第4話 はじめてのデート
私は物心ついた時から、両親はいなかった。詳しい話は知らない。聞く前に、おばあは亡くなってしまった。正しくは、海に行くと言った後、二度と戻ってこなかったのだ。
その時覚えているのは、純の優しさ。
毎日、傍にいてくれた。あの、眺めのいい丘の上で。天涯孤独になった私に、彼は居場所をくれたのだ。
「めずらしいな、スカートなんて」
「こっ、これは・・・」
さくらに、着せられたのだ。少し丈の長い、おしゃれなワンピース。湊とご飯を食べに行く日が決まったと、そうさくらに言ったとき、私の私服はあんまりだからと洋服屋を連れ回され、さくら好みの服をコーディネートされ、結果、買わされたのだ。ついでに、さくら行きつけの美容室に私は押し付けられ、さくらは満足そうに先に帰ったのである。
確かに私の私服は、機能性を重視するあまり、あまりデート向きではなかったことは認める。学生時代のお金がない時期よりは、気を遣っていたものの、Tシャツとか、ズボンとか、ぺたんこの靴とか、そういったものが多かった。髪の毛だって、ひとつにまとめられた方が仕事しやすかったので、伸びっぱなしだった。
「そうかそうか。デートだからなっ。」
「!!!」
否定しても悪い気がして、何も言い返せずにいると、
「さくらに、買わされたんだろう?」
「えっ、、、知ってたの?」
「・・・やっぱり。」
湊にかまをかけられ、まんまと私は事の流れを正直に白状する形になった。
「あっ、その・・・」
ちょうど赤信号で車が止まり、運転席の湊がじっと私を見た。
「・・・やっぱ、、似合わないよねぇ。」
恥ずかしくなって、茶化すように私はつぶやいた。
再び青信号になり、ゆっくり車を走らせながら、湊は言った。
「よく似合ってる。」
えっ、と隣の湊を見ると、耳が赤かった。三人でいるときには見せない湊の顔がそこにあった。
「さぁ、まだ時間も早いし、ぱーっと遊びにでも行くか!」
「えっ、どこに?」
ヒミツ、と湊は言うと、高速の方へハンドルを切った。
都内から少しドライブして、着いたのはディズニーランドだった。
「わぁ!久しぶりだぁ!」
「大学の卒業記念で、三人で来たよな。」
ミッキーがいるよと、はしゃぐ私に、
「今日はスニーカーじゃないんだから、転ぶなよ!」
笑って湊が言った。
湊は意外にも、速度の速いジェットコースターが得意ではなく、私にスペースマウンテンに何度も乗ろうと連れまわされ、ぐったりしていた。私はというと、高いところから落ちるものが唯一苦手で、スプラッシュマウンテン(滝つぼを落ちるという、恐ろしい乗り物だ)を拒否したとき、それがばれてしまった。湊は不敵な笑みを浮かべ、
「ほう。苦手なんだな?」
「ちっ、違うよ?混んでるから、時間もったいないよね、あっちいこう!」
ぐい!と腕を掴まれ、抵抗むなしくそのまま連れていかれた。
「い、いやぁぁーーー!!!」
「ははは!!」
この乗り物は、滝つぼに落ちるときにフラッシュが光り、乗っている乗客の決定的瞬間をカメラに収める。もちろん、絶叫した私と、その隣で万歳をし勝ち誇った笑顔の湊が映っていた。湊は、落ちる系には、強いようであった。
「記念に、写真買っていくか!」
「・・・」
意気揚々と言う湊に、私はスプラッシュマウンテンのダメージが大きく、しばらく言葉が発せずにいた。
楽しかった。
毎日、仕事と学ぶことが多すぎて忙しく、こういう楽しさは久々だった。
あっという間に時間がたち、夜のシンデレラ城に上がる花火を、湊と並んで見た。
湊の頭には、私が買ったプーさんの耳が付いている。じゃんけんで、湊が負けたのだ。その身体に似つかわしくない黄色い丸い耳に、通りすがりの何人かは振り向いたが、当の湊はプーさんをつけていることをすっかり忘れているようだったので、私もずっと黙っていた。視界に湊が入るたび、私は笑いをこらえるので必死だった。
「良かった。澪の、いつもの笑顔がみられて。」
湊がつぶやくように言った。
「えっ?」
花火は終盤を迎えており、その音に湊の言葉が聞こえなかった。
と、おでこに何かが触れた。湊が、キスをしたのだ。
「好きだ。ずっとずっと、澪が好きだった。」
湊は私を抱き寄せ、花火が終わってからもしばらくそのままだった。真っ赤になって放心状態の私は、動くことが出来なかった。心臓の鼓動が速い。
閉園のアナウンスが流れ始め、湊は私の手を握り、帰ろうかと優しく微笑んだ。
ーーーーーが、
「うっっ!」
「どうした!?」
私はうめき声を上げ、両足をさすった。久々の楽しさに、靴擦れが出来ていることに気づかなかった。気持ちの高ぶりに、痛みの感覚が鈍っていたらしい。かかとの皮が剥け、それは結構ひどい靴擦れが出来ていた。
「ちょっと、まってろ!」
湊はそう言ってショップに走り、かわいいミニーのかかとのないぺたんこサンダルを買ってきた。
「ごめんね・・・」
「澪らしいよな。俺も気づかなくてごめん。」
痛いだろ?と言い、ちゃんと手当しないとと言い、着いた先は湊のアパートだった。
「えっ、大丈夫だよ!こっ、こう見えても私、医者だからっ!」
男の人の家に二人きりということが頭によぎり、テンパった私が言うと、湊が笑って、
「おまえ、だれに言ってるんだ。医者なのは知ってるって。でも、俺は外科希望だから、俺の方がうまいと思うぞ。うちにも、何度も来たことがあるだろ? あっ、もしかして・・・意識してたりして?」
確かに、お互いの家には何度も行き来はしていたが、さくらがいて二人きりではなかったのだ。2人だった時もあったかもしれないが・・・、今と状況が全然違う。
湊はにやっと笑い、今日はまだそんなことしないよと言った。まだ、私の気持ちを聞いてないからと。
(今日は?)
