第21話 ネバープリンセス

 夏休みに入ってから、一度だけ乃絵から連絡があった。それはお盆に家に来ないかという趣旨のもので、叶恵さんのお墓参りに参加するかどうかの確認だった。私は当然「行く」と返事をした。


 夏休みに乃絵と直接会ったのはお盆の日だけで、それ以外は私が祖父母の家に帰省したり、乃絵も家族と旅行に行ったりとが重なって会える日がなかった。それから、私のほうがなんとなく、乃絵を避けてしまっていたのだ。


 そのせいで、お盆に会ったときも、家族を交えた他愛のない会話しかすることができなかった。


 乃絵の隣に私はふさわしくない、なんてできすぎた心を持った人間の真似事をしてみた。自分から乃絵を誘うのはなんか負けたみたいで嫌だった。どうせなら、乃絵の方から誘って欲しい。そんなふうに受動的になっていたら、乃絵からの連絡もこなくなった。


 こういうところが悪いのかな。


 変なところで意地になって、人一倍独占欲が強くて、嫉妬心が激しく、そのくせ自分自身への諦めは誰よりも早い。そういういろんなものが重なって今の私が形成された。どれくらいなんだろう。私みたいな人間が生まれる確率って。できれば高いといいな。


 少数より、多数のほうに紛れていたほうが安心してしまう。その時点で、私にはやはり物語を引っ張っていくような素質はなかったんだろうな。


 始業式が終わってすぐ、乃絵が本を出すという噂が立った。なんでも、叶恵さんが本を出した出版社から声がかかったらしい。それがどうして真実ではなく噂に留まっているのかは、乃絵が「そうだよ」と事実を肯定しないところにあった。


 契約のなかで、秘匿事項とかなんとか、あるのかもしれない。それでも、乃絵が本を出すという話題はSNSを通じて広がり、夏を終えてからも乃絵を取り巻く周囲の勢いは留まることを知らなかった。


 秋が近づくと、文化祭の話もちらほら出てくる。


 午後の授業をまるごと文化祭の話し合いと準備に使うあたり、学校側の本気度も見えるし、それに応えるように盛り上がるクラスメイト達もまた、文化祭というものを楽しみにしていた。


 私たちのクラスでは演劇をすることになり、乃絵が主役で、豊ちゃんがヒロインをやるらしい。仲が良いからって理由と、豊ちゃんが立候補したことで、そのような配置になった。当然乃絵はダンスで賞を穫ったことが周りにはバレているので、全員からの推薦で主役に抜擢された。


 ちなみに私は照明係だ。表に出ない分、不満はないのだけど、強いて言えば演劇自体をやめてほしかった。


 練習風景はまるでお花畑の上にいるかのように、キラキラと輝いて見えた。豊ちゃんの手を取る乃絵を見て、周りが黄色い声援をあげる。上手、キレイ、素敵。手を握られた豊ちゃんも、顔を真っ赤にして嬉しそうにしていた。そのせいで噛んでしまって、でも周りは茶化すように囃し立てて、また照れる。そういう笑顔の中にあるものを幸せと言う。


 私はその幸せ空間から少し離れた場所で、ステージに付ける飾りを作っていた。


 王子様が囚われたお姫様を救う、みたいな、どこにでもあるような物語を彩るものを、私の手で作れるだろうか。そもそもなんで乃絵が王子様なんだ。性別が違うじゃないか。


 一つ一つ、切り取るようにハサミを動かす。


みなとさん。ちょっとでもステージが華やかになるように、頑張って作ろうね」


 私と一緒に作業をしている子が、ふいにそんなことを口走った。


「それにしても、本当にすごいね、近江このえさんは」

「行ってくれば」


 あの輪の中に混ざりたそうにしていたから、ぶっきらぼうに答えてしまった。混ざり合うだけの存在を、尊敬はできなかったからだ。


「無理だよ、私には。私は、そういうんじゃないから」


 その子は困ったように笑って、飾り作りを続行した。


 ああ、この子も私と同じか。どうせ自分はって、自分を諦めることが得意な子なのだ。


「湊さんこそ、いいの? 近江さんのところ行かなくて。あんなに仲よかったのに」

「関係ないでしょ」

「ご、ごめんね・・・・・・」


 その子がしゅんと俯き、眼鏡が落ちそうになっている。ちょっと、声の圧が強かったかもしれない。


 私も無心で、ハサミを動かす。


 後ろで、キャー、と甲高い声が鳴った。


 キスした、してない。そんなような熱を吹くんだ声が多量に背中に振りかかる。目の前の子が、私をジッと見つめている。見つめ返すと、怯えたように目を背けられた。


 私、そんな怖い顔してかな。


 気になったけど、聞く気力もなかった。



 文化祭当日になると、都内の学校ということもあって人は朝から大勢集まった。開会式を終え、一般人も校内に入ってくると開け放った窓からは揚げ物の香りが立ちこめて、廊下にはアップテンポの音楽が流れ始める。雰囲気に当てられたように、人にも笑顔が宿り、足取りが軽くなる。


 私たちのクラスが行う演劇は午前の十一時に開始予定となっている。本当なら午後にもう一度やる予定だったのだが、別のクラスのバンドと時間がどうしても被ってしまい、演劇は視聴覚室でビデオ公開されることとなった。


