


澪は、赤くなって言った。


「その、、古賀君の家にどうとか、言っていたが、一緒に住んでいるのか?」


「えっ?いやっ、そういう、訳じゃ、、」


「向こうのご両親に、挨拶はちゃんと、、済ませているんだろうな?」


「へ?いや、、私達、まだ、、、。あ、あの、?麻績先生、、?」


麻績先生が、なんだと?と言う顔をした。先生が、怒っているのだと分かった。でも、何に怒っているのかが、澪には分からない。


「結婚前の女性を家に連れ込んで・・!あいつは、ちゃんと責任をとる気なんだろうな!?」


「えっ!!麻績先生っ!?」


「分かった。城間は、帰りなさい。」


麻績先生は、病室のドアを開けて出ようとしていた。あ、あのっ、と慌てて澪が追いかけようとすると、いきなり麻績先生はドアの前で立ち止まったので、危うくぶつかりそうになった。


「城間は・・・、古賀君が、好きなんだな?」


澪は、耳まで真っ赤になり、聞き取れないような声で、はい、と麻績先生の背中に向かって答えた。




帰りにナースステーションに寄り、すみませんでした、と澪は頭を下げ、恥ずかしさに誰とも顔を合わせずに立ち去ろうとした。すると、篠川看護師が、


「先生ーっ、私、何か感動しちゃいました!韓国ドラマみたいでっ!」


うるうるとした瞳で、とどめの一言を言い放った。


「篠川さん・・・」


澪が泣きそうになって言うと、


「麻績先生にも。先生、まるで娘を取られた父親みたいでしたよ。なかなか戻って来ない2人に、いてもたってもいられなくなって、追いかけちゃったですもんね。ペンも拾わずに。」


ほら、と麻績先生が大切に使っているペンをつまみあげて言った。


「え、、?」


『向こうのご両親には、挨拶は済ませているんだろうな?』


麻績先生の言葉が蘇る。


(あれは・・・心配してくれて・・)


澪の胸に、温かいものが広がった。


「麻績先生、早くに奥様を亡くされて。子どももいなくて、、」


「えっ?そうなんですか?」


「そうですよ。でも、患者さんには優しいのに、スタッフにはあんな感じじゃないてすか。だから、なかなか研修医もつかなかったんですけど、城間先生が入られて、一生懸命についてきて、だから、すごく可愛がってましたもんね。」


「そうだったんですか・・・」


麻績先生は、いつも厳しかった。でも、いつも自分を導いてくれる言葉をかけてくれたことを、思い出した。




翌日、夜勤を終えた湊の元へ、麻績先生がやってきた。正しくは、外科の休憩室で腕を組み待ち構えていたのだ。


湊は、ドアを開けたら腕組をした麻績先生が待ち構えていたので、夜勤の疲れもどこかへ吹き飛び、慌てて先生の前に立った。さくらがにやにやしながら、聞き耳を立てている。


「すみません!自分から行こうかと思って・・・」


「城間を、どう思ってる?」


「えっ?」


てっきり、昨日の一件を厳重に注意されるかと思っていた湊は、意外な一言に驚き、少し間が開いた。


「答えられないのか?」


「いや、、えっと、、彼女は、俺の大切な人です。」


麻績先生の目をしっかり見て、湊は言った。


「俺は、彼女の事がずっと好きでした。それは、これから先も変わりません。あの、、ちょっと事情があって、昨日は本当にすみませんでした、、。」


湊が頭を下げた。


「じゃぁ、結婚を考えている、という事だな?まだ、ご両親に紹介もしていないようだが・・・、おまえはちゃんと、城間と付き合っている責任を取るんだな?」


麻績先生は、その鋭い目線を湊に向けた。


「もちろんです!!澪が、いいのなら、俺は今すぐにだって、、!」


言って、湊は真っ赤になった。


と、そんな湊を見て、麻績先生は満足そうに頷き、珍しく微笑んで言った。


「そうか。なら、安心だ。あいつは、両親がいない。祖母を亡くして、家族もいないんだ。温かい家庭を作ってやってくれよ。そうそう、君のご両親には、早めに挨拶を済ませておくように。」


ぽん、湊の肩に手を置くと、時間をとらせてすまなかった、夜勤お疲れさま、と言い、麻績先生は小児病棟へと向かっていった。




「麻績先生は、、澪の父親なの?」


さくらが目を丸くして言った。


「何か、、、まるで、そうみたいだな。いい人だ。」


湊が、麻績先生の後ろ姿を見送って言った。


「それにしても、あんた、聞いたわよ。小児病棟でのラブシーン。子供達の前で、大胆ねぇ。」


「なっ、、!!何で、知ってる!?」


あははとさくらは笑い、


「早く帰ってあげなさいよ、旦那様。もうあんたたちは病院中で有名だから、早く籍入れた方が良いと思うけど。」


湊は、耳まで真っ赤になり、何も言い返せずに、帰り支度を始めた。


さぁて!とさくらは朝の申し送りの為、休憩室を出て行った。




「おかえりなさい!」


澪が、満面の笑顔で出迎える。その手には、ゴミ袋が握られていた。


「ただいま!、、うお!めちゃくちゃ、きれいになってる!!」


「ふふっ。だいぶ、溜め込んでたねぇ。」


澪は、掃除機かけちゃうから、先にお風呂入っておいでよ、と湊に言った。


お風呂から湊が上がると、一段落ついたのか、澪がコーヒーを飲んでいた。


「さくらに言われてね、駅前のスタバで買ってきたんだ。」


それは、さくらが大好きなスコーンだった。こうばしい香りが、ふんわりと香った。温め直す?と聞く澪を、湊は後ろから抱きしめた。


「あの、、、あのさ。もう、こんなに、部屋汚さないから・・・」


「うん?」


くすくすと、澪が笑った。


「だから、、、俺と、結婚してくれないか?」


澪が、息を飲むのが分かった。考えているのか、一向に返事がない。不安になって、湊は澪の顔が見えるように向き直ると、澪は湊の胸に顔をうずめてきた。泣いていた。


「うん。私で、、いいのかな?」


湊は、澪の頬をその手でなぞり、


「澪がいい。幸せに、するから。愛してる。」


優しくキスをした。






それから、半年後の大安のある日ーーーーーーーー




「麻績先生、、泣いてるんですか?」


篠川看護師からの指摘に、泣いとらん!と鼻をすすりながら、麻績先生はそっぽを見て答えた。




今日は、澪と湊の結婚式だった。純白のドレスに身を包み、美しい澪と、緊張してタキシードを着た湊が、神父さんの前に立っている。


『誓います』


2人は誓いの言葉を交わし、湊がベールを上げ、澪にキスをした。


おめでとう!周囲から喜びと祝福の言葉が二人に向けられる。幸せそうに、澪は、微笑み、ブーケ・トスの番になった。澪は、一度定位置に立ったものの、何を思ったかくるりと向きを変え、すたすたとどこかへ向かって歩くと、


「さくらーー!!!」


さくらに向けて、一直線にブーケを投げた。ブーケはきれいな弧を描き、さくらは慌てて、自分に飛んできたブーケをしっかりと受け取った。


「澪っ、、!」


「大好きなさくらにあげるって、決めてたの!!」


澪は、笑顔で叫んだ。 


「澪、、、」


さくらのその瞳は、涙で美しく濡れていた。どこかで、智也が笑ったような気がした。

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