第10話 どこまでも続く青い空

父親から連絡があった。今度の大安の日、婚約の顔合わせをするから出席するように、と。


「仕事があるから、難しい。ごめんなさい。」


さくらはそれだけ言うと、厳しい口調で何か続けようとする父親の言葉を途中に、電話を切った。


一人でいたくなくて、さくらは夜の街に出て行った。




「さくら、、?」


結局、さくらは病院に来ていた。パソコンをいじり、カルテを見るふりをしているところを、遅出をしていた澪に見つかった。


「今日、お休みじゃなかったっけ?・・・何か、あった?」


「んーーー、出勤日だと思って来ちゃったの!私としたことが、間違えた!」


えへへ、と笑うさくらは、どこか寂しげだった。


そんなさくらを見て、私は少し考え、言った。


「うちに来る?私遅出だから、もうすぐ上がりなんだ。」


「えー、彼氏に怒られるよ!」


「湊は今日夜勤だよ、というか、さくらを一人にしたくないかな。」


「・・澪」


「美人なんだから、街を一人でうろうろしたら危ないでしょっ!」


「うーん、それは、間違いない。」


2人は顔を見合わせ笑い、じゃぁ、お言葉に甘えて女子会しちゃおうかな、とさくらが言った。


さくらもちょうど明日は休みだった。泊まっていきなよとさくらに言い、コンビニでおつまみとお酒を買った。さくらの好きなハイボールと、自分にはチューハイ。


「あれー?湊君の、歯ブラシはないのー?」


「さくらっ、、!」


さくらは、楽しそうに私の部屋を物色して笑って言った。


「この間は、湊の家にお泊まりしたんでしょう?服が前の日と一緒だったし、、だいぶ、薄くなったね。」


私の首筋を指差して言った。私は真っ赤になり、片手で首を覆った。が、俯いて、


「私、、、お腹いっぱいで、寝ちゃったの。」


「・・は? 寝た、って、、?まさか、、!眠っちゃったの?」


「だから、私が寝ちゃって、何もなかったんだってばっ、、」


「えええっ!!」


さくらは心底驚き、その後吹き出した。


「澪らしいっ、、!かっ、かわいすぎる!あはは!!湊かわいそうっ。」


「そんなに、笑わないでよう、、もう、本当、、ばかみたい。」


その時、私の携帯が鳴った。画面は、湊、となっている。


電話に出ようとした自分より早く、さくらが携帯を手に取った。


「お疲れ、湊。この間は、ドンマイ。」


「・・さくら、なんでそこにいる。」


さくら、ちょっと!と、慌てて携帯を奪おうとしたが、ひらりとさくらはそれをかわし、


「今日は、私がお泊まりするから澪、寂しくないからね。」


「・・分かったから、澪に変わってくれ」


笑いながら、さくらは私に携帯を渡した。


「あっ、お疲れさま。今日ね、さくら泊まっていくから。夜勤は落ち着いてる?」


「これから、アッペ(虫垂炎)の急患が来るからオペになりそうで、俺が執刀になりそうだ。さくらに羨ましがられそうだなぁ。」


「そうなんだ。頑張ってね。」


ああ、と湊は言い、


「小学生らしいから、術後はそっちにお世話になるかもな。そうそう、さくら、だけど・・」


「分かってる。だから、今日誘った。」


「うん。女同士じゃないと、話しづらい事もあるだろうし、澪、よろしく頼むよ。」


さくらは美味しそうに、ハイボールを飲んでいる。湊も、さくらの様子に気づいていたんだと思った。


「じゃぁ、明日また連絡するよ。澪、」


「うん?」


「愛してるよ」


「う、うんっ、、?」


湊が囁くように言った。すぐそこに、湊がいるようだった。私の顔はみるみる赤くなり、さくらが含み笑いをしている。


「澪は?」


「うっ、うん・・!」


あははといつものように湊は笑いながら、


「うん、しか言えないのか?」


「・・もうっ、、また明日ね!手術、応援してるからっ」


あっ、という湊の声が聞こえるか聞こえないかのうちに、恥ずかしさで電話を切った。


「澪。そこは、言ってあげようよ。私も愛してる、って。」


「さっ、さくらっ、、、!」


さくらには私の表情から、全て筒抜けだったらしい・・。


私達は改めて乾杯をし、お酒も何本目に進んだとき、さくらが言った。


「にしても、本当良かったよ。澪達を見てると、、素直なあんた達を見ると、私、何だか救われるの。澪は可愛いけど、大学入学したては、かなり田舎っぽかったよねぇ。そういう意味でも、目立ってた。」


ふふっと、さくらが笑った。私は、入学当初都会のおしゃれというものが分からず、かなり野暮ったかったのを思い出した。


「それは、言わないで・・・お金も、なかったし」


「湊はね、最初から澪の魅力に気づいてたのよ。」


微笑んでさくらが言った。


「だって、独りでいる澪が可哀想だから、私に話しかけろと毎日毎日うるさくてさ。自分が話しかければいいじゃない!って言ったけど、あの子にいきなり男の自分が話しかけたら警戒されるだろ、って。澪のピュアな感じが、たまらなかったんだろうなぁ。」