 私からすれば午後の仕事がなくなるのでラッキーだったけど、豊ちゃんや、その他のクラスメイトは悔しそうにしていた。そして乃絵も同じように、残念がっていた。


 乃絵は演劇なんて怠いって言うと思っていた。前向きな気持ちで臨んではいないと思っていた。でも、最近の乃絵を見ているとどんなことも、一生懸命頑張っているように見える。それはまるで、見失った自分を探すように、これから先をしっかりと生きるために、地面に足を付けて歩くようだった。


 ふと、血が滲むように、意識が軽薄になっていく感覚に襲われる。ステージの上でリハーサルをする乃絵と豊ちゃん。二人は今日のためにメイクもしていて、この場にいる誰よりも可愛かった。キラキラしていて、主役みたいで、特別で。


 そんな思考を、私と同じ照明係の子の声で切り裂かれる。私には私の仕事がある。それはステージの上じゃなくて、ステージの裏の薄暗い部屋にある。


 演劇が始まる三十分前には、すでに客席が満席になっていた。乃絵を見に来たことは明らかで、他校の制服を着た子が多い印象を受けた。


 誇らしかった。どうだ、すごいだろって言ってやろうと思った。でもそれは、私の役目じゃない。私はただ、乃絵と豊ちゃんを、光で追いかけていればいい。


「湊さん、始まるよ」

「うん」


 綺麗なドレスを着た豊ちゃんと、その手を掴んで笑う乃絵を追いかける。乃絵が台詞を読むたび、会場が熱気に包まれる。その身のこなし、美貌、スタイル。そして演技力。その全てが、乃絵が持って生まれたものだ。人はそれを、才能と呼ぶ。


 才能を、光で追いかける。人が感動する。それを眺める。遠い存在を、眺める。


 早く終われ。


 私は何も悪いことをしていないし、他の誰かも、悪いことをしていない。じゃあ、この憤りはいったいどこを向いているんだ。


 乃絵が豊ちゃんを抱き寄せ、顔を近づける。


 その顔を誰よりも近くで見てきたのは私だ。誰よりも長い間見てきたのは私だ。じゃあなんで私は、ここにいるんだ。


 顔が重なるその瞬間を、私は見ることができなかった。


 拍手喝采に包まれたのを合図に、私の仕事が終わる。私は一目散に体育館から逃げ出した。「早く早く! 近江さんが見られるんだって!」と興奮気味に走って行く他校の生徒と行き違いになった。


 お昼になって、私は教室の隅でご飯を食べていた。お母さんが作ってくれたお弁当だ。今日が文化祭ということもあって、いつもより気合いが入っていた。三段もある。こんな食べられないよ。でも、おいしい。ありがとうお母さん。


 ・・・・・・今更良心を思い出したって仕方がない。


「湊さん」


 顔をあげると、そこにはあの子が立っていた。名前は知らない。眼鏡がずり落ちそうなあの子が、私と視線を合わせるようにしゃがみ込む。


「午後の部、よかったら一緒に回らない?」


 なんで、私? この子にも友達がいないのか。名前も知らないので、情報はない。


「あ、あのね。三組でコスプレ喫茶がやってるでしょ? あ、あそこの無料券、そこのクラスの子から二枚分けてもらったの。だから、湊さん、どうかなって思って」

「喫茶」

「そう、コスプレっていっても、店員さんがしてるってだけで、あ、でも、言えばさせてもらえるらしいけど、あ、湊さんはそういうの興味ある?」

「ない」

「湊さん、か、かわいいから、似合うと、思うけどな、猫耳メイドさんとか、してる人いたよ」

「ないって言ってる」

「あ・・・・・・ご、ごめんね・・・・・・また」


 また、と言ったか。前の出来事を覚えているってことか。私も覚えてるよ、しっかり。うん。


 この子もこの子で、話すのが下手くそだ。もしかしたら、私と同類なのかもしれない。そう思うと、少し可哀想に思えてくる。


「喫茶店」

「え?」

「紅茶とか、飲めない。だから行かない」

「そ、そうなんだ。アレルギーとか?」

「うん」


 そうだって言ってる。という言葉を必死で飲み込んだ。


 その子は他になにか言葉を探しているような素振りを見せたが、諦めたように眉を下げると、ゆっくりと立ち上がった。


「そっか、ごめんね、無理に誘ったりして。湊さん、文化祭、後もう少し、いっぱい楽しもうね」


 なんで、この子は泣きそうな顔をしているんだろう。諦めたくせに。


 諦めるっていうのは誰でもない、自分自身にしかできないことだ。自分で決めたことに、何をそんなに悲しむことがあるんだろう。


 何重にも張り巡らされた、割れた鏡を見せられているかのようだった。


「誘ってくれて・・・・・・ありがとう」


 その子の背中に声をかける。


 その子は振り向いて、笑った。


 去って行く背中の名前を、結局最後まで知ることはできなかった。


 食べきれなかったお弁当をカバンに詰めて、壁にもたれかかる。そもそも、なんで私はあの子の誘いを断ったんだろう。どうせ一緒に回る人なんていないのに。


 もしかしたら、なんて淡い期待を抱いているのだとしたら、私は、すごくバカだ。


「近江さーん! こっち向いてー!」


 廊下から声が聞こえた。スマホを掲げた人たちの渦の中に、乃絵がいた。


 演劇の衣装を着たまま、廊下を歩いている。その隣には、ドレス姿の豊ちゃんが幸せそうな顔をして歩いている。


 そして乃絵も、心から楽しんでいるように笑っている。


 笑っている。


 人が突然死ぬみたいに、生きている人間もまた、突然別の道を歩くときがくる。


 それを思い知らされているようで、私はまだ重いお腹を押さえて教室を後にした。

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