第7話 子どもにしかみえない

「先生、城間先生。」


ふいに呼ばれて振り返ると、美奈ちゃんとお母さんがそこにいた。美奈ちゃんは手に何か持っている。


「あ、、」


「美奈が、先生にって。」


美奈ちゃんのお母さんはにっこり微笑むと、美奈ちゃんを胸の高さまで抱き上げ、私の目線に合わせた。美奈ちゃんはかわいいその手で、はい、と1枚の画用紙をくれた。そこには、たぶん私だろう、白衣をきた姿が、2歳児の大胆なタッチで描かれていた。


「美奈ちゃん、ありがとう、、、大切にするね。」


私は泣くまいと、上を向いて言った。


「明日、家に帰れます。先生・・・感情をぶつけて、すみませんでした。」


美奈ちゃんのお母さんが申し訳なさそうに言った。


「美奈と、頑張ります。でも、またくじけそうになった時は・・・城間先生、私に喝をいれてくださいね!」


「あんぱぁーーんちっ!!」


美奈ちゃんのお母さんが話し終わるか終わらないかというタイミングで、美奈ちゃんが空に向かって元気な声でアンパンチを繰り出した。


そのタイミングの良さに、思わず美奈ちゃんのお母さんと顔を見合わせ、笑った。


「先生に喝入れてもらう前に、美奈に叱られそうですね。」


「あはは。・・・次は、定期受診ですね。榊さん、待っていますね。」


美奈ちゃんとお母さんが笑顔で病室に向かうのを見送ると、私は申し送りに参加するためにナースステーションに向かった。


ふともらった絵を見たとき、私の背後に何か描かれているように見えたが、2歳児が描いたものなので、その時の私はあまり気にしなかった。




「い、いいよ!もうかさぶただからっ」


「・・・どこが。」


少し前、帰りがけを湊に見つかり、靴擦れを診るからと、私はいつもの休憩室に連れていかれたのだ。


さくらは、スタバの新しいフレーバーを味わいながら、そんな私たちに、


「こらこら、いちゃいちゃするのは、家に帰ってからにしなさいな。」


と言った。


してない!!と、湊と私の声がかぶった。


さくらは面白そうに、まぁ、仲良しねぇ、と言い、ニコニコしていた。




数週間後の朝礼の後、篠川看護師に言われた。


「先生、これ何ですか?」


ああ、美奈ちゃんからもらったの、と私は微笑んで応えた。美奈ちゃんからもらった絵を、私はナースステーションの掲示板に飾っておいたのだ。


「へぇー、よく描けてますね!そういえば、美奈ちゃんの再診もうすぐですね。」


そう、美奈ちゃんは明日、うちの小児外来を再診予定だ。間動脈瘤の経過観察のため、心臓エコーと、麻績先生の診察がある。私も同席する予定だ。


「これって・・何ですか?」


篠川看護師が、美奈ちゃんの絵を指さして言った。その指の先には、細長い何かが描かれている。


「何だろうね、私も分からないの。」


「そうですか。子供にしか見えない、何かかもしれませんね!先生の守護霊とか?なんて。」


そう言って笑うと、篠川看護師はナースステーションを出ていった。午前中の検温の時間である。小児科は、検温に時間がかかる。子供の年齢の幅も様々で、その子の成長の段階に合わせて介入することが、大変だけどやりがいもあって面白いと、篠川看護師が言っていたのを思い出した。


(子供にしか見えない・・・。)


なぜか、その言葉が引っ掛かり、ナースステーションに一人残ったわたしの心を掴んで離さなかった。




「ふうん。まぁ確かに、こどもの感性はおとなのそれとは違う、っていうもんね。見えたのかもよー?」


さくらが意地悪っぽく言った。その手にはトングが握られており、今から牛タンを焼こうとしているところだった。ねぎが程よくのった牛タンは、さくらの美しい手で焼かれて、まるでテレビの食レポを見ているようだった。


「あんまり、澪を怖がらせるなよ。」


怪訝な顔で、湊が言った。湊はノンアルコールを飲んでいる。


「おー、こわ。澪の彼氏、こわーい!


