第41話


二十三


【■月■日 ■時■分 ■■■■■】


 薄暗がりの一室に、気怠けだるい空気が流れている。


 南国のリゾートホテルで見るような高級感を漂わせながら、どこか贋物にせものっぽさがぬぐいきれない。それは室内の狭さを無視して大きなインテリアを詰め込んだアンバランスさによるものだった。子供のままごとセットのようなレイアウトは、写真えはするが部屋に余裕が感じられない。ただ、あえてその猥雑わいざつさを演出している感もあった。


 窓の外にはそれぞれ異なるコンセプトのホテルが建ち並ぶ、真昼の歓楽街が広がっている。空はまぶしくて爽快そうかいな初夏の青空となっているが、その日射ひざしは分厚ぶあついカーテンによってさえぎられた部屋までは届かなかった。非日常的な空間は現実から顔をそむけた者たちに居場所を提供している。そこで交わされる会話、行為が外の世界に知られることはなかった。


 不自然に大きなベッドでは、仰向あおむけに寝る男の腕枕うでまくらに裸の女がっていた。


「ねぇ、あと二十分くらいあるけど、どうする?」


 女が甘えた声でささやきかける。長い茶髪はぼさぼさに乱れて、顔には疲労の色が浮かんでいる。それでも表情はあくまで幸せそうに目を細めて、慣れた口調で話し続けた。


「あ、もういいの? じゃあこのままイチャイチャしよっか。うん、いいよ。私、時短じたんなんてしないから。たまにそういう子もいるみたいだけど、私は最後まで楽しんでほしいもん。あとでネットに書かれるのも嫌だし、そっちが本音ほんねかな。それにお兄さん、めっちゃ格好いいし、ちょっとエス入ってるし、私のほうが好きになっちゃいそう。これも本音だよ」


 女の話に男は興味なげに返事をする。クールな性格というよりは、何か別のことを考え続けているような印象があった。それは女が二時間前に彼と出会った時から変わらないが、彼女も特にそれをとがめようとはしない。長年の経験から不必要なことには関わらない態度が身に付いていた。


「え? 何? 何が聞きたいって? ……ああ、そういうこと。うん、ちょっと気づいていたよ。だってずっと難しい顔をしていたからね。だからきっと、何か別の目的があるんだろうなと思って。たまにいるからねぇ。探偵みたいな人とか、記者みたいな人とか、あっち系の人とか、こっち系の人とか。そういう人がね、どこから聞いてきたのか知らないけど私を指名するんだよ」


 そして女は少し得意気に鼻を鳴らした。


「そうだよ。何を隠そう私こそ、ミナミの情王じょうおうって呼ばれている女だよ。びっくりした? 女の王じゃなくてなさけの王と書いて、情王。情けない王じゃないよ。情が深いの。あと情報も一杯持っているから。格好いいでしょ。お客さんが付けてくれたの。まぁねぇ、私もこう見えて結構渡り歩いているから、ミナミのそれ系についてはだいたい知ってるかもね。あ、でもそんな歳はいってないよ。プロフには何歳って書いてあった? 24? うーん、まぁそれくらいかな。まぁまぁ歳のことは気にしないでね」


 女は男の太い腕にすがり付く。首元から手首にかけて、青黒いタトゥーがびっしりと描かれていた。


「あ、ちょっと待って。言っておくけど、追加料金は支払ってもらうよ。当たり前じゃん。こんなのサービスに含まれてないよ。私、これでご飯食べているんだから、きっちり取るよ。でもお兄さんは格好いいからまけてあげる。なんか今の台詞せりふ、おばちゃん臭いね。やだなぁ」


 男は少し頭をかたむけると、低い声で女に尋ねる。長い金髪が流れて顔を隠した。


「え? 人? 人捜しかぁ。うーん、それはどうかなぁ。だって夜の街なんてお店も人もどんどん入れ替わっていくからねぇ。そりゃ長く居座いすわっているお姉さまがたもいるけど。ほんの数か月でいなくなる人なんてざらにいるよ。だからお兄さんが言う、何年も前の女の子ってなると、まあ捜すだけ無駄だと思うよ」


 女は細い眉を寄せて申し訳なさそうに返す。


「お店の名前とか女の子の格好を言われても分かんないよ。私そんなの全然覚えていないし。いや、ミナミの情王なのは本当だよ。あー、今私のこと馬鹿にしたでしょ。馬鹿じゃないって、自慢じゃないけど私、高校出てるからね。じゃあちょっと待って」


 女は裸のままベッドから転がり下りると、ソファの上にあったバッグからスマートフォンを取り出して再び男のもとへと戻って来た。


「これを見て。そう、私のスマホの写真フォルダ。ここにね、今まで出会った女の子の一覧が入っているから。ここに映っている人なら知ってるよ。それで、お兄さんが捜している年代ってなるとこの辺りかな。うん、いいよ、捜してみて。……お兄さんの指、エッチだね。捨てる人がいるなんて信じられない。あ、捨てられたんじゃないの? じゃあよっぽど悪いことしたんだねぇ」


 女はスマホの画面を上下にでる男の指をうっとりと見つめる。


「え? 嘘、いたの? 誰、誰……ええ、あ、これ私だよ。そう、可愛いでしょー。心斎橋でキャバ嬢やってたんだよ。あ、違う? 隣の子? この子は……誰だっけ? ええ、ちょっと待って、誰? ……ああ、思い出した! うん、分かる分かる。昔の同僚。めっちゃ美人でしょ。お客さん、お目が高いねぇ。なんか今の台詞、おっちゃん臭いね。やだなぁ」


 女はスマートフォンの画面を凝視ぎょうしする。真夏の太陽のようにまぶしい笑顔を向ける過去の自分の隣には、晩秋ばんしゅうの月のように静けさとうれいを含んだ微笑ほほえみをたたえた女の顔が映っていた。


「いやぁ、でもこの子、もういないと思うよ。ずっと前にお店辞めちゃって、それから全然見かけなくなったからね。こっちの仕事でやっていく気もなさそうだったし。そういう子も多いんだよ。大体が悪い男にだまされて、借金を背負わされたり、DVから逃げてきたりして、ちょっとだけ足を突っ込むんだよ。だからこの子も、きっとどこか別のところで幸せにやっていると思うよ」


 女は他にも何枚か保存されている、その女の画像を見せる。男は確信が得られたらしく、満足げにゆっくりとうなずいた。


「そうだなぁ。お店にいた時の様子なら覚えているけど、指名受けていたお客さんとか。そんなのでいい? ああ、そういえばお金持ちのお客さんが付いていたから、その人のところへ行ったのかも。あとは、なんか気持ち悪い映画監督とか? そういや、なんて名前だったかなぁ、この子。自分のは覚えているんだけど。そう、隣にいるのが私。可愛いでしょ。そのお店じゃ星空ほしぞらキラって呼ばれていたんだよ」


 女はスマートフォンの画面を見つめながら無邪気に微笑む。


 その背後で、男はったように口角を持ち上げて、残忍な笑みを浮かべていた。

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