第3話
翌日、いつ降り出してもおかしくないほど厚く黒い雲が空を覆い尽くしていた。普段は曇りの日に登校するかは雲行きの確認と気分次第なのだが、今日は登校することにした。おそらく夏休み開始時期が他の生徒より早まる(自主的)ことになりそうなので、今のうちに少しでも出席日数を稼いでおくのが賢明だろう。幸いにも今日の時間割は比較的楽だ、といってもどの教科も大抵内職してるだけなのだが。
・・・と思っていた時期が私にもありました。
どういうわけか学校に着いた途端、一面覆っていた分厚い雲は見る影もなく晴れ上がった青空と照りつける太陽が顔を覗かせていた。どんな強風が吹けばあの雲が吹き飛ぶのか甚だ理解に苦しむが、登校してしまったものは仕方がない。肩を落としながら教室に入った矢先、クラスメイトが体操着に着替えている姿が目に入った。あれ?今日、水曜日だよな。キョロキョロと辺りを見渡して黒板に書かれた日付を確認すると、『木曜日』の文字が確認できた。・・・今から帰っても遅いよな。どうやら気ままに登校しているせいで曜日感覚が狂ってしまったようだ。座学はどうとでもなるが、体育の授業だけは体操着を持ってきていないと受けることができない。・・・しゃあない、事情を話して見学させてもらおう。仮に持っていたとしても、生憎の快晴なので見学するつもりだったが。
駄弁りながら着替えているクラスメイトを尻目に一足先にグラウンドへ行き、担当教師に話をつけることにした。例に漏れず体育の教師にも良い印象を持たれていないが、あっさりと見学を認めてくれた。もはや見放されてるどころか見捨てられてるまでありそうなほどの暖簾に腕押し感。美姫先生が特別ドライなのではなく、俺への態度がどの先生も共通してドライなのではないかという新たな発見を得たところで、着替えを終えたクラスメイトがグラウンドへ集まり始めた。この学校の体育は男女共に同じ種目を行うことが基本方針で、今月の種目はソフトボールらしい。銘々にグローブやベースの準備をするクラスメイトをぼんやりと日陰から眺める。一時間弱、こうして座っているだけだと分かっていたなら参考書でも持ってきて自習していれば良かった。手持ち無沙汰が過ぎて能動的に石を積んでしまう程度には時間を持て余していた。多分俺は地獄に落ちるだろうから今のうちに賽の河原での作業に慣れておくのも悪くない。そんなくだらないことを考えながら石積みを淡々と続けていくと、次第に積み上げる楽しさが増してきた。おそらくトランプタワーと似たような面白さ
なのだろう。一つ一つ石を吟味して、バランスをとりつつ更なる高みを目指す。何度か失敗を繰り返していよいよ30個という大台が見えた時、謎の地響きによってその夢が崩れ落ちた。その地響きの主はこちらに向かってくる誰かのようだった。
・・・誰だよ、邪魔したやつは。怨みがましい視線を送ると、そこには野暮ったい体操服に身を包んだ金髪ツインテ美少女がいた。何度かクラスで見た顔だ、名前は知らないけど。
「あなた、何しているの?」
「・・・刑務作業」
「は?何言ってるの?というか、あなたは何年生?授業に出席しないの?」
どうやら俺のことは存じ上げていないらしい。
「多分同じクラスだよ。たまにしか学校来ない奴いるだろ?そいつ」
「・・・ああ、あの人。あなた、名前は?」
「あるよ」
「そうじゃなくて。何ていうの?」
「
「しとみ?変わった名前ね」
・・・ほっとけ。
名も知らぬ美少女はいつの間にか俺の横に膝を抱えて座り込んでいた。ここで時間を潰す気なのだろうか。
「授業に出なくていいのか?」
俺が言えた義理ではないのだが、体操服を着ている姿を見る限り彼女には参加意欲はあると思う。しかし今はみんなの輪を外れて俺の近くで座り込んでいる。女性には色々な事情があると聞くが、水泳の授業を休む的なことなのだろうか。
「私、陽射しに当たるのが苦手なの。だからグラウンドの授業はいつも見学。あなたは・・・体操着を忘れたの?」
「ああ。まぁ、俺も陽射しは苦手だから見学できてラッキーって感じだけど」
「体操服を貸してくれる友達はいないの?」
「いると思うか?」
「・・・ごめんなさい」
美姫先生も似たような口ぶりだったけれど友達がいないと駄目なのだろうか。今の暮らしぶりに何一つ不満はないし、いなかったことで不便を感じたこともないのに。
その後、特段話をすることもないし共通の話題もないので沈黙が続いた。その沈黙に耐えられなかったのか、金髪ツインテが口を開く。
「あなた、何か話題はないの?」
「特にないなぁ。別に友達じゃないんだから無理に話すこともないだろ」
「・・・そんなんだから友達いないんじゃないの?」
「うっせぇ。いらないっつうの」
「はいはい。・・・じゃあ、吸血鬼って知ってる?」
仕方がない、といった風に向こうから話題が提供される。
「事件の話なら知ってるけど」
巷で話題の殺人事件はどうやら女子高生の間でも流行っているらしい。
「そう。あなたは吸血鬼っていると思う?」
「いないとは言い切れないんじゃないか?そこまでいったら、もう悪魔の証明だろうし」
「悪魔の証明?何のことか分からないけど・・・、私はいると思うの」
「その心は?」
「だって何件も殺人事件を起こしてるのに手がかりすら掴めてないんでしょう?そんなのおかしいもの」
