第4章

第20話 コンプデリート


 コンクールの結果は大賞だった。


 大正生まれでもガキ大将でもないし、恋愛対象とかそういうことを言ってるんじゃなくて、最も大きな賞を、乃絵は授与された。


 作文のテーマは「いじめ」だ。乃絵のえいわく、なんか褒められそうだから。という理由で選ばれたテーマだったが、本当にそれは、複数の大人達に褒められたのだろう。


 乃絵の書いた作文は後日全国新聞に掲載された。それがSNSで拡散され、これまでにはない視点から描かれたいじめへの指摘や見解が大きな反響を生んだ。


 乃絵の素性が割れると、乃絵が過去にダンスや書道、テニスにピアノにと、様々な分野で活躍していたことが瞬く間に話題となり、「神童」というワードがトレンドにもなった。


 極めつけには、乃絵の姉が作家で、遺作が刊行される前に亡くなっているという事実もまた、乃絵の話題に火をつけた。


 近江このえ乃絵という人間は、もはや私たちの視界に収まりきるような存在ではなくなっていた。


 乃絵の影響もあって叶恵かなえさんの遺作も、書店や通販サイトなどでも急上昇ランキングに飛び入りを果たし、これまで見向きもされなかった作品に人々は群がるように寄って集った。


 素敵な作品だったという感想もあれば、作者が死んだから評価されただけの作品などと心ない感想が書かれていることもあった。それが嫌で、私はもうその通販サイトを見るのをやめた。嬉しい気持ちのほうが多かったはずなのに、一つの酷評でこれほどまで嫌な気分になるなんて。


 とはいっても、私は叶恵さんの書いた小説をまだ読んだことがないからその評価がはたして全うなのかはよくわからない。


 叶恵さんには絶対読むからと言ったはずなのに、叶恵さんが亡くなってからその小説を見るのすら辛くて、目を背けていた。乃絵はどうなんだろう。義理で読むのは気が引けるとかなんとか、拗れたことを言いそうだ。


 言いそうだけど、それを確かめる術はない。乃絵に聞けばそれですむ話なのかもしれないけど、その乃絵と、今は話せない状況にいる。


 学校では当然、乃絵は有名人となり休み時間になると学年問わず様々な人が乃絵に会いに来ていた。放課後には他校の生徒が校門で待ち伏せしている始末で、乃絵の周りには常に人が群がっているような状況だった。


 そんな乃絵のそばに常にいるのがとよちゃんだった。


 豊ちゃんは乃絵の受賞を知ると誰よりも喜び、涙した。賞を貰った事実ではなく、乃絵が心を込めて書いた作品が他の人たちに認められたことが嬉しかったのだという。そんな豊ちゃんの隣で、私はどういう感情でいればわからず乃絵の照れくさそうな顔をボーッと眺めていた。


 豊ちゃんは自分のことのように乃絵の作品を宣伝して回った。すごいでしょって、乃絵が認められることで優越感に浸っているようにも見えた。


 私にも気を遣って話しかけてくることはなくなり、学校ではほとんどの間、豊ちゃんは乃絵とぴったりくっついている。


「ねえねえ、湊さん。近江さんって豊崎とよさきさんと付き合ってるの?」

「知らない」


 教室の隅でぼーっとしているとしょっちゅうそんなことを聞かれる。べったりくっついていると、それだけで付き合ってる疑惑をふっかけられるのか。私も、あんな風に乃絵にくっついていたっけ? 


 というか、違うか。この人たちは乃絵を知りたいだけか。自分の学校でのほほんと過ごしていた生徒が、実はすごい人だったと知ったら、近づきたくもなるのだろう。けど、本人と話ができそうにないから、幼なじみである私に尋ねた。


 ちなみに、付き合ってるか付き合ってないかは、本当に知らない。乃絵と豊ちゃんはたしかに最近仲がいいけど、あれは豊ちゃんのほうが一方的に乃絵に矢印を向けているだけで、それを邪険にするわけにもいかない乃絵がなんとなく合わせているという・・・・・・これも全部、私の憶測。妄想。そうであってくれという祈りにすぎない。


 乃絵はもう私の家に泊まりにくることはなくなった。私とうつつを抜かしている暇などないのだろう。


 もう放課後だというのに教室は人でごった返していて、さわがしくて仕方がない。甲高い声が「近江さん!」と呼ぶ。馴れ馴れしい声が歩み寄るように「近江さん」と呼ぶ。前から仲が良かった女の子がわざとらしく「乃絵」と呼ぶ。波のように押し寄せてくるそれを、豊ちゃんが「みんな一旦下がってー!」と仕切る。私はそれを見ながら、カバンを背負って教室を去る。