私は、かなり挙動不審だったらしく、湊は終始笑っていた。宣言通り、「今日は」なに事もなく湊の部屋を後にし、家まで送ってもらったのだが、帰り際に抱きしめられ、もう一度、頬にキスされた。
湊の家には治療の薬品や絆創膏等が充実していて、治療は完ぺきだった。
『大丈夫だよ、澪。僕はずっとここにいる。』
おばあがいなくなって、涙が止まらなかったとき、彼の存在は私の唯一の心の支えだった。
今の私は、純を裏切ってはいないだろうか。
そう思うと、チクリと胸が痛んだ。
純は、一体私をどう思っていたのだろうか。
その夜、昔の夢を見た。
『おばぁがっ、、おばぁが、帰ってこないのっ』
私は泣きじゃくり、純にしがみついた。高校生だったろうか。私は、ブレザーを着ていたような気がする。
『澪・・・』
純が、悲痛な表情を浮かべている。
『彼女は、、自分より、澪を大切だと思ったんだ。』
!!!
ガバッと飛び起きた。目覚ましのアラームがけたたましく鳴っていた。
慌てて着替えようとしたが、夢のあのシーンが頭から離れない。
(私の方が、大切?)
こんな記憶、あっただろうか。夢?
それにしては、あまりに現実に起きた事のようだった。
「あたたっ、、!」
急いで靴下を履こうとして、かかとのテープに引っかかった。
そうだった。昨日、湊とディズニーランドに行ったんだった。車の中で、頬にキスされたのを思い出し、真っ赤になりながら急いで支度した。
今日は絶対に遅刻できない。いや、いつも遅刻なんてできないのだが。今日は美奈ちゃんの冠動脈瘤の検査が朝から入っていた。瘤の大きさや性状で、今後の方針が決定される。
「足、大丈夫か?」
自販機でコーヒーを買っていたとき、不意に湊に頭上から声をかけられた。
「うわっ!!」
「・・・城間先生ー、そんなに、驚くなよ。」
くっくっと湊が笑い、私の頭にポンッと手を置いた。
「おう!俺のこと、意識してるな!よしよしっ、良い傾向だ!」
「ばっ、、声が大きいっ、、」
私が、しーっと指を立てると、あははと笑い、後で傷見るからなと言って外科の方へ歩いて行った。
「少し、眠たくなるお薬を使うね。」
麻績先生は美奈ちゃんに優しく声をかけ、うとうとし始めた美奈ちゃんをお母さんに抱っこしてもらい、エコー室へ向かった。
エコーの時間は、これでもかというくらい、長く感じた。美奈ちゃんのお母さんにはベッドサイドで、ずっと美奈ちゃんの手を握り、エコー画面を凝視していた。
「退院で、大丈夫でしょう。」
病室にもどった美奈ちゃんのお母さんに、麻績先生が言った。
「動脈瘤はありますが、問題となる大きさではありません。今後の経過次第にもよりますが。そのため、定期受診と、お薬は継続していただかなければいけませんが、ご自宅に帰れますよ。頑張りましたね。」
美奈ちゃんのお母さんは涙を流し、ありがとうございます、と麻績先生に言った。私も泣きそうだったが、ぐっとこらえて、
「本当に、良かったですね。お母さんがいつも側にいてくれたから、美奈ちゃんは頑張れたんだと思います。初期で、ガンマグロブリン療法を行ってますので、今後の予防接種の受け方に注意が必要ですね。後で、篠川看護師から説明してもらいますね。」
と伝えた。ありがとうございます、と美奈ちゃんのお母さんが私にも微笑んで言った。
まだまだ楽観視できない部分はあるが、本当に良かった。こうやって、回復していく患者ばかりではないからだ。
「退院後の注意点、よく勉強してあったな。」
麻績先生がさっきとはうって変わって、いつものように、ニコリともせずに言った。
「まだまだです、自分は。もっともっと、勉強しようと思います。それと・・・」
私が言葉を切ると、麻績先生がこちらを見た。
「アドバイスしていただいて、ありがとうございました。」
ぺこりとお辞儀をして言った。麻績先生は少し微笑み、穏やかに言った。
「そうだ、おまえはまだまだだ。精進を忘れるなよ。さぁ、仕事に戻れ。患者は1人じゃないんだ。」
「はい!」
私は回診へと向かった。
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