大賢者の弟子は、師匠の隠し子に恋をする~魂を供養する旅はデートともいえる~

@yayuS

第1話

不倒塔ふとうとう


 それは、世界に『三人しかいない大賢者』の一人が住むとされている塔の名前だった。山頂から太陽に向かって、龍が昇天するように突き出た塔は、バランスが悪く今にも崩れそうだ。しかし、その塔は雨の日も風の日も倒れることはなかった。

 何があっても自分はここにいる。

 そう主張するが如く立つ姿は、人々から畏怖されていた。


【不倒塔】の最上階。

 樹木から落ちた枯葉のように本や巻物が無機質に床に広がっていた。古びた紙と埃の匂いで満ちた部屋。

 一人の老人が膝を付き、誰か・・に思いを馳せるように祈っていた。

 こけた頬を隠すように伸びた白い髭。頭に巻かれた布は色が落ちて黄ばみ、あちこちがほつれていた。その姿で街に出れば、物乞いと勘違いされそうな出で立ちだ。

 そんな貧相な彼こそが――大賢者だった。

【魔術】の開発や、人と魔物の住む場所を分断する【領域テリトリー】など、世界にもたらした恩恵は数知れず。その知能を求めて国と国が争ったとまで記録されている存在。


「大賢者カスパール様! 少し宜しいでしょうか?」


 祈るカスパールの部屋が乱暴に叩かれる。カスパールは、瞼をゆっくりと開き優しい声で答えた。その声は穏やかな南風のように暖かい。


「……スピネ。今日だけは、一人にしてくれと言ったじゃろうに」


「ごめんなさい。でも、毎年毎年、この日はカスパール様が元気ないから、どうしても元気になって欲しくて……これを」


 扉を開けたのは、可愛らしい少女だった。年齢は10代後半。美しい銀髪を腰まで伸ばしていた。溌溂とした瞳は優しさを含んで桃色に輝いており、服装は白の衣装に真っ赤なローブを羽織っていた。


 スピネと呼ばれた少女は、勢いよく頭を下げると、ポケットから数輪の小さな花束を取り出した。星の形をした深紅の花弁。心地の良い花の香りがカスパールの鼻孔に流れる。


「これは……ルコンソウの花束?」


「はい。ルコンソウの花言葉は、『繊細な愛』、『元気』らしいので、今日のカスパール様にぴったりかなと思って取ってきました」


 少しでもカスパールが元気になればいい。スピネはそんな思いを込めて花束を採取し、手渡した。

 差し出された花束を、カスパールは戸惑いながら受け取る。


「しかし、ルコンソウは、この辺りには生息していないはず。しかも、殆んどが魔物が住む森の中にしか咲かないと儂は記憶しておるが……」


「へへっ。『全ては取捨選択』だもん。私はカスパール様に元気になって欲しかったからやったんだ!」


 スピネは『全ては取捨選択』だと胸を張る。

 それはカスパールが日頃から口にする教えだった。何を捨てて何を拾うのか。常に意識をするようにとスピネは育てられていた。

 今回の場合はカスパールの為に、ルコンソウを集めるか、何もしないかの二択。スピネは行動する方を選んだ。日頃、お世話になっているカスパールのためなら、少しの危険も怖くなかった。


「それに、私は大賢者の弟子だよ? これくらい簡単だよ!」


 大賢者から学んだ知識を使えば、距離も魔物も関係ないとスピネは得意気に笑った。


「なにが簡単だよ。「私は【魔術】が一つしか使えないから、一緒に来て欲しい」って、泣きついてきたのによ」


「あ! それは言わないって約束したでしょ、スフェーン!!」


 部屋の外で二人の会話を聞いていたのだろうか。全身を黒のマントで覆い、その胸元には銀色の首輪が光る少年が入口に立っていた。肉食獣のような鋭い眼光を持つスフェーンと呼ばれた少年は、カスパールの一番弟子であり、スピネの兄弟子だった。


「だから、お前は馬鹿だって言うんだよ。相手は大賢者カスパール様だぞ? 俺が手を貸したことくらい直ぐ分かるっての」


「でもさ。それでも、こう……色々、あるじゃない」


 胸の前で両腕を回すスピネ。心に掛かる靄を絡めて、自分の思いを口に出したいようだが、上手く言葉に出来ていなかった。

 弟子たちの楽しそうな姿と、優しさの込められた花束。カスパールはもう一度、大きく息を吸い花の香りを楽しみ笑顔を浮かべた。


「ふふ。2人共、その辺にしておきなさい。スピネ、こっちへおいで」


「はい、カスパールさま!」


 スピネは飛び込むように抱き着いた。嬉しそうな大賢者の笑顔に、自然とスピネの表情も明るくなる。


「これはお礼じゃよ」


 カスパールがそう言うと、受け取ったルコンソウを一輪抜き、両手で優しく包んだ。手の平の隙間から眩い光が漏れる。すると、ルコンソウは宝石のような煌めきと硬度を持った髪留めへ変化していた。

 カスパールは髪留めをスピネの頭に付ける。銀髪に強調された赤は美しく映えた。頭に感じるカスパールの残熱ざんねつ。少しも逃がさないというように、スピネは髪留めを抑えた。


「ありがとう、カスパール様!」


 顔を上げ、満面の笑みを浮かべて礼を述べたスピネに――更なる『赤』が降り注ぐ。

 黒みと粘性をもった『赤』は、べっとりとスピネの顔に張り付いた。黒みを帯び、酸化した鉄の匂いがスピネの鼻孔を満たす。匂いさえも身体に纏わりつくような『赤』。それはまるで、血液のようで――。


「……何故?」


 スピネの頭上でカスパールは、しゃがれた声を出す。

 笑みの消えたカスパール。口端から垂れる血。胸元には渦巻く刀身が背後から心臓を貫いてた。その光景を見てスピネはようやく理解した。降りかかった『赤』はカスパールの『血液』で、何者かがカスパールを突き刺したのだと。

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