第18話 アイヴィ・ラン

 朝の校門では相変わらず豊ちゃんが挨拶運動を行っていた。暑くなると制服を着崩す人が多くなるので取り締まりが厳しくなるんだって。前に豊ちゃんから聞いたのだけど、きっと豊ちゃんは私にじゃなく乃絵に言っていたんだと思うから、盗み聞きと言った方がいいのかもしれない。


 豊ちゃんにとって、私は乃絵との中継地点にしか過ぎない。私から見た豊ちゃんも、似たようなものだけど、私は中間地点なんてなくても乃絵と一緒にいられる。


「おはよう、豊ちゃん」


 豊ちゃんは私たちに背を向けて他の人と喋っていた。声をかけなければ私たちに気付くことはなかっただろうけど、乃絵は豊ちゃんを見つけると迷いなく声をかけに行った。


 話し相手に軽く手を振ってから、豊ちゃんがこちらに向き直る。乃絵を見ると、そのビー玉みたいに丸い瞳が星みたいに輝く。そのあと、私を見て、友好的な笑みを浮かべた。


「近江ちゃんも湊ちゃんも、おはようございます」


 風紀委員としての、義務的かつ、少々ぎこちない挨拶だった。


 風紀なんてどうでもいいなんて言っていたけど、いくら欺くためにしろ、その身を浸し続ければ自然と染まっていくのだろう。豊ちゃんはすっかり風紀委員が板についている。


「今日はいつもよりちょっと遅かったね。寄り道でもしてた?」

「腸占いをしてたら遅れちゃって」

「ええ、なにそれ。今日のお腹の調子ってこと?」

「そんなところでもあるし、そういうわけでもない」

「適当なんだね!?」

「占いってそういうもんでしょ」

「一部の人には怒られるよその発言は!」


 乃絵と豊ちゃんが、顔を見合わせて笑っている。俯瞰した第三者・・・・・・第四者から見たら、私はいったいどういう顔をしているのだろう。こういうとき、私自身もどういう顔でいればいいのかわからない。


 笑いながら輪に入ればいいのだろうか。それとも、自分に用はないと悟ったらさっさとこの場を離れたほうがいいのだろうか。


 これだから、三人って嫌い。


「あれ? 湊ちゃん」


 そんなことを考えていたら、豊ちゃんが私の名前を呼んだ。


「もしかして、髪切った?」

「・・・・・・うん」

「だよね。前髪かわいくなってるもん。前のも湊ちゃんっぽくてよかったけど、今のもいいと思う! 似合ってるよ」


 眩しいその賞賛に照れてしまう。小さな声でありがとうと呟いた。さっきまで心の奥で沸騰させていた苦みのある感情を棚に上げて。


「え、そう? 切った?」


 乃絵が私の顔をジロジロと見てくる。気付いてなかったの? 別に気付かなくていいけど。


「えー! 切ったよー、ほら前髪も短くなってるし、横も梳いてるでしょ?」

「ぜんっぜんわからん。ズラじゃないの?」

「短くなるズラって・・・・・・」

「あるかもしれないじゃん」

「ないとも言えないけど、それはどうでもよくって!」

「帰りに図書館で調べてみる? 知識っていうのは好奇心がないと手に入らないものだからね。一緒にヅラマスターになれるように頑張ろう」

「なんかやだ!」


 私の話題ですら、そっちの二人で盛り上がるんだ。


 なんだろう。最近の私は、よくない方へ向かっている。その先になにがあるのかはわからないけど、ゆったりとした、横になっているだけじゃどこまでも転がっていってしまいそうな坂道にいる気がした。



 お昼になると、やはり豊ちゃんもやってきて、乃絵とコンクールの原稿を見合って添削を行っていた。


 乃絵の思ったことを書けばいいのに、それを他人が口だししたらそれはもう乃絵の作品ではなく、誰かに評価されるために創った誰かの作品にしかならないんじゃないか。


 それでも、乃絵は楽しそうに豊ちゃんと意見を出し合っていたので、私は口を挟むことはしなかった。


 乃絵が楽しいなら、それでいいけど。それがいずれ、好きに繋がってくれたら、叶恵さんもホッと胸を撫で下ろすだろう。私の中にしかもう存在しない、私に棲み着いた叶恵さんが。


 完成した原稿を先生に提出すると、先生は目を輝かせ、何度も読み返しながら、興奮冷めやらぬ様子で「これは傑作よ」と褒め称えた。そんな見慣れた様子を、何故か一緒に教務室に連れて行かれた私はぼーっと眺めていた。盛り上がっているのは、先生と豊ちゃんだけで、乃絵は他人事のように「ほー」とフクロウみたいになっていた。


 放課後になると私は久しぶりに音楽室前の掃除にかり出された。出席番号順で、定期的に回ってくるのだ。


 広い緑色の廊下を箒で掃きながら、どこまでキレイにすればいいのだろうかと妥協案を探りながら時間を稼ぐ。音楽室の中は他のクラスメイトが掃除を担当していて、廊下には私と、名前も知らないもう一人が他クラスの子と喋りながら箒に寄りかかっている。


