第9話 あんぱんちとお祓い

「城間先生、お久しぶりです!」


エコーから戻ってきた美奈ちゃんと、お母さんに声をかけられた。


「こんにちわ!エコー終わったんですね。美奈ちゃん、なんだかちょっと大きくなったかな?」


美奈ちゃんはニコニコして、あい!と片手を挙げた。その手は、膜用落屑があったことがうそのように、ふっくらと健康的なピンク色をしていた。愛らしいその姿を見て、榊さんと笑いあった。エコーは麻績先生がしてくれたとのことであり、その場で、経過は順調ですよと言われたとのことだった。


私はホッと胸をなで下ろし、


「私もエコーに行きたかったんですが、ちょっと間に合わなくて、すみません。」


と申し訳なさそうに言った。ほかの患者のことで呼ばれてしまったのである。


「いいんです。先生の患者は、一人じゃないでしょう?」


ちょっと含み笑いをしながら、榊さんが言った。


「いや、その説は本当にすみません・・・」


私がうなだれて言うと、榊さんはくすくすと笑って、


「城間先生。先生が、初めからお医者さんじゃなかったように、私も初めから母親じゃなかったんですよ。美奈を産んで、一緒に過ごしていくうちに、だんだんと母親になったんです。子供がいないんでしょうって、偉そうな事言って、私の方こそすみません・・・。先生の言葉は、ちゃんと私に響きました。自信を持ってくださいね。先生は、いいお医者さんです。今日それを言おうと思ってここに来ました。会えてよかったです。」


「榊さん・・・。ありがとうございます。」


嬉しかった。と、美奈ちゃんが、


「あんぱんち!あんぱーんち!」


と、真剣な顔で私のすぐ横をパンチしだしたのである。


「こら、美奈。危ないでしょ!」


榊さんが慌てて、すみません、大丈夫ですか?と聞いた。


「あっ、大丈夫です、美奈ちゃん、虫か何かいた?」


特に何も考えずに聞いた。美奈ちゃんは言った。


「いる!」


でもそこには、虫も何もいなかった。




「うーーん。澪、お祓い行ってきたら?」


「ううっ、何だか怖いよ。」


さくらに事の一部始終を話したところだった。


「そんなに怖いなら、湊んち泊まればいいじゃない。」


さらりと言い放つさくらの言葉に、私は缶コーヒーを吹き出しそうになった。大丈夫。今回も白衣は無事だ。ははあーという顔をして、さくらは言った。


「まだ、してないんだ。」


ゴホッ!! ついにコーヒーを吹き出した。白衣に茶色いシミがついた。ああ、クリーニングの回収は昨日だったのに、と思いながら、ストレートすぎるさくらの質問に、私は真っ赤になって沈黙した。


「澪は、湊が初めての彼氏だっけ?そっかあ、そりゃ、躊躇するよねぇ。」


「さ、さくら・・・」


私は泣きそうになりながら、何と言ったらよいか分からず、うつむいていた。


「まあさ、意外とこんなもんかって感じかもよ?あんまり待たせると湊もかわいそうだから、勇気を出してね!」


というと、私の肩にポンと手を置いて、


「じゃあ、私は寝るね!湊、澪が怖い思いしてるみたいだから、今夜はずっと一緒にいてやってね!あっ、お祓いも連れていってねー!」


振り返ると、お約束のようにそこに湊が立っていた。その顔は真っ赤である。


「・・いつから、いたの?」


私は半泣きで湊に聞くと、


「初めての・・・あたりから」


もう、穴があったら入りたかった。


「それで、お祓いって一体なんだ?」




湊は車で、病院の近くの神社に連れて行ってくれた。私は諭吉とまではいかなかったが、奮発して漱石のお賽銭を入れ、じゃらじゃらと鈴を鳴らし、懸命に祈った。あまりの迫力に、湊が笑った。


