第3話

「ここに住んでる人が、力を貸してくれるんですよね? カスパール様……!!」


 眼前に広がる【バサナテル墓地】に、少女は怯え足を止める。墓地は鬱蒼とした森の中にある。狂ったように湾曲した樹木たちが枝を広げ、日光の侵入を許さない。地を照らさないからか、土は湿り特有の匂いを放っていた。


 常夜とも言うべき墓地を訪れた少女。

 彼女の名前はスピネ。腰まで伸びた白い髪に止められた真っ赤な花の髪飾りが、光を浴びて輝く。瞳は淡い桃色で恐怖に潤んでいた。

 墓地に似合わぬ可憐さを持った少女だった。

 彼女は自分の頬を叩いて気合を入れる。


「恐れることはないわよ、スピネなら出来る!!」


 自分を鼓舞し、スピネは墓地へ入る。スピネが一人で墓地を訪れた理由。それはカスパールの最後の言葉でもある『一骨』なる人を探すためだった。


「うう……。でも、やっぱり、戦士たちを雇ってくれば良かった」


 鼓舞した決意は三歩で尽き、腰を引いて歩く。握った松明の灯りが、スピネの心に共鳴したかのように、頼りなく揺らめいた。


 【バサナテル墓地】は、火葬が一般的になる前、死人を土葬していたことがきっかけで、魔物の一種であるスケルトンが生まれるようになった領域テリトリー


 そんな領域テリトリーに足を踏みいれるにあたり、魔物との戦いを日常としている戦士がいれば、どれほど心強いか。

 スピネは、誰にも頼らずに魔物の領域テリトリーに足を踏み入れたことを後悔する。


「でも……、人を巻き込みたくないって決めたのは私だもん」


 ゆっくりと、辺りを警戒しながら歩く。いくつも並べられた墓石に献花する人はいないのだろう。手入れのされていない墓石は劣化で削れ、苔が生えていた。


 重苦しい空気がスピネの身体に絡まる。風で揺れる草葉の擦れる音は、「引き返せ」、「出直せ」と誘惑の声に聞こえてくる。言われるがままに、逃げ出したくなるがそういう訳にはいかない。スピネは耳を塞ぐように頭を抱えて、歩き続けた。


 墓地をどれだけ歩いただろうか。幸いにも、墓地のあるじである骨の魔物――スケルトンにも出会っていない。

 この調子で目的を達したいとスピネは願い足を進めていくが、その願いは儚く消えた。

 スケルトンよりも恐ろしい魔物が――前方にいたからだ。


「……なんで、こんなところに、双狼ツインウルフがいるのよ」


 墓石に囲まれた地。

 遠目からでも分かる巨体が墓石を鼻で押しのけ、眠るスケルトンの骨を喰らっていた。バリバリと音を立てて骨を砕く音が木々を震わせる。

 人間を一飲みできる体躯に二つの頭を持った狼――双狼ツインウルフ


 双狼ツインウルフは、名前の通り頭が二つある狼であり、体格、狂暴性、食欲。全てが通常の狼よりも二倍以上に強い魔物だった。


「確かに、近くの森は狼族おおかみぞく領域テリトリーではあるけど――」


 領域テリトリーは、魔物を人々が暮らす地域へ移動できないように、三人の大賢者が作った結界。それは魔物の住処によって細かく区分されていた。


 スピネは頭の中に地図を思い浮かべる。スピネが今いるこの墓地から更に深く森へ踏み込めば、そこから先は狼族が領域テリトリーとしている、【狼牙ろうがの森】がある。


「でも、領域テリトリーがあるから、魔物の往来は出来ないはず。となると、やっぱり、双狼ツインウルフは、領域テリトリーを破ってここにいるって訳よね……」


 己の冷静さを見失わないようにスピネは、落ち着きを装う。

 魔物は、危険度は3つの【級】に分類され、そこからさらに種族の強さに応じて3段階の【星】で振り分けられる。


 領域内から出ることが出来ない比較的な安全な魔物を【序級じょきゅう】。

 領域を突破できる強さを持った魔物を【破級はきゅう】。

 領域テリトリーを破壊できる強さを持った魔物を【壊級かいきゅう】。


 もっとも、一番危険度の高い【壊級かいきゅう】の魔物は、百年に一度程度しか確認れたことはない。現にスピネも記録とカスパールの話でしか知らない。


双狼ツインウルフ。危険度は、【破級はきゅうの一ツ星】。つまり、私じゃ全く歯が立たないということ」


【星】は数が少ないほど強い種族であり、どの【級】に所属していようと、【一ツ星】の魔物には一人で挑むなというのが、誰もが認識しているルールである。ましてや、戦士でもないスピネがどう足掻いても勝てる相手ではない。


 幸い相手はまだスピネの存在に気付いていない。墓石の下に埋まった骨に夢中なのだろうか。太い鼻と鋭い爪を使って地面を掘り起こしていた。


「そーっと、そーっと」


 スピネは音をたてぬように、背を向けて一歩一歩、足音を立てぬように歩く。ぬかるんだ地面に足を取られないように、スピネは墓石に手を添える。それは、より安全で静かに逃げるための行為だったのだが――裏目にでた。

 日の入らぬ湿気た地をこの無生物がそこにはいた。


 ヌメリ。


 墓石に伸ばした指先に、普通に生活していたらまず味わえないだろう感触があった。熟れに熟れた果物に振れたような、腐った肉に振れたような嫌悪感。スピネは指先に視線を向ける。直ぐに不気味な感触の正体が分かった。滑らかな身体を粘液で湿らせたナメクジだった。

 そして、スピネは虫が大嫌いで――。


「イヤァァッァ!!」


 決して振れたくないモノに振れてしまったと大声で叫ぶスピネ。自分がどういう状況に置かれているのかも忘れてしまっていた。

 重苦しい墓地の空気を引き裂くスピネの叫びは、背後にいる双狼ツインウルフにも届いた。


 牙を剥き短く唸り声を上げると、獲物スピネを逃がさぬように、巨体からは考えられぬ俊敏さで襲い掛かった。

 戦う力を持たないスピネに出来ることはなく、頭を抱えてしゃがみ込むことが唯一の抵抗だった。自分の弱さに涙が流れるスピネ。泣いたところで、何も選択しなければ解決はしない。それはあの時、学んだ筈なのに――。


「これ以上、俺達の墓を荒らすんじゃねぇ!! そんなに食いたきゃ、てめぇらの骨でもしゃぶりやがれ!!」


 しゃがみ込んだスピネの頭上から声が響いた。

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