第40話
「そんな、龍崎さん。しっかりしてください。私はもう、どうすれば……」
「じ、
龍崎は小さな目を力一杯開いてこちらを見る。
「千晶さんには守るものがある。あなたがどうにかなったら、子供はどうするの?」
「泰輝は……」
「病気のお母さんもどうするの? 千晶さんがいなくなったら誰が二人を守るの? 戸村くんも悲しむよ。彼は千晶さんのことを、僕の妻と言っていたよ。何も聞いていないのに、嬉しそうにそう言ったんだ。千晶さんはとても素敵な人だけど、戸村くんもいい男だね。だから僕は、僕はね、二人ならいい夫婦になると思ったよ」
龍崎は
「だから千晶さん、あなたは諦めちゃいけない。あんな奴に負けちゃいけないよ。いいかい。失うものがない人はとても強い。でもね、本当に強いのは守るべきものがある人なんだ。何より守るべきは、あなた自身だ。それを忘れちゃいけないよ」
「わ、分かりました。分かりましたから、龍崎さんは楽にしてください」
「お願いだから、自分を捨てるような
龍崎はそう言って再びうなだれると、あっと言う間にいびきをかいて眠りだした。千晶は左手を伸ばして彼の手首から脈拍と刺激による反応を確かめて、
あんな奴に負けちゃいけない。
付けっぱなしだったラジオを消して、ルームミラーを確認する。鏡には黒い車と、その手前には髪を束ねて黒縁眼鏡を掛けた千晶自身の顔が半分ほど映っていた。
右手でフレームを
自分を見失うな。死ぬわけにはいかない。
深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせる。息子も母も私がいなければ生きられない。ようやく出会った夫も手放すわけにはいかない。何よりも、まず隣で眠る龍崎を無事に帰さなければならない。もう私には守るべきものがたくさんある。追いかけてきた
交差する大通りを過ぎるたびに渋滞が
黒い車は千晶の車の背後にぴったり貼り付いたまま、パッシングとクラクションで煽り運転を繰り返している。大我の目的は明確だ。千晶が恐怖のあまりに車を降りて、自分の前で土下座して逃げたことを
大我は、私を甘く見ている。
千晶の表情が嫌悪に
縛られているなら、無理矢理にでも
視界の遠くに太い幹線道路が見える。
大我の黒い車も背後に貼り付いている。奴にこの車を追い抜く気はない。やがて信号は黄色になると、前の車が速度を速めて交差点を通過する。千晶がタイミングを計った通り、赤信号となった時点で交差点の先頭車両になった。
千晶は息を止めると、アクセルを力一杯に踏み込んだ。
車は急発進して赤信号で停まらずに交差点へ進入する。大我の車もそのままあとに付いてきた。
左右の四車線からは青信号になって走り出した車が迫る。激しいクラクションの音と地面を引っ
直後に、大きな衝突音が背後から聞こえてきた。
千晶はアクセルを緩めずにルームミラーを確認する。一瞬しか見えなかったが、二台の車から側面衝突を受けて動きを止めた黒い車が目に入った。千晶の車はそのまま京奈和自動車道へと進入して高速道路の高架を上がる。事故を
昔の私なら、こんな運転はしなかった。だから、大我は付いてこられなかった。
過去を置き去りにできたと確信してから、千晶は止めていた息をようやく一気に吐き出した。
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