第4話
親父の墓の前に1人の男が立っていた。2mはありそうな体躯に黒髪オールバックでティアドロップをかけている、どう見てもカタギとは思えない男は雨だというのに傘を差さずに静かに墓標の前で手を合わせていた。強面な印象とは裏腹にあまりにも真剣な面持ちだったため声をかけるタイミングを見つけられず、その横顔を見続けることしか出来なかった。そんな俺に気づいたのか、その男は手を合わせたまま俺に問いを投げかけた。
「who?」
「・・・I’m his son」
「息子?あの人の?」
英語で質問してきたかと思えば今度は流暢な日本語が飛び出してきた。俺の返答に驚いたのか、ティアドロップを外し真っ直ぐに俺を見据える。鋭い眼の中に赤い光が輝いていた。体格といい瞳の色といい、おそらく親父が海外を放浪中に出会った人なのだろう。
「親父の知り合いですか?」
「ああ。昔、感謝してもしきれないほど彼に世話になった。本当なら生きてる間に恩を返せたら良かったのだが・・・」
悔しげに目を伏せて、墓を一瞥する。その様子だけで本当に親父を慕っていたことが分かった。
「オレはブラムという。君の名前を訊いてもいいかな?」
初対面の素性も知らない男性に個人情報を開示してもいいか悩んだが、俺の名前がバレた程度ではどうにもならないだろう。
「河堀 蔀っていいます」
「シトミか・・・。良い名前だな、音の響きが良い」
「はぁ、どうも」
「そうだ、もし時間があれば一緒にランチでもどうだ?ぜひご馳走させてくれ」
「奢りなら、喜んで」
「ふっ、いいね。気に入ったよ、ブラザー」
「ブラザー?」
「ああ、オレのことは兄貴だと思ってくれていい。彼の息子でもあるしな。オレに出来ることならいくらでも頼ってくれ」
「そういうの、勘弁っす。恩とか借りとかそんなことは当事者だけでやっててください。突然降って湧いた幸福や不幸を受け止められるほど余裕ないんで」
「そ、そうか。それは悪かった。でもランチは奢らせてくれよな、ブラザーなんだから」
「タダ飯より美味いものはないっすから。喜んでご相伴に預からせていただきます」
「よし、決まりだな。肉でも食うか?寿司とかラーメンでもいいぞ」
「じゃあ、肉食って寿司食った後にラーメン行きましょ」
「他人の財布だからって容赦ないな!」
宣言通り焼肉屋に行って回転寿司に行った後に家系のラーメンを制覇したわけだが、あまりにも向こう見ずな計画だった。家に着くまでに胃袋の中身が逆流してしまいそうだったので、当然のように彼の奢りでファミレスへ行き食休みをすることにした。
「学校はどうだ、楽しいか?」
紫煙を見上げながら親のようなことを訊いてくる。タバコを燻らせるその姿はどこぞの俳優のように様になっていて、男の恰好良さを体現しているようだった。
「学校ってのは別に楽しむ場所じゃないでしょ。大人だってイヤイヤ言いながら仕事してるんだし」
「可愛くないなぁ。・・・浮いた話の一つや二つくらいあるんじゃないの?そういう年頃だろ」
「あー、どうでしょう。あんまり人と関わることもないんで、そういう話に縁は無いっすね」
「ふーん。部活とか委員会とか入ってないの?」
「はい、貧血気味で長時間の運動とかが苦手なんで」
「貧血・・・ね。それは大変だな」
そんな益体のない会話を続けている。大人の包容力とでも言うのか、こちらが話しやすいような空気を作り出してくれている。ある意味美姫先生とは対極の存在だった。あれはあれで楽しいのだが、生徒と教師という関係上親しくなりすぎても良くないという事情もあるのかもしれない。逆に言えば、教師であるが故に俺のような生徒とも関わらなくてはいけない側面もあるのだろう。やはり、嫌なことをやってこその仕事だ。南無三。
「君はお父さんのこと、どう思っているんだ?」
「・・・別に。どうも思ってないっすよ」
頬杖を突きながら、ストローでグラスの氷をかき回す。カラカラと鳴る音は赤ん坊をあやすためのラトルのようだった。
好きじゃないのは確かだ。だからと言って嫌いでもないし、憎悪を抱いているわけではない。人としては尊敬できないけれど生き方としてはある種羨ましくもある。気ままに生きて死んだのならこれ以上の幸せはあるまい。墓参りのためにわざわざ異国の地から足を運んでくれるほど慕ってくれていた人もいるんだ。そんな生き方をした結果、自分の死を悼んでくれる人が1人でもいれば十分だろう。好き勝手した人生の幕引きにはこれ以上ない出来だ。正直に羨ましくもあるし妬ましい。
ただ、母親を独りにしたことだけはどうしても許し難い。俺は2人きりで過ごすことが出来て嬉しかったけれど、それは俺が思っているだけだ。彼女からすれば俺を重荷だと感じたこともあっただろう。辛い素振りを見せることなく弱音一つも吐かない、強く気高く美しい、俺にとって自慢の母親だが育児と仕事に両立がどれだけ大変かは現代社会を見れば一目瞭然だ。母親としてでなく女性として在りたい時間だってあったはずだ。だからこそ唯一親父の死を悔やむとしたら、死ぬ前に母親に謝罪させたかった。それだけだ。