「笑い事じゃないよ」


「ごめんごめん。そんなにお賽銭奮発したんだから、大丈夫だって。」


笑いをこらえて、湊が言った。


「北海道の田舎からさ、鮭やらメロンやらを送ってきたんだけど・・なかなか食べきれなくてさぁ。良かったら、うちで食べてく?」


「えっ、メロン?」


いいねぇ、そうしよう!鮭はどうやって食べようかと言ってから、はっとお互いの顔を見合わせた。事の重大さに気づき、沈黙が流れた。


「いっ、嫌だったら、無理にとは言わない、、ていうか!そういう意味で言ったんじゃなくてっ、、いや、全くそうじゃないとは言わないけどっ、、」


湊が慌てて言った。言えば言うほど、墓穴を掘っている。


「行こうかな・・・」


「えっ!!!」


「ちょっ、ちょっとご飯しに行くだけだよ!だってせっかく田舎から送ってもらったのに、悪くなっちゃうでしょうっ」


「そっ、、、そうなんだよな!その通りだ!」


静かな神社で私達は、だいぶうるさかったと思う。神様も怒っていたに違いない。


私は、湊ともっと一緒にいたかった。




帰りにスーパーに寄って、食材を買った。せっかくのいい鮭なので、鍋にしようということになったのだ。


試食コーナーで、新婚さん?と聞かれた。私は口の中に熱々ウインナーが入ってたので答えるどころではなかったのだが、横から湊が、はい!と嬉しそうに答えていた。そんな湊が、かわいいなと思った。




「これでいいかな?」


「うん、あとは煮込むだけだね!」


お互い一人暮らしをしてるだけあって、野菜を切ったりする手際が良く、あっという間に下準備が終わった。


(結婚したら、こんな感じかなーー)


自分で思って赤くなっていると、


「澪、良かったら飲んでいいよ。帰りはちゃんと送るから。」


湊が冷えたビールを取り出した。


「えっ、いいよ、湊飲まないのに」


「いいって!今日色々あったんだろ。美味しいもん食って飲んで、よく休んだ方がいい。明日も仕事なんだから。」


湊はそう言うと、私のグラスにビールを注ぎ、乾杯をした。冷えたビールがコップを曇らせ、鍋の熱さとは対照的だった。湊と食べるご飯は、一人でアパートで食べるご飯よりずっと、美味しく、今日のあの出来事を忘れさせてくれた。


彼は、いつも優しい。その優しさに、以前より彼を好きになっている自分に気付いた。


石狩鍋も、メロンも、抜群に美味しかった。何より、食材が新鮮なのだ。湊の両親は都内に住んでいるが、母親の田舎が北海道らしく、いつもこの時期に大量に送ってくれるらしい。




「あっ!アルバム?」


「ん?ああ、高校の時のだな。」


懐かしいなーと言い、私に見る?とそのアルバムを手渡した。


「さくらとは、高校も一緒だったんだ。腐れ縁だな。」


「ふふっ、湊かわってないー!あっ、さくら可愛いね。今より素直な感じ。」


「おいおい、怒られるぞ。」


はらり、と一枚の写真が落ちた。そこには、夕陽の映る辺り一面の黄昏の海を背景に、恥ずかしそうにピースする、さくらともう一人知らない男の人が写っていた。男の人は、優しそうな笑顔でこちらを見ている。二人は、顔を寄せ合っているようだった。


