第12話


【8月26日 午後10時26分 心斎橋『プロテア』】


 芹沢千晶は3年前まで、大阪のキャバクラに勤務していた。

 

 心斎橋筋しんさいばしすじを東に入った歓楽街かんらくがいに建つビルの一階に『プロテア』という店がある。客に酒と接待を提供するキャバクラ店で、テーブル数13席、在籍キャスト数25名程度の規模で運営されていた。


 雑誌やネットのランキングでは10位あたりに位置しており、接客・金額ともに優良店のひとつとされている。店長は黒服から昇進した32歳の優男やさおとこだが、これはいわゆるやとわれ店長で、オーナーは別に夜の店を十数店所有していた。


 大阪における夜の店は大きくキタとミナミに分かれている。キタは大阪駅を中心とした梅田界隈で、上質な接客で大人の時間を提供する高級店が多い。対してミナミは心斎橋駅と難波駅を結ぶ界隈で、賑やかな庶民派の店が集まるエリアとなっていた。


 『プロテア』もミナミに属する店なので、明るく楽しく気軽に遊べる雰囲気を売りにしている。そのためキャストも経験より若さを重視しており、頻繁ひんぱんに入れ替わりを採用する傾向にあった。


 千晶はその店で21歳から25歳までの4年間をキャスト、つまりキャバクラ嬢として在籍していた。源氏名げんじなは店長が陰のある見た目とフィーリングから『宵宮よいみやミライ』という名前を提案されて、特に異論もなかったのでそのまま名札に記された。


 働き始めて2年目の夏、8月後半の木曜日の夜だった。その日、千晶は店の待機室でソファに座ってスマートフォンをいじりながら、他のキャストたちとホールへの呼び出しを待っていた。呼び出しは来店した馴染なじみの客から指名を受けた場合と、新規の客から好みを聞いて選ばれる場合がある。外は午後から雨が降り続け、日暮れとともにさらに激しさを増していた。


「あーもう、今日は駄目っすね」


 隣に座る若い女が千晶に寄りかかる。色の抜けたブラウンの髪をたっぷり盛ったタヌキがおの子で、はじけるような賑やかさと胸の大きさが持ち味のキャストだ。星空キラという源氏名で去年の末から店に入っている。20歳の新人だが以前にも他の店に在籍していたので、千晶よりも業界には慣れていた。


「駄目っすか。まーこの雨じゃねぇ」


 千晶はスマートフォンの画面を見ながら気怠けだるそうに答える。髪型はキラよりも暗めのロングに強くウェーブをかけてハーフアップにアレンジしている。衣装もキラが身に着けているパールピンクのドレスに対してネイビーのカクテルパーティ風で大人っぽく仕上げていた。


 待機室はいわゆる楽屋がくやのような部屋で、入口を除く三方の壁面に沿って長いソファとテーブル、私服や私物を入れるロッカー、4人分のドレッサーが並んでいる。千晶とキラの他に2人のキャストがいたが、どちらも同じように長い足を組んでスマートフォンを片手で操作していた。


「ちょっとミライさん、大変。大雨洪水警報だって。警報ですよ、警報。うちらもう帰らなきゃ。ねぇミライさん……スマホで何やってんの? ゲーム?」


「営業活動。今日ガラガラで入り放題ほうだいですよーって」


「ひっど。この雨の中こいって? 来てくれそう?」


「断られた。仕事が忙しいって」


「いるいる、いるよねぇ。ワリィ、今日オレ、仕事だからって。言ってやれ、言ってやれ。仕事と私、どっちが大事なのよーって」


「そりゃ仕事でしょ。キラちゃんもちょっとは動かないと。また店長にメってされるよ?」


「えー、だってずぶ濡れで来られても困るから。あ、あの人はどうですか? ITの人、ネットでアパレルしてるとかいう、ミライさんの太客ふときゃく


「だから今その人に断られたんだって」


「いいなぁ。社長さんなんですよね。いくらくらい持ってるんですか? 億? まさか、億?」


「知らない。年商はそんな話してたけど。年商だよ?」


「本当に? すげー。ミライさん、それ絶対つかんでおいたほうがいいですよ。レアですよ、スーパーレアですよ。乗っておくべきですよ。いいなぁ」


 キラは振り子のように体を揺らして寄りかかる。千晶は片手を伸ばして彼女の肩を抱いて一緒にぐらぐらと揺れていた。年商で見栄みえを張っても内情は借金だらけの火の車で、手元にはほとんど残っていない社長もざらにいる。会社なんてニキビよりも簡単に潰れると、いつか来た中年の客も言っていた。結局重要なのはいくら持っているかではなく、店に何本ボトルを入れて、自分にいくら支払ってくれるかに尽きるのだと達観たっかんしていた。


「キラちゃんのほうが全然お客さん持ってるじゃない。私はそっちのほうがうらやましいよ」


「駄目ですよ。うちのお客なんてみんなイキってるだけのペーペーですから。どうせうちなんかっすい女なんです」


「よく言うわ」


「ミライさんみたいにミステリアスなほうがいいんですよ。ミステリアスです。ミライさんって、なんか一杯隠してそうじゃないですか」


「何を隠すのよ。武器とか?」


 千晶はレースの付いたスカートのすそを軽くたくし上げて内腿うちももを見せる。映画かアニメの女スパイが、よくその辺りにナイフやピストルを隠し持っているからだ。ただキラには意味が伝わらなかったらしく、屈託くったくのない笑顔のまま不思議そうに首をかしげていた。この子はいつも陽気で、案外と賢い子だが、教養はあまり備えていないと思う。私、自慢じゃないですけど高校出てますから、と得意気とくいげに話すこともあった。


「あ、眼鏡とかどうですか? ミライさん似合いそう。眼鏡のキャバ嬢って珍しくないですか? ヤバいですよ」


「嫌だよ。目、悪くないもん」


伊達だてですよ、伊達。ミステリアス・ミライ。店長に相談しません?」


「やめて。私はキラちゃんみたいに開けっぴろげのほうがいい」


「開けっぴろげ! うちは開けっぴろげですよ。もう、パーンですからね、パーン!」


「足、閉じなさい」


 千晶が冷めた口調でたしなめると、キラは甲高かんだかい声で笑う。他のキャストたちがちらりと怖い目を向けていた。


 この仕事にいてから、自分がいかに社交性に乏しいかを思い知った。ミステリアスな雰囲気は自分をよく見せるための演出ではなく、根暗な本性を見せまいと必死に努力した末に獲得したキャラクターに過ぎない。それに対してなんのストレスもなく自分をさらけ出せるキラの性格は天性のものに違いなかった。彼女の明るさと胸の大きさには、いくらパッドを重ね入れてもかなうものではない。私が客なら間違いなく私よりも彼女を指名するだろう。

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