第11話
「千晶さん」
隣から龍崎が妙に重い声で呼びかけてくる。ちらりと目を向けると、
「千晶さんには話しておきたいんだけど、実は僕、認知症という病気に
「あ、はい……事前に紀豊園のスタッフさんから聞いています。送迎するお客さまの体調を理解しておく決まりになっていますので」
「認知症というのは頭の病気でね、思っていることや、やろうとすることがうまくできなくなってしまうの。さっき僕が居眠りをして、何かおかしな寝言を
「そんなの普通ですよ。私だって他の人の車に乗ったらすぐに眠くなりますから」
千晶は笑って返答する。日中、ふいに耐えがたい睡魔に襲われる
「あと、私は美容院でカットしてもらう時も一瞬で居眠りしちゃいます。あれってなんでしょうね? 前もお店の人から、うちは仮眠室じゃないんですけどって言われちゃって……」
「どれだけ気が張っていても、突然おかしくなってしまうんだよ。なんでかなぁ。思ってもいないことをしてしまうんだ。そうなるとね、もう自分でも
「でも居眠りってそういうもんじゃないですか? 私は眠ってしまうほど安心してもらえて嬉しいです。到着するまでお休みになってもいいんですよ」
「時々、心にもない言葉が口から漏れてしまう。急に怒りっぽくなって悪口を言ったりね、乱暴なことをしたりしてしまうの。それなのに、何も覚えていないことがあるんだ。嘘じゃないよ。本当なんだ。本当に、僕は何も覚えていないんだよぉ」
「龍崎さん」
「僕はね、千晶さんにもそんなことをしてしまわないかと心配なんだよ。それは僕の本心じゃない。本心じゃないけど、そうなってしまうんだ。僕はそれが心配だよ。いつ千晶さんを困らせないかと、心配なんだ」
「……大丈夫ですよ、龍崎さん」
千晶は優しく呼びかける。龍崎が気にしているのは居眠りではなく、意図せず暴言を放ったり暴力を
「龍崎さん、私は認知症についてはよく理解しているつもりですから、何かあっても大丈夫です。龍崎さんのお気持ちも分かっています。迷惑だなんて思いません。ちゃんとお送りしますから、安心して乗っていてください」
正面を向いたまま
背後の黒い車はいまだ離れる様子はない。やはり龍崎のためにもトラブルに発展することだけは避けたい。赤信号で停車する意思があるなら、これ以上は危険な行動に及ばない可能性もある。無視していればそのうちに飽きて走り去っていくのではないか。しかし、はたしてそこまで気楽に構えていてもいいのか。
一体、黒い車にはどんな人間が乗っているの?
「恐ろしい幽霊が車を運転しているんだ」
「え?」
龍崎の言葉に千晶は思わず声を上げる。一瞬、脳内の問いかけに彼が答えたかのように思えた。
「龍崎さん、なんですか?」
「車の運転だよ。僕は車を運転しているの。千晶さんと同じようにね、僕も運転しているんだよぉ」
聞き返すと龍崎は瞬きを繰り返しながら話す。何を言っているのか分からない。しかし声はしっかりしており
「そういうことがね、僕の頭の中で起きているんだ。車の運転……僕はもう免許証を返納したから運転できません。右へ曲がろうと思っても真っ直ぐに進んでしまう。窓を拭く……ワイパーが動いても、止める方法が思い出せない。体の動かしかたがよく分からなくなってしまうんだよ」
「……ああ、認知症の症状を教えてくれているんですね?」
千晶が察して返答する。龍崎は左手を上下に動かして、恐らくハンドルの横に付いているワイパースイッチの操作を表現していた。
「なるほど、体が車で心がドライバーという意味ですね。それで急に運転が分からなくなって勝手に動いてしまうのが認知症だと。ありがとうございます。凄くよく分かります」
「幽霊が勝手に運転するんだ」
「幽霊が……」
「僕が運転できなくなるとね、幽霊が入り込んできて、僕の体を運転するんだ。そいつが僕の頭のハンドルを奪ってね、悪口を言ったり、悪いことをしたりするんだよぉ」
龍崎は悲しげな顔で説明する。彼は意思に反した言動を、自分ではない幽霊によるものと考えているらしい。先ほど居眠りをしていた際、来るなとか、どこかへ行ってしまえとか
しかし千晶は、それとは別の気味悪さを思い出していた。
「車を運転しているのは恐ろしい幽霊だ。悪いことをするのはそいつの
ルームミラーには背後に迫る黒い車の姿が映っている。
「僕は怖い。あの幽霊が、千晶さんに何かしてしまったらどうしようって。あの幽霊がハンドルを取って千晶さんに嫌なことをしたらどうしようって。僕はそれが怖いんだぁ……」
それは以前に聞いた、人を殺す呪いの車の
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