第22話 「シエラの母親」
「シエラ、君が母と呼ぶ女性は君を産んだ人?」
勿体ぶること無く本題から入る。この子は悪気がある訳では無い。隠そうと思っていた訳でもない。
ただ私達が当然そうであろうと勝手に思い込み、聞くこともしなかっただけだ。
「母、私、産んでない、言った」
「うん」
シエラが母と呼ぶ存在はそもそも実の母親じゃなかった。十歳で子を産んだという忌々しい記録はどこの国でもあるだろう。だが今では一般的ではないし、流石に森に五年前から通い始めた人間には無理だろう。
「母、私に、森出るな、言った」
「それはどうして?」
「外、危ない。母、ずっと居れない」
森に出るなと言ったのは虐待でもなんでもなく、後ろめたくあったからでもないのだろう。シエラを守る為にした約束だった。
「森で魔物や動物に襲われたことはある?」
「ない」
「お母さんも?」
「ない」
私達が森に入り、夜を過ごした。シエラと私が眠った時に猪はやってきて襲いかかってきた。
森に動物はいたのにシエラを襲うことは無かった。
余計、訳が分からなくなるな。本人は必死にこちらに伝えようとしてくれているがあまりにも情報が絡まっている。
とりあえず纏めると、シエラは実の母に育てられた訳ではなく、母親は十五の時から森に通い始めており、頻度は三日に一度程。
普通、乳飲み子は、長い間離れていては生きていけない。数時間おきにミルクを与え、排泄物を処理するものだ。
三日に一度で子供は育つわけが無い。
それにやはり計算も合わない。シエラは私達に会う前は母親としか会ったことが無かった。
「シエル、ジェイコブが戻って来たようです」
「早いね、ギルマスだとやっぱり近くに住んでるのかな」
「シエラに聞くよりも母親に聞いた方が早いでしょう、何せ育てた本人ですし」
「そうだね、じゃあソファーを借りて座って待とうか」
ヴァンの言葉に頷いてシエラを膝に乗せてやる。十歳くらいの体格の子を乗せるのはどうかと思ったが、やはり不安に感じているのだろう。少し泣きそうだった。
「シエラ、誓いを覚えてる?」
「ずっと、一緒?」
「そう、一人にしない」
「本当?」
「嘘を僕とシエルが言うわけないでしょう」
呆れたようなヴァンの言葉にシエラは目を見開き、やがてくしゃりと笑った。
「うん」
やはり、シエラには笑顔が似合う。
「入るぞ」
ノックの後にまたジェイコブが入ってくる。その背に隠れるように細身の女性がいた。赤茶の長い髪を結った茶色い瞳の女性はシエラの顔を見ると唖然と固まった。
「シエラ?」
「母!」
立ち上がりかけようとするシエラの手をぎゅっと握り止める。なんでと不思議そうなシエラに私は首を横に振った。
「ダメだよ」
「…なんで?」
「ここは森ではない。そして、彼女にはやはり別の家があったんだ」
もう君はうちの子だろう?と聞けばしぶしぶ私の膝の上に戻る。そこに戻るのか。
「やっぱりシエラという娘の母親ってのはお前か…ハンナ」
「ジェイコブ…」
難しい顔でハンナの手をとり、ズカズカと大股で向かいのソファーに腰掛けた。きょろきょろと不安そうな仕草は、なるほど、確かにシエラに似ている。
顔の作りは全く違うが。
「シエラは森でいたところを私が保護しました」
「っ」
「シエラについて知っていますね」
「…はい」
震えるような声でハンナは答え、ジェイコブの手を強く握った。ジェイコブはそれを気にせず聞く気なようだ。
「シエラは…私の父が面白がって買ってきた子でした」
「…人売か」
ジェイコブが忌々しげに吐き捨てた。義理の父親に会ったことがないのだろうか。会った事があればそんなものを利用する性格だと分かりそうなものだが。余程外面が良かったのか…それとも。
「ハンナさん、貴方の父親は?」
「シエラが家に来た日、殺されました…多分、報いを受けたんだと思います。父を殺した白いモヤの様な人影は私と私が胸に抱いたシエラを見て言いました。森で育てろと、ある程度育った時、さらった山脈へ帰せと」
やはり、死んでいたのか。
白いモヤは殺しはしたが連れ帰れはできなかったのだろう。しかも、わざわざ森を指定されたんだな。
「私、怖くて。すぐに言われた通り森に連れていきました。珍しい目をしていたし、また人売りに捕まるのも可哀想だと思って。でも私赤ん坊の育て方なんて知りません、静かな子だったから森に誰にもバレずに連れ出せましたけど、どうすればいいか分からなくて」
ぽろぽろと涙をこぼし始めたハンナはシエラを見る。少し怯えたような目で。
「だから、分からないまま見つけた小屋にシエラを置いて逃げたんです」
「それは」
「悪いと思ってました。一日世話をしなければすぐに死んでしまうのだとわかってました!でも、私には無理だったっ!」
まだ十五の娘に一人で解決なんてできなかったとさめざめと泣くハンナに背筋がゾワゾワとする。
やはり、この子は五年前から育てられていた子だった。
「…次の日、せめて死を見届けようと。死んでいれば埋めてあげようと森に行ったんです、そしたら…泣き声が、聞こえて」
顔から血の気が引いて、ぽつりぽつりと続けられる信じられないような事実。
「生きてて、しかも、元気で…泣いてるのをあやしました。でもミルクなんて出ないしミルクを買うお金もないから何もあげられなくて」
父が死んで仕事もする事になったからとハンナは言葉を紡ぐ。シエラは静かに聞いていた。
「だけど、何もあげなくてもこの子は大きくなっていった。泣き声にも魔物や動物が反応することも無く、一人にしてもこの子は生きていて、しかも異常な速度で成長していたんです」
怯えた様な仕草に傷つかないかとシエラを見るとシエラは静かに私の手を握りしめた。そしてやんわりと微笑む。
「最初は次行った時は死んでいることばかり願って会いに行きました。次はどうか、死んでいて欲しいと。最低だと分かっていても願わずに居られなかった。一体父は何を買ったのか、怖くて怖くて」
「白いモヤからの接触はなかったんですか?」
「あれ以来出くわしてないです…だから死を待つだけの日々でも許されるのだと思って、そんな生活を続けてしまいました。転機は森に通う事にして一年が経った頃です、二歳頃になったシエラが私に抱きついてきて」
シエラがピクリと反応したのが分かった。
「温かくて、小さな体いっぱいで私を抱きしめる手が温かくて。生きているのだと伝えてくるようで」
「…転機というのは、つまり」
「私は何を育てているのかは一度忘れようと、ただこの小さな子供は父の犯した罪の被害者だから、やっぱり守り、育ててあげなければ。親元から引き離されたであろうこの子を山脈へ帰すのが義務だからとやっとその時思えたんです」
ハンナの言葉は分かるようで分かりにくい話だ。全て彼女の主観が混ざっていて事実と感情がぐちゃぐちゃだった。
元々説明が苦手なのかもしれない、だけど必死に話そうとしてくれているのは伝わる。自分が悪いとわかっている箇所までそのままに。
やはり、完全に悪い人ではないのだろう。シエラを育てたのは間違いなくこの人なのだから。
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