忠獣エリオット

 ある日のことだった。


「うわぁ……」


 畑の近くに魔性がいた。四足歩行の、棘の生えた大型の獣のような魔性。

 死にかけなのか、畑を目の前にして茶色の大地に横たわっている。息はしているようだが、口の辺りが僅かに動いているだけで起き上がる様子は一切見せない。


 旧市街の人間、特に俺のような農業や畜産業に携わる者達にとって、魔性の対処は死活問題だ。そもそも旧市街にはハイランドシティのような防衛システムが存在しておらず、自分達の手で魔性と戦う他無い。

 そんな旧市街の中でも餌となる野菜や家畜のいる場所はとりわけ魔性に狙われやすい——今まさに起きているように。


 ……でも。


 殺すべき存在を、殺すことのできる絶好の機会なのに、殺そうかと躊躇ってしまう。

 家から銃を持ってきたものの、その銃口を魔性に向ける勇気さえ無かった。


 ——何度も俺の畑を荒らした奴等なのに。


 その弱々しい姿は、俺が英雄にならないと決めるには充分だった。


 俺の体は自然と家のキッチンに向かっていた。冷蔵庫から肉の塊を取り出し、家を出て魔性の傍に歩み寄った。

 そして屈み——その僅かに開いた口に肉の塊を挿し込む。


 ——ああ、やってしまった。


 ここ一帯は畑や牧場が多く、この行為が知られれば——まあ知る方法なんてほぼほぼ無いだろうけど——裏切り者と見なされるだろう。

 頭ではそう理解している。だが、得たものは後悔では無く充足感であった。これまで何度も畑を荒らしてきた憎い奴等のはずなのに。


「……もう来るなよ。まあ来るんだろうけどさ」


 自然と口角の上がった口でそれだけ言って、仕事に取り掛かった。






「……うわぁ……」


 仕事を終えて戻ってくると、先程の魔性がまだいた。しかもさながら犬のように座っている。


 ……肉をもっと食いたいのだろうか?


 などと思った直後に恐怖に身を震わせた。

 あのルシファーのように、魔性の中には賢い奴もいる。この魔性も賢い個体で、安全だと思わせてその隙に襲い掛かる可能性がある。

 そう考えた瞬間、ようやく後悔を抱いた——あの時、英雄になるべきだったのだと。


 銃を構えて銃口を向けるのに一切の躊躇が無かった。眼前の獣を見据え、ゆっくりと後退りする。

 案の定魔性はついてきた。こちらに合わせるかのように、その巨体に合わない歩幅でゆっくりと歩いてくる。

 心臓の鼓動も、体を伝う汗の感触も、酷く感じた。後目に家の玄関の前まで来たと認め——


「——あぁっ!」


 咄嗟に玄関を開けて家の中に逃げ込んだ。扉の向こうにいる獣へと銃口を向け——


 しかし結局、魔性が家の扉を破ることは無かった。






「……うわぁ……」


 次の日、家の玄関を開けると昨日の魔性がまだいた。しかもまた犬のように座っている。

 一応持ってきた銃を魔性に向け——


 自然と銃を下ろしてしまった。

 不思議と、この魔性は何も悪いことをしないと思ってしまったのだ。


 手を伸ばして魔性に触れ——嫌がられるどころか、気持ち良さげに頭を俺の手に擦り付けてきた。


 ……何か、犬みたいだな。


 ふと、この魔性は雄なのか雌なのかが気になった——まあ、ルシファーのように性別が分かる事例は非常に少ないのだが。

 気持ち良さそうにしている魔性を見て、考える。


 ——見た目はいかついから仮に雄だとして——


「——エリオット」


 かつて飼っていた犬と同じ名前を付けた。






 エリオットとの生活は続いた。襲われるかと思ったが、こちらに襲い掛かってくる様子は一切見せない。

 エリオットの振る舞いは犬そのものであった。こちらに体を擦り付けてくるし、肉をやると嬉しそうにするし——かつて飼っていた犬との失われた時間を体験しているのだと思えた。


