第44話
龍崎は早口で
幽霊……?
龍崎が言っていた。認知症が発症すると、頭の中に恐ろしい幽霊が入り込んで体を運転する。頭のハンドルを奪って、悪口を言ったり悪いことをしたりする。彼が恐れていた事態が起きているのか? 今、彼の精神は幽霊に支配されているのか?
「龍崎さん、起きてください。しっかりしてください」
「うるさい! 俺が寝ようと起きようと俺の勝手だ! もううんざりだ! なぜどいつもこいつも俺に
龍崎はダッシュボードの上に置いたカエルのマスコットに向かって叫ぶ。大口を開けて噛みつくような様子に、運転中の千晶も
一方で、それによって普段から心の奥底に押し込めていた不満や願望が
千晶は身勝手な暴君と化した龍崎の深層心理を読み取る。激しい怒りは感情をうまく抑えられないので仕方がない。問題は、その怒りをもたらす理由のほうだった。彼は入居する老人ホームに強い不満を抱いている。ただ普段はその思いを押し殺して、気さくで
しかし認知症によってその思考が失われたとしたら、今のように心の
「……龍崎さんは、紀豊園が嫌いなんですか?」
「嫌いに決まっているだろ! あそこは犬の
「そんなことありませんよ。皆さん優しいかたばかりじゃないですか。ご不満があるなら介護士さんや職員さんに話されてみてはどうですか?」
「不満など言えるものか! 言えば次から目を付けられる。俺は目立ちたくない。目立てば警察を呼ばれる。だから俺は家も生活も捨ててあそこに入ったんだ!」
「紀豊園の中なら警察は呼ばれないはずです。外の生活では……周りの人たちも心配されたのでしょう。龍崎さんはご病気ですから、お一人で生活されるのは大変です。少しくらいは我慢するしかありませんよ」
「ああそうだ。俺は病気だ。病気で頭がパーになった! 俺なんて死んだほうがましだ! 生きているだけで世間に迷惑をかける、バカでノロマな汚いジジィだ!」
「そんなことは言っていません!」
「俺は毎日言われている! 朝、起きるのが遅かった時も、足が痛くて歩くのが遅かった時も、茶を
「え……」
龍崎の告白に千晶は目を大きくさせる。ふいの強風を受けて、フロントガラスの雨を
「くそっ、
千晶はちらりと目を向ける。たるんだ皮が何本もの
「龍崎さん……掻かないで。その傷は、本当に?」
「どうして俺ばかりがこんな目に
「……だから、矢田部さんを殺したんですか?」
千晶は会話の流れを切らないように質問する。ありえない。龍崎が人を殺すなど考えられない。しかし今の彼ならその可能性は否定できない。認知症で怒りを抑えられなくなった彼が、虐待を繰り返す介護士に復讐した。若槻や警察が抱いた疑いのほうが真実ではないかと思えた。
すると龍崎は腹を掻く手を止めると、眠るように深い呼吸を繰り返してから、あらためて口を開いた。
「ああ、そうだ……みんな殺した。みんな殺してやった!」
「みんな?」
「みんな殺してやった! 俺は病気なんだ! 違う、病気はお前らだ! 俺はお前たちの、この世界の病気を治してきたんだ!」
「なんの話を……」
「世の中を正すことが俺の使命だ。悪を排除することを俺は生き
「ま、待ってください、龍崎さん」
千晶は龍崎の叫びに戸惑う。聞きたくなかった言葉を聞くために質問を投げかけたが、彼の返答はその予想を超えたものだった。興奮した認知症の老人に会話を求めたことが無茶だったのか。話が
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