「これは、、、」


「ああ。」


湊が目線を伏せ、


「智也。本当は2つ年上なんだけど、白血病の治療で俺達と同じ学年になったんだ。今は、、親同士が再婚して、さくらの兄になったんだ。」


「えっ!」


私はびっくりして聞いた。さくらは、あまり自分のことは話したがらなかったが、そんな複雑な家庭の事情があるとは思ってもみなかった。


「そうなの、、」


あのさ、と湊が神妙な面持ちで言った。


「さくらから、、あいつが自分からこの話をするまでは、知らない事にしておいてくれないかな。」


「うん・・・わかった。」


私はじっとその写真を見た。さくらは可愛いらしい笑顔で、嬉しそうに笑っていた。


と、湊がいきなりむせ込んだ。手には、私のビールが入っていたグラスが握られている。半分以上残っていた中身は、もう無い。


「ごっ、ごめん!間違えた!」


湊は慌てて水を飲み、タクシーで送るから、と私に言った。


「いいよ。」


「えっ?」


少しためらって、私は言った。


「あの、今日、、、泊めてくれる?」


湊は大きく目を見開いた。私の顔を見つめ、間があり、、もちろん、いいよ。と優しく言って、私を抱きしめた。




「パ、パジャマ、貸してくれる?」


湊がお風呂を入れてくれ、先にどうぞと言われた後、私は言った。どうぞと言われても、上がってから着るものが無い。


「あっ!! ごめんっ、ええっと・・・」


湊は慌ててクローゼットをあさっている。


「トレーナーとかで、いいかな?」


「う、うん。ありがと。」


お互い、ぎくしゃくしながらそう言い、私はお風呂に入った。シャンプーも、ボディーソープも、普段湊が使っているもので、彼のにおいがした。心臓の鼓動が止まらない。


「・・・」


上下の部屋着を借りたが、上だけで十分だった。下はぶかぶか過ぎて、履いてもすぐストンと落ちてしまうので、諦めて履かなかった。上のトレーナだけ、ワンピースのように着てお風呂から上がり、


「あ、、先にありがとうね。」


と、恥ずかしさでおずおずと湊に言った。その私の姿を見るなり、湊は真っ赤になり、


「入ってくる!!」


ダッシュでお風呂に向かった。


私は、緊張でどうしたらいいか分からなかった。ふと、さっきの写真が目に留まり、ベッドにもたれかかる姿勢でもう一度それを見つめた。


(なんだか、恋人同士みたい…)




『あんまり、いい恋して来なかったから』


ふいに、さくらの声が頭に響いた。ためらった感じであの時そう言ったさくら。いつもはっきり物を言うのに。一体、彼女に何があったんだろう・・・。




「・・うそだろ?」


ものすごい早さでお風呂から上がった湊が、私を見て絶望した。私は、床に完全に横になり、すやすやと寝落ちしていた。美味しいご飯とお酒でお腹いっぱいになった私は、湊が言ったようにそれはもう、気持ちよさそうに寝ていた。


「み、みお、あのっ、」


「んん・・・」


「!!」


「・・・めろん。」




湊はその場に崩れ落ち、


「みおっ、、、たのむよ、、、」


泣いていた。




「んーー、、、よく寝たぁ、、うん?」


あれ?ここは何処だったっけ?と寝返りをうったとき、


「おはよう」


「!!!」


隣に、恨めしそうな表情をした湊が、まるで棒読みの感情のこもらない朝の挨拶をしてきた。私は、昨日のことを思い出し、


「あっ、あれっ、途中から・・・記憶がない!?」


「・・・寝てたからな!」


なぜ、恨めしそうな顔を湊がしているのか、分かった。私は、初めて一緒に過ごす夜を完全爆睡という形で朝を迎えたのである。


「ごっ、ごめん!!ごめんなさい!」


「・・・仕事、行こうか。まぁ、澪がよく眠れたなら良かった。良かったよ。本当に、俺の横でよく寝るよな。俺は全く!!昨日寝てないけどな。ははは」


湊の目は、笑っていない。


「うっ、、ご、ごめんね・・・」


泣きそうになった私に、湊は笑って、


「いや、元気になったならいいよ。よく休めたんだろ?ごめん、、意地悪し過ぎた。」


優しく抱きしめ、キスをしたあと、


「・・・まぁ、近いうちに。」


そういうと、今度は私の首筋にその唇を移し、さっきまでとは違い、きつく押し当てキスマークを付けてきた。


「んっ、、!みなとっ、、、」


「ギリギリ見えないと思うけど、これくらい意地悪させろ。」


ほら、仕度するぞ、と笑ってベッドから引きおこされ、私は昨日と同じ服を着た。




化粧で隠してはいたが、その日はキスマークが見えてしまうのではないかと、ひやひやしながら仕事をした。遠くの外科病棟から、意味深な笑顔を浮かべ手を振るさくらが見えた。


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