第12話 そして沖縄へ
澪の処置が終わった後、さくらはナースステーションで2人の抗生剤の処方をしていた。
その時、、、視線を感じた。
振り返るが、誰もいない。
(やだ、何かしら、、)
でも、確かに感じたのだ。自分をじっと見つめる視線を。
(まったく、あの2人のせいで残業だから、変なこと感じるんだわ。まぁ、、元の2人に戻って、良かったけどね。)
さくらは微笑むと、ノートパソコンをスリープモードにし、お先に、と夜勤帯のスタッフに声をかけナースステーションを出た。
さくらがさっき振り返った廊下の端では、壁にもたれかかるように、点滴に繋がれた人物がいた。
自宅から、夜景を一人眺めながら、さくらは思った。智也の婚約はきっと、順調に進んでいるんだろう、、自分の気持ちを、深い海に沈められたらいいのに。
ふと、澪と湊を思った。明日、沖縄に発つと言っていた。あの2人は過去を乗り越えようとしている。
頑張ってーーー、澪、私はここで2人を待ってるから。
さくらは東京の空に、祈るようにそう願った。
翌日、澪と湊が沖縄に発ったその日、さくらは2件手術の助手を務め、休憩室にいた。さすがに、少し疲労を感じ、目を閉じて机に頬杖をついていた。
ドアをノックする音がする。
「あの、、向峯先生?」
一人の看護師が、さくらを呼んだ。
「どうしたの?」
術後の容態変化か何かだと思い、急いで白衣を着て腰をあげると、
「ご家族が、いらっしゃってます。」
「え?」
「お父さんですか?向峯先生を呼ぶように、頼まれて・・・」
怪訝な顔でさくらはナースステーションに向かった。そこに、父親がいた。まさか、こんな所にまで言いにきたのか。顔合わせに出席しなかったことを。どうせ、この父親は娘の私の気持ちなんて、いつも知ろうともしない。さくらは父親が口を開くより先に、言った。
「職場にまで顔を出すなんて。忙しいって言っているじゃない。智の結婚は、そっちで進めてよ。私一人出なくたって問題ないでしょ。」
「さくら、、聞いてくれ。」
父親は深刻な表情で辛そうに目を伏せ、静かに長い溜め息をついたあと、言った。
「血液内科に、智也が入院している。検査入院だったが、、、結果は、カルテを見てくれ。しばらく、入院することになる。」
「は?何言ってんの?検査って、、」
そこまで言って、さくらを恐ろしい考えが襲った。血液内科・・!!
さくらは震える手で、パソコンのキーボードを叩いた。うまく文字が入力出来ない。さきみね、ともや、とやっと入力し、エンターキーを押すと、見たくないものが目に飛び込んできた。
血液内科203号室、病名・急性リンパ性白血病再発ーーーー。
「よろしく、、頼む。智也が、さくらのところに入院したいと、そう言ったんだ。」
父親は消え入りそうな声でそう言うと、何か言いたげだったが、忙しいところ悪かった、また来るとだけ言ってその場を去っていった。
さくらは震える手でカルテを遡った。一週間以上、前に入院している。最初は倦怠感と、鼻出血が止まらず、疲れからくるものではないかと検査も兼ねて入院。しかし、血液検査の結果はリンパ球数が多く、未分化な細胞が多数見つかった。余命は何とも言えないが、治療しないのなら数ヶ月ーーー。本人には告知してあり、助からないのなら、積極的治療は望まない、、と。
「何っ、、、何、言ってるのっ!?」
いつもの冷静なさくらの、あまりの剣幕にナースステーション中のスタッフが驚いてその手を止めている。
さくらは、ナースステーションを出ると、血液内科に向かって走った。
203号室に、向峯 智也と表記があった。
(・・・うそよ!!信じない!)
