セカンド・ワールド
深海 泳
***
やられたと思った。
眼前に突きつけられた銀の切っ先。
次の瞬間、繰り出される鋭い斬撃。
その斬撃に引き裂かれたと思った。
白く瞬いてから、塗りつぶされる視界。
消えていく自分の体、存在。
ようやく、我の時代が終わる――。
目覚めると彼、『魔王』は道の上に立っていた。
何軒も立ち並ぶ住宅、横から照りつけてくる橙色の太陽。
けたたましい虫の声、灰色に熱された道。
ぼんやりとした頭の中で、彼は思う。
ここは地獄か?
まるで、窯の中にいるような。
……なんて、熱いんだ。
「ちょ、ちょっと! 大丈夫ですか!?」
朦朧とする意識の中、膝をついた彼に駆け寄る誰かが見えた。
直後、彼は意識を失くす。
しばらくして、彼は再び意識を取り戻した。
見れば脚、脇、首筋に冷えた水袋が当てられている。
何が起きたのだろうか。
視線を泳がせると、目覚めたことに気付いた誰かが声をかけてくる。
「大丈夫ですか? 救急車でも呼びましょうか」
背の高い木々の影、その中に浮かぶ人の顔。
長く滑らかな金髪、柔らかな声音、女性だろうか。
彼の視点が少しずつ定まっていくと、そこにいたのは見覚えのある女性の姿だった。
彼は起き上がり、反射的に距離を取る。
「お前は……」
「きゅ、急に動いたらダメですよ! まずはお水を飲みましょう、ね?」
女性は彼の腕を強引に掴み、引き止める。
そして手に持つ、液体の入った透明な筒を彼に押し付けた。
蓋の開けられた筒の中を見る。
液体の色は透明、異臭もない……本当に水だろうか?
彼は怪訝な目を彼女に向けたが。
喉が乾いているのも事実で、このままでは危険な状態だということも理解していた。
だから彼は筒に口を付け、液体を飲む。
本当に水だった。
思っていたよりも喉は乾いていたようで、彼は一気に飲み干してしまった。
そんな彼に、女性は尋ねる。
「どうです? 具合は」
「……生き返った」
「よかった! あなた、そこで倒れたんですよ?」
そう言って彼女が指差した先には、灰色の道があった。
熱された石窯のような道。それを見て、彼は問う。
「ここは、地獄か?」
女性は数秒ほど、驚きの表情を浮かべてから。吹き出すように笑い出した。
「確かに、ここの夏は地獄ですね。ニュースによれば、虫も死んじゃうくらいの暑さらしいですよ?」
何がおかしいのだろうか、彼は顔をしかめる。
だが、どうやらここは、地獄ではあっても比較的平和な地獄らしい。
そう認識した彼に、女性は尋ねた。
「あなた、名前は?」
「……ラエド」
「私はリーベ、よろしくね」
見覚えのある顔で、見たことのない柔らかな笑みを見せる彼女。
リーベ、その名には聞き覚えがあった。
魔王が殺した、勇者一行の聖職者の名だ。
「お前は、リーベ・アンゲラーなのか」
彼女は数秒ほど、不自然なほどの微笑みを向けながら間をあける。
それから日の暮れ始めた空を見上げて、言った。
「……この後、お祭りがあるんですけど。一緒に行きませんか?」
「は? ……祭り?」
「夏祭り。私、行ったことはないんですけど……どうです?」
ラエドもまた、間をあけて考える。
話がある、ということだろうか。
ラエドは頷き、答えた。
「わかった、行こう」
「よかった! 立てます? 少し距離があるので、歩きますよ」
「問題ない」
彼は立ち上がり、歩き出したリーベの後ろをついていくことにした。
時折、リーベが心配そうな表情で振り返る。
ちゃんとついてきているのか心配なのだろう。
そのことに気付いたラエドは数歩前に進んで、リーベの隣を歩いた。
遠くから、賑やかな祭ばやしが聞こえてくる。
赤、青、黄色の提灯が鮮やかに夜を彩り。
行き交う人の姿も多く、二度ほど軽く肩をぶつけた。
「こっち」
リーベがラエドの腕を引き、横道にそれる。
それからしばらく坂道を歩いていくと、川辺の丘にたどり着いた。
何組かの若い男女や、子供連れの夫婦が腰を下ろし、空を見上げている。
「祭りは向こうじゃないのか?」
「ここもお祭りの会場ですよ、……ほら」
リーベが指差すほうを見る。
指先から、光が広がったように見えた。
夜空に浮かぶ、色鮮やかな光の模様、明滅。
何度も砲弾の音が聞こえて数秒後。
光が弾け、広がって、消えていく。
「これは……」
「花火です。結構音、大きいでしょう?」
リーベの言う通り、打ち上がる光の音は大きく。
かつ周囲から聞こえる子どもたちの歓声も、二人の会話をごまかせる音量だった。
リーベはラエドの瞳を見て、言った。
「これなら、何を話しても、誰も気にしません」
「……ここは、地獄だな」
「ええ……と言っても、私たちの考えていたような地獄ではありませんでしたが」
ここに至るまでの世界で。
リーベは仲間を護るために魔王の気をひきつけ、結果殺された。
だがその事件をきっかけに勇者一行は更に力を身につけ、見事魔王を倒してみせたのだ。
リーベがあの時、自らの命を惜しんで生き残っていたならば。
勇者一行はその時点で壊滅していただろう。
「あなたがここにいる、ということは……成し遂げたのですね」
「ああ。勇者は、我を倒した」
リーベは一度、視線を上空の火花に向けてから、続けた。
「……ここに来る前から、私。一つだけ気がかりがありました。……あなたのことです」
「我のこと? なぜだ」
「瞳の中に、青が視えたから」
言われてラエドは思い出す。
聖職者の中には、色が視える者がいると言う。
人によって色の解釈は違うが、視えた色から相手の本質を見抜くのだとか。
「悲しいことが、あったのではないですか? だからあなたは『魔王になった』」
その問いに、ラエドは答えられなかった。
百年以上も昔、国によって惨殺された愛妻、踏みにじられた人権。
思い出すのも苦々しく、思い出す度に苦しくなるトラウマ。
そんなトラウマが彼を魔王に駆り立てたのは、間違いではない。
過去を思い出してしまい、痛みに表情を歪ませた彼に、リーベは言った。
「でも、ここはもう地獄です」
だから、もう悲しんでも良いのだ、と。
そしてもう、苦しむ必要もないのだと。
だってここは。
「あの世界とは、別物ですから」
セカンド・ワールド 深海 泳 @Fukami_n
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