てか、なんでデートに私も参加してるのかしら?」


さっとあぶって食べごろのタンを口に放り込んでさくらが言った。


「まだっ、付き合って・・ないってば・・・」


あっ、と思って、ちらっと湊を見ると、黙々と肉を焼いているのが見えた。


「ふーん。何で付き合わないの?脳みそ筋肉だから?」


「・・・おまえにやる肉はない!!」


湊が焼きあがった肉を全部取り上げた。さくらがちょっと!と文句を言っている。


そうなのだ。湊は、私の返事を待っている。待ち続けて、実は1ヶ月になる。


1ヶ月と言っても、お互い仕事と勉強が忙しいのもあって、2人で会ったのは2回程だった。ご飯を食べたり、映画を見たり、ドライブをしたり。


会った回数は少なかったが、ディズニーランド以降、湊から毎日連絡が入るようになっていたので、私は湊を近くに感じるようになっていた。




「いいんだよ。ゆっくりで。俺は8年も待ったんだからな。」


「本当に、真面目な奴・・。澪、お幸せにね。お母さんは、ちょっと寂しいぞ。」


さくらがふざけて泣くふりをし、油断した湊の皿から、焼き上がった特選上ハラミを取り上げた。


「あっ!!最後に食べようとっ、、」


「ごちそうさまー!」


悔しそうにする湊を横目に、グイッとハイボールを飲み干し、この後約束があるからと、さくらは立ち上がった。


「もう帰っちゃうの?」


私が言うと、さくらは吹き出し、


「こらこら、少しは湊君の気持ちも考えなさい。本当に、約束があってね。澪、また休み明けね。」


進展があったら、教えてねー!と、さくらはその綺麗な横顔で言って、店を出て行った。


少し、間があった後、


「澪・・あんまり、飲みすぎないでね。」


「えっ?」


湊が笑って言った。


「夜景、見に行こうかなと思ってさ。澪、車ですぐ寝るから。」


「・・・何だか、いつもごめんね・・。」


目があって、湊と笑い合った。




湊の運転する車は、レインボーブリッジを渡り、お台場の海浜公園へ着いた。夜景が綺麗だった。その綺麗な夜景を、海面が映し出し、深い漆黒の夜の中で一層その輝きを増しているようだった。東京湾の波際は、少し、肌寒かった。


「寒いだろ?ほら」


湊はドラマのように、自分の上着を私にふわりとかけた。


「一度、やってみたかったんだ!」


「あはは」


湊は大真面目にそう言ったが、何だかおかしくて笑ってしまった。


「ありがとう、借りるね。」


笑った後、上着から湊のにおいがする事に気づき、私は落ち着かない気持ちになった。最近、湊のふとしたしぐさや、声や、その優しさに、時々こんな気持ちになる。純に対して感じる感情とは、違うものだった。


でも本当は・・・大学の時からこの気持ちがあることに、何となく気づいていた。その時は、この気持ちが何なのかよく分からなかった。でも今なら、分かる。




「澪、あれは怖くないよな?」


湊は観覧車を指差して言った。




観覧車から見下ろすお台場は、光る宝石のようで、海を下から見たときの、あの波間に似てるなと思った。


(私、あの時ーーーー)


あの海に引かれた時・・・。


「澪。」


てっきり、夜景を眺めてると思ってた湊と、目が合った。湊は真っ直ぐ私を見ていた。


「湊、、?」


湊は私の方へ少し上半身を乗り出すようにし、私の両手を自分の大きな手で包み込んだ。湊の手は温かかった。


「み、湊っ?」


私は赤くなり、湊と顔を合わせられなかった。


「澪。聞きたい、事があって。」


視線が合った。


「純君は、、澪は、純君に対して、家族以上の感情は無いのかな?」


今まで、湊にはっきりとこう聞かれたことは無かった。湊は意を決したように、私の両手をしっかりと握り、聞いてきた。


「湊・・・。」


聞こえそうなくらい、心臓の鼓動が早くなるのが分かった。頬が熱い。私は湊を見つめ、言った。


「純は、、純は、私がおばあを亡くして一人きりになったとき・・、天涯孤独になったとき、居場所をくれたの。かけがえのない、大切な人。ただ、周りに将来一緒になれと言われても、自分の気持ちがわからなかった。だけどね、奄美を離れて、考えて分かったの。


純の事は大好き。でもそれは、恋をするのとは違った。多分、それは彼も同じ。私、私ね、、。」


なぜか、頬を涙が伝った。感情が高ぶったからだろうか。今までとは違う感情を知った自分が、故郷のような純から離れるような気持ちになったからか。だけど、悲しい涙ではなかった。


湊は涙を流す私に少し驚いた表情をしたが、最後まで私の話を聞こうと、じっと私を見つめていた。


「私、、湊の事が好きみたい、、、」


「えっ・・・!!!」


一瞬、何を言われたか分からないという表情で、半分口を空けたま湊が固まった。お互い、言葉を発さないまま、観覧車は頂上へと差し掛かろうとしていた。




「あ、あの、、?」


沈黙が続いて、あまりに気まずかったので、私が先に口を開いた。


「・・っきゃぁ!!」


と、観覧車が揺れた。湊が私の腕を引っ張り、自分の方へ引き寄せた。湊に抱きかかえられるような形で抱きしめられた。観覧車は2人分の体重が片側に寄ったため、傾いている。


「みっ、、なと!傾いてる!!」


「澪・・・」


湊は私の声が聞こえていないようで、私をしっかり抱きしめ、離さなかった。


「俺も、好きだ。分かってると思うけど。」


湊は、私の涙をその大きくて温かい手で拭い、頬の手はそのままに、私にキスをした。


「湊・・」


8年分のキスは、一度では終わらなかった。


案の定、


「・・・もう一周、しますかぁ?」


乗客を下ろすためにドアを開けた、アルバイトだろう若い男の子に、困った笑顔でそう言われた。




私達は真っ赤になって、逃げるように観覧車から降りた。


「いや、、ちょっと、夢みたいだ。」


運転席の湊が、まだ赤い顔のまま言った。私は、恥ずかしくて、助手席でずっと下を向いていた。


「えっと、、、どうする?」


「えっ?」


「俺の家の方が近いんだけど・・」


「!!!」


ふっ、と湊が笑い、


「冗談。まぁ、帰したくないけど、今日のところは帰しておく。」


「こっ、心の準備が出来るまで待っててっ・・」


そうだなぁ、と湊が言い、


「待つつもりだけど、もう随分待ったから、そんなに長くは待てないかもなぁ。」


「みっ、みなと、、」


ははは!といつものように湊が笑い、そうこうしているうちに、私のアパートに着いた。でも、私はなかなか家に入れなかった。湊が観覧車の続きのキスをくれていたからだ。

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