さくらは祈るような気持ちで、震えるその手でドアを開けた。
そこにはーーーー
ベッドを少し起こし、点滴をしながら何か読んでいる智也が、いた。
急にドアが開いたので、驚いた表情でこちらを見た。そこにいるのがさくらだと気づき、じっと見つめた後、
「ばれちゃったね、、さくら、白衣よく似合ってる。素敵だよ。」
あの葛西の海でツーショットを撮ったときのように、優しい穏やかな笑顔で微笑んだ。
さくらは、智也のベッドに近づき、大粒の涙を流しながら、
「嘘よ・・嘘!私が、絶対に助ける!こんなこと・・・こんなことっ、、」
「さくら」
智也は点滴をしていない右手で、さくらの手を握った。その手は温かかったが、以前より痩せたようだった。
たまらず、さくらは立っていることができず、ベッドサイドに泣き崩れた。
「バチが当たったんだよ。」
智也は言った。
「自分に嘘をつきながら生きようとした、バチが。」
「何を言ってるの・・!?智は何も悪いことしてない!」
智也はさくらの目を見つめた。その瞳にはしっかりとした彼の意志が、宿っているようだった。
「大切な君を泣かせた。きちんと、好きだと言わなかった。君が毎日恋しくて、愛しくて、仕方がなかったんだ。」
「智っ・・」
「でも、やっとね。解放されたんだよ。社長には、母さんをお願いしますって伝えた。それと申し訳ないけど、、」
智也は右手でさくらの髪に触れて言った。
「ずっと、さくらが好きだった、さくらだけを愛してる。残りの人生は自分に嘘をつかず、彼女を愛したいから、この気持ちをどうか許して下さいって。」
「・・ともっ」
高校を卒業してから、智也がまとっていた空気が、彼の周りから無くなっていることに気づいた。彼も、望んでこの立場になったのではない、周りの事を考え、向峯家にふさわしい人間になろうと努力し、緊張感をいつも漂わせていたのだと、ようやくさくらは分かったような気がした。
(私は、いつもいつも遅すぎる。いつも・・)
涙が止まらない。普段は、患者の前では涙なんて見せないように、しているのに。
智也の前では、彼のことが好きなただのさくらに戻っていた。
「そんなに泣かれると、俺は泣く暇ないなぁ」
ははっ、と智也は笑い、実はね、といった。
「何度か、外科病棟まで散歩に行ったんだ。担当の看護師さんには室内安静ですって、こっぴどく叱られちゃったけど。さくらを、見たよ。仕事をしているさくらに、惚れ直した。」
さくらは涙を拭い、智也に抱きつく形で彼を抱きしめた。
「智、、、智也っ、、」
「さくら。愛してる。君をずっと、愛してたんだ。」
さくらを抱きしめ、ああ幸せだな、と智也が微笑んで呟いた。さくらはずっと、逃げられない現実に恐怖と苦しさで胸が締めつけられ、涙を止めることができなかった。
「おお!暑いな!」
「うん、思った以上に・・暑いね。湊、額縫ってるから、あんまり汗かかない方がいいよ。」
私は心配して、自分の帽子を湊にかざした。私達は沖縄本島にいた。最初に、おばあのお墓参りをということになったのだ。湊は満身創痍だったが、絶対についていくと言い私についてきてくれた。
レンタカーを借り、おばあのお墓へと向かった。沖縄は変わらなかった。変わらない海と空の青と輝く太陽、おばあのお墓も変わらず、そこにあった。
「はっ、、はじめまして!澪さんとお付き合いしてる、古賀 湊といいます!」
湊はおばあのお墓に向かって、仰々しくお辞儀して、あいさつし始めた。私は笑い、
「おばあも喜んでるよ。湊、ありがとね。」
「そうかな!?そうなら良かった!」
ほっとした表情で湊は胸をなで下ろした。
「城間・・か?」
ふいに呼ばれ、声のした方を見ると、お墓の掃除をしようとしたのか、バケツに柄杓を持ち、頭にタオルを巻いた初老の男性が立っていた。どこかで見たことがある・・・。
「比嘉先生!?」
それは、私の高校時代の先生だった。
「おおー、やっぱり城間か!久しぶりだな!おばあの墓参りに来たのか?」
比嘉先生はニコニコし、隣の湊に気づいて、
「旦那さんかい?」
「はい!未来の旦那です!」
「湊っ、、」
湊は堂々と言い放ち、私は赤くなった。
