第28話

《繰り返し道路交通情報をお伝えします。本日午後4時ごろ、阪神高速はんしんこうそく3号神戸こうべ線、のぼりの西宮にしのみや出口付近で車4台を巻き込む衝突事故が発生。これにより魚崎うおざきから西宮インターチェンジまでののぼり線で交通規制が行われています》


「ほらぁ、車4台を巻き込む事故だと言っているよ。無茶な運転をしていたせいだ。あの調子では遅かれ速かれそうなった。自業自得じごうじとくだよ」


「阪神高速? いや、これは何の関係も……」


 満足げな龍崎とは反対に、千晶は冷たい表情で口もる。ラジオで伝える阪神高速3号神戸線は大阪と神戸を結ぶ高速道路で、黒い車が走っているはずの西名阪自動車道とは場所が全く異なっている。千晶が走行している京奈和自動車道とも関わっておらず、発生時刻から見ても衝突事故が自分たちとは一切無関係なのは明らかだった。


「……いや、龍崎さんのおっしゃる通り、あの車が事故を起こしたようですね」


 しかし千晶は思い直して、明るい声で龍崎の話に同意する。ここで違うと否定すれば、彼はまた紀豊園へは帰れない、自分が何とかすると言い出しかねない。勘違かんちがいさせたまま押し通したほうがいいだろう。


「事故に巻き込まれたかたは災難ですが、私たちはこれで助かりました。ラジオを聴いていて良かったですね」


「うん、良かったよ。車がなければ追われることもない。僕たちは助かった。これで目的が果たせるね」


「目的? ああ、いえ、お墓参りはもう……」


 千晶は左手に巻いた腕時計を確認する。午後5時58分。当然ながら霊園への到着予定時刻は大幅に過ぎている。墓参ぼさんを済ませて午後6時には紀豊園へと帰ることになっていたが、それもここからでは間に合わないだろう。どうしてこんなことになったのか。紀豊園と会社への報告を思うと気が重い。いや、それもまずは無事に帰ってからだ。龍崎が落ち着きを取り戻しつつあるうちに、まさかとは思うが、またあの黒い車がやってくる前に……。


 その時、車載のスピーカーからさらにラジオのニュースが耳に飛び込んできた。


《続いて関西のニュースです。今朝、大阪心斎橋でビルを焼く火災が発生し、焼け跡から2人の遺体が発見されました》


「え?」


 ふいに告げられた地名に千晶の聴覚が鋭敏えいびんに反応する。


《今朝3時30分ごろ、大阪心斎橋で付近の住人から『店が燃えている』と119番通報がありました。現場は心斎橋筋より東の繁華街にある飲食店『プロテア』より出火したものと見られ、1階の店舗が全焼、2階と3階に入る別の店舗も火災に巻き込まれました》


 続けて聞こえた声に、どくんっと心臓がねるの感じた。


《警察によると1階の店舗より2人の遺体を発見。身元の確認を急いでいます。現場は飲食店が立ち並ぶ繁華街の一角。街の防犯カメラには、店の前に停まっていた黒い車の窓から火炎瓶のような物が投げ込まれる様子が映っていたとのことです。警察は火事との関連を捜査しています》


 男性キャスターの淡々たんたんとしたニュースが終わると、ラジオは再びにぎやかな番組へと戻った。


十七


【8月20日 午後6時1分 京奈和自動車道】


 今、私は何を聞いた?


 千晶は慌ててハンドルを強く握る。まるで自分の意識が車を離れて、どこか遠くへ飛んでいくような危険を感じたからだ。しかし力を入れすぎたせいでハンドルがわずかに回り、車体がぎゅっと右に振れる。龍崎が、むっと短く声を上げた。


「ど、どうしたの千晶さん。大丈夫?」


「すいません……龍崎さん。今のラジオ、聴きましたか?」


「ラジオ? ああ、聞いたよぉ。ラジオの声はよく聴こえるんだ。大阪の心斎橋で火災だってね。繁華街にある飲食店プラ……とかいう店が全焼したんだ」


「プロテアです」


「そう。プ、プロテアだった。それがどうかしたの?」


「……昔の、職場なんです」


 震え始めた奥歯を噛んで、心の半分を車の運転にいて冷静さを保つ。幸いにも高速道路はいており、左車線のまま安定して走行できている。それだけに、かえって注意力が散漫さんまんになりそうで心配だった。龍崎は小さな目を見開いてこちらに向けた。


「昔の職場? 千晶さんは大阪に住んでいたの?」


「2人の遺体が見つかったって……」


「じゃあ友達が死んじゃったの?」


「それは分かりません。違うと思いますが」


 千晶が『プロテア』に勤務していたのは3年も前のことだ。あの店はキャストの入れ替わりも多いので、面識のある同僚もすでに店を去った可能性が高い。火災が起きた午前3時30分にはもう閉店しているので、店に残っている者といえば店長や黒服だろう。それも今では別人が勤めているかもしれなかった。


「それに火災の原因が、店の前にまっていた黒い車から、火炎瓶が投げ込まれたかもしれないって」


「火炎瓶かぁ。火炎瓶は危ないんだよ。あれは貧者の焼夷弾しょういだんと言ってね、一旦燃え広がると簡単には消火できないんだ。前もって瓶を焼いておくと割れやすくなる。人に当たると恐ろしいことになるんだよ」


 龍崎はけわしい顔でそう話す。彼は火炎瓶のほうに関心を持ったが、千晶は当然ながら別の言葉に恐れを抱いた。


 また、黒い車がやってきた。


 何か、普通ではないことが起きている。先ほどまであおり運転でつきまとっていた黒い車、きのう、根岡康樹をき殺した黒い車、今日の未明、『プロテア』に火炎瓶を投げ込んだ黒い車。いずれも黒い車が関わっている。これは偶然だろうか。いや、煽り運転の車以外は車種も分からない。ボディカラーだけで同じ車と考えるのは強引ではないか。


 違う。3つの事件に共通しているのは、私だ。


 私の過去と今に関わるところで、黒い車に関係する事件が3つも起きているのだ。

 

 突然、右耳に着けたイアホンマイクから音が聞こえて思わず体が震えた。断続的に響く電話の着信音。右に目を向けるとスマートフォンの画面に【着信・戸村幸里とむらゆきさと】と大きく表示されている。職場の同僚でもある、2歳下の夫の名前だった。

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