「掃除っていうのは、この世に必要ないものを取り除く行為のことを言う」


 後ろから声がして、振り返る間もなく筆箱をこめかみにあてがわれた。


「職業、掃除屋ってかっこよくね」

「かっこいい。殺し屋というのは、無粋。近江はわかってる」

「でしょ」


 乃絵が筆箱を銃に見立てて、どこかを撃っていた。遠くのほうで、ノリのいいクラスメイトが倒れていた。


「まだ時間かかりそう?」

「いつ終わるのかも謎。中はまだやってるみたいだけど」

「そっか。私英語室行ってプリント出してこなきゃいけないんだけどさ、さっき行ったら先生居なくて。教務室に直接行くことにしたから玄関で待ち合わせしよ」

「わかった」

「頼んだぜ相棒」


 なんか変なテンションだな。


 キザにポーズを決めて去って行く乃絵の背中は、なにに影響されたのだろう。そういう、映画か、ドラマか。はたまたアニメか。そういうのにハマったのかもしれない。なら、そういうのを好きと呼べばいいのだけど、乃絵にとってそれは容易ではないのだろう。


 とにかく、この掃除が終わったら玄関へ行こう。人の通りが多すぎて、あの場所は好きじゃないんだけど、仕方ない。


 それとも、気にせず帰っちゃおうかな。


 面倒だって言い切って、何も言わずに帰ったら、乃絵が声をかけてくれるかもしれない。私が時々早退をすると、乃絵は決まって連絡をくれる。「大丈夫? 話聞くよ?」なんてふざけて送ってくることもあれば「ズルいぞ」と恨めしそうなスタンプが送られてくるときもある。


 気を引くために早退って、私は小学生か。やめよう。早退はせめて午後が体育の日に使って、そのついでに、乃絵に心配をかけよう。


「あ、湊ちゃん!」


 向こうから豊ちゃんがやってくる。カバンを背負っているので、もう教室の掃除は終わったのだろう。


「近江ちゃん見なかった?」


 息を切らせている。走って階段を駆け上がってきたのかな。


 豊ちゃんは表情に嘘を吐かない。乃絵を探していて。探した先には、きっと楽しいことが待っている。早く乃絵と会いたくて仕方が無い、そういう顔をしている。


 そして、私に対しても、変わらない、屈託のない笑みを浮かべている。


「ごめ、ちょっと疲れちゃって」

「走ってきたの」

「二段飛ばしで」

「そう」


 私と豊ちゃんでは、乃絵のように話が続かない。ちょっとした気まずさを感じていると、豊ちゃんが音楽室の方を見やってため息をついた。


「ほらー、早く机運んで。湊さんだけだよちゃんと掃除してるの」


 豊ちゃんが注意すると、音楽室の中でだらけていた人たちが「はーい」と返事をして掃除に取りかかった。というか、私の名前出さないでよ。


「ごめんね湊さん、こっちもすぐに終わらせるから」

「あ、うえ」


 あ、ううん。そんな、急がないでいいよ。


 とクラスメイトに言ったつもりだった。んだけど、声が詰まってうまく出なかった。


 でも、まぁ、あっちの人たちに睨まれるんじゃないかと不安だったからよかった。陽キャっていうのは、怖くもあり、同時に優しくもある。


「湊ちゃんは偉いと思う。きちんと掃除してて」


 きっと、見返りなんて求めていないんだろうな。豊ちゃんは本当に、純粋に、なんの狡猾さも持ち合わせずに、私を褒めてくれたんだろうな。


 優しいな。良い子だな。本当に。


「それで、近江ちゃんなんだけど」


 豊ちゃんが本来の目的に気付いて話題を戻す。


 私も、お礼というか、そんな義理めいたものに従って、寄り添わなくちゃいけないのかもしれない。


「・・・・・・見てない。こっちには来てないよ」

「あれー!? 入れ違いになっちゃったかな! もう一回教室戻ってみよ。教えてくれてありがとう! 湊ちゃん!」


 ありがとう、という言葉に返事をすることができなかった。


 手に持った箒で、埃を掃く。この世に、必要のないものを、取り除く。


 心にも届く箒が、あればいいのに。


「おまたー! 湊さん。なんか押しつけちゃったみたいになってごめんね!」

「大丈夫」

「そっか! 怒られるかと思ってヒヤヒヤしたよ! あはは、それじゃね湊さん」


 一人取り残され、私も早く撤収しようとロッカーに箒を投げ入れる。


 そのまま小走りで、玄関へ向かう。


 ・・・・・・私、なにやってるんだろう。


 小さい頃は特別に憧れていた。誰にも真似できないことを成し遂げようと思っていた。他とは違う何者かになろうとしていた。


 主人公に、なりたかった。


 でもこれじゃ、まるで悪役じゃないか。小さな頃の私に見られたら、怒られてしまいそうだ。

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