 エリオットが賢い魔性なのだとすれば、それを察してそのように振る舞っているのかもしれない。

 犬のように振る舞えば、この人間は美味い肉の塊をくれる——その程度の認識かもしれない。

 しかし仮にそうだと判明しても、俺は気に病むどころか依然として嬉しいままなのだろう。それ程までに、かつての愛犬エリオットの存在が大きい。


 そんな中で、面倒な事態が起こった。

 いつも野菜と肉を交換しているジャックとちょっとしたトラブルが発生した。


 ——いや、このような事態になっているのだから、「ちょっとした」という表現は適切では無いだろう。


 土地を巡るトラブルが発生し、彼が襲い掛かってきて、俺はつい携えていた銃を撃ってしまった。


 そう、殺してしまった。


 何を狂ったか、俺はその死体を家に持ち帰ってしまった。

 その行為が「自分が殺しました」と示しているようなものであるとは、家に持ち帰った後に気付いた。

 この死体をどうするか悩み、焦燥感と共に家のあちこちを巡り——


「……嘘だろ……!?」


 エリオットが、死体を食っている。

 この状況に困惑し——しかし、都合が良いと理解した。


 エリオットが死体を食べれば、証拠が無くなる。そしてもし捜査官達が来るとしたら、エリオットを解き放って「魔性に殺された」と思わせることもできる。


 ただ、それと同程度に喫緊の問題もある。

 肉を得る方法は殺してしまった相手からのみだった。だから肉と野菜を交換する新たなパートナーを見つける必要がある。

 それまではエリオットに食べさせる肉が少なくなってしまう。早く見つけなければ。


 だが、見つかる気配は一切無い。

 旧市街という過酷な世界で生きていく為には、誰かと協力するのが前提みたいなところがある。その為、昔から続く関係が残っていてそこに入る余地が無い。俺の家とジャックの家の関係もそのように昔ながらのものであった。

 故に、自分と同じような境遇の人が出てこない限り新たな肉を獲得するのが難しい。そしてこういう時に限って中々現れないものだ——焦っているだけかもしれないが。


 エリオットの様子を見ると、いつものように犬みたいに座っていた。

 しかしこれまでとは違って一度に食べさせる肉を減らしたからか、酷く涎を垂らしてこちらを見ている。ジャックを食べてしまった時から、ずっとそのような状態だ。


 ——ごめんな、エリオット。早くパートナーを見つけるからな。











「……『エリオットは俺に襲い掛かろうとしない。とても良い子だ』、ねぇ……」


 私が受けた依頼——農家二人が行方不明になったから調査して欲しい。


 農家の一人、アンドレの日記によれば、彼はこの魔性——エリオットを飼っていたらしい。

 魔性の専門家から言わせてみれば、そんな行為は愚か者のすることだ。如何に賢くても、所詮は獣。往々にして人間のようにはいかないし、人間のような理性と感情を見出すなど自殺行為だ。

 本能の世界に生きている獣にとっては、全てが道具に映っているだろうから。


 エリオットを解剖した結果、アンドレとジャックの二人の農家の遺体を発見した。

 日記によれば二人の間でトラブルが発生、襲われたアンドレはジャックを射殺し、その死体を家に持ち帰ってしまった。

 その死体を家に放置していたら偶然エリオットがそれを食べ、アンドレは証拠隠蔽の為に利用した。


 日記を読むと何があったのかある程度想像がつく。というか愚かなことに同様の事例が稀に起こる。

 多分エリオットは他の魔性と同様に元々畑とか家畜とかを無差別に襲っていた。そんなエリオットが偶然肉を食べ、その味が非常に美味く感じたからか、アンドレからまた肉を貰おうとした。

 偶然だろうがエリオットは犬のように振る舞うことで愛犬を失ったアンドレの心を満たし、そんなエリオットに肉を与えて肥えた舌と腹を満たす、という共生関係が成立した。


 しかし、エリオットは偶然人間の死体を食べ——そして恐らく、その肉がアンドレから貰った肉よりも美味かった。お互いを満たしていた共生関係を崩してしまう程に。ジャックを食べてからエリオットが酷く涎を垂らしているところからそれが察せられる。

 そして最終的にアンドレを捕食した。私からすれば自業自得としか言いようが無いが。


 ふと、あることに気付いた。これまで起きた同様の事件、私が把握している限りではどれも最終的には飼っていた魔性に飼い主が捕食されている。


 ……遥か昔には食人の文化が存在していたらしいけど、人間って美味しいのかな……?


 そう思い、解剖されたエリオットとその胃の中に残った二人の断片をじっと見て——


「……こうはなりたくないねぇ……」


 給料が良くて勤めると決めたこの仕事を辞めようかと、本気で考えた。

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対魔性特別捜査官 粟沿曼珠 @ManjuAwazoi

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