第30話
「そうです。イアホンとマイクが一緒になっているんです。こっちのスマホを使って電話が掛けられます」
「へぇ、凄いねぇ。僕はまた、千晶さんが
「そうですね。戸村からの電話でした」
「戸村くんは知っているよ。顔はまずいが、いい男だね。彼がどうかしたの? なんの話だったの?」
「いえ、こちらの仕事のことです。確認することがあって電話を掛けてきました」
千晶は話をぼやかして返答を
そういえば龍崎があまり紀豊園へと帰りたがらないようにも感じている。施設での暮らしは
「戸村が電話で、龍崎さんにもよろしくと言っていました」
「そう、よろしく……なんの話だっけ? 僕は何か頼まれていたかなぁ?」
「何も頼んでいないはずです。次の送迎にはまた戸村が龍崎さんをお
「そうか。戸村くんは、うん、千晶さんは彼の妻と聞いたよ」
「ええ、まあ……でもそれ、どなたからお聞きになりました?」
「戸村くんが言っていたんだ。次の墓参りは妻の芹沢千晶さんが迎えに来るって。僕は冗談だと思った。そういう嘘はよくないと叱ってしまった」
「本人が言っていましたか……いえ、龍崎さんに嘘は言いませんよ」
「そう。嘘を言わない真面目な男だ。戸村くんは……そうだ、車だ。あの黒い車はなんだ? 戸村くんはなんと言っていた?」
「……いえ、その話はまだ、伝えていません」
「どうして? あんなに大変だったのに、相談しなくて良かったの?」
「会社に戻ってからでもいいと思いました。ラジオのニュースで衝突事故が起きたと言っていましたので、急いで報告する必要もなくなりました」
千晶は取り
「千晶さん。それは、昔の職場が関係しているからかい?」
「え?」
ふと、龍崎が鋭い質問を投げかけてくる。彼はダッシュボードに載せたカエルのマスコットを見つめたまま、口元だけを動かし話していた。
「千晶さんは、心斎橋の店で働いていたと言ったよね。それはプロ……今朝3時30分に火災が起きた飲食店だった。心斎橋は奈良と違って都会の
「ご存じなんですね……」
「懐かしいねぇ。付き合いで何度か行ったことがあるんだよ。でも僕はあまり好きにはなれなかった。ああいう店も、そこで働いている女たちも……」
龍崎は
「千晶さんは、あの黒い車が、昔の職場と関係しているから、戸村くんに相談したくなかったんだねぇ」
「それは……ええ、そうかもしれません」
千晶は少し迷ったが素直に認める。隠しているわけではない。夫の戸村には前の仕事のことも、これまでの人生もほとんど話している。彼は理解を示して全てを受け入れている。だから結婚に至った。
それだけに、自分の過去には関わらせたくない思いがあった。もしあの黒い車が、かつての
「千晶さん、誤解しないでねぇ」
龍崎はマスコットに向かって話し続ける。
「僕はね、ああいう店で働く女は好きではなかっけど、千晶さんがふしだらな女とは思っていないよ。あなたは真面目で優しい人だ。だから働かざるを得ない
「そうですね……」
「だから、このことは僕の胸の内にしまっておくよ。誰にも言わない。ああ、頭の運転を幽霊に取られたら、うっかり話してしまうかもしれない。でも、どうせ認知症の
「……お
千晶は正面を向いたまま小さく頭を下げる。実際のところ、千晶の前職がキャバクラのキャストであったことは、戸村をはじめ会社の同僚の一部も知っている。客先の老人ホームまでは広まっていないが、ばれたところで大した問題になるとも思っていなかった。
しかし龍崎は夜の店で働く女に
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