第2話

「え、え……?」


 状況を理解してもスピネは動けない。大賢者の元で学んでいたとはいえ、年端もいかぬ少女が初めての死を前に即座に行動できる訳がない。呆然と立ち尽くし、自然と涙が頬を伝う。傷付く師を前に泣くことしか出来なかった。


「逃げなさい」


 カスパールは震える腕でスピネを付き飛ばすと、口元で何か唱える。すると、スピネを囲うように白く光る結晶が現れて閉じ込めた。


「へぇ……。やっぱり、大賢者って化物だな。こんな状況でも【魔術】使えんのかよ」


 カスパールの背後。大賢者のタフさに呆れながら、渦巻く刀身を引き抜いた。刃から解放されたカスパールは、スピネを守るように背を向け自身を襲った相手に構える。スピネの前に立つカスパールの背は、酷く小さく見えた。


「スフェーン……。何故、お主が儂を襲うんじゃ?」


「何故って、そりゃ、お前の方が良く分かってるんじゃないのかよ? なぁ、死の大賢者――カスパール様よぉ!!」


 スフェーンは苛立ちを込めて叫ぶ。


「……分からん。お主は優秀な弟子じゃった。それだけじゃ」


「この状況でまだ惚けるのか? 俺は知ってるんだよ。お前が【長寿】を手に入れるために、俺の両親を殺したことをなぁ!!」


「なっ……!! それを何処で聞いた……。お前はまだ、生まれて間もなかったはず……。記憶なんてあるわけがない」


 カスパールは知るはずもない記憶を持つスフェーンに驚く。だが、それはスフェーンの言葉を認めていることに他ならない。


「ほらな。やっぱり、そうだ。俺は殺された両親の血の中に静められた。研究の一環としてな」


 スフェーンは纏っていた黒いローブを破った。鍛え上げられたスフェーンの肉体が露になる。その体には火傷痕のようでありながら、もっと赤く、もっと濁った痕が刻まれていた。


「それを知った時から、俺はお前をずっと殺したかった。何年も何年も何年も何年も! 気付けば成人しちまってたよ。だが、長い年月のお陰で分かったことがある。今日はお前が一番油断する日だってことだ。愛する人の命日だっけか?」


「……」


 スピネも今日がカスパールに取って何の日か知っていた。だから、元気が出るようと、その意味が持つ花を送ったのだ。実際に行動に移したのはスピネだが、提案をしたのは――スフェーンだった。


「そんな日に、そこの馬鹿がプレゼント渡せばもっと隙だらけになると思ったら、案の定だ。大賢者様は身内に甘いんだな」


「そんな……!!」


 カスパールに守られた結晶の中、スピネは口元を抑える。スフェーンも毎年、悲しい顔をして一日捧げる師匠に何かしてあげたいと言っていた。

 その言葉が嘘だったなんて……。

 自分はカスパールを殺すために利用されたんだ。兄の裏切りと愚かにも行動に移した自分を責めるように、スピネは大粒の涙を止め処なく流す。

 スピネの涙にカスパールの瞳に力が込もる。


「スピネまでも……利用したのか……」


 血反吐を吐いて睨むカスパール。だが、その姿はスフェーンに取っては愉快でしかなかった。大賢者の憎しみに染まった瞳に血にまみれた身体。

 これこそが自分が見たかった師匠の姿だと堪えられぬ笑いが漏れる。


「最高だよ。俺が大賢者を殺して、その後を次ぐ。俺こそが最強の大賢者だ!」 


 今にも途絶えそうな呼吸でカスパールは言った。


「……何が最強じゃ。こんなもの強さの内には――!」


「黙れ!!」


 スフェーンは握っていたつるぎの刀身を二股に分けて、編み込むように伸ばす。【物質の変形】は、数ある【魔術】の中でもカスパールしか知らぬ技術だった。カスパールは、自らが口伝こうでんした弟子に、顔を突き刺された。


「ひっ!!」


 スピネが結界の中で顔を覆う。


「安心しろ。【大賢者の魂】を引き継いだら、次はお前を殺してやるよ」


 後頭部まで貫いたカスパールの頭に、右手を沿える。すると、カスパールの頭から、光り輝く魂の結晶が抜け出した。虹色に輝く光は生きているかのように色を変え、世界を照らす。それはまるで、あらゆる知識と技術で世界を照らす大賢者そのものだった。


