第16話 メモ・リリィ

 一昨日あたりから、私と乃絵のえに加えてとよちゃんも一緒に昼食を摂るようになった。豊ちゃんはもうお弁当を隠すことなく食べている。中身は、ウインナーと卵焼きかな。見えるかぎり、すごく美味しそうなお弁当だ。


「豊ちゃんの弁当おいしそー。私のざるそばと交換しない?」


 乃絵も同じことを思っていたようで早速豊ちゃんにたかっていた。いやいや、私はたかろうなんて思ってない。同じじゃない。


「交換だなんて、全然食べていいよ」

「あらら。麺一本食べられるチャンスだったのに」

「麺一本!? あたし詐欺られるところだった!?」


 豊ちゃんは吠えながらも、卵焼きを乃絵のお弁当に載せてあげていた。


みなとちゃんもいる?」

「なら、もらう」


 私は差し出された卵焼きを食べ終わったメロンパンの包装紙で受け止める。口に入れると、ほどよい甘さが広がって、美味しい。


「そういえば豊ちゃん。借りた小説読んだよ」

「ほんと!?」


 豊ちゃんが驚くのと同時、私も驚いて顔をあげた。まさか乃絵が借りた小説をたった二日三日で読み終わるとは思っていなかった。いや、それどころか、一ページたりとも読まないと予想していたのに。


 乃絵はいつだったか、小説というものの楽しさがわからないと愚痴っていた。それは、もしかしたら叶恵さんをずっと近くで見てきた妹としての見解なのかもしれない。その言い方には、棘のようなものが含まれている気がした。


 だから豊ちゃんから小説を借りたとき、乃絵はたしかに渋い顔をしていたから、内心面倒だと思ってるな、と横目で見ていた。


「うん。久しぶりに読書なんてしたけどいいもんだね。読みやすかったし、特に中盤以降は夢中で読んじゃったよ」

「あー! あそこね! いいよねー! むしろあそこからが本番だよね!」

「そうそう! 貸してくれてありがとうね、いいもん読めたよ」

「あ、あのね。まだおすすめの小説あるの。今回のとは違って、ファンタジーとかもあって、あたしと近江ちゃん好み同じかもしれないから・・・・・どうかな」


 私はどこか遠くを見ながら、心の中で落胆にも似た声を漏らしていた。豊ちゃん、全然わかってない。


 乃絵は善意で無理矢理小説を読んだようなものだから、追い打ちのようにまた貸すよなんて言っても乃絵はやんわりと断るに決まってる。仲良くなったからって更に距離を詰めようとすると急に距離を置かれる。乃絵はそういうちょっと変なところがあるから。


「本当? じゃあ借りよっかな。エロ本はやめてね」


 ・・・・・・あれ?


 乃絵は断るどころか、嬉々として豊ちゃんの提案に乗っかっていた。


「そんなのも、持ってないよ!?」

「お、なんだ今のどもりは。怪しいな」

「う、あ、怪しくないってば」

「ほんとかー?」


 乃絵は、笑っていた。その笑顔は、繕った偽物? 乃絵は作り笑いが上手いから、外見だけじゃ見定めることは難しい。


 でも、なんか。乃絵、豊ちゃんと喋ってるとき楽しそう。


 私とは、そんな風に話さない。ずっと昔から、一緒に居すぎて繕うことを忘れてしまったせいで、互いに平坦なテンションを保ったまま喋ってきたから。


「そういえば近江ちゃん、コンクールの作品は順調?」

「んー、微妙。先生にも聞きながらやってるけど、やっぱむずいわ」

「もしだったら、あたしも力になるよ? 小説は結構読んでるから目は肥えてるほう・・・・・・だと思うから」

「それじゃあお願いしようかな。明日原稿ごと持ってくるよ」


 私と乃絵は、込み入った話をしない。会話はいつもふわふわしていて、だけど、それが仲の良い証拠だと周りの人は言う。そうかもしれないけど、それって信用されていないとか、頼りにされていないとか、そういうことに繋がりかねないから、胸の奥がもぞもぞする。


 真剣に悩みとか、不安を打ち明けたことは果たしてあっただろうか。今からそういう関係を築こうにも、私たちは強固な錆びのようなもので縛られ、繋がれている。


 私には見せない顔や、私にはしてくれない話題。コンクールの話なんて乃絵は一度も私の前ではしなかったし、作品創りに難航している素振りすら見せなかった。


 でも、やっぱり乃絵は豊ちゃんと喋っているときはどこか気を遣っているような気がして、本当に一緒にいて楽しいのは豊ちゃんではなく私といるときなのではないか。そうであれ、と願った。


