第12話 二兎を逃して一兎得る
「え!?」
豊ちゃんが驚いたように声をあげる。湊もスマホから目を離し、私を睨むように見つめていた。
最初は戸惑いつつも固まっていた豊ちゃんだったが、私の話が嘘ではないと気付いたようで、やかんの火を止めてこちらにパタパタと駆け寄ってきた。
ズサ、と正座のような体勢で滑り込んだ豊ちゃんが私の手元にある本を見て目を丸くした。
「ホントに!?」
「そうだよ。私の姉ちゃんが書いたんだよ」
姉ちゃん、のあたりで舌がまごつく。
豊ちゃんは「へー!」とか「えー!」とか、どう反応すればいいのか迷っている様子で、結局最後は「すごーい!」と締めくくられた。
「この本二年くらい前に読んだけど今でも覚えてるよ! すごく心温まるお話で、明日から頑張ろうって思えて、そっかー! えー! うそー!」
「本当だよ。ね、湊」
これで話を振れば、湊も喜ぶだろうか。この三人で集まったとき、共通の話題がこれくらいしか思い浮かばなかった。
「近江」
湊が不服そうに、私を睨む。
「こんな近くに縁があるなんて、ビックリ! 意外と世間って狭いもんだねー!」
「私もビックリした。まさか友達の家にこの本が置いてあるなんて。そこまでヒットしたってわけじゃなかったし」
「そんなそんな! 売り上げとか、業界のあれこれはよくわかんないけど、感動したのは確かだもん! 素敵な作品ありがとうございますー! って、伝えて欲しいな!」
「あ、でも姉ちゃん三年前に死んだんだ」
「え?」
「いや、でも本人も嬉しいと思うよ。それだけ喜んでくれたら」
「えっと、うん。え?」
豊ちゃんはひとしきり戸惑ったあと、私と、湊の顔色を窺った。
そこから、意図を汲み取るのはきっとなによりも容易だっただろう。
「そう、なんだ・・・・・・」
「病気でね。本が刊行される半年前に」
「それは、えっと・・・・・・悔し、かったよね」
そこまで言って、豊ちゃんが慌てて「ごめん」と付け足した。別にその感情は間違っていないと思うし、豊ちゃんが必死に振り絞って出した言葉だということはわかっているので、私はゆっくり首を横に振って見せた。
「ビックリするくらい幸せそうに死んでったよ。やり残したことがなさすぎて、死ぬまで暇だ、なんて言ってたから、相当満足してたと思う。ね、湊」
ほれ、せっかく話を振ってやってるんだから口を動かせ、と目で訴える。湊は画面が真っ暗なままのスマホを握りしめたまま、小さな声で答えた。
「
「すごかったらしい」
なんだその感想は。
「すごくて、綺麗な人だった」
湊がようやく、自分から喋る。さっきの検索履歴が、あとで消去されていることを祈る。
「写真あるよ、見る?」
「いいの?」
「遺影だからね、いえーいってしてるのがたくさんある」
豊ちゃんの表情が固まってしまった。間違えたのは、私のほうか。
スマホのアルバムを開いて、過去に撮った叶恵との写真を豊ちゃんに見せてあげる。
花見をしたときの写真や、夏祭りのときの写真。家のソファでひっくり返っている写真など、叶恵の笑顔や寝顔、ときには怒った顔なども様々だったが、泣き顔だけは一枚もなかった。
「たしかに、綺麗な人だったんだね」
「顔がいいだけで、運動神経と勉強はからっきしだったけどね」
「そうなんだ」
「いっつもノロノロ歩いてるような人だったよ。テストもいっつも赤点取ってて、夏休みになると毎日のように補習行かされてた」
「小説書く才能だけは、あったんだね」
「ところがどっこい小説もね、全然ダメで文才の欠片もない。出版社から本を出すときも、かなり改稿されたみたいで本人も嘆いてたよ。実際、本のレビューでも文章が稚拙だって酷評されまくってたみたいだし」
「・・・・・・あたしはすごく好きだったのに」
「だからさ、好きな人にしか好きって言って貰えない、ありきたりな作品だったんだと思う。まあ、そんなわけでぼんぼんの凡才だったけど、小説書くの自体は、好きだったんだろうなとは思うよ。なんせ四六時中机に座ってキーボード鳴らしてるような人だったから」
「凡才だなんて、そんなこと」
「本人もわかってたんだと思う。だから才能がなくても、好きならそれでいいじゃないってのが口癖だったよ」
「好きだったから、届く人には届いたんだと思う」
スマホの奥に移った叶恵を、キラキラとした目で豊ちゃんが見ていた。
「それにしても、似てるね。お姉さんと近江ちゃん」
「そう? 似てないでしょ」
写真の私と叶恵を見比べる。
「このときはね。でも、今の近江ちゃん。お姉さんにそっくりだよ」
「えー? 湊もそう思う? 私と叶恵って似てるかな」
湊の方を向く。至近距離で目が合った。湊も、一緒に私のスマホを覗き見ていたのだろう。
湊の顔ではなく、眼球を覗き込む形となってしまう。湊の視線が、フラフラと彷徨い、最後は床のほうへと落ちていった。