「そうか、そうか。おばあも、喜んでるだろうなぁ。」
そういうと、比嘉先生はおばあのお墓にお酒を供えてくれた。
「ありがとうございます。先生、奄美からここに異動になったんですか?」
「うん?いや、ずっと沖縄本島だが。」
何を言ってるんだ、という顔で比嘉先生は、
「城間もずっと小さい頃からおばあと沖縄だろうが。奄美生まれの、沖縄育ち。忘れちまったか?」
はははと先生は笑ったが、私と湊は笑ってなかった。悪寒がした。
「先生、、、あの、濱乃下診療所の大先生、、」
ああ、と比嘉先生は遠い目をし、
「城間が東京に行って、すぐだったかな?亡くなったよ。建物は、まだ残ってるかもしれないがね。こんなに立派になった城間、見せてやりたかったなぁ。」
亡くなったーー?二年前、私が診療所で純と会ったとき、もう大先生はいなかったことになる。純は、、、嘘をついたのだろうか。なぜ? それとーーー、
「濱乃下診療所って・・・ここに、沖縄にありますか?」
「そうだ。県北にあるだろう。最北端だ。城間もよくお世話になったって言ってただろう。」
湊が、はっとした顔をした。外科の休憩室で、湊が以前言ったこと。
『その、奄美の彼の診療所は、どこになるんだ?』
あの時、いくら携帯で探しても見つからなかった。当然だ。濱乃下診療所は奄美大島ではなく、ここ沖縄にあったのだ。
「比嘉先生」
私は、震える声であの名前を聞いた。湊が私の肩を両手で支えている。
「新里 純、って知ってますか?」
「んん?新里、純?どうかな、新里はここに多い名字だけどな、、うーん、、知らないなぁ。」
「両親が・・・海外に行ってるからって、一人でいる男の子いなかったですか?」
私の様子がおかしい事に気づき、大丈夫か?と比嘉先生が心配そうに言った。
「ここらには、城間がいた小中学校しかないから、探している人がいるなら、行ってみるといい。」
私はこの近くに住んでいるからと、何か困ったことがあったら訪ねてきなさいと比嘉先生は優しくそう言って、自分の家場所を教えてくれた。
車の中で私たちは、しばらく無言だった。私は悪寒と頭痛が止まらなかった。
「私、、、私の記憶は、何なんだろう?」
「澪、、」
「確かに、純はいたもの。私は、、奄美で育ったんじゃ、なかったの?周りの人だって、純のこと知ってたっ、、」
車が路肩に止まった。湊が私の手を握った。その手には痛々しい擦り傷がある。
「澪、俺を見て。大丈夫だから。記憶の思い違いは、よくあるよ。比嘉先生に会えて良かった。澪の昔を知っている人に。」
うん、と私は言って、しばらく湊の胸にもたれかかるようにして、気持ちを落ち着けた。
「ここからだと、あそこが近いの。」
「大学の方?」
「そう。琉球大。そっちの方が最近だし、卒業名簿が残ってると思う。」
行こうか。湊はそう言うと、再びレンタカーを走らせた。
「一昨年の卒業生は、これですね」
受付の女性が、丁寧に名簿を持ってきてくれた。私と湊は、医学部のページを2人で一人一人確認しながら見ていった。最後のページになった。
「・・・」
湊は黙って立ち上がると、もう一度受付の女性に、名簿はこれだけですか?と聞いた。
無かった。
新里 純の名前は、どこにも載っていなかった。
彼は、何者なのか?
存在しないのだろうか?
お礼を言い、帰ろうとしたとき、ふとポスターに目が止まった。美しい海を背景に、小さな子が砂浜を踏みしめている。
『旧節句は、浜下りをーー健やかな成長を祈って』
身体が震えた。
『澪は、今日は海に行かねば』
『誕生日には、必ず帰ってきてね』
おばあと純の優しい声がこだまする。
だけど、2年前の純の言葉には、いつもの優しさがあっただろうか。
『いいんだ、もう、、いいんだよ』
ぞっとするような純の表情がみえたような気がした。息が荒くなる。心臓が痛くなるほど鼓動が早い。目の前が暗くなる。
「・・澪っ!!」
倒れ込む寸前で湊が支えてくれたようだった。絶望の暗闇の中で誰か私を救ってくれる手を探したが、何も見つけられず、私は気を失った。
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