「これが、【大賢者の魂】か……。旨そうだな」


 スフェーンは大きな口を開け、掴んだ魂を喰らおうと口を開く。大きな口で齧りついた瞬間、スフェーンは後方に弾き飛ばされた。


「な……っ!!」


 魂が抜かれたカスパールの身体が、右手を翳しスフェーンに【魔術】を放ったのだ。自らの血液を氷柱の如く変化させ、地面から突き上げた。


「……ッ!! こいつ、マジかよ。魂抜かれてんのに【魔術】を……。自分が魂を抜かれた時のために、保険を賭けてたって訳か。本当、バケモンだよ」


 魂は抜き取った。ならば、身体に用はない。全てを引き裂こうとスフェーンは剣を、巨大な斧に変形させる。自身の身体よりも大きな斧を片手で振り回す。

 斧はカスパールの首を引き裂き、腕を落とし、足を砕く。人体の壊れる音と部屋に散る鮮血。命の灯らぬ身体にも容赦のない兄弟子の姿は――まるで魔物だとスピネは怯える。

 少し口が悪いけど、優秀で優しい兄弟子はどこにもいない。スピネは恐怖で震える身体を抱えた。


「もう、やめて……。もう、やめてよ!!」


 兄弟子の人とは思えぬ所業に結界の中でスピネが叫ぶ。これ以上、カスパールの身体が壊れるところを見たくない。

 スピネの思いに反応したかのように、宙に浮いていた魂が強い光を生み出し、スピネを包んだ。


「……これは?」


 先ほどまで見ていた悪夢のような光景は消え、暖かな光に満ちた白い空間にスピネは立っていた。全てが白く清らかな輝きの中、何処からかカスパールが現れた。


「カスパール様!!」


 姿を見せたカスパールに抱き着く。だが、スピネの腕はカスパールを捉えることなく空を切った。


「どういうことですか、カスパール様……!」


「ここは魂だけの世界じゃ。最後の力を振り絞ってお主と話しておるのじゃ」


「そんな……最後だなんて言わないでよ! 大賢者なんでしょ!?」


 スピネの言葉に頭を下げた。


「……すまんの。儂はスフェーンを止められんかった。あの悪意にもっと早く気付いておれば、お前にも苦しい光景を見せることはなかったのに……」


「そんな……。カスパール様は悪くないよ。私の方がずっと一緒にいたんだから、私が気付いて止めるべきだった。それなのに、利用されて……カスパール様が」


「スピネ。お主はその優しさを捨てる出ないぞ……」


 裏切りの兄への憎しみの言葉ではなく、止められなかった自分を悔やむスピネ。それがカスパールには嬉しかった。

 実体のない手を伸ばしてスピネの頭を撫でる。優しい笑みを浮かべてカスパールは言った。


「儂は今から、自らの魂を分断し、各地へ散らす。だから、お主は、スフェーンを止めるのじゃ……。それが儂の最後の頼みじゃ」


「そんな……」


 偉大なる大賢者の頼み。それは自分には荷が重いと弱弱しい、涙の混じった声でスピネは言った。


「私、運動も魔術も、スフェーンに勝ったことないんだよ? それに、あんな化物みたいになったスフェーンと戦えないよ」


「安心せい。まずは【バサナテル墓地】にいる一骨いっこつという男を訪ねろ。奴ならば、スフェーンにも対抗できる力を持っておるはずじゃ」


 涙で言葉を詰まらせるスピネは、答えることが出来なかった。声にならぬ涙を絶えず流すスピネに、カスパールは最後の言葉を残す。


「すまんかったな。最後のプレゼントがそんなものになってしまって」


 カスパールは最後にルコンソウの花で作られた髪留めにそっと手を伸ばす。伸ばされた手は消え、光の空間が剥げるようにして消えていった。

 次に目が明けた時、スピネの視界はカスパールの部屋ではなかった。近くの村の一角。何もない畑の中、一人立ちすくんでいた。

 一陣の風が虚しく吹いた。風はスピネの身体を突き抜け、胸を突き刺すかのように痛みを届けた。

 胸を抑えてスピネは【不倒塔ふとうとう】を見上げる。


「カスパール様ぁ!!」


 スピネが叫ぶと同時に、【不倒塔】から七色の光が散ったのだった。

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