それから私たちは、日が暮れるまで豊ちゃんの家で過ごした。遊んだというよりは、ひたすら私が叶恵の話をして、豊ちゃんが「へー!」と反応するの繰り返しだった。
最初は重苦しい表情をしていた豊ちゃんだったが、叶恵がホテルのロビーでおしっこを漏らした話などをしてあげると、お腹を抱えて笑ってくれた。すごく楽しい空間だったように思える。そんな私たちの横で、湊がジッと身を縮こまらせていたのだけが、気がかりだった。
友達、三人、疎外感。変なものを見てしまったなと後悔する。
「今日はありがとう、近江ちゃん。湊ちゃん」
「こちらこそ。楽しかったよ、居心地もよかったし。また来てもいい?」
「うん!」
豊ちゃんは嬉しそうに笑っていた。
「あのね、近江ちゃん」
玄関を背に、豊ちゃんがしおらしい表情を浮かべる。
「あたし、誰かに自分のことをこんな風に話したの初めて。なんかね、胸が軽くなった気がする」
「そんなの、いつでも聞かせてよ。豊ちゃんのスリーサイズからほくろの位置まで、いつでも大歓迎だから」
「言わないよ!?」
しっかりキレのあるツッコミに、私もケラケラと笑う。
「それから、近江ちゃんがお姉さんの話をしてくれたのも、嬉しかった」
「そっちが話してくれたからね。お互い隠しごとはなしってことでさ。まあ、私は隠してるつもりはなかったんだけど。話す機会とか、必要性とか感じられなくて」
「うん、わかるよ」
豊ちゃんが共感してくれる。
「近江ちゃん、これ。あたしの好きな小説なんだけど、よかったら」
ブックカバーに閉じられた文庫本サイズの小説を、豊ちゃんが差し出してくる。
「読もうって思ったときだけでいいから、よかったら読んでみて」
「読むの遅いよ?」
「ゆっくりでいいよ」
「そっか、ありがとう」
断る理由はなかった。
たくさんの想いが込められ、膨大な量の文章が打ち込まれた本は、私の手のひらに載るとひどく軽く思えてしまう。この紙束に重みを与えるのは、きっと作者でも出版社でもなく、私たちなんだろう。
「コンクールの件も、先生から聞いたよ。頑張ってね、近江ちゃん」
「え、いつ聞いたのそんなこと」
「担任の先生から。すごく楽しみにしてたよ、近江ちゃんの文章はすごいって」
「いやいや、そんなことないよ。私なんて文章の基礎もわかってないし。そもそも字って苦手だし」
「だからこそだよ。だからこそ、先生たちは口を揃えて言うんだと思う。初めての作品であれだけ書けるのは才能だって」
「才能、ね」
「やっぱりお姉さんは文章を書く才能があったんだって私は思うよ。それがきちんと、近江ちゃん自身にも宿ってるって気がする」
「忘れ物のないようにって言ったんだけどなぁ」
隣の湊と、目が合った。
「って、ごめんね! 引き留めちゃって。暗くなる前に帰らなくちゃだよね! このあたり車の通りは少ないけど、犬が多いから気をつけて」
「吠えられないように気をつけるよ」
あんまり犬に気をつけて帰ったことはないので、果たしてどういう心構えで帰ればいいのやら。
じゃあね、と手を振ると、湊も次いで小さく手を振った。
「バイバイ、豊ちゃん」
「うん! 湊ちゃんもありがとう! また学校でね!」
湊もそこそこ、機嫌を取り戻しただろうか。
というか、湊ちゃん「も」ってなんだ。私が豊ちゃんにお礼を言われたのは、あくまで二人の代表ということじゃなかったのか。それとも豊ちゃんは湊ではなく、私にお礼を言ったのか? 言葉って難しい。一つの文字を気にするだけで意味が変わってしまうから、やはり字に対する意識は、あまり前向きになれそうにない。
夕暮れの空を見上げながら、犬に気をつけながら帰路に就く。とはいえ、犬は勝手に吠えるだけなので、気をつけようがない。家の前を通ったときに吠えられる準備をしておくくらいか。できることは。
「近江」
ふと、湊が私の名前を呼んだ。
「ん?」
「夜、うち来ない?」
湊のほうから誘ってくれるのは珍しいことだった。いつもは私から連絡をして、こっそり忍び込むのがお決まりの流れだったから、私は少々面食らってつい湊の表情を窺ってしまう。
湊は相変わらず、眠そうな顔をしていた。
「いいよ」
泊まりに行くこと自体は珍しいことじゃないし、たぶん私は、一週間のうち三日くらいは湊の部屋に泊まりに行っている。家に、ではなく。部屋に、という表現が的確だろう。
「風呂入ってからだから、今日は十一時くらいになるかも」
「ん」
これじゃあ遊びに行くのではなく、寝に行くようなものだな。
寝に行くって、なんだ。なんだろうな。すごく引っかかるけど。
些細なことを気にしても仕方がない。
そんなわけで、今夜。湊の部屋に行くことが決まった。
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