 嫉妬とか、独占欲。なのかな。あまり実感はない。ただ、豊ちゃんに対して邪魔だな、なんて思ってしまう時点で、私はめんどくさい生き物になってしまっている。


 その日の昼休みは、あまり面白くはなかった。



 家に帰ってから、テーブルの上でせんべいを食べているお母さんに「床屋いきたい」とねだってみる。髪が重くて前から気になっていたのだ。


 お母さんはせんべいを咥えたまま新聞紙を用意すると洗面所に向かい私を手招いた。


「お母さんが切っちゃる」

「やだ」

「なんでよ。お母さんのほうが床屋さんより上手だって。ほら、専用のハサミだってある。梳きバサミだって」

「封開いてない」

「試し切りは必要でしょ」

「言い切った・・・・・・」

「大丈夫、可愛く仕上げてあげるから」


 チャキチャキと頭の上でそれっぽい音が聞こえる。お母さんに切られる恐怖と、床屋の人の会話に相槌を打つ億劫さを天秤にかけて、渋々私は承諾した。


「あんまり切らないで」

「梳く感じですか?」

「うん」


 床屋さんモードに入ったお母さんの敬語はスルーして、私も覚悟を決める。お母さんは袖をめくってから、ハサミを水平にして前髪へと照準を合わせた。


 バサッ、と音がした気がした。それくらい、思い切り前髪を切られた。


「あ、ああ」

「あら」


 お母さんは口元に手を当てて上品ぶった反応をしているが、顔が完全に引きつっていた。


 前髪をパッツンに切られた私が、鏡の前で愕然としている。


「こっちのほうが可愛いって、今どきの流行はこっちでしょ? 辛気くさく前髪垂らしてるより絶対いいって」


 私が怒る前に、饒舌に話すお母さんは、大人特有のずる賢さを持っている。私は怒る気力もなくなり、代わりにどんより曇り空のような気分になる。


「もう」


 揃えられた前髪を横に流したり浮かせたり、やけくそ気味にわしゃわしゃしてみるも、キレイに揃った前髪は重力に逆らう気などないらしい。


「乃絵ちゃんみたいにバッサリ切っちゃえばいいのに」

「やだ」

「短いの嫌?」


 嫌、というわけではない。ただ、長いほうが好きだ。シルクのカーテンのように、キレイな長い髪が好きだ。


 ちょっとでも近づきたい、のだろうか。自分の原動力がわからない。


 お母さんは仕切り直しと言って、前髪以外のところを切ってくれた。さっきのはなんだったのかと思うほど他の箇所はスムーズに、問題なく切り終えた。なんだか、前髪をパッツンにしたのは、わざとだったんじゃないかという気さえしてくる。


 洗面所に敷いた新聞紙と散らばった髪を片付けて、お母さんが居間に戻ってから私は一人で鏡の中の自分とにらみ合った。


 学校、行きたくないな。


 この髪を見て、乃絵はなんて言うだろうか。笑いはしないだろうけど、何かに形容して言い換えるに決まってる。お人形さんとかならまだマシで、おにぎりの海苔なんて言われたら私は屈辱で気を失ってしまう。


 もし、豊ちゃんが前髪パッツンで登校してきたら、乃絵は「いいじゃん。可愛いと思うよ」と言うだろうか。


 私と乃絵の間から、ありがとうとごめんが消えたのはいつ頃だっただろう。仲が良すぎたせいで、言えなくなったことがいくつあっただろうか。  


 明日のことを考えると、憂鬱だ。せめて今夜にお披露目をすませておけば、ダメージは軽く済むかもしれない。


 スマホのメッセージアプリを開いても、特に乃絵からの連絡は着ていなかった。メッセージ履歴を見返すと、質素で簡素なメッセージが羅列されている。


 家行く、わかった。何時、ん。と、視線すら合っていないような、慣れすぎてしまったやりとり。きっと、豊ちゃんに対しては、違うんだろうな。


 もっと、人間味のある、返事をするんだろうな。


 あ、でも、豊ちゃんはスマホを持ってないんだった。


 妙に勝ち誇った気分になる。そんな自分が嫌だった。


 一度頭を冷やそうと、玄関に出て靴を履き替えた。


 傘立ての近くに転がっているバスケットボールと目が合って・・・・・・ボールに目はない。ないのだけど、なにか芯のようなものが、私と呼応していた。


「叶恵さん、私」


 バスケットボールから漂うゴムのようなにおいが、いつかの病室での出来事を思い出させる。


『あのね、那兎ちゃん。わたし、一つだけ嘘ついた』


 前髪だけは切らない方がよかったかもしれない。視界が明瞭で、目をそらすことができない。


『心残りがね、ないわけじゃないんだ』


 バスケットボールを一回、バウンドさせる。跳ね返ってくるそれは、手のひらに収まることはなく、私のつま先に当たりあらぬ方向へと飛んでいく。戸に当たって、ガラスが鳴いた。


『乃絵を、お願い』


 叶恵さんが唯一見せた、不安そうな表情。その先には、初めて触れるバスケットボールすら自在に操る、つまらなそうに生きる乃絵がいた。


 学校、行かなきゃ。


 叶恵さんとの約束を、私はまだ果たせていない。いや、果たすことなんてきっとないのかもしれない。


 その葛藤や苦悩を水音でしかかき消せない私に、叶恵さんの残した最期の願いを守れる自信はあまりなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る