やはりこの事件の奇妙さを気味悪がる人がいるのは間違いなさそうだ。
「確かにそうかもしれないけど、だからって吸血鬼と考えるのは早計じゃないか?」
奇妙な点が多い事件ではあるものの、逆に言えば手がかりも目撃証言も無いただの変わった手口の殺人事件でしかないのだ。それだけを吸血鬼の存在理由にするのはいささか根拠が弱すぎる。
「でも犯人はなぜ血をほとんど抜き取った状態で殺すのかしら。ものすごい手間と時間がかかる作業ではなくて?」
「・・・そうだな。確か、被害者は全員女性だよな。例えば被害女性の体重が50kgだと仮定すると、血液は体重の7〜8%程度だから・・・3500cc~4000ccか。それだけの量を瀉血することになると相当時間がかかるのは目に見えている。そもそも人を殺すだけなら血液の半分を失わせるだけで十分だ。血が全部抜き切るのを待っていたら目撃されるリスクも高まる。はっきり言って無駄な作業だ。」
事件が発生した場所の一つがショッピングモール内であることを考えたら、それだけ時間をかけていたら必然的に誰かに目撃される。仮に閉店後に殺害されたなら目撃されないかもしれないが、今度はどうやって侵入したかが問題になる。
「自然に血が流れていくってことはないの?長い時間流血したまま放置されていたら現場に残らなくてもよくなるでしょ?」
「いや、心停止した後は血流も止まるから失血死した後に全ての血液が体内から失われることはないと思う。死後凝血も起こるしな」
遺体の傷も首筋に2箇所だけ。どれくらいの大きさかは分からないけれど、吸血鬼と揶揄されるだけあって八重歯が差し込まれたような小さな穴なのだろう。その箇所から全ての血液が流れ出るとは到底思えない。注射器2本で4000cc弱を抜き取るためには何時間かかるかは定かではないけれど、それならさっさとナイフでも使って殺してしまえばいい。犯人が何らかの矜持を抱いているなら話は別だが。
「あんた、なんでそんなに詳しいの?」
「一般教養だよ」
しかし、ここまで考えると辻褄の合わないことが多すぎる。この一連の犯行を何一つ手がかりを残すことなく遂行できる人間がいるのか?監視カメラや住民の目をくぐり抜けて、何人もの女性をややこしい手口で手にかけることが果たして人間に可能なのか?謎は深まるばかりだ。いっそ吸血鬼の仕業であったら全てに説明がつくのに。
しばらく無言の内で考えを広げていると、ふと思いついたように不思議そうな顔をしながら首筋に顔を寄せられる。
「そういえばあんた、変わった匂いがするわね」
「ふ、風呂は毎日入ってるよ」
不意打ちを食らい、心臓のリズムが乱される。
「臭うとかじゃなくて、体臭?がなんか特徴的っていうか」
「初めて言われたな。そんな特徴的な体臭だったのか」
体臭は自分では気付きにくいと言うけれど、女子に指摘されると少し、ちょっぴり、地味に傷つく・・・。
「他の人とは少し違うみたい。お父様に似てるような・・・」
なぁんだ。お父さんみたいで安心するってことですかねって、そんな訳あるか。ただの加齢臭じゃないか。特徴的って言ってたのも遠回しに臭かったってことなの?
「やっぱり何でもないわ。忘れてちょうだい」
そう言って立ち上がるとグラウンドでも試合が終わったのか、用具の片付けを始めている。いつの間にかこんな時間になっていたのか。思ったよりも長い時間話し込んでいたようだ。
「そろそろ戻るわ。暇つぶしに付き合ってくれてありがとう」
「こちらこそ。陽射しに気をつけてな」
「ええ。あなたこそ」
金髪を靡かせて颯爽と校舎へ戻っていく彼女の後ろ姿は妙に様になっていて、どことなく上品さを滲ませていた。父親のことを『お父様』と呼んでいたし初対面の俺に対しても強気なところを見るに、おそらくどこかの良家の生まれなのだろう。
彼女の背中を見送って後、しばらく今回の事件について思いを巡らしていた。不可解な点が多い事件だが、もし仮に吸血鬼の仕業であるなら確かに説明がつく。監視の目を逃れることも被害者の血を全て抜き取ることも納得できる。しかしそうであるならば、なぜこの街で何人も殺す必要があるのだろうか。ここまで大事になってしまえば吸血鬼側にデメリットしかないように思える。騒ぎを起こしたいという理由なら得心いくが、都会でもなければ人口が多いわけでもないこの街である必要がない。考えれば考えるほどドツボにハマっていく。あちらを立てればこちらが立たず、全てを合理的に説明しようとすると必ず非合理に行き着くこの状況。何か重要なことを見落としているようで、パズルのピースが足りていないもどかしさを感じる。なぜかこの事件に固執している自分に驚くが、しかし所詮ただの第三者に過ぎない。蓋を開けてみれば案外くだらない事件だったなんてことは山ほどあるし、吸血鬼なんてただの杞憂で凡百には想像も及ばない才知溢れる人間が道を外したのかもしれない。もし解決しなくともいずれ風化して人々の記憶から消えていくなら安楽椅子で推理したって用を成さない。
「・・・考えたってしょうがないか」
吸い込まれそうなほど青ざめた大空に、笑われている気がした。
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