「ピュアというより、無知というか、遅れてたというか、、、」


「だけど・・・話しかけたはいいけど、澪はなんと婚約者がいたしね。」


「あっ、、」


「最初に婚約者がいるって聞いたときの湊の表情、忘れられないよ。でも、あいつ、身体だけじゃなく、心もたくましいから。澪を大切に思う気持ちを、婚約者がいてもそれでもいいか、って自分の中で想い続けてたんだろうね。ブレないところは、尊厳する。」


私は、大学生の頃を思い出した。いつも、優しかった湊。彼を思い出すときは、その太陽のような笑顔を思い出す。そうだったんだ、、。


「本当、、ちょっと取り憑かれてるんじゃないかってくらい、なんか・・湊といい感じかな、って思うと会話に純君が出てきたよね。」


その瞬間、心の隅に黒いものが広がり、背筋が寒くなった。


「まぁ、澪は恋愛として純君の事好きな訳じゃ無さそうと思ったけど、本当の愛に気づいて良かったわ!」


 ーーーーー取り憑く?


(アンパーンチ!)


私の横を、美奈ちゃんのこぶしが空を切ったことを思い出した。


「澪?」


私の顔を心配そうにさくらが覗き込んだ。私は、どんどん手先が冷たくなるのが分かった。心臓を打つ音が脳に響くようだった。何だろう、この嫌な感じは。


「大丈夫?飲みすぎたかな?」


さくらが慌てて、冷たいお水をコップに注いで差し出してきた。


「・・・大丈夫。」


私は吐き気と頭痛で顔を覆って言った。


ねっとりとまとわりつくような、嫌な空気が自分の周りにぴったりと絡み、離れないような気がした。


しばらく経っただろうか、少し気分が楽になって顔をあげると、青ざめたさくらの顔が見えた。


「ごめん、、さくら、心配させたね。ちょっと酔っぱらっちゃったかな。」


「ううん、澪、早めに休んだ方がいいよ。こっちこそ、飲ませ過ぎちゃってごめん!湊に怒られちゃうね。」


私が回復したのを見て、さくらは少しホッとした顔をした。




夜、布団に入り寝る前、私はさくらに言った。


「本当はね、さくら元気ないなって思って、誘ったの。なのに、自分がこんなんでごめんね。」


「澪、、、」


「何か、あった?私で良かったらいつでも聞くから。」


うん、とさくらは言い、


「今は・・・話せない。話すと、やっと保ってる自分が、、壊れてしまいそうだから。でも、話せるときがきたら、その時は一番に聞いてくれる?」


部屋を暗くしていたので分からなかったが、さくらは泣いていたのかもしれない。語尾が震えていた。


「うん、、分かった。大丈夫、さくらは一人じゃないよ。」


「・・・ありがとう」


おやすみ、と言い私達は目を閉じた。


夢を見た。




ーーーーーここは?




どこまでも続く蒼。輝く太陽。心地よい木陰。ああ、懐かしいあの診療所の近くだ。潮の香りを思いきりかぐ。




ふと、隣に純がいた。


あのぽっかりと空いた木々の間から、海を見ているようだった。


『きれいだね。』


私は、純に言った。


『本当に、きれいだ。』


次の瞬間、天と地が逆になったように感じた。重苦しさに、息が上手く出来ない。自分の声なのに、まるで自分ではない声が聞こえる。聞きたくない。苦しい。


誰か、助けて。




「いや・・・っ!!」


私は荒い息をして目がさめた。外は少し明るくなってきたようだ。新聞配達だろうか、ちょうど通りかかったバイクの音が、静かな早朝に遠慮がちに響く音を聞いて、私は現実に戻った。両手で自分自身を抱きしめた。怖くて怖くて、震えが止まらなかった。


さくらを起こしてしまっただろうか。ふと隣を見ると、すやすやと天使のような寝顔でさくらは眠っていた。


(・・良かった。)


こんなに早く起こしてしまうのと、今の自分を見られるのが嫌で、さくらが起きていなくてホッとした。


私は、全身にじっとりといやな汗をかいていることに気づき、そっとベッドから抜け出すと、その汗とこの嫌な気持ちを洗い流すように熱いシャワーを浴びた。




『これ、なんですか?』


篠川看護師が言っていた。私の横に描かれた細長い何か。あれは、何だろうか?




