第9話 踏み込み行けば後は極楽
ただ、私にはそれが、教科書で隠して食べること自体が一種のルーティンになってるだけだから気にしないでという無言のカモフラージュに見えて仕方がなかった。
融通が利かない、という今朝の言葉を思い出す。
きっと彼女らも豊ちゃんのことが嫌いというわけではないんだろうし、多分当人たちはもう今朝のことは綺麗さっぱり忘れているだろう。だから私が「そんなことないよ豊ちゃんは真面目だけどツッコミはキレがあるしたまにノリツッコミだってしてくれるよ」と弁明すれば事態はまるで「豊ちゃんは周りからよく思われていない女の子である」という風な方に舵を切ってしまうから、それはできなかった。
四限の途中で先生に頭を小突かれた
人間っていうのは案外、一瞬の感情で動いて、一瞬の感情をそのまま口にする。尾を引かない限り、そこまで気にする必要もないとは思うのだけど、物事を俯瞰的に見過ぎだろうか。昔は、よくそんな風に言われたこともあった。
「強敵とあいまみえた?」
「相分かった」
「なんて?」
「武士はそう言うらしい」
「時代背景が謎だねぇ」
インメルマンターンを予告する相分かった武士が、メロンパンを手に抱えている。行き詰まった芸人みたいで、面白い。
「近江はお昼どうするの。弁当?」
「うん。今日は母上がとっておきの焼きうどんを作ってくれたからそれ食べる」
「とっておきの焼きうどん・・・・・・鰹節が効いてそう」
「鰹節だねぇ」
武士だの鰹節だの、今日はぶしぶし日よりだ。このあと部室に行き、物資を回収・・・・・・みたいなちょっと面白そうなことを考えながらぶしぶしする。
「人が集まる前に避難」
湊がそう言うが早いが、さっさと教室の隅に行き座り込んでしまう。以前、湊の定位置を他クラスのヤンキーに奪われたことが原因で、過敏になっているのだ。そのときの湊は梅干しを食べたときのようななんとも言えない顔をしていたが、結局ヤンキーに何も言うことはできずに教室を出て行った。そのあとどこで食べていたのか聞いたが答えてはくれなかった。トイレでないことだけ祈っておこう。
それにしてもヤンキーって強いな。内面的なものでも肉体的なものでもなく、ただの立ち振る舞いだけで人の上に立てるのはなんか楽だなと思える反面、あまり長続きはしなさそうで自分からはなろうとは思えなかった。
高校に入学したばかりのころ、一度だけギャルメイクなるものを勉強して試してみたこともあったが、朝にかかる手間暇と学校に着いてからもメイクや髪が崩れないかと窮屈になる身のこなしに嫌気が差してすぐにやめてしまった。ついでに髪をバッサリ切ったら、以前よりも睡眠時間が延びた。
「ねえ湊」
「んも」
メロンパンを咥えたままの湊が牛みたいな声で返事をする。
「髪結ばないの?」
「え、なんで」
「なんか」
「なんかって」
この会話に本質はないのだと知ると、湊の返事も適当なものになる。
なんとなく湊の長い髪に触れて束ねてみると、兎を捕らえた猟師のような気分になる。
若干ゴワゴワした湊の髪を手で押さえてポニーテールにしたりと遊ぶ。湊はあまり気にしていないようでメロンパンを頬張り続けていた。
うなじの辺りに赤みを見つけて突いてみる。「に」と湊が声をあげた。
「ここのはシャンプーの洗い残しが原因なんだってさ」
「洗ってるつもり」
「どうせ早くゲームしなきゃってパパッと済ませてるんでしょ。色白だから目立つよ」
このまま今日はポニーテールで過ごさせてやろうとも思ったが、この赤みを曝け出すのはさすがに可哀想なのでやめておいた。
「近江は食べないの? とっておきの焼きうどん」
「なんかお腹空かない」
「低燃費でいい」
作ってくれた母には申し訳ないが、どうにも私の舌と胃は感覚を共有していないらしい。
「いる?」
「お腹いっぱい」
「メロンパン一個で?」
「メロンパンの質量はブラックホール並。常人じゃ一個が限界」
ぺろりと唇に付いた砂糖を湊が舐める。指まで舐めるのかと注視していたが、さすがにそれはしなかった。
この焼きうどんどうしようかなと考えて、私は立ち上がって豊ちゃんの肩を叩いた。
「豊ちゃん、これいる?」
後ろからだったから、豊ちゃんの白米と梅干しだけの弁当が見えてしまった。見えてしまったってなんだ。まるで見てはいけないものみたいに。
豊ちゃんはビクッと体を震わせてから、私の顔と手元を交互に見た。
「こ、近江ちゃん? でも、そしたら近江ちゃんの分がなくなっちゃうよ」
「私はいいよ。低燃費だから」
燃費がいいのか、消費カロリーが少ないのか。なんとなく、後者な気がしないでもない。
私が弁当を開けてとっておきの焼きうどんを見せてやると、豊ちゃんの目がキラキラと輝いた。
「とっておきの焼きうどんだよ」
「とっておきの焼きうどん・・・・・・!!」
「残しても親に悪いからさ、食べてくれると嬉しい」
「湊ちゃんは?」
「いらないって。ブラックホール食ったらお腹いっぱいになったらしい」
「ぶ、ブラックホール?」
首を傾げる豊ちゃんに、あんまり気にしないでと私。
「それじゃあ、貰おうかな。ありがとね、近江ちゃん」
「うん。ついでだしあっちで食べよう。湊もいるから」
豊ちゃんを連れて教室の隅に集まる。湊は一瞬、豊ちゃんに視線を移したが、すぐに手元のゲーム機に戻した。
「すごい鰹節の量」
「今日はぶしの日なんだ」
「ぶしの日? なにそれ」
「湊、ぶしの日ってなに?」
「わかるわけない」
「豊ちゃん、私にもわからない」
「あんまり気にしないでいいってことかな・・・・・・」
豊ちゃんが手を合わせていただきますをしたところで、私は湊のゲームを覗き見る。今日はどうも調子が悪いようで、たびたびミスを繰り返しているようだった。
午後の授業は五限が国語で六限が社会だったが、社会の途中で私はぶっ倒れた。先生に心配されながら自力で保健室へ向かった。
原因は低血糖だろうということで、昼飯を食べていないことを保健室の先生に告げると呆れながらも怒られた。ひどい。腹が減ってなかったのは本当なのに。
ホームルームに出るのも面倒だったので、保健室の先生に言ってそのまま帰らせてもらうことになった。
帰路の途中で、遠くから学校のチャイムが聞こえきたのと同時、湊からメッセージが飛んできた。
心配でもしてくれているのかと思い開いてみると、
『明日って体育あった?』
さっぱり私には関係のないメッセージだった。
ええい、いきなり倒れてびっくりしたよ大丈夫? 近江~(泣)くらいのこと言えんのか。明日は第二週だから体育じゃなくて選択授業だよかったなこんちくしょうと思ったことをまとめて全部送ってやった。
『さんくす』
お礼を言われてしまった。釈然としない。
私は思わず、こぶしを握った。
まさか、二日連続でぶしの日とは。
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