第15話 『浜下り』
「おや?おでかけかな?」
隣の部屋に住む、おじいさんが湊に聞いてきた。湊は、スーツケースをドアから引っ張り出したところだった。
「あっ、おはようございます。ちょっと、出かける予定があって、、」
最後の方は、言葉を濁して言った。自分でも、出かける理由がはっきりとはしていなかったからだ。
「・・・散歩ですか?」
おじいさんは、腰にラジオをつけ、左手におばあさんのあの杖を握っていた。ラジオからは朝に相応しい、爽やかで明るい声が聞こえる。
「ああ。妻とね。」
おじいさんは、杖を見えるように持ち上げ、にっこりと微笑んで言った。
「いいですね。きっと、、奥さんも喜んでると思います。」
湊も笑って言った。ところで、とおじいさんが言った。
「湊君こそ、奥さんと出かけないのかい?最近、見ないねぇ。」
湊は、息をのんだ。
やっぱり、自分には大切な人がいた・・!
「名前、、なんて言ったかな?最近、物覚えが悪くて、、すまないね、今度会うときまでに、思い出しておくよ。」
気をつけて行っておいでと、おじいさんは手を振って、朝の散歩へと出かけていった。
数字間後、湊は沖縄へ向かう飛行機に乗っていた。その日は、智也の四十九日が終わったすぐ後だった。
さくらは、智也が亡くなった後しばらく出勤出来ずにいたが、四十九日を終えた後、医局に普段通りにその姿を現した。
『さくら、、もういいのか?』
心配する湊に、さくらは、
『随分、長く休んじゃった。私らしくないね。私、、この仕事が好き。白衣が似合うって、智も言ってくれたもの。また、頑張ろうと思うの。』
父も、応援してくれてるし、と嬉しそうにさくらは言った。
『さくら、やりたいことを、思いっきりやりなさい。医者として、たくさんの人を救いなさい。周りの者には、文句は言わせない。なに、若い人材は確実に育っている。これからの時代、血縁者でこの会社を繋ぐより、優秀な者をトップに立てた方が、会社と世の中の為だ。』
そう、父親に言われたと。
さくらと父親は智也をきっかけに、親子の絆を深めたようだった。
(智也、君のおかげで、さくらは救われているよ。君は、さくらを一人にしなかったんだ。すごい男だよ、君は。)
湊は、微笑んで、そうか、とさくらに言った。
『そうそう、湊。ごめん、伝えるのが遅くなっちゃったんだけど、、智からの伝言。』
『え?』
『探しものは、もうすぐ見つかるよ、心配しないで、って。』
『・・どういう意味だ?』
うーん、とさくらは言い、自分もよくわからない、と言った。
『ただ、それを聞いたとき、何だか妙にホッとしたのよね、、どうしてかしら?』
沖縄空港に降り立ち、その売店で、湊は飲み物を買った。その時、ポスターが目に入った。
旧節句の、浜下りーーー。
(浜下り?)
早くなる鼓動。
湊は、バスの待ち時間の間に、携帯で沖縄の浜下りについて調べた。
『浜下りーーー、
琉球王朝時代、一人の美しい娘の元に、毎晩一人の青年が訪れるようになりました。あまりにも熱心な青年に、娘も心を通わせるようになりましたが、青年に身元を尋ねても、彼は一向に答えてはくれません。そしてとうとう、娘は彼の子どもを身ごもりました。
その事に母親が気づき、娘を問いただすも、娘はただ泣くばかり。
青年の正体を突き止めるため、母親は今宵、青年の襟元に長い糸を通した針を刺すようにいいます。そうすれば、糸をたどって青年の身元がわかると思ったのです。
娘は母親に言われた通りに青年の襟元に針を刺しました。そして、娘と母親は糸を辿って行き、洞穴に辿り着きます。そこには大蛇、「アカマター」が、不気味ないびきをかきながら眠っていたのです。』
(蛇、、、?)
小児病棟に、貼ったあの絵。以前、あの絵に細長い何かが、描かれていなかっただろうか?
