第17話

「ホラーかぁ。ホラーなら私は、呪いやたたりが出てくるのが怖いかな」


「ほら、やっぱり君は感受性が強い。つまり派手な怪物やギミックが売りの海外ホラーよりも、ひっそりと暗闇をうようなジャパニーズホラーのほうが怖いんだ」


「そうかも。だからあんまり観ないんだけどね」


「その怖さが何によるものか、ミライさんは分かる?」


「何によるもの? ……えー、なんだろ? 分かんないなぁ」


「考えてみて」


 根岡は目を輝かせて問いかける。千晶は少しうんざりしつつも、わざとらしく胸の前で腕を組んで悩み顔を見せた。質問の意図いとが理解できず、どんな回答を期待されているのかも分からない。ただ、どうせ何と答えたところで彼に軽くあしらわれて、得意気とくいげに自説を披露ひろうされるだけに決まっていた。なぜクリスマス前のキャバクラでホラー談義をしなければならないのかと思うが、客がそれを求めているのだから仕方がない。話に付き合う代わりにボトルの一本でも追加してほしかった。


「うーん、やっぱり呪いや祟りって見えないから嫌なんじゃない? ゾンビや怪物も怖いけど、まだ逃げようとか戦おうとか思いそう。見えないとどうしようもないし、逃げられないから怖いんだと思う」


「うん、しいね。でもいい見識けんしきだと思う」


「そ、そう? ……ネオはどう思うの?」


「俺はホラー映画の真髄しんずいは、リアリティにあると考えている」


 根岡は待ってましたとばかりに言葉を発する。千晶はき出しの白い膝に両手を置いて、軽く上目遣うわめづかいで彼を見つめて話の続きを待った。


「人が本当に怖いと感じるのは、いつ自分の身に起きても不思議ではないと思うことだ。ゾンビや怪物を出したところで、もしかすると自分も襲われるかもと思う奴はいない。だからつぶれた顔や切りきざまれる様子を見せて本能的な恐怖をあおっている。でも所詮しょせんゾンビや怪物は作り物だから、観客はグロテスクなシーンも作り物だと気づいている。だから芯から怖がることはできないんだ」


「えー、私はそれでも充分怖いんだけど」


「ジャパニーズホラーの呪いや祟りだってそうだ。実際にはありえない。ただ見えないから嘘かどうか分からないことと、信仰心や道徳心に触れることと、景色や地名や登場人物が日本のものということで、現実と錯覚して恐怖を感じてしまうだけだ。しかし人間は見えないものを信じ切れない。映像としても映しきれない。だから物足りないものになるんだ」


「なるほどぉ、難しいんだね」


「要はゾンビにしても呪いにしても、肝腎かんじんとなる恐怖の発生源をフィクションに頼っているから嘘になるんだ。本当に怖いものは現実にしか存在しない。だから俺はリアリティを追求して真のホラー映画を撮りたいんだ」


「それってどういう映画なの?」


「つまり、現実の殺人事件を扱ったホラー映画だよ」


 根岡は金髪の下で不敵ふてきな笑みを浮かべて語る。千晶は驚くべきか眉をひそめるべきか反応に迷った。


「現実に存在する殺人鬼がおかした猟奇的りょうきてきな犯罪をつぶさに描いて、観客に恐怖を体感させるんだ。グロテスクなシーンも見せる。地名や人名も実在のものを使う。しかも事件は実際に起きたもの。これで怖がらない奴はいないはずだ」


「そんなの、もう考えただけで怖いんだけど……そういう映画って今までになかったの?」


「海外ではあるけど、日本にはない。あっても関係各所に配慮はいりょしたドキュメントか、要素だけを拝借はいしゃくした安易あんいなエンターテイメント作品だけだ。俺はそんなやり方では納得しない。観客が観たことを後悔するほどの作品を撮るつもりだ」


 パンッと乾いた高音が店内に響き、千晶は思わず肩をすくめる。首を伸ばして辺りをうかがうと、客があやまってグラスを床に落として割ってしまったようだ。キャストの笑い声が続き、黒服が早足で向かう様子が見える。どうやら大した騒ぎではないようだ。


「なんか私、もう今夜は眠れないかも。ネオのせいだからね」


「もう一つ、怖い話をしてもいいかい?」


「何?」


「映画の舞台はここ大阪、実際にここで起きた連続殺人事件を扱うつもりなんだ」


 いつの間にか顔を寄せていた根岡が、耳元でささやくように告げる。その言葉よりも生温なまぬるい息に鳥肌が立った。


「……大阪にそんな怖い人がいたの?」


「いたんだよ。知らないかな? 『ナニワのバラシ屋』って呼ばれていたシリアルキラー。被害者を次々とバラバラにして捨てていたんだ」


「そんなの聞いたことないって……あれ?」


 千晶はそう返してから疑問の声を上げる。物騒ぶっそうな呼び名は初耳はつみみだが、その犯行には覚えがあった。


「もしかして、『呪いの黒いラブワゴン』のこと? 前にキラちゃんがそんな怖い話をしていたけど」


「ああ、黒いワゴン車が女をさらって殺すとかいう話か。俺も最近ネットで見たな。でもそれは確か幽霊が襲ってくるとかいう怪談だろ? 俺の話は実際にあった事件だから」


「あ、そっか。じゃあ違う話?」


「そう……いや、もしかすると事件をきっかけに生まれた怪談か? ふん、それならもっと面白くなりそうだ」


 根岡はやや鋭角えいかくとがったあごに指を掛けて、金色に輝くシャンデリアを見上げる。芸術家のように新しいアイデアが天から舞い降りてきたのだろうか。現実の殺人犯を扱ったホラー映画など観たいとも思わないが、映画監督なら創作意欲をかき立てられるのかもしれない。


「『ナニワのバラシ屋』はずっと昔に起きた事件だ。40年ほど前に箕面みのおの山奥で大人の男女と子供一人のバラバラ死体が次々と見つかった。警察の捜査により東大阪で印刷所を経営する一家だと分かって、そこに勤務していた従業員の陸田國春りくたくにはるって男が殺人と死体遺棄いきの容疑で逮捕された。逃走中に運悪くスピード違反の取り締まりを受けて捕まったんだ」


「ナニワのバラシ屋っていうのはネオがそう呼んでいるの?」


「違うよ。当時のマスコミがそう名付けたんだ。死体の切り口や処理が鮮やかだから手慣れた者の犯行じゃないかと言われていた。実際は印刷所の裁断機さいだんきか何かでバラバラにしたらしい」


「えー、痛い痛い。怖いよそれ」


「怖いのは動機だよ。普段から社員として真面目に勤務していたのに、なぜそんな犯行に及んだのか。警察の取り調べで犯人は、正しい社会を作るために殺したと言ったんだよ」

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