第10話 惰性に付ける薬はない

「ほんっとうにごめんね!」


 登校して豊ちゃんと出会った開口一番。手を合わせて何度も頭を下げられたので私はついにこの世の神になったのだと思った。


「昨日近江ちゃんが倒れたのあたしのせいだよね! あの後、湊ちゃんから近江ちゃんがお昼何も食べてないって聞いたの。あたしがお昼もらったせいで・・・・・・本当にごめんね!」

「ああ、許そう人間」

「人間? えっと、近江ちゃん。体調は大丈夫?」

「低血糖で目眩しただけだから心配するなとのことだ。案ずるな」


 神様って低血糖になるのか? なんか設定の雲行きが怪しくなってきたな。やめるか。


「別に腹が減ってなくて困ってたのは事実だからそんな謝らないでよ」

「口調戻った・・・・・・ううん、そもそもあたしが悪いんだ。なんていうか、わざとらしいっていうか、嫌な子だったよね、あたし」

「なんのこと?」

「昨日見たでしょ? あたしのお弁当」

「うん」


 後ろから覗き込むつもりなんてなかったし、そもそも覗き込むという発想自体なかったけど、見てしまったことに変わりはない。


 白米と梅干しだけの、まっさらなお弁当。魚拓を取ったらそのまま日本の国旗に使えそうな風貌だった。


「あたしの家、正直貧乏でさ、お弁当も毎日こんなんだからみんなに見られるの嫌だったの。だから隠して食べてたんだけど、でも、そうだよね。あんなの、アピールしてるみたいなもんだよね。ごめんね。だから近江ちゃんはあたしにお昼分けてくれたんだよね」

「いやいや、私はただ豊ちゃんが近くにいたから最初に声かけただけだよ」

「ううん、それも湊ちゃんに聞いた。近江ちゃんは、中学のときにも同じようなことをして倒れたんだって」


 ね、と豊ちゃんが私の隣に視線を移す。


「まさかまた倒れるとは思ってなかったけど」


 湊は呆れたようにため息をつく。なんだそのやれやれみたいな顔は。どうにも釈然としないままだったが、豊ちゃんが改めて私に頭を下げたので向き合わざるを得なかった。


「倒れるのが趣味なんだ」

「ごめんね」


 そんな趣味聞いたことないよ!? なんてツッコミが返ってくるかと思ったが、豊ちゃんはしょんぼりとした様子で俯いている。どうにも朝から、ぎこちない。いまだ目眩が続いているかのようだった。


「とっておきの焼きうどんだったんだ」

「え?」

「美味しかった?」


 聞くと、豊ちゃんは少し考えてから、深く頷いた。


「なら、お礼に今日の放課後私と遊んでよ」

「お礼にって、え?」

「近江?」


 豊ちゃんと同様に、湊も私の顔を覗き込んで怪訝な表情を窺わせた。


「お詫びより、お礼のほうが気分がいいでしょ?」

「それは、そう、かもしれないけど。遊ぶって、どこで?」

「うーん、湊。提案」

「外じゃないところ」

「図書館とか」

「図書館じゃないところ」

「絞ったようで広がってるよそれ」

「公共施設以外の場所」

「えー」


 湊の注文はいつも多い。結局湊は、自分の家が好きなのだ。ゲームがあるから。


 なかなか案の決まらない私たちを見かねて、豊ちゃんが遠慮がちに手を挙げる。


「あ、あたしの家でもいいよ」


 私と、同時に湊も驚いた。


 あれだけ家を教えてくれなかった豊ちゃんが、家に遊びに来ないかだって?


 湊は思いっきり警戒したような顔になっていた。耳も後ろを向いて、毛が逆立っている・・・・・・かのように見える。私もそれに乗っ取って、その後私たちの姿を見た者はいなかった。なんて茶化してやろうとも思ったが。


 耳まで真っ赤にした豊ちゃんを見ていると、そういう気分にもあまりならなくなる。勇気に応えられるのは、きっと勇気だけなのだろう。


「いいの?」

「うん。どうせもう、バレちゃったわけだし。それに、二人には隠し事したくないなって思ったの」

「別に、他にも受け入れてくれる人はいると思うよ。あんまり気にしないでいいと思うけどな。少なくとも、豊ちゃんが不幸であるようには見えないから」

「ありがとう、近江ちゃん」


 ちょっと涙目になってる豊ちゃん。さりげない言葉がどこかにグサッと刺さってしまっただろうか。


 言葉なんてものも、結局は一瞬の感情が体内を駆け巡ってろ過された僅かな一滴に過ぎないのだから。 

  

「金がなくて困ることはあっても、金さえあればなんでもできるわけじゃないよ。私なんて、いまだに宿題を後回しにする癖が治らないし、多分一億円あってもこの病気は治らないから。だから大丈夫だよ。私と湊はそういうの、あんまり気にしないから」


 どれだけ金をかけたって、治らないものは治らない。金だけじゃない。どれだけ願おうと、どれだけ涙を流そうと、浸食していく毒を、阻むことなんてできやしない。


 そんな不可逆の呪いにかけられながらも、幸せのなか眠りに就いた人間を私は知っているから、家の大きさ財布の厚み。そんなものに目を向けるのは馬鹿馬鹿しいと理解している。湊も、そして私の親も、きっと同じ思いだろう。


 私の言葉を聞き届けると、豊ちゃんがぐずぐずと泣き始めた。よく朝から泣く元気があるなぁと思いながら頭を撫でる。通りかかったクラスメイトが豊ちゃんを心配して声をかけてくれていた。


 ほとぼりが冷めたあと、豊ちゃんはすっかり忘れていた学級日誌を取りに行くと言って教室を飛び出した。色々と、振り払いたいものがあるのかもしれない。


 さて私も自分の席に着くかと体を反転させると、ぐいっとブレザーを掴まれた。


「近江」


 振り返ると、湊がさっきと同じように、毛を逆立たせた・・・・・・ような顔で私を睨んでいた。


「今日の放課後は、私とゲームするって約束だった」

「豊ちゃんと遊んだことあんまりなかったんだし、今日くらいいいじゃん。ゲームなんてまたいつでもできるよ」


 湊は変わらず私のブレザーを引っ張ったままだ。というかそんな、背中のほうを掴まなくても、いつもみたいに袖を掴んでくれたらいいのに。


「それから湊、なんで私のこと豊ちゃんに言ったの?」

「なんのこと?」

「中学のとき、昨日と同じように倒れたってやつ。別に言わなくたっていいでしょ」

「言って欲しくなかった?」

「いや、病弱キャラになるいい機会だから嬉しいけどさ」

「風邪すら引いたことないくせに、よく言う」

「誰がバカだって?」

「言ってないってば」


 ガルル、と今度は私が獣みたいに唸ってみる。そういうノリを、湊はめんどくさそうに手で押しやってフラフラと自分の席に戻っていった。

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