第52話
「場所、分かりますか? 龍崎さん」
「なんとなくだけどねぇ。大きな道は昔と変わっていないようだから。古い家もまだ残っているから見覚えがあるよ。あぁ、このカーブも、あそこの家もそのままだ」
龍崎は景色のあちこちを指差しながら話す。嘘を
「千晶さん、道なら僕に任せていいよ。ここから先はほとんどずっと直進だ。脇道は気にしなくていい。迷いそうなところはちゃんと言うからね」
「でも、このままでは信号も停まれません。速度を落とすとぶつけられそうで」
「あぁ、停まるのは危ないよねぇ。でもこの辺りは日が暮れると車の数も少なくなるから、そこを狙って通り抜けられるんじゃないかなぁ」
「……それを祈ります」
千晶はうなずいてハンドルを握り直す。信号無視ならもう橿原の交差点でやってしまっている。車やバイクが通る際にはヘッドライトの明かりが見えるので、それを頼りにすれば衝突は避けられる。横断歩道を行く歩行者もこの速度で迫る車を見れば飛び
右耳のイアホンマイクが電話の着信を告げる。スマートフォンの画面には【着信・戸村幸里】とあった。千晶はハンドリングの最中に素早く【応答】の表示をタップした。
『もしもし、千晶……』
「幸里、どこ?」
千晶は声を上げて訴える。緊迫感が伝わったらしく、すっと戸村の息を
「言われた通りに高速を降りて、十津川方面へ向かっているよ」
『そうか、無事で良かった。僕も今そっちへ向かっている』
「でも大我が追いかけてきてる。後ろからぶつける気かもしれない」
『道は分かる?』
「それは龍崎さんが……ちょっと待って」
千晶は電話を中断して正面を見
誰も来ないで!
息を止めてクラクションを鳴らしながら突き抜ける。ほんの一瞬、だが限りなく危険な通過だった。幸いにも車や人に衝突しなかった。大我の車も同じ速度のままあとに続いた。
「……幸里、聞こえる?」
『ああ、聞こえている。どうしたの? クラクションみたいな音が聞こえてきたけど』
「赤信号を突っ切って交差点を通り過ぎた。大丈夫。誰も通りかからなかった」
『そこまで……』
戸村は絶句する。彼は私が、自分よりも冷静で運転の上手な女だと思っている。それが信号を無視するまで追い込まれていることに危機感を抱いたのだろう。
「龍崎さんがこの辺りの道に詳しいみたい。だからたぶん、迷わなくて済みそう」
『そうか……いや、でもどうしてそんなに詳しいんだ? 夜道だし、そっちも雨が降っているんじゃないか?』
「知らないよ。昔はあちこち走っていたみたいだけど」
『龍崎さんはどう? 何か様子がおかしかったり、千晶が危ない目に
「……それは大丈夫。お疲れだろうけど、頑張って乗ってくれているよ」
千晶はやや口調を固くして返答する。
「私のせいで大変なご迷惑をおかけして、申し訳ないと思っている。でも必ず無事に送り届けるようにするから」
『……分かった。それでいいよ』
戸村も妻の
『千晶、返答には気をつけて。会社と紀豊園には連絡したから心配しなくていい。泰輝くんの放課後児童クラブにも電話して、どうしても今夜だけは預かってくれるように頼んでおいた』
「ありがとう。私はどうすればいい?」
息子の状況に安心すると、少しだけ気持ちが落ち着いた。会社のことも、老人ホームのことも今は考えなくていい。一つ一つ、頭の中の
『そのまま168号線を走り続けていれば十津川村に入る。かなりの山道が続くけど、その先に村の中心があって、沿道に役場や病院や民家が見えてくる』
「役場や病院が見えるまで走るんだね」
『そう。さらに進むと名所案内所の施設があるから、そこの駐車場までなんとか来てほしい』
「名所案内所だね。見つけられるかな? 目印はある?」
『僕はもうすぐ到着する。十津川村へようこそ、って書いた大きな看板があるからすぐに分かるよ。今の時間はもう施設は閉所しているけど、特別に明かりも点けてもらうように頼んである。きっと辺りは真っ暗なはずだ。見落とす心配はないよ』
「分かった。だけど、そこへ行ってどうするの?」
『ひとまず愛葉さんの車を停めて、煽り運転を止めさせる。その上で、言いたいことがあるなら僕が代わりに話を聞くよ。
「駄目だよ! そんなの危険だよ、幸里。あいつは今、正気を失っている。車をボロボロにしながらも追ってきて、私を殺そうとしているんだよ。説得なんてできっこない。あいつは車を停める気なんてないよ」
『そう思って警察にも通報しておいた』
戸村はそう言ってから短く息を吐く。まるでこの車と繋がっているかのように、イアホンマイクの向こうからも
『そこまですべきかどうか迷ったけど、千晶の状況を想像したら正解だった。煽り運転をされて追いかけられているから停めてほしいと話した。それと龍崎さんのことも伝えている。奈良市で起きた老人ホームでの殺人事件の関係者が同乗しているって。恐らくそっちのほうが警察にとっては重要なんだろう。名所案内所で待機してくれることになったよ』
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