「オレは彼を尊敬してる。彼のためなら死ぬことだって怖くなかった。彼のためなら何だってやれた。・・・なのに、どうして・・・」
声を震わせながらティアドロップから一筋の涙が流れる。その光景でどれだけ親父を慕っていたかが伝わるが、どうしても俺は共感できなかった。
備え付けてあるナプキンで涙を拭きながら話を続ける。
「彼の死因については知ってるか?」
「銃殺だったってことは聞きました」
「ああ、俺も始めはそう聞いた。けれど腑に落ちなくてな、日本に来る前に調査をしていたんだ。10年前のことを調べるとなると難航したが・・・」
亡くなったことを最近になって知ったと言っていたはずだから、余計に調査は難しかっただろう。それに様々な国を無軌道に渡り歩いていた親父のことだから最後に訪れた国を絞ることさえ困難に近かったはずだ。
「詳細は分からなかったが、彼を殺した犯人が判った」
「・・・は?」
その言葉に耳を疑った。しかし衝撃の事実と言えば衝撃の事実だが、犯人が判ったからと言って何だというのが正直なところだ。復讐する気など毛頭無いし、海外で殺されたとなれば手の出しようもない。ブラムならある程度自由に海外を渡り歩けるだろうけど、俺はまだ学生の身だ。だからこそ親父の死の真相を知ったところで意味はないのだが、彼の真意はどこにあるのだろう。
「ビショップって知ってるか?」
「ビショップ?チェスの話ですか?」
「まぁ外れてはいない。実際の聖職者の意味合いの方が強いけどな」
「聖職者って神父とかシスターとかそういう・・・」
「ここでのビショップってのは実際の職業ではなく、ロールの総称って感じか」
「ロール・・・、役割ってことですよね。その役目ってのは?」
「怪物退治」
息を呑んだ、と同時に蟠りが解けたような妙な気分に襲われた。腑に落ちたという表現が近いかもしれない。
・・・そうだ、初めから気づいていた。だけどそれを心の隅に追いやって気付いていない振りをして、無知であろうとした。心の安寧を保つにはそうせざるを得ないから。
「そうか、やっぱりそうだったんだ。・・・ああ、最初から分かっていた。親父が殺される理由も、多分俺も・・・」
「・・・君の話は彼から聞いていた。だからこそオレに君のことを頼んだんだろうな」
「でも、そのビショップとやらが親父を殺したとして、どうしようもないじゃないですか。その口ぶりから察するに特定の個人って訳じゃないんでしょう?」
「ああ、あいつらは組織で動いている。だけど・・・問題無い」
「問題無いって、まさか特定したんですか?」
「ビショップの1人に話を聞いたんだ。実行犯が数年前からこの辺りに住んでいるということをね」
「でも顔も容姿も判らなかったらどうしようもないのでは?」
「いや、それについては考えがある。・・・けど、これ以上君に話せることはない」
「待ってください!俺をブラザーと呼んだのはあなたですよ!今更隠し事なんて・・・」
「人を殺す覚悟はできているのか?」
「・・・ッ」
「オレはあの墓前で復讐を誓ったんだ」
目の前にいた気の良いお兄さんは消え、決意を固くした男の姿がそこにあった。
「オレの大切な人を奪った奴らにツケを払わせる。手始めにこの街にいるらしい張本人を始末することであの人への餞にさせてもらう。君には悪いけど、これはオレの闘いだ。誰にも邪魔させない」
ティアドロップ越しの赤い瞳に妖しい光が宿っているように見えた。
「もし協力してくれるというのなら喜んで情報を提供しよう。・・・もしオレの前に立ち塞がるというのなら、その時はもう、ブラザーじゃない」
「・・・正直、話に追いつけません。ビショップとか復讐とか言われてもよく分かりませんし、あなたがやろうとしていることの正しさの所在も判断できるほど大人ではないです。・・・だけど、もし関係の無い人たちにも危害を及ぼすようであれば全力であなたを止めます」
「半端者の君に出来るのかな」
「出来るかどうかは問題じゃないです。ここで話を聞いた以上、止める責任が発生しましたから」
「真面目だな、君は」
溜め息混じりを笑みを浮かべるブラム。2人の間に弛緩した空気が戻り、気の良いお兄さんが戻ってきた。
「安心しろ。君に危害を加えるつもりもないし、君の前に立ち塞がるつもりもさらさらないよ。次に会うのは・・・そうだな、空港で見送ってくれる時かな」
「誰も見送るなんて言ってないですよ。やることやってさっさと帰ってください」
「つれないなぁ、ブラザー」
街を包んでいた雨はすっかりと上がり、雲から差し込まれた月光が行き交う人々を照らしている。この分だと明日の天気はきっと快晴だろう。それを考えると憂鬱な気分だが、今はこの光景に浸っても良いよな。
ブラッディーマリー @blitzen
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