『青年の正体を知った母は、娘を連れユタの元へ駆け込み、相談します。ユタは、「旧暦三月三日の節句に浜に下りなさい」と言いました。「浜に下りたら砂を踏んで、それから潮水に浸かり、穢れを落としなさい。」
母娘は次の旧暦三月三日が来ると、浜に下り、砂を踏んで潮水に娘の体を浸しました。娘が腰まで浸かっていくと、娘からアカマターの子どもが流れ落ちたのです。
現代では、女の子の健康を祈るお祝いとして、浜辺で同じように砂浜を踏み、海に体を浸けるという行事として、浜下りは残されています。』
湊の、携帯を持つ手が震えていた。
(海、、そうだ・・・!)
到着したバスに乗り込み、湊はあの浜辺に向かった。
波は、穏やかな表情で静かにその音を響かせている。
「俺は、、、俺は、何を忘れてる!?教えてくれ・・・!!」
海は応えない。湊は、夕陽が沈むまで、その浜辺にいた。しかし、探しているものは何一つ見つからなかった。
ホテルにチェックインをしたとき、ロビーに人だかりが出来ていた。のぞき込むと、小さな男の子が、ぐったりとしている。その左手は、有り得ない方向に曲がっていた。
(骨折、、!)
「ちょっと、見せてもらえますか?」
湊は人混みをかき分け、男の子に近づいた。解放骨折だ、出血がひどい。
「お医者さんですか!?」
男の子の母親らしき女性が、すがるような声で言った。
「車と壁の間に挟まれてっ、、助けて下さいっ、、!!」
「救急車は、呼んでますか?」
湊はなるべく落ち着いた声で言った。男の子は、左腕以外には傷はないようだった。
「は、はいっ、、でも、ここは到着が遅くて、、」
男の子は今にも意識を失いそうだった。
(まずいーーー)
「何か腕を支えられるような、板のようなものを!あと、バスタオル!これ、借ります!」
湊は、母親の持っていたタオルで、男の子の左腕を肩口からきつく縛った。脈が、弱くなっている。男の子を床に寝かせ、血圧が下がらないよう、足の下にバスタオルを入れ足を挙上した。誰かが持ってきてくれた板に、左腕をそっと乗せ、固定する。
その時、男の子の呼吸が止まった。脈も触れない。
湊は、心臓マッサージを開始し、叫んだ。
「AEDを!!早く!救急車にも、もう一度連絡を!」
ホテルのスタッフが慌ててAEDを探しに行った。
(戻ってこい!頼むーー)
母親が涙を流し、発狂したように男の子の名前を叫んでいる。
湊は心臓マッサージと人工呼吸を繰り返し、ホテルスタッフに指示し、AEDの電極パッドを男の子の胸に貼るよう指示した。
「解析しますーーー。」
AEDの機械的な声が言った。ショックが必要か判断するその時間が、永遠のように感じた。
「ショックは不要です。胸骨圧迫を続けてください。」
「くそっ!」
湊は、すぐに心臓マッサージを再開した。その時、サイレンの音が聞こえた。救急隊がストレッチャーを引いてホテルに入ってくる。
「心肺停止、挿管を!出血も多い、輸血が必要だ!小児を診れる基幹病院に連絡してくれ!左前腕の解放骨折だ!」
状態を把握した救急隊が、手際よくその場で男の子に挿管を行った。
「心拍、戻りました!」
「よし、、!すぐルート確保を!」
震える母親を支えながら、湊は救急車に乗り込んだ。
湊のおかげで、男の子はなんとか意識を取り戻し、左腕の手術も無事に終わった。母親は何度も何度も頭を下げ、落ち着いたらきちんとお礼に伺いますからと、湊の連絡先を聞きたがったが、湊は断った。
「自分は、沖縄の人間じゃないんです。すぐ、東京に戻るので、、それに、医者として当然のことをしたまでです。本当に、良かった。」
ありがとうございます、という母親の言葉を背に、湊はホテルにタクシーで戻った。
湊がホテルに戻ると、スタッフが総出で拍手で出迎えた。
「や、やめてください!皆さん、色々、協力ありがとうございました。」
湊は、恥ずかしそうに言った。
「いやぁ、、本当に、どうなることかと思いましたが、古賀様、お疲れ様でした!ここは病院が少なくて、、」
いやいや、と言い、湊が部屋に向かおうとしたとき、一人のスタッフの声が脳に響いた。
「濱之下診療所の、大先生を思い出したよ、先生も素晴らしい医者だったなぁ。」
(濱之下診療所ーーーー!!)
