第18話

「正しい社会を作るために?」


「自分が求める正しい社会を作るためには、ふさわしくない人を殺さないといけない。そういう性分しょうぶんなんだよ。怖いだろ? サイコパス、異常者だよ。そのあとの調べで実は60年代の反政府闘争に参加した過激派の生き残りだと分かった。組織が解体されて世に放たれたあとも、犯人はずっと心の内にゆがんだ正義と暴力への衝動をくすぶらせていたんだ」


「何それ、全然分かんない。自分勝手すぎるでしょ」


「そう。それで俺は犯人の深層心理を探って映画にしたいと思った。一体なぜそんなことをしてしまったのか。どんな人生を送ってきたのか。今は何を思っているのか。当然、人殺しの様子も克明こくめいに描写するつもりだ」


「え、ちょっと待って、ちょっ待って。その犯人って今もまだどこかにいるの?」


「ああ……それが困ったことになってね」


 根岡は残念そうに溜息ためいきをつく。


無期懲役むきちょうえきの判決を受けて刑務所に入っていたんだが、つい最近に亡くなったらしい。生きていたら面会して話を聞こうと思っていたのに、一足遅かったよ」


「ああ、そうなんだ……」


 千晶は悔しがる根岡に共感もできずに冷めた返答をする。間に合わなくて惜しかったねと同情する気にもなれず、そんな奴死んで良かったよと喜ぶのも悪趣味だ。だいたい、そんな気味の悪い事件を女に話して楽しいのだろうか? 彼はえた気持ちをふるい立たせるかのようにグラスをあおった。


「ネオ、次は何飲む? もうちょっといい奴にする?」


「まあ会えなくても映画は撮れるさ。そこはドラマチックな脚本で補完する。もういくつかアイデアも頭の中で出来ている。そこで、ミライさんにいい話があるんだ」


 根岡はこちらの話も聞かずに興奮した面持ちで顔を寄せる。


「……君も映画に出てみないか?」


「私が?」


 突拍子とっぴょうしもない提案に千晶は戸惑う。ホテルに行かないかと誘われたことはあるが、映画に出てみないかと言われたのは初めてだった。


「私が、その、怖い映画に出るの?」


「そう。もちろんヒロインだ。脇役じゃない」


「ヒロインって……殺されて、バラバラにされた人でしょ?」


「違う違う。殺人鬼の恋人役だよ」


「そんな人いたの?」


「いや、たぶんいなかっただろう。いかれた奴だからな。でも殺人鬼と被害者だけだと絵面えづらが保たないから、綺麗な女性は必要だと思っている」


「いやいや、私そんなのやったことないから」


「だからいいんだよ。女優がほおに両手を添えてキャーッなんてつまらない。俺が求めているのはリアリティだ。普通の女が真の恐怖に直面した時の反応だ。そこに演技はいらないんだ」


 根岡は思いのたけを熱く語るが、千晶は気持ちが急速に冷めていくのを感じていた。この男はキャバクラのキャストに何を語っているのだろう。私が、まあ素敵、ぜひお願いしますと喜ぶとでも思っているのだろうか。そもそも映画を撮りたいと言うが、業界との繋がりは持っているのだろうか。映画がタダで作れないことくらいは素人しろうとでも知っている。クリスマス前にプレゼントひとつ持ってこないような彼に、スタッフや制作費が集められるとはとても思えなかった。


「でも……スカウトしてくれたのは嬉しいけど、どうせならもっと可愛い子を使いなよ。私、リアクション薄いから」


「可愛い子って誰のこと? 俺はこの店でもミライさんしか指名しないし、他の店にも行ったことないよ。君を一目見た時から、俺の映画にふさわしい人だと確信したんだ。ミライさんには他の人にはない影がある。殺人鬼のヒロインに最適なんだ」


「それって喜んでいいの?」


「君だって俺の映画を楽しみにしているって言ってたじゃないか」


「いや、だってそれは……」


「君は殺人鬼の内なる暴力性に気づきつつも、その魅力にかれて隣に寄り添う悲劇のヒロインだ。真面目になってくれたらと思いつつも、いつかまた事件を起こすんじゃないかと恐れてる。それで……そう、君はすでに彼の子を宿やどしていたんだ。妊娠していたんだ。だから離れたくても離れられなかったんだ」


「あ……」


 その瞬間、千晶は胸の奥を見かされたような感覚を覚える。宵宮よいみやミライの仮面をぎ取られ、芹沢千晶を素顔があばかれたような気がした。根岡は目を爛々らんらんと輝かせている。そして口の端を持ち上げると、まるで殺人鬼のような笑みを浮かべた。


「二人の出会いは……彼も加わっていた反政府闘争だ。君は過激派として戦う彼にあこがれを抱いていた。それで付き合い始めたけど、組織が解体されてからは彼も次第と荒れるようになっていた。君も熱心にサポートするけど、信念と暴力の行き場を失った彼を救うことはできない。そしてついに悲劇的な結末を迎える。彼は殺人鬼となり職場の社長一家を殺してバラバラにしてしまうんだ。正しい社会を作るために」


「ちょっと待って、ネオ……」


「恐るべき殺人鬼も君だけには決して手を出さなかった。愛していたんだ。たった一つの、心のどころだったんだ。だけどそれもまた君の重荷おもにになっていく。自分が去れば彼は他の人を殺してしまうかもしれない。彼を救えるのは自分だけだと思い込んでしまうんだ」


 千晶は言葉を失って赤い唇を噛む。違う、これは映画の話だ。根岡が語っているのは撮ろうとしているフィクションのストーリーだ。しかし不安は足下から高まり続ける。かつて実際に起きた残酷ざんこくな事件。真の恐怖を追求したリアリティのある物語。彼は私をそのヒロインにしようとしていた。


「どう? いい映画だろ? 君にピッタリだ」


「……うーん、やっぱり私にはできないかなぁ。気持ちは嬉しいけど、ごめんね」


 千晶は両手を合わせて笑顔で首をかたむける。不安と疑念、そして恐怖が頭の中で入り交じり感情に収拾が付かない。ただ、これ以上彼の話に付き合ってはいけないと胸の奥が警告していた。映画になんて出演するわけがない。殺人犯の恋人役などやるわけがない。


 そんな不幸は現実だけで充分だった。

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