さくらを駅まで送って行った後、湊のアパートに向かった。湊に会いたくて、あの笑顔を見たくて仕方がなかった。あんな夢を見たからだろうか。


この間、合い鍵をもらっていたので、早速それを使った。


「うわぁ、、散らかってる。」


湊の部屋は男の一人暮らしという感じで、機能的で余計なものはなく、いつも若干・・散らかっていた。私はじっとしているとあの夢を思い出しそうで、一心に湊の部屋の掃除を始めた。今日は、ここ一帯は燃えるゴミの日だったため、大きなゴミ袋を持って近くのゴミ捨て場へ持って行った。


「おはようございます。」


隣の部屋に住んでいるのだろう、老夫婦が挨拶をしてきた。その手にもゴミ袋を持っている。おばあさんの方は足が悪いらしく、杖をついていた。


「あっ、おはようございます。良いお天気ですね。」


私は笑顔であいさつをし、良かったら一緒に持って行きます、と老夫婦のゴミを持って行こうと手を差し出した。


「ああ、大丈夫だよ。私が一緒だからね。それに、これはリハビリなんだ、妻のね。」


腰ベルトにラジオを付けたおじいさんがそう言うと、


「もしかして、湊君の奥さん?彼も優しくて気がいい人で、同じこと言ってくれたわね。」


ふふっ、とおばあさんが笑った。湊も、私と同じことをこの老夫婦に言っていたのだ。


「あっ、、いや、えっと」


「良かったら、お名前伺ってもいいかしら?時々こうして顔を合わすかもしれないもの。」


「・・澪です。結婚は、、まだ、あの、してなくて、ですねっ」


「澪さん!良いお名前ね。覚えておくわ。2人はとてもお似合いね。」


おばあさんは、私の最後のごにょごにょと言った言葉は聞こえなかったみたいで、名前を聞くと満足そうに笑顔で言った。そろそろ行こうか、とおじいさんが言い、その老夫婦は柔らかい日差しの中、ラジオの声とともにリハビリと言う名の散歩へと向かっていった。




「・・・ただいま!!」


私が、家におじゃましてるよ、と湊にメールしたところ、「すぐ帰る」と仕事が終わって速攻メールが来た。夜勤明けの湊が、その疲れを感じさせない元気な声で帰ってきた。


「おかえりなさい!お疲れさま!手術たいへんっ、、」


玄関のドアを閉めるより早く、抱きすくめられた。そのまま優しく私にキスをした後、湊は部屋を見て驚いていた。


「俺んちか!?」


「ふふっ、湊の家です。今日ゴミの日だから、頑張っちゃった。」


湊は感動した様子でありがとう、と言うと、部屋を一周した後、ベッドにバタンと横になった。


「いやぁー、緊張したー!」


「初執刀だよね?頑張ったね。腹膜炎にはなってなかった?」


「うん、もうちょっと遅かったら厳しかったかもな。早めに来てくれたから、良かったよ。」


「そう。良かった。湊、少し休むよね?私、買い物でも行って・・」


「澪。おいで」


湊が言った。いつものふざけた様子は無く、真剣な真っ直ぐな目で私を見ている。心臓の鼓動が早くなるのが分かった。ゆっくりと、湊のいるベッドに近づくと、湊に力強く引き寄せられた。長いキス。湊の呼吸が少し荒くなっていることに、身体が熱くなる。


「みなと、、っ」


声がうわずる。


「澪、愛してる。大好きだ。」


耳元で低い声で言った。彼が私に触れるたび、自分が発する熱っぽい声に、恥ずかしさで彼の顔を直視出来ない。止まらない湊に、どれくらい時間が経っただろうか。永遠に続くかと思った時、


「目を開けて、俺を見て」


「んっ、、」


湊と視線が合った。彼は優しく微笑み、


「愛してる」


「・・・あっ、、、!!」


よく聞く、痛みが走るかと思ったが、それは無かった。


そう、無かったのだ。




その瞬間、涙があふれ出た。なぜだろう、昨日見た夢を思い出す。あの場所に戻されるような気がした。戻りたくない。湊といたい。私は湊にしがみついた。


ポロポロと涙を流す私に気づいた湊は、


「みっ、みお、、ごめんっ、、痛い、、?」


やめようとしたのか、慌てて湊は身体を私から少し離そうとした。


「大丈夫っ、最後まで、、して」


私は右手で湊の頬にそっと触れ、流れる涙はそのままに、微笑んで言った。湊はその逞しい腕できつく私を抱きしめた。




『だって、今日は友達と約束してっ』


『だめだと、言うとるが』


『おばあの、バカ!』


澪!!とおばあが叫んだが、私はあの日、海に行かずに友達との約束を優先した。これが、おばあと交わした最後の会話だった。それまで穏やかな晴天だったのに、みるみる滝壺のような豪雨になり、海が大きく荒れたのを覚えている。それは数時間続いた後、嘘のようにまた太陽が戻った。その数時間で、おばあは海に消えたのだ。




「澪、、、?どうした?」


泣き止まない私に、湊が心配そうに言った。痛みで泣いていたのでは無いと、気づいたのだろう。




初めての、痛みも出血も無かった。


それは、私の初めての相手は湊では無かったということだ。でも、私は覚えていない。どういうことなのか。


あの夢に関係があるのか?純は、、純が何か知っている?




開けてはいけない箱を開けてしまったようで、恐ろしくて仕方がなかった。




湊に嫌われないかと、切なさと苦痛で、苦しくて苦しくてどうしようも無かった。自分がひどく、汚れたもののように思えた。




湊は変わらず、私が泣きやむまで優しく頭を撫で、ずっと側にいてくれた。


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