「あっ、あの!!その診療所はどこですか!?」
話しかけられたスタッフはびっくりし、
「あ、、えと、県の最北端に、ありました。今は大先生が亡くなったので、廃墟になってしまっているそうですが、、あの、何か?」
廃墟、、、あの、木々を抜けた診療所に、彼女は座っていた。涙を流し、こちらを振り返らなかった。すぐそばにいたのに、彼女を掴まえることが出来なかった・・!
それと、あいつは・・・!!
『試してみようか。』
俺の大切なものを奪った・・!!
『おまえと俺自身を』
湊は、すみません、出かけてきます!とスタッフに言うと、玄関前のタクシーに乗り込み、最北端のあの場所に向かった。
日は完全に沈み、人工の光の無いその場所で、タクシーの運転手に、大丈夫ですか?と心配されながら、湊は車を降りた。月明かりと、携帯の光を頼りに、ゆっくりとその場所に踏みいっていった。以前より、木々が生い茂っている気がする。
ああ、ここで、俺は・・・彼女とあいつの過去を、知ったんだ・・・。
ふっと、突然、何かを越えた気がした。
そこは、木々が生い茂った廃墟ではなかった。
以前と同じ、あの診療所。
あいつが、、、純が、いた。
「驚いたな、思い出すなんて。」
表情を変えずに、純は言った。
「返してくれ!!彼女の人生は、彼女のものだ!誰にもそれを、奪う権利なんてないっ!」
湊は純に詰め寄った。だが、近づいたはずなのにその距離は、全く変わっていなかった。
純が言った。
「君はひとつだけ、勘違いしてる。」
彼は、薄く微笑み、
「僕は彼女を愛してた。ちゃんと、愛してたんだ。笑っちゃうよね、僕がただ一人の、しかも人間に心奪われるなんて。」
「愛しているなら、、、本当に愛しているのならっ、、!彼女を、自由にしてやってくれ!」
純は、ふっと息を吐き、遠い目をしながら、
「彼女は、自分から海となったんだよ。取り戻そうとしたけど・・・全て、跳ね除けられた。これは、ユタである彼女の意志だ。だから、僕がどうこうできる訳ではないんだ。」
湊は、愕然としている。
「最後まで、自分の手には入らなかった。僕は、彼女に負けたよ。いや、代々のユタに負けたのか。僕は少し、眠ることにした。周囲の神々も怒らせてしまったしね。君達が、生きている時代の間は、目を覚まさないから。」
絶望する湊の視界が揺れて、あの浜下りの海に戻された。
波の音しかしない。
湊は叫んでいた。君が大切だと、側にいて欲しい、そのままの君を、君の全てを愛しているんだと。
ゆっくりと時間は流れ、東京では見られない満天の星空となった。この世に一人しかいないと思わせるような静寂。
湊はそのまま、夜が空けるまで海にいた。海は何も応えなかった。
そして、愛しい彼女の名前もまだ、夜が明けても思い出せずにいたーーーー。
「大丈夫ー?」
地元の子どもに、声をかけられた。朝日はとうに登っており、浜辺はその光を反射し、熱くなってきていた。楽しそうに、子どもたちはその海へ足を浸けている。
湊は、無言で立ち上がった。
「何度でも、、何度でも、迎えに来るからっ・・!!」
そう、海に向かって言い残し、沖縄を後にした。
羽田空港に着いた後、どうやって家まで帰ってきたのか、湊はよく覚えていなかった。重たい身体を引きずるように、自宅のドアを開けた。何もする気になれず、そのままベッドへ突っ伏し、彼女を思い出す。顔を枕で覆った湊から嗚咽が聞こえた。
その日は夜勤だった。
全く疲れのとれていないその身体をベッドから起こし、仕事の準備をした。
車に乗り込もうとした時、隣のおじいさんに会った。手には、買い物袋を下げており、仏壇に備える為か、花が袋から綺麗なその色を覗かせていた。
「顔色が悪いようだが、、大丈夫かい?」
おじいさんは、心配そうに湊に言った。
大丈夫です、と湊は無理に笑顔を作り、会釈して車に乗り込もうとした。
「そういえば、澪さん、は元気かな?」
時が止まった。
ーーーー澪。
そうだ、、、そうだ!!澪!!