 家に着けば音はなくなり、私だけの時間が返ってくる。ここには人間の感情が浮いていない。それに触れて、心がすり切れることもない。機械は、熱だけを持ってくれる。ありがたい。


 私は一人でゲームをする。乃絵は人に囲まれながら、人に届けるための作品を創る。


那兎なと、あんた帰ってたの?」


 部屋の扉を開けたのはお母さんだ。ノックをしないのは今更なので気にも留めなかった。


「乃絵ちゃんは?」


 また、乃絵か。


「知らない」

「一緒に帰ってないの?」

「悪い?」

「別にそんなこと言ってないでしょ」


 その通りだ。私は何を怒っているんだろう。


「乃絵ちゃんすごいねー。今日もまた新聞に再掲載されてたよ。朝の報道番組でも取り上げられてたし、これでいじめっていうものの見方も変わっていくだろうってあの人が」


 報道番組に出ていたというMCの人の名前が思い出せないらしく、お母さんは入り口でずっと呻り続けていた。


「大人になったらどんな子になってるんだろうねぇ。お母さん、昔からの知り合いで、もう自分の娘みたいなもんです! とかインタビューで言っちゃおうかな。ね、あんた仲良いんだから、乃絵ちゃんに言ってみてよ」

「出てって」


 ゲームを邪魔されたくない。モニターから目を離さなさず、声を荒げた。


「那兎は」


 お母さんが呆れたようなため息を吐くのがしっかりと見えた。


「いいの?」

「いい」


 もう一度言う。


「出てって」

「はいはい。ご飯になったら来なさいよ」


 部屋の扉が優しく閉められる。お母さんの後ろ姿は見えない。お母さんは私を見て、なにを思っているんだろう。私を産んで、私を育てて、光源の嵐と向き合うだけの私を見てなにを後悔しているだろう。


 なんで、こんなこと考えちゃうんだろう。


 お母さんは変わらず美味しいご飯を作ってくれる。食卓では乃絵の話で持ちきりだったけど、誰も私と乃絵を比べるようなことは言わなかった。


 誰も私を責めたりなんかしない。だから大丈夫。大丈夫。


 お風呂に入ってすぐに布団に飛び込んだ。自分の外見を磨く作業が面倒くさくて、髪すら半乾きのままだ。


 スマホを確認しても通知は一つもない。乃絵は、違うんだろうな。他人から矢印を向けられることのない私は孤独だ。私と、他の人は、何が違うんだろう。


 私には話しかけないのに、私以外には話しかける人は、どうして私を拒むのだろう。なにが違う? どこがいけない? 通知のこない真っ暗なスマホが、私の顔を映す。むすっとしていた。バカらしい。


 寝よう。どうせ意味なんてない。今日も明日も、これからずっと先も、私の一日に意味なんてない。自分自身で生み出した負責を自分自身で還し続ける無意味な日々を、ずっと続ける。意味なんて要らない。乃絵には、意味があるのかもしれないけど。


 布団が広い。私は一人だ。教室でもみくちゃにされていた乃絵とは違う。私はずっと乃絵と一緒にいた。何度も笑い合った。何度もいがみ合った。そして、一緒に大切な人を亡くす悲しみを分かち合った。


 でも、同じなのは過ごした時間だけで、私と乃絵は、どこまでも別の人間なんだ。


 さっきまでコントローラーを握っていた手が、ぷるぷると震える。


「叶恵、さん」


 これで、いいんですよね。だって、好きなんです。


 私は、ゲームがすっごくすっごく好きなんです。好きなことを好きでい続ける、それでいいはずななのに。


 なんで私は、こんなにも寂しいんですか。


 叶恵さんが、いないからですか。


 鼻の奥がツンとして、誤魔化すように指を下半身に向けた。


 本当、何してるんだろう。こんなことをしている間に、するべきことがあるんじゃないか。葛藤や不安が、声となって泣き出しそうになる。それをかき消すために、私は必死に水をかき回す。


 なんかもう、気持ちいいとか、そういうの、どうだっていいんだな。一瞬でもいいから、大切な人がいない時間を埋めたいってだけで、それはまるで、どれだけ邪魔が入っても決して中断されることのない虫同士の交尾のように、意固地で、選択肢の少ない、動物的行為なのだ。


 もう私は主人公になんてならなくたっていい。焦燥感に駆られ、何者かになることを強要されなくたっていい。どうせ私はそんなすごい人間じゃないし、なれる器も、才能も、持っていない。


 好きなものを好きなままで。


 歯を食いしばっているのが自覚できた。眉間にシワが寄っているのが自覚できた。


 怒りをぶつけるように、自分の体を奮い立たせた。


 私が好きなのはとっくに、ゲームだけじゃなくなっていた。 

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