澪!!!
湊は、崩れ落ち、澪の名前を叫びながら、慟哭していた。
澪の記憶が、その名前とともに鮮明に蘇る。
彼女のあの笑った顔。よく隣で眠ったその寝顔。自分を呼ぶ声。
さくらと3人で笑いあった日々。
初めて想いが通い合った、あの日。
あまりのことに、おじいさんは驚き、どうしていいか分からず、心配そうに湊を覗き込んだ。
(澪は、絶対に生きている!こうして、記憶に残っているじゃないか・・・!
諦めない!諦めるなんて、絶対に出来ないっ!!)
どれくらい、時間が経っただろうか。湊は少し落ち着きを取り戻し、大丈夫です、とおじいさんに言うと、本当に、ありがとうございます、とお礼を言って、車のエンジンをかけた。
お礼を言われたおじいさんは、理由が分からず不思議そうな顔をして湊の車を見送った。
湊は、病院に着くまで、溢れる涙を止めることはできなかった。
出勤時、タイムカードを押し、考える。
次は、いつ沖縄に行こうかーーー。
澪を取り戻すまで、何度でも何度でも、あの海に行こう。
湊は心に誓い、そう思った。
ふと、打刻履歴に目が止まる。
7時36分 城間 澪 出勤
全身が震えた。見間違いではないかと、もう一度確認する。確かに、その名前はあった。
その視線を、澪のタイムカードがあったその場所に向けた。震える指で、そのタイムカードの文字をなぞる。
『医師 城間 澪 小児病棟勤務』
そのカードは、いつも通りそこにあった。慌てて、カードを抜き取る。そこには、、、ずっと、きちんと出勤し、打刻されている記録があった。
湊はカードを握りしめ、小児病棟へ走った。
小児病棟のナースステーションにもの凄い勢いで駆けつけ、荒い呼吸の湊に、夜勤帯への申し送りが終わったのだろう、麻績先生と、篠川看護師と数名しか残っていないスタッフは、どうしたんですか?とかなり驚いて言った。
そこに、彼女はいた。廊下に背を向けて、パソコンを見ている。
澪だ。愛おしい彼女がいる。
湊に気づいたのだろう、澪の肩が小さく震えているのが分かった。
湊は、ナースステーションのドアを音を立てて開け、そのあたりにあったいくつかの書類をひっかけ、落としながらも澪に近づき、後ろから彼女をきつく抱きしめた。湊は嗚咽を上げて泣いているので、言葉が出ない。震える澪を、離すものかと力を込めて抱きしめた。
周りは驚き、誰一人動こうとしない。篠川看護師は、口元を抑えて真っ赤になりながらもしっかりと湊と澪を見ていた。麻績先生は、あまりの出来事に口を半分開け、持っていたそのペンを床に落とし、動けずにいる。
「澪っ、、、おかえりっ、」
震える声で湊が言う。
涙を流しながら、ただいま、と小さく澪は言い、自分を抱きしめる湊の手を握った。
掲示板には、美奈ちゃんの書いた澪が笑っていた。その背後にはもう、細長い何かは描かれておらず、綺麗な青空が描かれていた。
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